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『手紙から始まる物語。』
ここには、様々な思いが詰まった手紙が毎週届きます。
読むと、送り主のことがもっと知りたくなってきます。
日曜の午後3時、1通の手紙から始まる物語。
手紙の送り主にじっくりお話をうかがいながら、
手紙を受け取る喜び、手紙を送るワクワク感、
手紙に詰まった想いをラジオを通して全国に届けます。
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『ゆうびんの父』の作者 門井慶喜さんがご登場!

  • ON AIR
  • 2024/06/02

作家の門井慶喜さんをお迎えして

写真 今回はスタジオに、小説『ゆうびんの父』の作者である作家の門井慶喜さんをお迎えしました。
『ゆうびんの父』は、郵便制度の祖と呼ばれ、現在では1円切手の肖像にもなっている前島密を描いた長編小説です。
写真 小山「本の帯に『歴史小説界のトップランナーが描き切る!』って書かれています。門井さんは直木賞も取られていて、歴史小説をたくさん書かれていて、なぜこの前島密にテーマを絞ろうと思われたんですか?」
写真 門井「前島密という、人は日本の郵便制度の父であるとか、1円切手の肖像であるとかそういうことで知られていますよね。どちらかと言うと、僕もお堅い人と言いますか、とっつきづらい人かなと思っていたんですが、何かの時にこの人が書いた自伝を読んだら、生まれ育ちが非常に特殊であると。江戸時代に生まれているんですけど当時としてはめずらしい母子家庭。母ひとり、子ひとり。おそらく経済的な理由だと思いますが、寺子屋にも行かずにお母さんが錦絵を買ってきて、幼い頃の密……房五郎くんに『この人は上杉謙信ですよ』『武田信玄ですよ』と口伝てに歴史を教えたんです。それを読んで、『これはただものではない』と。すごく人間味がある人なのではないかと思い、調べていき、よし書こう! と思った次第です」

小山「子どもの頃の房五郎くんに夢はあったんですか?」

門井「多分ないと思います。今の新潟県上越市に生まれましたので、1年の中の相当長い期間が雪で埋もれていて、毎日生きるだけで精一杯で、経済的にもおそらくカツカツですから、すべてがお母さんと自分のためという世界だったと思います」
写真 小山「そんな房五郎少年の、人生の最初の分岐点は何なんですか?」

門井「割と早い段階で、もっと勉強をしたいから江戸に行きたいと10代で言うんです。1人で江戸に行って、ところがまったく人脈も何もないので、そこで房五郎くん自身が貧しい暮らしをするんです。偉い侍の家に入って、それこそ飯炊きや子守みたいなところから始まったんだと思うんです。それをしながら少しずつ勉強をしていくというのが大きな転機であり、母との別れになります」

小山「郵便制度を作るには、まだまだ遠い道のりがあると思うんですけど、その次は?」
写真 門井「大きくなるにつれて、次は『蘭学がやりたい』と。今で言う西洋医学ですね。『英語を勉強したい』とか『船の勉強をしたい』とか、いろいろ言い出すんです。その中で1つ大きいのが、江戸にいる時に浦賀にペリーが来たんですね。これで日本中が大騒ぎになって、ペリーの船を見た時に、『ああ、これはやばい』というふうに発想が一気に国家に行くんですね。それまで自分1人で勉強したい、だったのがいきなりバーンと広がるんです。でも結局、何もできないんですよ。力もないし、人脈もないし。頭だけは先に行って、『何かしたい、何かやらなきゃ』。でも目の前でやっているのは大したことじゃない……その時期が結構長く続いて、本人は函館に行ったりしています」

小山「函館?」
写真 門井「つまり、ペリーの来航によって函館が開港したので外国船が来るようになったので、そこに行けば船の勉強ができるんじゃないか、というので船の操り方を一生懸命勉強して、日本一周ができるまでになるんです。船乗りとして。
江戸幕府が終わった時点では、幕臣、幕府の一員とは身分上なっていたんです。前島密は頑張って、そこまでは来られたわけです。明治政府になると、政府に逆らった逆臣の一味ですから、徳川家と一緒に静岡に閉じ込められて……と言ったら悪いのですが、そこで官職に就くんです」

小山「それはいくつくらいの時ですか?」

門井「30歳になっていたと思います」
写真 宇賀「結構いろいろなところを転々としているんですね」

門井「そうですね。お母さんはその間もずっと新潟にいるわけですから、相当、手紙のやり取りというのはこの人の人生では重要だったろうなという気はします」

宇賀「その時代も、手紙は一応、送れるは送れるんですね?」
写真 門井「飛脚制度はありましたので送れるんですが、今の郵便制度よりは基本的に高い。そして信頼性が低い。出したら必ず届くわけではなくて、不達率が結構高いんですね。なので、飛脚を使わないで、誰かに託すとかはありましたね」
写真 小山「それで、いよいよ郵便に近くなっていくわけですか? お母様に手紙を書いていたというのが、制度を確立したいという思いに繋がっていくんですか?」

門井「それはあったと思うのですが、ただ、郵便制度を自分がやろうとなった時に、今は違いますけど郵便は当時の政府の中では必ずしも花形の事業ではなかったんです。ペリーが電信の技術を持ってきましたから、役人は皆その最新技術をやりたがるんです。『あの不達率の高い飛脚の事業をやるの?』というニュアンスがあったので、必ずしも花形事業ではなかった。そこに前島密が入った。逆を言えば、だからこそ入れたという部分はあるんだと思います。前島密はそこで、おそらく自分の少年時代を思い出した」

小山「何かエピソードがあったんですか?」

門井「お母さんに出したけど手紙が届かないということもあったでしょうし、小説の中でフィクションとして書き加えた部分なんですけど、当時は書物が非常に貴重な時代ですから、旅先で本を送ったり送られたりもする。でもそれもやっぱり現地に着かない。高額商品ですから大変なことになる……そういういろいろなことがあって、『郵便って頼りにならないな』『ちゃんとしなきゃいけないな』というモチベーションにはなっただろうなと思います」
写真 小山「全国にたくさんの郵便局がありますが、この郵便局も前島密さんが作っていったんですか?」

門井「そうですね、前島密の時代に出来たものです」

小山「どうやって作っていったんですか?」

門井「ここがおそらく前島密独自と言いますか、ロンドンの郵便制度を参考にして郵便制度を作っていったのですが、全国にネットワークを広げていかなきゃいけない時に、『人をいっぺんに雇うことができないからどうしよう?』と考えたんです。全国の庄屋さん、地主さん、農民階級に所属するお金持ちとか、そういう階級の人々に『助けてくれよ』と言ってそのお家を郵便局にしたんですね」

小山「それはどうやって知り合うんですか?」
写真 門井「直接的には国の辞令を出すのですが、前島密は少年時代からこの社会的階層とは非常に深い馴染みがあったんですね。話は遡りますけど、前島密が全国を旅していた若い頃に、旅費をどうするんだ? となりますよね。それはまさに、その各地の庄屋さん、地主さんが泊めてくれるんです。何晩でも寝ていい、ご飯も出す、酒も出す。その代わりに、お前の話を聞かせてくれ、というんです。情報だけは房五郎少年はたくさん持っているわけですね。『鳥取ではこういうのものがありました。長崎ではこういうご飯を食べました』とか。そもそも、ペリー艦隊を見ていますしね」

小山「ペリーを見ている、というのは価値だったんですね」
写真 門井「そうなんです。もう引っ張りだこみたいな感じで。逆に言ったら、その全国の庄屋さんや豪農たちはそういう情報に飢えていたんですよ。字も読めるし、知的好奇心もあって、でも自分の土地に縛られている人なんです。そこに旅人が来たら話を聞かせてくれ。何なら、昨日と同じ話をもう一度してくれ、と言うくらいなんですよね。前島密はそういう人たちがいかに知的好奇心があって、しかも新時代の仕事をやりたがっているのかというのを、肌身で知っていたんですね。なので郵便制度を自分が明治になって作った時に、『そうだ、あの人たちの力を借りよう』と。これは際立って日本オリジナルの現象であり、前島密の発明であると思います」

宇賀「今でも地方に行くと、お家が郵便局になっているところ、ありますよね」

門井「ありますよね。あれが原型なんです。西洋にはない風景じゃないかなと僕は思います」
写真 宇賀「門井さんはこの本を通じて読者の方たちに前島密のどんなところを知ってほしいですか?」

門井「前島密は決してヒーローではない、ということですね。ヒーローどころか人生を迷いまくっている、自分探しをして自分が見つからない人なんです、30歳過ぎるまで。これは今の我々の感覚で言うと40、50まで自分探しをしている、という人なんですね。最後には郵便制度と出会うわけなんですけど、やっぱりそこまでの人生は必ずしもかっこいいとは言えないと僕は思うし、でもかっこ悪くてもこの人はあきらめなかった。どこかにあるはずの自分の仕事を追い求めて、追い求めて。幕府がなくなっても尚、追い求めてようやく見つかった。この非常にいい意味でのあきらめの悪さ。これは現代の我々がどんな仕事に就いてもすごく大切というか、励みになる人生じゃないかなと思います」

小山「前島密にとって手紙って何だったんですかね」
写真 門井「これはもう単なる情報のやり取りというだけではなくて、人間の感情や思いも届けられる……そして待つ時間も楽しいじゃないですか。そろそろ出してくれたかな、今日くらいに届くかな? という待つ時間も含めて楽しい。そういう意味では手紙というものは自分の人生を非常に強く充実させてくれるものだという実感はあったと思います」

宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」

門井「前島密にならって、私も自分の母に書いてきました」
写真 門井さんから、お母様へ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(6月9日まで聴取可能)。

宇賀「今日の放送を聞いて、門井さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 門井慶喜さん宛】にお願いします。
そして、お手紙をくださった方の中から抽選で、門井さんのサイン入りの『ゆうびんの父』をリスナー3名様にプレゼントします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます。たくさんのお手紙、お待ちしています!」
写真 『ゆうびんの父』は、郵便局のネットショップでも購入できます。ぜひ、お手に取ってみてください!

郵便局のネットショップ
写真 門井慶喜さん、ありがとうございました!

皆さんからのお手紙、お待ちしています

写真 毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。
引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。

今週の後クレ

写真 今回のメッセージは、広島県〈海田郵便局〉田中和守さんでした!

「私は31歳なのですが、大人になるにつれて、知人の結婚や出産を、年賀状で知ることが増えました。学生時代はあまり年賀状を出すことがなかったのですが、知らせたいことが増えると年賀状を介して年に1回でも通じ合えるのはとてもよいことだと思います。知人からの年賀状を見て『こんな可愛い人と結婚したんだ』とか『こんな可愛い子が生まれてたんだ』と思ったことがありました。」
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