92歳の現役新聞記者 涌井友子さんが登場!
- 2023/07/16
『週刊とうきょう』記者の涌井友子さんをお迎えして
今回は、東京・中野区のローカル新聞「週刊とうきょう」の主筆兼記者である涌井友子さんをお迎えしました。
小山「主筆兼記者で、いまもお書きになっているということですよね。それで御年92歳!」
宇賀「お元気で信じられないです」
小山「原稿をお書きになる時は手書きですか?」
涌井「もちろん手書きで、鉛筆書きです」
宇賀「涌井さんは1931年、静岡県藤枝市に生まれ、終戦後、鉄道会社での勤務を経て1958年に結婚。当時、ご主人は新聞社に勤めていましたが、のちに独立し1974年に夫婦で『週刊とうきょう』を創刊されたんですね。しかし8年後の1982年にご主人は他界されて、以後、涌井さんがご主人の想いを引き継いで、これまで『週刊とうきょう』を発行し続けていらっしゃいます」
小山「それまで涌井さんは、新聞を作ったことはなかったわけですよね」
涌井「私は集金が主でした。主人は私の書いた原稿が気に入らなくて、全部書き換えていました」
宇賀「『週刊とうきょう』ということは、週刊なんですよね?」
涌井「題名に偽りありで、月2回です。10日と25日付です」
小山「『週刊とうきょう』というタイトルがついていますけど、中野区の話題が中心なんですね」
涌井「主人はたぶん、東京の行事も取り扱いたい気持ちもあったと思うんですよ。大きく“とうきょう”になっちゃったんですけど」
小山「では、正しく言うと『隔週なかの』っていうことですか?」
涌井「そうですね」
涌井さんにはこれまで刊行された「週刊とうきょう」をお持ちいただき、それを拝見しながらお話をうかがっていきました。
小山「記者の方は何名いらっしゃるんですか?」
涌井「わたし一人で」
宇賀「ずっとお一人でやってらっしゃるんですか?」
涌井「2番目の娘は高校の頃から出勤したり、私が重なっている時は写真だけ撮ってきたり。区役所の広報の人たちは、当時は職人的な人が広報にいたんですよ。その人たちが作ったものに赤を入れて。間違っているよ、って。10行くらいでマルにして行替えするように書くと読みがいいからね、と本当に皆さんにお世話になりました。だから怖いもの知らずですよね」
宇賀「ずっと休んだことはないんですか?」
涌井「10日と25日と決めていたから。1回、『どうしようかな、まあいっか』と言ったら、それは流されちゃう。絶対に10日と25日は何があっても出そうと。それだから続けられたんです」
宇賀「お子さんが4人いらっしゃるんですね。子育てもしながらそれをずっと続けてらっしゃったわけですね」
涌井「今はその娘たちに本当に支えられていますから。本当にありがたいと思います」
小山「これまで涌井さんが取り上げた記事の中で、いちばん印象深いものは何ですか?」
涌井「もちろん、サンプラ(中野サンプラザ)ができた時だとか、日本閣、東中野の結婚式場が閉館する時に特集を組ませていただいて、喜んでいただいた。日本閣で結婚式をなさった方は結構多いんです。印象にはあります」
小山「これまで、中野区から引っ越したいと思うことはなかったんですか?」
涌井「引っ越した方が、経費が安くていいね、ということもあるんだけど、やっぱりその土地に住んでいるから入るニュースもあるわけですね。そうするとやっぱり引っ越せない」
小山「何かあったら、涌井さんのところにネタを持って行かなきゃ、という方も多いんですか?」
涌井「電話で言ってくださるか、それでなければ何かの折りに会うと『涌井さん、実はこういうのがあるんだよ』と教えてくださる。今は私があまり行かないものですから、娘が行くと『お母さんは元気か?』って聞かれたり、私がいると『お、元気でよかったな』って言われたり。他人行儀じゃないお付き合いをしてくださるというのはすごくありがたいです」
小山「『週刊とうきょう』の編集ポリシーはありますか?」
涌井「独立した時に主人と約束したのは、絶対に人の悪口を書かない。それから、投書を扱わない。ローカルだと、投書は結局、人の悪口になっちゃったり……誰かがどうした、と書かれるのはすっごく嫌です。読む方の身になってということを守らないと。嬉しい記事はやっぱりね、書いていても楽しいですから」
小山「読んだ人が幸せな気持ちになるような記事を書きたいな、ということですよね」
涌井「今、これからどうなのかちょっとわからないけど、昔は表彰式なんかによく行って、名前が書いてあると『俺の名前が出ていたよ』って言うんですよ。だからやっぱりね、そういうことはすごく大事だったの。でも、ちょっと今、個人情報がどうのこうの言われる時代になったから、考えものだなと思ったりしていますけどね」
宇賀「今日は、『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきていただいているんですよね。どなたへのお手紙ですか?」
涌井「実は、中野サンプラザがなくなったものですから、サンプラザに宛てた手紙なんです」
涌井さんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(7月23日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、涌井さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 涌井友子さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
涌井友子さん、ありがとうございました!
宇賀「お元気で信じられないです」
小山「原稿をお書きになる時は手書きですか?」
涌井「もちろん手書きで、鉛筆書きです」
宇賀「涌井さんは1931年、静岡県藤枝市に生まれ、終戦後、鉄道会社での勤務を経て1958年に結婚。当時、ご主人は新聞社に勤めていましたが、のちに独立し1974年に夫婦で『週刊とうきょう』を創刊されたんですね。しかし8年後の1982年にご主人は他界されて、以後、涌井さんがご主人の想いを引き継いで、これまで『週刊とうきょう』を発行し続けていらっしゃいます」
小山「それまで涌井さんは、新聞を作ったことはなかったわけですよね」
涌井「私は集金が主でした。主人は私の書いた原稿が気に入らなくて、全部書き換えていました」
宇賀「『週刊とうきょう』ということは、週刊なんですよね?」
涌井「題名に偽りありで、月2回です。10日と25日付です」
小山「『週刊とうきょう』というタイトルがついていますけど、中野区の話題が中心なんですね」
涌井「主人はたぶん、東京の行事も取り扱いたい気持ちもあったと思うんですよ。大きく“とうきょう”になっちゃったんですけど」
小山「では、正しく言うと『隔週なかの』っていうことですか?」
涌井「そうですね」
涌井さんにはこれまで刊行された「週刊とうきょう」をお持ちいただき、それを拝見しながらお話をうかがっていきました。
小山「記者の方は何名いらっしゃるんですか?」
涌井「わたし一人で」
宇賀「ずっとお一人でやってらっしゃるんですか?」
涌井「2番目の娘は高校の頃から出勤したり、私が重なっている時は写真だけ撮ってきたり。区役所の広報の人たちは、当時は職人的な人が広報にいたんですよ。その人たちが作ったものに赤を入れて。間違っているよ、って。10行くらいでマルにして行替えするように書くと読みがいいからね、と本当に皆さんにお世話になりました。だから怖いもの知らずですよね」
宇賀「ずっと休んだことはないんですか?」
涌井「10日と25日と決めていたから。1回、『どうしようかな、まあいっか』と言ったら、それは流されちゃう。絶対に10日と25日は何があっても出そうと。それだから続けられたんです」
宇賀「お子さんが4人いらっしゃるんですね。子育てもしながらそれをずっと続けてらっしゃったわけですね」
涌井「今はその娘たちに本当に支えられていますから。本当にありがたいと思います」
小山「これまで涌井さんが取り上げた記事の中で、いちばん印象深いものは何ですか?」
涌井「もちろん、サンプラ(中野サンプラザ)ができた時だとか、日本閣、東中野の結婚式場が閉館する時に特集を組ませていただいて、喜んでいただいた。日本閣で結婚式をなさった方は結構多いんです。印象にはあります」
小山「これまで、中野区から引っ越したいと思うことはなかったんですか?」
涌井「引っ越した方が、経費が安くていいね、ということもあるんだけど、やっぱりその土地に住んでいるから入るニュースもあるわけですね。そうするとやっぱり引っ越せない」
小山「何かあったら、涌井さんのところにネタを持って行かなきゃ、という方も多いんですか?」
涌井「電話で言ってくださるか、それでなければ何かの折りに会うと『涌井さん、実はこういうのがあるんだよ』と教えてくださる。今は私があまり行かないものですから、娘が行くと『お母さんは元気か?』って聞かれたり、私がいると『お、元気でよかったな』って言われたり。他人行儀じゃないお付き合いをしてくださるというのはすごくありがたいです」
小山「『週刊とうきょう』の編集ポリシーはありますか?」
涌井「独立した時に主人と約束したのは、絶対に人の悪口を書かない。それから、投書を扱わない。ローカルだと、投書は結局、人の悪口になっちゃったり……誰かがどうした、と書かれるのはすっごく嫌です。読む方の身になってということを守らないと。嬉しい記事はやっぱりね、書いていても楽しいですから」
小山「読んだ人が幸せな気持ちになるような記事を書きたいな、ということですよね」
涌井「今、これからどうなのかちょっとわからないけど、昔は表彰式なんかによく行って、名前が書いてあると『俺の名前が出ていたよ』って言うんですよ。だからやっぱりね、そういうことはすごく大事だったの。でも、ちょっと今、個人情報がどうのこうの言われる時代になったから、考えものだなと思ったりしていますけどね」
宇賀「今日は、『今、想いを伝えたい人』に宛てたお手紙を書いてきていただいているんですよね。どなたへのお手紙ですか?」
涌井「実は、中野サンプラザがなくなったものですから、サンプラザに宛てた手紙なんです」
涌井さんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聞きください(7月23日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、涌井さんにお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しします。
【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 涌井友子さん宛】にお願いします。応募期間は1ヶ月とさせていただきます」
涌井友子さん、ありがとうございました!
手紙・作文コンクールのお知らせ
日本郵便主催、毎年恒例の「手紙・作文コンクール」。今年で56回目の開催を迎えました。応募テーマは「特定の相手に自分の体験したことや考えなどを伝える作品」。はがき作文部門、絵手紙部門があります。お子さんから高校生の方までどなたでも参加できます。締切は、9月15日消印有効です。詳しくはコンクールのホームページをご覧ください。
第56回手紙作文コンクール
皆さんからのお手紙、お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、山口県〈宇部郵便局〉石田真一さんでした!「相手の立場に立って、やってもらって嬉しいことをするように日々心掛けています。気持ちのいい挨拶や笑顔で配達するなど、ちょっとしたことなのですが、そういったことを大切に仕事に取り組んでいます。 学生の頃、当時付き合っていた妻とは遠距離恋愛だったので、毎月のように文通をしていました。今日あったことなど、他愛もないことを書いていたのですが、いつ届くか分からないので、帰宅してポストを開けた時に手紙が入っていると『来た!』と喜んでいました。字を書いて送る手紙は、メールではなかなか伝わらない温かさがあると思い、この手紙のやり取りがあったから、無事に遠距離恋愛を乗り切ることができたのかと思います。」
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
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〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
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