初代ウルトラマンのスーツアクター! 古谷敏さんが登場!
- 2024/03/17
俳優・スーツアクターの古谷敏さんをお迎えして
今回はスタジオに、俳優でスーツアクターの古谷敏さんをお迎えしました。
小山「スタジオに入ってらっしゃった時に、ウルトラマンをイメージしていたのでもっと小柄でいらっしゃるのかなと思ったんです。結構大きいですよね」
古谷「そうですね。今は180です。前はもう少しあったんですけど」
宇賀「……ウルトラマンって小柄なんですか?」
小山「小柄なイメージがあったんですよ。でも、大きかったんですね」
古谷「そうですね、これが40メートルになります(笑)」
宇賀「私は古谷さんがお若くてびっくりしました。1943年生まれということは……」
古谷「7月が来たら81ですね。まだ80です」
宇賀「古谷さんは1960年に東宝撮影所に入社後、1966年に放送が開始された特撮テレビ番組『ウルトラマン』で、初代ウルトラマンのスーツアクターに抜擢されたんですね」
小山「60年に東宝に入社ということは、俳優として入社されたんですか?」
古谷「砧の東宝撮影所で、第15期ニューフェイスで」
小山「同期はどなたが?」
古谷「二瓶正典とかね、12、3人おりました。今残っているのは私だけですね」
小山「スーツアクターということは、中に入るわけですよね。最初はどういう経緯で選抜されたんですか?」
古谷「円谷英二さんという特撮の監督がいらっしゃいましてね。その方が『ウルトラQ』というテレビ番組を作って。それで僕は東宝撮影所の契約社員でしたので、東宝撮影所以外の作品には出てはいけないんですけど、東宝系だったので。背の高い、痩せていて、レギュラーを持っていない暇な俳優を探せということで、ちょうど条件に合いましてね。それでケムール人というね、今では有名なんですけど、それに騙されて入ってしまったという経緯なんです」
小山「えっ、ケムール人にも入られたんですか? ケムール人だったんですか!」
古谷「そうです。あんまり知られてないんですけど。知る人は知る、素晴らしい宇宙人なんです」
宇賀「それがウルトラマンの元になっているんですか」
古谷「成田(亨)さんという当時の美術デザイナーさんが『ウルトラマンは古谷敏しかいない』と。ということで、追っかけられましてね。私は、もうぬいぐるみに入るのは嫌だ、と。『俳優として中に入って演技をするというのはちょっと辛いので、僕は嫌です』とお断りをしていたんですよ」
小山「スペシウム光線とかも、ポーズは全部古谷さんが考えられたんですか?」
古谷「考えて、監督とカメラマンの前で披露するわけです。『これはどうですか?』と」
小山「台本に書きにくいですものね、動きまでは」
古谷「俳優をやっていていろいろな引き出しがありましたので。いろんなヒーローの形とか、俳優さんの形とか、映画をよく見て頭に入っていました」
宇賀「当時は、スーツアクターというお仕事もありませんよね」
古谷「アメリカでもスーツアクターとは言わないです。スーツパフォーマーと言うんです」
小山「敵と戦う時はなかなか難しいんじゃないですか?」
古谷「ウルトラマンに、僕は殺陣とかチャンバラ、ボクシングや柔道とかそういう肉体的な運動はあまり得意じゃなかったんですね。宝田明さんの映画を目指してまして。メロドラマのジャンルなんですよね。そっちを目指していたので、アクションの方は一切しなかったんです。それがウルトラマンではアクションをしなきゃならない。『僕はアクションはできませんから。到底無理ですから』とお断りをする材料の1つだったんです。それが、カメラマンに『敏ちゃん、大丈夫だよ。特撮はカメラをいじれば何でもできるんだ』と」
小山「最近は講演活動もされているんですね」
古谷「はい、おかげさまで。ウルトラマンは人気がありまして、海外からいろいろオファーをいただいています」
宇賀「世界中、回っていらっしゃるんですね。やっぱりアメリカが人気あるんですか?」
古谷「アメリカはゴジラとウルトラマンですね。これは特撮の関係でしょうね。今、特設は日本の文化ですね。アメリカはTOKUSATSUという言葉で通じます」
小山「日本語がそのまま通じるんですね。講演ではどんなことをされているんですか?」
古谷「大きな3万人、4万人が入る会場があるんです。3日間やって10万人以上、全世界から集まります。すごいです。そこでトークショーをしたりサイン会をしたりしていますね」
小山「お話は当時のお話を?」
古谷「円谷英二さんの話とか、特撮の話とか。それから特撮映画の話とか。ウルトラマンの話ももちろんします」
小山「今はもうCGもある時代ですけど、当時は全部リアルだったわけですよね」
古谷「そうですね、大変でしたね」
小山「飛んで行く時はどうやって撮影したんですか?」
古谷「飛び去る時は大きい台を使って、6人で『1、2、3』で持ち上げるんです。私はその上にいましてね、『シュワッチ!』と飛ぶんです。あとは飛びの人形がありますから、それで行くという。力のない人が1人入ると、そっちに転がるんです(笑)。面白かったですよ、原始的な現場で。未来の特撮なんですけど、現場は手探りで。すごい作り方でした」
宇賀「それに皆さんが夢中になったわけですもんね」
古谷「やっぱり好きな人が集まったスタッフさんだったんですね」
小山「円谷さんはやっぱりすごい方でしたか」
古谷「すごい方でしたね。小柄な方でね、普通に歩いているとその辺のおじいさんみたいな感じなんだけど、スタジオに一歩入って『ようい』という声が神様みたいな感じでしたね」
小山「強烈に印象に残っているエピソードとかありますか?」
古谷「ウルトラマンの中に入って、『古谷くん、これはこうだよ』という言葉をかけられたその時がやっぱり強烈に印象に残っていましたね。『ウルトラマンの気持ちを子ども達に伝えなさい』という言葉を投げかけられました。すごい人だなあと思いました。『子ども達に夢を与えるんだよ』というその一言ですけどね。ウルトラマンってこういうことをやらなきゃいけないんだ、と」
宇賀「薫堂さんは、当時のその子ども達の1人だったわけですもんね」
小山「まさに見ていたわけですもんね。感動です。あとでサインをいただいてもいいですか?(笑)」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は、『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
古谷「ウルトラマンに。拙い手紙ですけど」
小山「ウルトラマンからウルトラマンに宛てた手紙なんですね」
古谷「感謝の気持ちですね。今の僕があるのはウルトラマンのおかげなんだという感謝の気持ちですね。
古谷さんからウルトラマンへ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(3月24日まで聴取可能)。
小山「ウルトラマンはよくできた物語というか、キャラクターですよね。3分間で帰らないといけない。あれは円谷さんがお考えになったんですよね」
古谷「素晴らしい発想がね。円谷英二さんは昔、飛行機少年だったんですよね。空に夢を託していた人だったという話も聞きますね」
宇賀「今でも新しい作品ができて、愛されているというのが、時代が変わっても変わらない魅力があるんでしょうね」
古谷「あったんでしょうね、ウルトラマンには。だから僕はそれが本当に嬉しく思っていますね」
宇賀「今日の放送を聞いて、古谷さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 古谷敏さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
古谷敏さん、ありがとうございました!
古谷「そうですね。今は180です。前はもう少しあったんですけど」
宇賀「……ウルトラマンって小柄なんですか?」
小山「小柄なイメージがあったんですよ。でも、大きかったんですね」
古谷「そうですね、これが40メートルになります(笑)」
宇賀「私は古谷さんがお若くてびっくりしました。1943年生まれということは……」
古谷「7月が来たら81ですね。まだ80です」
宇賀「古谷さんは1960年に東宝撮影所に入社後、1966年に放送が開始された特撮テレビ番組『ウルトラマン』で、初代ウルトラマンのスーツアクターに抜擢されたんですね」
小山「60年に東宝に入社ということは、俳優として入社されたんですか?」
古谷「砧の東宝撮影所で、第15期ニューフェイスで」
小山「同期はどなたが?」
古谷「二瓶正典とかね、12、3人おりました。今残っているのは私だけですね」
小山「スーツアクターということは、中に入るわけですよね。最初はどういう経緯で選抜されたんですか?」
古谷「円谷英二さんという特撮の監督がいらっしゃいましてね。その方が『ウルトラQ』というテレビ番組を作って。それで僕は東宝撮影所の契約社員でしたので、東宝撮影所以外の作品には出てはいけないんですけど、東宝系だったので。背の高い、痩せていて、レギュラーを持っていない暇な俳優を探せということで、ちょうど条件に合いましてね。それでケムール人というね、今では有名なんですけど、それに騙されて入ってしまったという経緯なんです」
小山「えっ、ケムール人にも入られたんですか? ケムール人だったんですか!」
古谷「そうです。あんまり知られてないんですけど。知る人は知る、素晴らしい宇宙人なんです」
宇賀「それがウルトラマンの元になっているんですか」
古谷「成田(亨)さんという当時の美術デザイナーさんが『ウルトラマンは古谷敏しかいない』と。ということで、追っかけられましてね。私は、もうぬいぐるみに入るのは嫌だ、と。『俳優として中に入って演技をするというのはちょっと辛いので、僕は嫌です』とお断りをしていたんですよ」
小山「スペシウム光線とかも、ポーズは全部古谷さんが考えられたんですか?」
古谷「考えて、監督とカメラマンの前で披露するわけです。『これはどうですか?』と」
小山「台本に書きにくいですものね、動きまでは」
古谷「俳優をやっていていろいろな引き出しがありましたので。いろんなヒーローの形とか、俳優さんの形とか、映画をよく見て頭に入っていました」
宇賀「当時は、スーツアクターというお仕事もありませんよね」
古谷「アメリカでもスーツアクターとは言わないです。スーツパフォーマーと言うんです」
小山「敵と戦う時はなかなか難しいんじゃないですか?」
古谷「ウルトラマンに、僕は殺陣とかチャンバラ、ボクシングや柔道とかそういう肉体的な運動はあまり得意じゃなかったんですね。宝田明さんの映画を目指してまして。メロドラマのジャンルなんですよね。そっちを目指していたので、アクションの方は一切しなかったんです。それがウルトラマンではアクションをしなきゃならない。『僕はアクションはできませんから。到底無理ですから』とお断りをする材料の1つだったんです。それが、カメラマンに『敏ちゃん、大丈夫だよ。特撮はカメラをいじれば何でもできるんだ』と」
小山「最近は講演活動もされているんですね」
古谷「はい、おかげさまで。ウルトラマンは人気がありまして、海外からいろいろオファーをいただいています」
宇賀「世界中、回っていらっしゃるんですね。やっぱりアメリカが人気あるんですか?」
古谷「アメリカはゴジラとウルトラマンですね。これは特撮の関係でしょうね。今、特設は日本の文化ですね。アメリカはTOKUSATSUという言葉で通じます」
小山「日本語がそのまま通じるんですね。講演ではどんなことをされているんですか?」
古谷「大きな3万人、4万人が入る会場があるんです。3日間やって10万人以上、全世界から集まります。すごいです。そこでトークショーをしたりサイン会をしたりしていますね」
小山「お話は当時のお話を?」
古谷「円谷英二さんの話とか、特撮の話とか。それから特撮映画の話とか。ウルトラマンの話ももちろんします」
小山「今はもうCGもある時代ですけど、当時は全部リアルだったわけですよね」
古谷「そうですね、大変でしたね」
小山「飛んで行く時はどうやって撮影したんですか?」
古谷「飛び去る時は大きい台を使って、6人で『1、2、3』で持ち上げるんです。私はその上にいましてね、『シュワッチ!』と飛ぶんです。あとは飛びの人形がありますから、それで行くという。力のない人が1人入ると、そっちに転がるんです(笑)。面白かったですよ、原始的な現場で。未来の特撮なんですけど、現場は手探りで。すごい作り方でした」
宇賀「それに皆さんが夢中になったわけですもんね」
古谷「やっぱり好きな人が集まったスタッフさんだったんですね」
小山「円谷さんはやっぱりすごい方でしたか」
古谷「すごい方でしたね。小柄な方でね、普通に歩いているとその辺のおじいさんみたいな感じなんだけど、スタジオに一歩入って『ようい』という声が神様みたいな感じでしたね」
小山「強烈に印象に残っているエピソードとかありますか?」
古谷「ウルトラマンの中に入って、『古谷くん、これはこうだよ』という言葉をかけられたその時がやっぱり強烈に印象に残っていましたね。『ウルトラマンの気持ちを子ども達に伝えなさい』という言葉を投げかけられました。すごい人だなあと思いました。『子ども達に夢を与えるんだよ』というその一言ですけどね。ウルトラマンってこういうことをやらなきゃいけないんだ、と」
宇賀「薫堂さんは、当時のその子ども達の1人だったわけですもんね」
小山「まさに見ていたわけですもんね。感動です。あとでサインをいただいてもいいですか?(笑)」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は、『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
古谷「ウルトラマンに。拙い手紙ですけど」
小山「ウルトラマンからウルトラマンに宛てた手紙なんですね」
古谷「感謝の気持ちですね。今の僕があるのはウルトラマンのおかげなんだという感謝の気持ちですね。
古谷さんからウルトラマンへ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(3月24日まで聴取可能)。
小山「ウルトラマンはよくできた物語というか、キャラクターですよね。3分間で帰らないといけない。あれは円谷さんがお考えになったんですよね」
古谷「素晴らしい発想がね。円谷英二さんは昔、飛行機少年だったんですよね。空に夢を託していた人だったという話も聞きますね」
宇賀「今でも新しい作品ができて、愛されているというのが、時代が変わっても変わらない魅力があるんでしょうね」
古谷「あったんでしょうね、ウルトラマンには。だから僕はそれが本当に嬉しく思っていますね」
宇賀「今日の放送を聞いて、古谷さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 古谷敏さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
古谷敏さん、ありがとうございました!
ズッキュン♡郵便局のお知らせ
昨年話題になりました、KAWAIIを詰め込んだ新しい郵便局「ズッキュン♡郵便局」が大阪にも登場します!「ズッキュン♡郵便局」とは、郵便局の将来を担う新しいアイデアを募集した社内コンテスト「みらいの郵便局コンテスト」から生まれた企画。「普段郵便局に馴染みのない方にも手紙体験を楽しんでもらいたい」という思いが込められています。
昨年、渋谷でも話題になったプリクラのように切手を作ることができる「ズッキュン♡切手プリ」や、
新サービスとして手紙に合わせて香りを選べる「ふんわり♡香りレター」があります。その他、オリジナルデザインのグッズも盛りだくさんだそうです。
大阪開催のテーマは、季節に合わせて「出会いと別れ」。お世話になった人に、これから仲良くなりたい人に手紙で思いを伝えてみるのはいかがでしょうか?
「ズッキュン♡郵便局」は、大阪梅田のルクア9階にオープン。期間は3月21日から4月4日までの2週間です。ぜひ、足を運んでみてください。
皆さんからのお手紙、お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、北海道〈室蘭築地郵便局〉小谷洋史さんでした!「局長として窓口で郵便、貯金、保険の事務手続きをしています。昨年室蘭市で、郵便局が実施している子ども向けの職業体験イベント『みんなの郵便局』を開催しました。 多くの子どもたちに配達や窓口業務を体験してもらうことができ、後日、参加してくれた子どもから、一生懸命書いた字で『みんなの郵便局をつくってくれてありがとう。楽しかったです』という手紙が届き、心が温まりましたし、改めて郵便局に誇りが持てました。」
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