もうすぐパリオリンピック・パラリンピック! 義肢装具士の臼井二美男さんが登場
- 2024/07/07
義肢装具士の臼井二美男さんをお迎えして
今年はパリでオリンピック・パラリンピックが開催されます。今回はスタジオに、パラリンピックに出場する選手の方々を支えているお一人でいらっしゃいます、義肢装具士の臼井二美男さんをお迎えしました。
小山「義肢装具士というのは、いわゆる義肢を作るお仕事ということですか?」
臼井「そうですね。病気とか事故で手足をなくした方の義肢を作る仕事ですね」
宇賀「実際にお持ちいただいています」
小山「(義足を手に取って)……重いですよね? この足の部分は何と言うんですか?」
臼井「板バネと言われています」
宇賀「実際にパラリンピックで見たりしますよね」
臼井「先端にスパイクが付いていて、さわると怪我をするような」
小山「いわゆる陸上用のスパイクの裏側が付いているような。これは何でできているんですか?」
臼井「カーボンファイバーを重ねて。70枚くらい重ねて圧縮して作られているんですね。これに体重をかけるとたわみますので、その反発力で前に進む。筋力がないと、たわませることができないんです。そういうトレーニングもしないといけなくて、履けば走れるわけではない」
小山「その人の体力や走り方に合った義肢を作るということなんですね」
宇賀「主に臼井さんはスポーツ選手の義足を?」
臼井「いやいや、そんなことはなくて。普段、9割は一般の方の。特にお年寄りが多いですよ」
小山「臼井さんのようなお仕事をされている方は日本にどのくらいいらっしゃるんですか?」
臼井「今は3,000人くらいだと思うんですけど」
小山「パラリンピック、スポーツに関わるようになったきっかけは?」
臼井「もともとこの仕事に就くのは、小学校の先生が義足を履いていた記憶があって。それがきっかけでこういう仕事を選んだんですけど、スポーツ義足に関しては最初はあんまり考えていなかったですね。途中から外国の選手はすでに走っているというのに気づいて。30年くらい前ですね」
小山「臼井さんのいまの所属先が、『財団法人 鉄道弘済会』」
臼井「いまはJRになっていますけど、かつては国鉄と言いましてね。その当時、80年くらい前は労災が非常に多くて、命をなくす方もいたんですけども、手足を線路に挟まれてなくす方が多くて。そういう人のために義肢製作所を作ろうということが出来たのがうちのセンターなんです」
小山「そういうことだったんですね」
臼井「いまは一般の方を対象に受け入れて作っています」
小山「当初は国鉄の職員のみなさんへのサポートセンターだったんですね」
臼井「僕も実はいまの職場に飛び込みで見学に行ったんですね。こういう仕事に就きたい、と思って。ところが働いている方がやっぱり手足のない方が多くて、『君、五体満足なのに何でこんな仕事するんだ?』みたいなことを言われた記憶がありますね。当時は義足作りも、あまり一般の人には馴染みのない仕事だったみたいですね」
小山「パラリンピックの選手の方はいままで何名くらい手がけられたんですか?」
臼井「最初は陸上競技で、走る、跳ぶというのが基本の選手なんですけど、最近はバトミントンとかトライアスロンとか、いろんな方が出てきて、もう40人くらいは」
小山「競技によってずいぶん形も変わったりするんですか?」
臼井「そうですね、前をまっすぐ進んで走る競技用の義足とか、バトミントンのように横に跳んだり後ろに跳んだり、やっぱりちょっと形を変えたりしないと駄目ですね」
小山「それは臼井さんがご自身で形も考えられているんですか? 構造とかも」
臼井「角度なんですね。長さとか角度はすごく大事で、立っただけで後ろにひっくり返っちゃったり、外側に倒れたりっていうのはあるので。競技に応じて、走り幅跳びと100メートル走では、もう違う形になったりとかします」
小山「ご自身が作った義足を着けた方がメダルとか取ったらめちゃくちゃ嬉しいですよね」
臼井「そうですね、メダルも嬉しいんですけど、やっぱり競技場に立った時がすごく嬉しいですよね。たとえば半年前は病室にいたり、リハビリをしていた人が、今度は競技場に立っているというのは、誇らしいというか」
小山「パリは臼井さんも一緒に行かれるんですか?」
臼井「今年は、実は後輩に任せようかなと思いまして。職場の方で誰に行ってもらおうか、考えているところで」
宇賀「過去には実際に行かれていたんですか?」
臼井「シドニーからですから、5大会。東京を入れると6大会ですね」
小山「それで最終チェックとか、トラブル処理とかやられていたんですか?」
臼井「そうですね、行く前にちゃんとして行くんですけども、やっぱり行ってからもちょっとしたトラブルがあったり、どこか痛みが出たり、故障があったりしますから。専任でいた方が選手としては安心ですね」
宇賀「パラリンピックに出るようなトップレベルの選手じゃなくても、日頃体を動かす目的で運動されている方たちもいらっしゃるんですよね」
臼井「障害をもっている人ほど、スポーツをやるとすごくその効能が大きいというか。それもあって、パラリンピックを目指さなくても走りませんか? というクラブをやっています。『スタートライン』という名前なんですけど。月に1回集まって、6歳から78歳まで幅広いんですよ。義足で走ったり、実は明日、みんなで皇居を一周歩こうと。そんなこともやっています」
小山「何名くらい集まるんですか?」
臼井「メンバーは200人くらいいるんですけど、今度は30人くらいだと思います」
小山「それをサポートしている方もいらっしゃるわけですね」
臼井「いますね。僕の後輩の義肢装具士だったり、整形外科医の方がいたり、看護師さんがいたり。あとはご家族ですね。小学生がいたらその兄弟だったり、お父さんお母さんだったりが一緒に集まって、みんなで走ったりしています」
宇賀「いま番組を聞いている方で、参加したいという方がいらっしゃったら、どうするといいですか?」
臼井「『スタートラインTokyo』でインスタグラムがありますので、探していただいて申し込んでいただければ、いつでも」
小山「これは東京だけなんですか?」
臼井「大阪で、3人だけで大阪支部というのがあって、やってくれています」
小山「全国に広がっていくといいですよね、スタートラインHokkaidoとか、スタートラインKyushuとか」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
臼井「僕がいちばん最初にスポーツ義足を作ってシドニーパラリンピックに出た鈴木徹選手がいるんですよ。彼が日本で第一号の義足のランナーというかスポーツマンだったんですね。あれからもう24年くらい経ちますが、まだ現役なんです」
小山「今年も出られるかもしれない?」
臼井「もう少し経つと発表があると思うんですけど」
臼井さんから、鈴木徹さんへ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(7月14日まで聴取可能)。
宇賀「臼井さんのこれからの夢は何ですか?」
臼井「まだ現役をやらせていただいていて、今日もこれからまだ帰って仕事をするんですけど、それと合わせて、スポーツをやる子どもたち、お年寄りも最近では増えてきているんですけど、そういう方のもっと人数を増やしたい。パラリンピックに行けなくてもいいんです。やっぱりスポーツをする楽しみとか、やると必ず笑顔になりますから人数を増やしていきたい」
宇賀「今日の放送を聞いて、臼井さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 臼井二美男さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
スタートラインTokyoのインスタグラムはこちらから
臼井「そうですね。病気とか事故で手足をなくした方の義肢を作る仕事ですね」
宇賀「実際にお持ちいただいています」
小山「(義足を手に取って)……重いですよね? この足の部分は何と言うんですか?」
臼井「板バネと言われています」
宇賀「実際にパラリンピックで見たりしますよね」
臼井「先端にスパイクが付いていて、さわると怪我をするような」
小山「いわゆる陸上用のスパイクの裏側が付いているような。これは何でできているんですか?」
臼井「カーボンファイバーを重ねて。70枚くらい重ねて圧縮して作られているんですね。これに体重をかけるとたわみますので、その反発力で前に進む。筋力がないと、たわませることができないんです。そういうトレーニングもしないといけなくて、履けば走れるわけではない」
小山「その人の体力や走り方に合った義肢を作るということなんですね」
宇賀「主に臼井さんはスポーツ選手の義足を?」
臼井「いやいや、そんなことはなくて。普段、9割は一般の方の。特にお年寄りが多いですよ」
小山「臼井さんのようなお仕事をされている方は日本にどのくらいいらっしゃるんですか?」
臼井「今は3,000人くらいだと思うんですけど」
小山「パラリンピック、スポーツに関わるようになったきっかけは?」
臼井「もともとこの仕事に就くのは、小学校の先生が義足を履いていた記憶があって。それがきっかけでこういう仕事を選んだんですけど、スポーツ義足に関しては最初はあんまり考えていなかったですね。途中から外国の選手はすでに走っているというのに気づいて。30年くらい前ですね」
小山「臼井さんのいまの所属先が、『財団法人 鉄道弘済会』」
臼井「いまはJRになっていますけど、かつては国鉄と言いましてね。その当時、80年くらい前は労災が非常に多くて、命をなくす方もいたんですけども、手足を線路に挟まれてなくす方が多くて。そういう人のために義肢製作所を作ろうということが出来たのがうちのセンターなんです」
小山「そういうことだったんですね」
臼井「いまは一般の方を対象に受け入れて作っています」
小山「当初は国鉄の職員のみなさんへのサポートセンターだったんですね」
臼井「僕も実はいまの職場に飛び込みで見学に行ったんですね。こういう仕事に就きたい、と思って。ところが働いている方がやっぱり手足のない方が多くて、『君、五体満足なのに何でこんな仕事するんだ?』みたいなことを言われた記憶がありますね。当時は義足作りも、あまり一般の人には馴染みのない仕事だったみたいですね」
小山「パラリンピックの選手の方はいままで何名くらい手がけられたんですか?」
臼井「最初は陸上競技で、走る、跳ぶというのが基本の選手なんですけど、最近はバトミントンとかトライアスロンとか、いろんな方が出てきて、もう40人くらいは」
小山「競技によってずいぶん形も変わったりするんですか?」
臼井「そうですね、前をまっすぐ進んで走る競技用の義足とか、バトミントンのように横に跳んだり後ろに跳んだり、やっぱりちょっと形を変えたりしないと駄目ですね」
小山「それは臼井さんがご自身で形も考えられているんですか? 構造とかも」
臼井「角度なんですね。長さとか角度はすごく大事で、立っただけで後ろにひっくり返っちゃったり、外側に倒れたりっていうのはあるので。競技に応じて、走り幅跳びと100メートル走では、もう違う形になったりとかします」
小山「ご自身が作った義足を着けた方がメダルとか取ったらめちゃくちゃ嬉しいですよね」
臼井「そうですね、メダルも嬉しいんですけど、やっぱり競技場に立った時がすごく嬉しいですよね。たとえば半年前は病室にいたり、リハビリをしていた人が、今度は競技場に立っているというのは、誇らしいというか」
小山「パリは臼井さんも一緒に行かれるんですか?」
臼井「今年は、実は後輩に任せようかなと思いまして。職場の方で誰に行ってもらおうか、考えているところで」
宇賀「過去には実際に行かれていたんですか?」
臼井「シドニーからですから、5大会。東京を入れると6大会ですね」
小山「それで最終チェックとか、トラブル処理とかやられていたんですか?」
臼井「そうですね、行く前にちゃんとして行くんですけども、やっぱり行ってからもちょっとしたトラブルがあったり、どこか痛みが出たり、故障があったりしますから。専任でいた方が選手としては安心ですね」
宇賀「パラリンピックに出るようなトップレベルの選手じゃなくても、日頃体を動かす目的で運動されている方たちもいらっしゃるんですよね」
臼井「障害をもっている人ほど、スポーツをやるとすごくその効能が大きいというか。それもあって、パラリンピックを目指さなくても走りませんか? というクラブをやっています。『スタートライン』という名前なんですけど。月に1回集まって、6歳から78歳まで幅広いんですよ。義足で走ったり、実は明日、みんなで皇居を一周歩こうと。そんなこともやっています」
小山「何名くらい集まるんですか?」
臼井「メンバーは200人くらいいるんですけど、今度は30人くらいだと思います」
小山「それをサポートしている方もいらっしゃるわけですね」
臼井「いますね。僕の後輩の義肢装具士だったり、整形外科医の方がいたり、看護師さんがいたり。あとはご家族ですね。小学生がいたらその兄弟だったり、お父さんお母さんだったりが一緒に集まって、みんなで走ったりしています」
宇賀「いま番組を聞いている方で、参加したいという方がいらっしゃったら、どうするといいですか?」
臼井「『スタートラインTokyo』でインスタグラムがありますので、探していただいて申し込んでいただければ、いつでも」
小山「これは東京だけなんですか?」
臼井「大阪で、3人だけで大阪支部というのがあって、やってくれています」
小山「全国に広がっていくといいですよね、スタートラインHokkaidoとか、スタートラインKyushuとか」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
臼井「僕がいちばん最初にスポーツ義足を作ってシドニーパラリンピックに出た鈴木徹選手がいるんですよ。彼が日本で第一号の義足のランナーというかスポーツマンだったんですね。あれからもう24年くらい経ちますが、まだ現役なんです」
小山「今年も出られるかもしれない?」
臼井「もう少し経つと発表があると思うんですけど」
臼井さんから、鈴木徹さんへ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(7月14日まで聴取可能)。
宇賀「臼井さんのこれからの夢は何ですか?」
臼井「まだ現役をやらせていただいていて、今日もこれからまだ帰って仕事をするんですけど、それと合わせて、スポーツをやる子どもたち、お年寄りも最近では増えてきているんですけど、そういう方のもっと人数を増やしたい。パラリンピックに行けなくてもいいんです。やっぱりスポーツをする楽しみとか、やると必ず笑顔になりますから人数を増やしていきたい」
宇賀「今日の放送を聞いて、臼井さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 臼井二美男さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
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皆さんからのお手紙、お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、東京都〈早稲田大学前郵便局〉菅野彩夏さんでした!「私はよく手紙を書きます。特に誕生日などのイベント時には、家族間で必ず手紙を交換する習慣があります。最近、一人暮らしを始めたのですが、実家を出る際に家族から手紙をもらい、ちょっと泣きそうになりました。一番印象に残っているのは、母からの手紙です。『今まで手伝ってくれたり、愚痴を聞いてくれたりしてありがとう。』という感謝の言葉が書いてあったり、『一人暮らしで大変だろうけど大丈夫だよ。』『そんなに焦ることなく少しずつやればいいよ。』という元気づけられる言葉が書いてあり、たまに見返しています。弟からの手紙は、『これからも一緒にゲームをやろう。』という内容でした。今もたまに一緒にゲームをしています。」
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