“県境”の楽しみ方とは? 県境マニアの田仕雅淑さんが登場!
- 2024/02/18
県境マニア 田仕雅淑さんをお迎えして
今回はスタジオに、“県境マニア”の田仕雅淑さんをお迎えしました。
宇賀「県境、どういうふうに楽しむんですか?」
田仕「そうですよね、なかなかこの趣味をお伝えするのは難しいんです。漠然としていますよね、県境の存在は。もう一つ別の県があって、漠然としたもの同士が接すると漠然としたものが明確なラインになるんですよ。県の形というものをそこで初めて意識できるんですね。その境界が存在するというところに、まず興奮するんです」
小山「興奮(笑)」
宇賀「見えないけどある、みたいな?」
田仕「同じ場所だけど違うという、異界と言いますか」
小山「いまの四十七都道府県ができたのは意外と最近なんですよね」
田仕「そうなんです、いま形に定まったのは半世紀くらい前の話になります。最終的には沖縄県がアメリカから返還されたというところですね。そこではじめて、四十七都道府県がそろったわけです。あとは戦時中に東京府が東京都になったり。最後に独立したのは香川県ですね、1888年。その当時、香川県は愛媛県と一緒だったんです。そこから香川の人たちが独立運動を始めまして、分離したんです」
小山「知らなかった! 県の形というのは誰が決めているんですか?」
田仕「古い話になるんですけど、日本にはもともと令制国という行政区分があったんですね。昔だと上京した若い人に『君、国はどこだ?』とか聞くじゃないですか。その“国”ですね、いわゆる旧国というやつです。701年に大宝律令というのができまして、そこではじめて令制国という区分が明文化されたんです。その時は、66ヵ国と2都ですね。陸奥国とか、武蔵国とか、駿河国とか、そういう呼び方でエリアが分けられたんです」
小山「いまの都道府県よりももっと区分が細かかったんですよね」
田仕「そうですね、細かかったり近かったりします。ただ、県になる時には、その境界線がだいぶ参考にされました。昔の旧国の境がいまの県境というところは多いんですよ」
宇賀「山とか川とか谷とか、そういうところに沿っていることが多いんですか?」
田仕「地形に沿って引くというのはまず基本ですね。なので県境は山の稜線とか川の中とか、そういうところにあるのが多いです」
小山「県境は見えないじゃないですか。県境マニアの人は何を見て痺れるんですか?」
田仕「……そこですよね。あの、地図帳を見ると県境ってはっきりラインが描いてあるじゃないですか。ただ現実の地面には、そういう線ってほとんどないんです。そこがマニアの血が騒ぐところで。見えない線を探すという楽しみがあるんです」
宇賀「ちゃんと解読するわけですね」
田仕「参考になるのは地図アプリなんですけど、アプリには境界線が描いてあるんですね。GPSに従って、地面を探すんです。そうすると、些細な違いがあったりするんです。道路の横の崖になっているところを保護している擁壁(ようへき)ってありますよね。あの作りが県によって違っていたりとか。道路の管理は県によってされるので、素材が変わったり、ガードレールも変わったり。あと、気が利いたところだと、石が境界石になっているんですよ! そういうのを見ると、『おお、ここだ!』とちょっとガッツポーズをしたり」
宇賀「それを見つけるんですね」
小山「確かに、ガードレールが変わっていたら面白いですよね」
田仕「注意深く見ると、歩道もタイルからアスファルトに変わったりとかするんですよ」
宇賀「初心者にもわかりやすい、おすすめの県境はありますか?」
田仕「あります。平地の三県境という、私もいちばん大好きな場所なんですけど。群馬と、栃木と、埼玉です(写真を見せながら)」
宇賀「こんな普通の畑みたいなところにあるんですか?」
田仕「そうなんです、普通の二県境だと、何キロも何十キロもあるような線じゃないですか。でもそこにもう一県入ってくると、線じゃなくて点になるんですよ。このレアさ」
小山「ちょうど県境が用水路みたいになっていて、その用水路が交わっている三叉路の交差点の中央みたいなところに境界石が埋まっているんですね」
田仕「そこはもともと川だったんですよね。渡良瀬遊水地を作るときに、そこの湧水地を掘ったあと、渡良瀬川のところを埋め立てて、流れを変えまして、遊水地の方に流れるようにして。そこで川だったところを埋めたので、地面になった。地面になったことで、平地に三県境が出てきたというめずらしい場所です」
宇賀「可愛らしいのが、栃木県とか群馬県とか手書きっぽいフォントで」
田仕「それは地主の方が手書きで案内板を書かれました。残念ながら亡くなられてしまったのですが、その方が三県境をずっと守ってくださいました」
宇賀「見に来た方のためにやってくださっていたんですね」
田仕「家の部材を使って案内板を作ったりとか、撮影用にスマホスタンドを作ったりとかされていました」
宇賀「全国でも数えるほどしかない、県境をまたぐ宿泊施設があるんですね。薫堂さん、熊本と大分の県境がありますよ」
小山「宿泊施設の中に県境があるんですか?」
田仕「そうなんです。ホテルの中に県境が入っています」
小山「一泊ずつ泊まるとか?」
田仕「お好きな人はそうするみたいですね。大分館と熊本館と大きく分かれています」
小山「お風呂の中が県境で分かれているところはないんですか?」
田仕「残念ながらそれはないんですけど、ベッドの上に県境があった、というのはありました。私の目測で、また別の宿なんですけど、県境に建っている宿があったんですね。高知県と愛媛県の間の宿で。運よく私は県境が通る部屋に泊まることができまして、そこで県境が通るベッドに寝まして、上半身は愛媛県、下半身は高知県という……」
宇賀「もう興奮して寝られないんじゃないですか?(笑)」
田仕「そうなんです、なかなか寝付けませんでした(笑)。楽しい経験でしたね」
小山「県境だからこそ、新しい文化が生まれているみたいなことはあるんですか? 味噌の味が変わるとか、雑煮の餅の形が変わるとか」
田仕「まさにそれが顕著になっている県境もありまして。関ヶ原の近くですね。滋賀県と岐阜県の間。寝物語の里という県境スポットがあるんですけど、関ヶ原市が統計をとったところ、雑煮の餅が角餅か丸餅かとか、マクドナルドの呼び方がマックかマクドかとか、呼び方や風習の変化が顕著になているのが関ヶ原らしいんですよ」
小山「そこで文化が入れ替わるんですね」
田仕「面白いところでは、県境で綱引き大会をするというイベントをやっているところもありますね。有名なところですと、静岡県と長野県の間の兵越峠というところで、勝った方が相手側に県境を移動させることができるイベントをやっています」
小山「県境もいろいろ遊べそうですね」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
田仕「この趣味に導いてくださった、私の県境師匠に宛てた手紙を書いてきました」
田仕さんが、県境の師匠である石井裕さんへ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(2月25日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、田仕さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 田仕雅淑さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
県境マニアの田仕雅淑さん、ありがとうございました!
田仕さんの著書『県境マニアと行く くるっとふしぎ県境ツアー(技術評論社)』もぜひお手に取ってみてください。
県境マニアと行く くるっとふしぎ県境ツアー(技術評論社)
田仕「そうですよね、なかなかこの趣味をお伝えするのは難しいんです。漠然としていますよね、県境の存在は。もう一つ別の県があって、漠然としたもの同士が接すると漠然としたものが明確なラインになるんですよ。県の形というものをそこで初めて意識できるんですね。その境界が存在するというところに、まず興奮するんです」
小山「興奮(笑)」
宇賀「見えないけどある、みたいな?」
田仕「同じ場所だけど違うという、異界と言いますか」
小山「いまの四十七都道府県ができたのは意外と最近なんですよね」
田仕「そうなんです、いま形に定まったのは半世紀くらい前の話になります。最終的には沖縄県がアメリカから返還されたというところですね。そこではじめて、四十七都道府県がそろったわけです。あとは戦時中に東京府が東京都になったり。最後に独立したのは香川県ですね、1888年。その当時、香川県は愛媛県と一緒だったんです。そこから香川の人たちが独立運動を始めまして、分離したんです」
小山「知らなかった! 県の形というのは誰が決めているんですか?」
田仕「古い話になるんですけど、日本にはもともと令制国という行政区分があったんですね。昔だと上京した若い人に『君、国はどこだ?』とか聞くじゃないですか。その“国”ですね、いわゆる旧国というやつです。701年に大宝律令というのができまして、そこではじめて令制国という区分が明文化されたんです。その時は、66ヵ国と2都ですね。陸奥国とか、武蔵国とか、駿河国とか、そういう呼び方でエリアが分けられたんです」
小山「いまの都道府県よりももっと区分が細かかったんですよね」
田仕「そうですね、細かかったり近かったりします。ただ、県になる時には、その境界線がだいぶ参考にされました。昔の旧国の境がいまの県境というところは多いんですよ」
宇賀「山とか川とか谷とか、そういうところに沿っていることが多いんですか?」
田仕「地形に沿って引くというのはまず基本ですね。なので県境は山の稜線とか川の中とか、そういうところにあるのが多いです」
小山「県境は見えないじゃないですか。県境マニアの人は何を見て痺れるんですか?」
田仕「……そこですよね。あの、地図帳を見ると県境ってはっきりラインが描いてあるじゃないですか。ただ現実の地面には、そういう線ってほとんどないんです。そこがマニアの血が騒ぐところで。見えない線を探すという楽しみがあるんです」
宇賀「ちゃんと解読するわけですね」
田仕「参考になるのは地図アプリなんですけど、アプリには境界線が描いてあるんですね。GPSに従って、地面を探すんです。そうすると、些細な違いがあったりするんです。道路の横の崖になっているところを保護している擁壁(ようへき)ってありますよね。あの作りが県によって違っていたりとか。道路の管理は県によってされるので、素材が変わったり、ガードレールも変わったり。あと、気が利いたところだと、石が境界石になっているんですよ! そういうのを見ると、『おお、ここだ!』とちょっとガッツポーズをしたり」
宇賀「それを見つけるんですね」
小山「確かに、ガードレールが変わっていたら面白いですよね」
田仕「注意深く見ると、歩道もタイルからアスファルトに変わったりとかするんですよ」
宇賀「初心者にもわかりやすい、おすすめの県境はありますか?」
田仕「あります。平地の三県境という、私もいちばん大好きな場所なんですけど。群馬と、栃木と、埼玉です(写真を見せながら)」
宇賀「こんな普通の畑みたいなところにあるんですか?」
田仕「そうなんです、普通の二県境だと、何キロも何十キロもあるような線じゃないですか。でもそこにもう一県入ってくると、線じゃなくて点になるんですよ。このレアさ」
小山「ちょうど県境が用水路みたいになっていて、その用水路が交わっている三叉路の交差点の中央みたいなところに境界石が埋まっているんですね」
田仕「そこはもともと川だったんですよね。渡良瀬遊水地を作るときに、そこの湧水地を掘ったあと、渡良瀬川のところを埋め立てて、流れを変えまして、遊水地の方に流れるようにして。そこで川だったところを埋めたので、地面になった。地面になったことで、平地に三県境が出てきたというめずらしい場所です」
宇賀「可愛らしいのが、栃木県とか群馬県とか手書きっぽいフォントで」
田仕「それは地主の方が手書きで案内板を書かれました。残念ながら亡くなられてしまったのですが、その方が三県境をずっと守ってくださいました」
宇賀「見に来た方のためにやってくださっていたんですね」
田仕「家の部材を使って案内板を作ったりとか、撮影用にスマホスタンドを作ったりとかされていました」
宇賀「全国でも数えるほどしかない、県境をまたぐ宿泊施設があるんですね。薫堂さん、熊本と大分の県境がありますよ」
小山「宿泊施設の中に県境があるんですか?」
田仕「そうなんです。ホテルの中に県境が入っています」
小山「一泊ずつ泊まるとか?」
田仕「お好きな人はそうするみたいですね。大分館と熊本館と大きく分かれています」
小山「お風呂の中が県境で分かれているところはないんですか?」
田仕「残念ながらそれはないんですけど、ベッドの上に県境があった、というのはありました。私の目測で、また別の宿なんですけど、県境に建っている宿があったんですね。高知県と愛媛県の間の宿で。運よく私は県境が通る部屋に泊まることができまして、そこで県境が通るベッドに寝まして、上半身は愛媛県、下半身は高知県という……」
宇賀「もう興奮して寝られないんじゃないですか?(笑)」
田仕「そうなんです、なかなか寝付けませんでした(笑)。楽しい経験でしたね」
小山「県境だからこそ、新しい文化が生まれているみたいなことはあるんですか? 味噌の味が変わるとか、雑煮の餅の形が変わるとか」
田仕「まさにそれが顕著になっている県境もありまして。関ヶ原の近くですね。滋賀県と岐阜県の間。寝物語の里という県境スポットがあるんですけど、関ヶ原市が統計をとったところ、雑煮の餅が角餅か丸餅かとか、マクドナルドの呼び方がマックかマクドかとか、呼び方や風習の変化が顕著になているのが関ヶ原らしいんですよ」
小山「そこで文化が入れ替わるんですね」
田仕「面白いところでは、県境で綱引き大会をするというイベントをやっているところもありますね。有名なところですと、静岡県と長野県の間の兵越峠というところで、勝った方が相手側に県境を移動させることができるイベントをやっています」
小山「県境もいろいろ遊べそうですね」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、今日は『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
田仕「この趣味に導いてくださった、私の県境師匠に宛てた手紙を書いてきました」
田仕さんが、県境の師匠である石井裕さんへ宛てたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(2月25日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、田仕さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【〒102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 田仕雅淑さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
県境マニアの田仕雅淑さん、ありがとうございました!
田仕さんの著書『県境マニアと行く くるっとふしぎ県境ツアー(技術評論社)』もぜひお手に取ってみてください。
県境マニアと行く くるっとふしぎ県境ツアー(技術評論社)
皆さんからのお手紙、お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、徳島県〈徳島中央郵便局〉斎藤綾華さんでした!「大学時代、原付バイクで通学していたことがきっかけで、バイクが好きになり、バイクに乗る仕事を考え、郵便局で働くことにしました。太陽の光を直に感じる時や、風を浴びながら走っている時が一番好きです。朝に配達の準備をして、バイクの後部にあるケースに郵便物を入れるのですが、バイクに乗った時にずしんと来る重さに『今日はこれだけ配達するんだ。』と感じます。その後、全ての配達が終わってケースが空になったバイクに乗り、朝のバイクの重さを思い返しながら『今日も配達を頑張った。お客さまに1通1通ちゃんと届けられたんだ!』と感じる時、気持ちが軽くなり、この仕事の楽しさを実感します。」
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