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『大正時代』はどんな15年間だった? お手紙を通じて知る大正時代

  • ON AIR
  • 2024/02/11

女学生の手紙から大正時代を読み解く

写真 宇賀「今日は建国記念の日ということで、日本の歴史に触れてみようと思います。日本の長い歴史の中でも、最も短い15年しかなかった大正時代に注目します。 薫堂さん、大正時代はどんなイメージですか?」
写真 小山「すごく短かったということと、僕の祖父と祖母が大正生まれだったので、そのイメージが強いですね。ちょっとハイカラだったんですよね、祖母とか」

宇賀「女性が色鮮やかなお着物を着ているイメージはありますね。実は、そんな大正時代に書かれたお手紙の展覧会が開催されているのですが、その前にまずは、大正時代がどんな時代だったのかを教えていただこうと思います。日本近代文学研究者の山田俊幸さんをお迎えしました」
写真 小山「山田さんはいま、おいくつですか?」

山田「75歳です」

小山「生まれた時は当然昭和ですが、まだ大正時代は近かったんですか?」

山田「親の世代ですね。大正の文化がまだ残っていた時代で、戦争で一掃されちゃうんだけど、一掃されるという意味では明治の時代を一掃してしまったのが関東大震災。大正の華やかさというのは、関東大震災以後の新しい文化ということですね」

宇賀「一言でいうと、大正時代はどういう時代だったんですか?」
写真 山田「よく聞かれるんだけど、“生命力の時代”と僕はいつも答えています。つまり、大正時代というのはものすごく若者の生命力が盛んだった時代で、しかもそれがカオスのように混沌としていた時代。そういう中で、子どもの力、学習力・運動力と、それから男子の力も段階的に育てられてきたんだけど、女子力もですよね。女子力が非常に整えられてきました。当然、学校教育によるものなんだけど、学校教育というのは常にドロップアウトをもたらしますから、そのドロップアウトした子達、あるいは学校の中にいながら集中したコロニーを作る女子達が、ものすごい密度で凝縮した時代が大正だと思います」

宇賀「山田さんは、『大正・乙女デザイン研究所』の所長でもいらっしゃるそうですが、どういう研究をされているんですか?」

山田「大正の封筒だとか、書いたものだとか、図案を見ていると妙に乙女チックな、乙女が好きそうなものが非常に多い。そういうものが目立って出てくるので、そういうものを収集してまとめてみようかな、と。もう少し大きい“大正イマジュリィ”という考え方を少し前に作り上げて。イマジュリィというのは、イメージですね。大正時代の図版、一点ものではなく複製図版です。つまり民衆の時代とは複製の時代なので、そういうものをもう少し考えようかなと思ってやっております」
写真 宇賀「大正時代って色が鮮やかだったりデザインがかわいらしかったりするイメージがあるんですけど、そうなったのはどうしてなんですか?」

山田「1つは浮世絵から来る日本的な描き方の伝統と、海外から来ているヨーロッパ的なイメージのぶつかり合いというか、ごちゃまぜの面白さと言ったらいいんでしょうかね。明治の色とはまったく違いますよね。それは新しい化学染料の色なんですね。それをどんどん使っていた」

宇賀「それまで日本にはなかった色なんですね」
写真 山田「そうなんです。それを平気で使えちゃうのが民衆化なんですよね」

小山「それまでは岩絵具が中心だったんですね」

山田「絵も、図案もそうですね」
写真 後半では、山田さんも協力されている展示、東京町田市「町田市民文学館 ことばらんど」で開催中の「少女たちのお手紙文化 1890-1940 展 〜変わらぬ想いは時を超えて〜」についてご紹介。学芸員の谷口朋子さんにもお越しいただき、お話をうかがいました。

宇賀「こちらはどんな展覧会なんですか?」

谷口「今から約100年前の一般の女学生が残した手紙を読むというのが1つのキーポイントになっています。文学館でご覧になるお手紙展は、川端康成のお手紙とか森鴎外のお手紙とか、文豪の手紙という感じだと思うのですが、普通の女の子たちはお手紙の中に何を書いて何を表現していたのかを皆さんと読み解く展覧会です」
写真 小山「手紙はどうやって集めたんですか?」

谷口「もともとお手紙自体は一般の方でコレクションしている方がいらっしゃったので、その方からお借りしています」

宇賀「気になりますね」

小山「ラブレターみたいなものも入っているんですか?」
写真 谷口「このお手紙展は女学生同士のお手紙になるので、内容的にはラブではなくて、先生の悪口とか(笑)。夏休みとか冬休みに頻繁にお手紙のやり取りをしていまして、『海水浴に行きました』『山登りをしました』『乗馬をしましょう』とか、いわゆるレジャーのお誘いだったり、自分が経験したレジャーの報告、あるいは『映画を観ました』とか『ブロマイドを買ったよ』とか、自分の推し活の報告とかが書かれていますね」
写真 放送では、大正時代の女学生のお手紙を宇賀さんの朗読でご紹介しました。こちらはぜひ、radikoでお聞きください(2月18日まで聴取可能)。

谷口「お手紙の中には、押し花が一緒に添えられたりしているものがあって、花に託して想いをのせるということもよくされているんですね」

小山「今の子達の文章を100年後の人が読んだ時に、どういう感覚になるんでしょうね?」
写真 谷口「残るかどうかですね。電子的なものがどのくらい残せるかというところもあると思うので、同じように読み解けるかどうかちょっと何とも、というところはあります。ただ、これらのお手紙は関西から出たものが多いんですね。それはやはり、関東大震災で東京の主要な都市部は焼けてしまったということがあるので、紙ものの資料は残りにくかったのかもしれませんね」

小山「スマホの中にやり取りがあったら、ほとんど後世に残らないですよね」

宇賀「消してしまいますもんね」

小山「そういう意味でも手紙って大切ですね」

谷口「そうですね、非合理的なようではあるんですけど、後世に残るということで言えば手紙の意味がもう1つあるかな、と思います」
写真 小山「改めて手紙って、その時代をそのまま記憶する装置になるんですね」

宇賀「こういった当時のお手紙を読んで、どういうことを感じ取りますか?」

谷口「今、私はすごく楽しい部分だけをお話しさせていただいたんですけど、彼女達の手紙の中には『熱を出した』とか『お腹を壊した』とか、体を壊す、病気にかかる表現が多いんですね。やはり現代ほど衛生観念とか防疫観念が浸透していないので、当時の女学生にとって死は今よりも身近な存在だったのかなと思う部分があります。『お友達の誰々ちゃんが亡くなっちゃったのよ。びっくりしたわ』というような記述もありますので、ロマンを感じる一方では、やっぱり死の匂いとか、そういうものをあるからこそロマンを求めるところもあるのかなと思いますね」
写真 「少女たちのお手紙文化 1890-1940 展 〜変わらぬ想いは時を超えて〜」は3月24日(日曜日)まで開催されています。
詳細は、町田市民文学館 ことばらんどのウェブサイトをご覧ください。

「町田市民文学館 ことばらんど」ウェブサイト
写真 山田俊幸さん、谷口朋子さん、ありがとうございました!
写真

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毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。
引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。

今週の後クレ

写真 今回のメッセージは、鹿児島県〈田皆郵便局〉大久保花音さんでした!

「田皆郵便局がある沖永良部島は、鹿児島県の奄美群島南西部に位置する自然豊かな島です。 郵便局の近くには田皆岬という絶景スポットがあり、コバルトブルーの景色が一面に広がり、波が穏やかな日にはウミガメを見ることができます。 私は学生の頃から口下手なところがあり、思ったことを素直に伝えられないことがありました。しかし、手紙を書いて文字に起こすことで、自分の気持ちを整理して伝えることができました。親には普段は感謝の気持ちを伝えられなかったのですが、成人式のときに感謝の手紙を渡した時に涙を流してくれて、それがとても心に残っています。」
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