東京の下町・立石の歴史と思い出を残す「みんなの立石物語」プロジェクト
- 2023/09/24
「みんなの立石物語」プロジェクトの塔嶌麦太さんをお迎えして
今回は、「みんなの立石物語」プロジェクトから、発起人である塔嶌麦太さんをお迎えしました。
宇賀「薫堂さんは、立石に行ったことはないんですね?」
小山「ないんですよ。飲み歩くというのに憧れているんですけど。宇賀さんは?」
宇賀「私は今年、焼肉屋さんに行きました。いいですよ! もくもくの煙を浴びながら」
小山「飲み屋さんが並んでいるんですか?」
宇賀「そうですね、いくつも小さい飲み屋さんが並んでいて、みんな行ったり来たりしていて、明るい時間から賑わっている感じですね。
そんな立石なんですが、再開発が決まっているということで立石をみんなの心の中に残すための活動している『みんなの立石物語』プロジェクトの塔嶌麦太さんにお越しいただきました」
小山「まずは、立石がどんな街かうかがいたいです」
塔嶌「立石はもちろん飲み屋さんがすごく有名なんですけど、決してせんべろだけの街っていうわけではないんですね。昔から葛飾区の中心地として栄えてきた街なので、戦後間もなくとか、それよりももっと前からやっていらっしゃるようなお店もたくさんあります。呑んべ横丁という、古いスナックが軒を連ねている長屋みたいなあたりも、もともとは日用品を売るお店が中心にあったりとかしていて。今でも仲見世商店街という飲み屋さんが有名なところもたくさんあるんですけど、地元の人が使うような安くておいしいお惣菜屋さんがいっぱい並んでいて」
小山「東京にありながらも昭和の匂いを残しているような、暮らしやすい街ですね」
塔嶌「観光化されているというよりは、そのまま残ってきているような感じの街ですね」
小山「再開発されるのはどの辺ですか?」
塔嶌「北口と南口、細かくいうと南口でも2つのエリアに分かれているんですけど、南口の2つはまだ正式決定はしていないんです。それでも、早ければ4、5年のうちにとは言われていて。北口の方は決まっちゃって、去年の12月に正式決定したんです。もう過ぎてしまったんですけど、8月末までに北口のエリア内にあるお店や住んでいる方は、全員立ち退きということで」
小山「そこはどうなるんですか?」
塔嶌「2つビルが建って、1つはタワーマンション、1つは13階建ての区役所になります。葛飾区役所は今も立石にあるんですけど、駅前に移転してくるということで」
小山「地元の人たちの反対はあったんですか?」
塔嶌「ありましたね。仕方がない、という方もいれば、ずっと反対されていた方もいらっしゃいます」
小山「呑んべ横丁は同じようなかたちでどこかに残ったりはするんですか?」
塔嶌「今のところはそうはならないと思います。今後、どういう計画になっていくのかはわからないです」
宇賀「いろいろ事情はあるんでしょうけど、あの風景がなくなっちゃうってすごくもったいないですよね。せっかく昔ながらのお店というか、東京都内にこういうところが残っているんだってびっくりするような場所じゃないですか。もったいないな、と思っちゃうんですけどね……」
小山「『みんなの立石物語』プロジェクトは、具体的にはどんなプロジェクトですか?」
塔嶌「記録されないような歴史、その人がいなくなったら、あるいはそのお店がなくなったらもう誰もわからなくなってしまうような、街に暮らしてきた人たちが見てきたものとか、その背景のストーリーっていうものを、誰かが書き残さないとな、という想いで、外に向けてというよりは街に関わる人たちでそれを作って、実際に街の方にそれを読んでもらう、というのをいちばんの目的でやり始めました」
宇賀「ちょっと見せていただいたんですけど、最初に『鳥房』の親父さんが出てきますね」
塔嶌「今、見ていただいているのが第1号の原稿ですね。4軒のお店のインタビューと、コラムとして92歳のおじいちゃんのお話を聞いたりだとか。あとは立石に縁のある方に、いろいろとエピソードを寄せてもらったり、というのも間に挟んでいます」
宇賀「お写真もあって、絵もあって」
小山「店主の方のお話をそのまま聞いているような気になってきますよね。『創業はわかんねえんだよなあ、戦争前からだね』とか」
塔嶌「お店の方の語り口も含めて人間性だったり、そこから伝わるものがあるので。普通だったらインタビューっぽくまとめちゃうんですけど、本当に自然なその時の会話をできる限りそのまんま文字起こしをして載せているような形ですね。それこそ、駅前にドトールがあったんですけど、そこの店長さんにもインタビューをさせてもらったんです。ドトール立石は38年の歴史があるんですけど、高校のバイトから入って32年、そこで働いていた方で。ドトール自体もその人の色に完全になっていて。個人店の店長みたいで」
小山「ドトールなのに(笑)」
塔嶌「若干、感極まりながら話してくれるんですよね。『この店は僕そのもの』と」
小山「ドトールってコーヒー屋さんじゃないですか。立石のドトールには日本酒が置いてあるとか、そういうのはないんですか?」
塔嶌「いや、それはないんですけど、むしろ飲んでいる合間に一休みをする方はいらっしゃいますね」
宇賀「休憩でコーヒーを飲もう、と」
塔嶌「朝はおばあちゃんの溜まり場になっているし、お客さんの顔と名前を覚えていて、『あの人は、“トーストよくよく焼き”だから』みたいなものとかもあったりするので」
小山「チェーン店なのに個人喫茶店みたいな」
塔嶌「そうですね。それぞれ聞いていくと毎回考えさせられるものがありますね」
小山「塔嶌さんは立石の生まれなんですか?」
塔嶌「いえ、目黒区の下町で育っていて、高校を卒業してから立石界隈に来て働くようになったんです」
小山「お仕事は何をされているんですか?」
塔嶌「米屋で働いています」
小山「麦太が米屋で!」
塔嶌「覚えてもらいやすいですね(笑)」
小山「それは立石に来たくて、なのか、お米屋さんで働きたくてたまたま立石だったのか」
塔嶌「高校の時から自分で米屋をやりたいなという想いがありまして。商店街が好きでその中でお店をやりたかったっていうのもあれば、一次産業と関わりたいという部分もあって。5年前くらいですかね、いま働かせてもらっているところに事情を話して、そうしたら喜んで雇ってもらえました」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお届けしているのですが、『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
塔嶌「“立石様”という石があるんです。立石の町はずれに地名の由来になった石があるんです。昔は『立っている』と呼べるくらいの立ち方をしていたんですけど、削られちゃって。ご利益があるとかで削って持っていく人がいて。今は本当に地表にちょこっと見えているくらいなんですけど」
宇賀「ちゃんと祀られているんですね」
塔嶌「一応、祠みたいにはなっているんですけど、ただの公園なんです。公園の中にぽつんとそういうところがあって」
小山「その立石様に書いたんですね」
塔嶌さんが立石様に宛てて書いたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(10月1日まで聴取可能)。
宇賀「『みんなの立石物語』を読んでみたいという方はどうしたらいいですか?」
塔嶌「『みんなの立石物語』第1号は9月中には刊行できるんじゃないかという状況なんですけど、立石の『ポテトチップブックス』さんという本屋さんがあって、そこの方もプロジェクトに関わってくれている方で、そこで扱っていただいて。それ以外にもいろいろな書店さんで協力してくださるところがあります。あとはこれから開拓していくのですが、書店に限らず立石のお惣菜屋さんだったり、居酒屋さんだったりにも置いてもらおうかな、と。本当は立石に来て買っていただきたいんですけど、どうしても遠方で来られない方はインターネットで『みんなの立石物語』と検索していただければ、サイトが出てくると思いますので。そちらから注文していただければと思います」
宇賀「今日の放送を聞いて、塔嶌さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 塔嶌麦太さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
「みんなの立石物語」プロジェクト
小山「ないんですよ。飲み歩くというのに憧れているんですけど。宇賀さんは?」
宇賀「私は今年、焼肉屋さんに行きました。いいですよ! もくもくの煙を浴びながら」
小山「飲み屋さんが並んでいるんですか?」
宇賀「そうですね、いくつも小さい飲み屋さんが並んでいて、みんな行ったり来たりしていて、明るい時間から賑わっている感じですね。
そんな立石なんですが、再開発が決まっているということで立石をみんなの心の中に残すための活動している『みんなの立石物語』プロジェクトの塔嶌麦太さんにお越しいただきました」
小山「まずは、立石がどんな街かうかがいたいです」
塔嶌「立石はもちろん飲み屋さんがすごく有名なんですけど、決してせんべろだけの街っていうわけではないんですね。昔から葛飾区の中心地として栄えてきた街なので、戦後間もなくとか、それよりももっと前からやっていらっしゃるようなお店もたくさんあります。呑んべ横丁という、古いスナックが軒を連ねている長屋みたいなあたりも、もともとは日用品を売るお店が中心にあったりとかしていて。今でも仲見世商店街という飲み屋さんが有名なところもたくさんあるんですけど、地元の人が使うような安くておいしいお惣菜屋さんがいっぱい並んでいて」
小山「東京にありながらも昭和の匂いを残しているような、暮らしやすい街ですね」
塔嶌「観光化されているというよりは、そのまま残ってきているような感じの街ですね」
小山「再開発されるのはどの辺ですか?」
塔嶌「北口と南口、細かくいうと南口でも2つのエリアに分かれているんですけど、南口の2つはまだ正式決定はしていないんです。それでも、早ければ4、5年のうちにとは言われていて。北口の方は決まっちゃって、去年の12月に正式決定したんです。もう過ぎてしまったんですけど、8月末までに北口のエリア内にあるお店や住んでいる方は、全員立ち退きということで」
小山「そこはどうなるんですか?」
塔嶌「2つビルが建って、1つはタワーマンション、1つは13階建ての区役所になります。葛飾区役所は今も立石にあるんですけど、駅前に移転してくるということで」
小山「地元の人たちの反対はあったんですか?」
塔嶌「ありましたね。仕方がない、という方もいれば、ずっと反対されていた方もいらっしゃいます」
小山「呑んべ横丁は同じようなかたちでどこかに残ったりはするんですか?」
塔嶌「今のところはそうはならないと思います。今後、どういう計画になっていくのかはわからないです」
宇賀「いろいろ事情はあるんでしょうけど、あの風景がなくなっちゃうってすごくもったいないですよね。せっかく昔ながらのお店というか、東京都内にこういうところが残っているんだってびっくりするような場所じゃないですか。もったいないな、と思っちゃうんですけどね……」
小山「『みんなの立石物語』プロジェクトは、具体的にはどんなプロジェクトですか?」
塔嶌「記録されないような歴史、その人がいなくなったら、あるいはそのお店がなくなったらもう誰もわからなくなってしまうような、街に暮らしてきた人たちが見てきたものとか、その背景のストーリーっていうものを、誰かが書き残さないとな、という想いで、外に向けてというよりは街に関わる人たちでそれを作って、実際に街の方にそれを読んでもらう、というのをいちばんの目的でやり始めました」
宇賀「ちょっと見せていただいたんですけど、最初に『鳥房』の親父さんが出てきますね」
塔嶌「今、見ていただいているのが第1号の原稿ですね。4軒のお店のインタビューと、コラムとして92歳のおじいちゃんのお話を聞いたりだとか。あとは立石に縁のある方に、いろいろとエピソードを寄せてもらったり、というのも間に挟んでいます」
宇賀「お写真もあって、絵もあって」
小山「店主の方のお話をそのまま聞いているような気になってきますよね。『創業はわかんねえんだよなあ、戦争前からだね』とか」
塔嶌「お店の方の語り口も含めて人間性だったり、そこから伝わるものがあるので。普通だったらインタビューっぽくまとめちゃうんですけど、本当に自然なその時の会話をできる限りそのまんま文字起こしをして載せているような形ですね。それこそ、駅前にドトールがあったんですけど、そこの店長さんにもインタビューをさせてもらったんです。ドトール立石は38年の歴史があるんですけど、高校のバイトから入って32年、そこで働いていた方で。ドトール自体もその人の色に完全になっていて。個人店の店長みたいで」
小山「ドトールなのに(笑)」
塔嶌「若干、感極まりながら話してくれるんですよね。『この店は僕そのもの』と」
小山「ドトールってコーヒー屋さんじゃないですか。立石のドトールには日本酒が置いてあるとか、そういうのはないんですか?」
塔嶌「いや、それはないんですけど、むしろ飲んでいる合間に一休みをする方はいらっしゃいますね」
宇賀「休憩でコーヒーを飲もう、と」
塔嶌「朝はおばあちゃんの溜まり場になっているし、お客さんの顔と名前を覚えていて、『あの人は、“トーストよくよく焼き”だから』みたいなものとかもあったりするので」
小山「チェーン店なのに個人喫茶店みたいな」
塔嶌「そうですね。それぞれ聞いていくと毎回考えさせられるものがありますね」
小山「塔嶌さんは立石の生まれなんですか?」
塔嶌「いえ、目黒区の下町で育っていて、高校を卒業してから立石界隈に来て働くようになったんです」
小山「お仕事は何をされているんですか?」
塔嶌「米屋で働いています」
小山「麦太が米屋で!」
塔嶌「覚えてもらいやすいですね(笑)」
小山「それは立石に来たくて、なのか、お米屋さんで働きたくてたまたま立石だったのか」
塔嶌「高校の時から自分で米屋をやりたいなという想いがありまして。商店街が好きでその中でお店をやりたかったっていうのもあれば、一次産業と関わりたいという部分もあって。5年前くらいですかね、いま働かせてもらっているところに事情を話して、そうしたら喜んで雇ってもらえました」
宇賀「この番組はお手紙をテーマにお届けしているのですが、『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきてくださっているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
塔嶌「“立石様”という石があるんです。立石の町はずれに地名の由来になった石があるんです。昔は『立っている』と呼べるくらいの立ち方をしていたんですけど、削られちゃって。ご利益があるとかで削って持っていく人がいて。今は本当に地表にちょこっと見えているくらいなんですけど」
宇賀「ちゃんと祀られているんですね」
塔嶌「一応、祠みたいにはなっているんですけど、ただの公園なんです。公園の中にぽつんとそういうところがあって」
小山「その立石様に書いたんですね」
塔嶌さんが立石様に宛てて書いたお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(10月1日まで聴取可能)。
宇賀「『みんなの立石物語』を読んでみたいという方はどうしたらいいですか?」
塔嶌「『みんなの立石物語』第1号は9月中には刊行できるんじゃないかという状況なんですけど、立石の『ポテトチップブックス』さんという本屋さんがあって、そこの方もプロジェクトに関わってくれている方で、そこで扱っていただいて。それ以外にもいろいろな書店さんで協力してくださるところがあります。あとはこれから開拓していくのですが、書店に限らず立石のお惣菜屋さんだったり、居酒屋さんだったりにも置いてもらおうかな、と。本当は立石に来て買っていただきたいんですけど、どうしても遠方で来られない方はインターネットで『みんなの立石物語』と検索していただければ、サイトが出てくると思いますので。そちらから注文していただければと思います」
宇賀「今日の放送を聞いて、塔嶌さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 塔嶌麦太さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
「みんなの立石物語」プロジェクト
皆さんからのお手紙、お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、新潟県〈帯織郵便局〉高橋善之輔さんでした!「帯織郵便局がある新潟県三条市の旧栄地区は、のどかな田園風景が広がる地域です。 ある時、ご年配のお客さまが、お父さまが亡くなられたということで、相続手続きをするために窓口にいらっしゃいました。当時、私自身も父を亡くしたばかりでしたので、手続き以外に私が困っていたことややらねばならないこともお伝えしていました。そのお客さまは神奈川県小田原市在住の方だったのですが、その時の私の対応を気に入ってくださり、その後も、わざわざ当局までお越しいただき手続きをされていました。すべての手続きが終わった際に『おかげで全部無事にできたよ、ありがとう。』とお礼を言ってくださり、とても嬉しかったです。」
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
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を教えてください。
〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
SUNDAY'S POST宛