江戸時代の人は何を食べていたのか? 江戸の食文化を学ぶ!
- 2022/08/28
江戸料理・文化研究所代表の車浮代さんをお迎えして
今週は、時代小説家で江戸料理・文化研究所代表の車浮代さんをお迎えしました。
宇賀「『江戸料理』は、あまり普段、意識しない言葉なのですが、どういうものなんですか?」
車「江戸料理の特徴というのは、“濃口醤油の料理”なんですよ。というのが、野田や銚子で濃口醤油が作られる前は、上方、和歌山で生まれたと言われていて、“下り醤油”なんですね。廻船ではるばる運ばれてきて、高価で庶民はまず醤油なんて使えなかったわけですよね。そんな中で、野田や銚子で安い濃口醤油ができた時に、隅田川を下ってくるだけなので、安価で手に入るし、“煎り酒”という、それまで手作りされていた調味料と違って、腐らないということで、料理文化が花開くわけなんですけど。
“江戸前の四天王”という言葉がありまして、鰻、天ぷら、そば、鮨の4つなんですが、全部やはり濃口醤油なしに発展していないんですね。日本料理のルーツが京都にあるとすれば、日本のお惣菜、おかずのルーツは江戸にあると考えていいと思います。きんぴらごぼうにしても、お煮しめにしても、今や日本に濃口醤油のない家庭はないと思うんです。それは参勤交代ですとか、商人の出張とかで、全国に江戸の食文化が広がって定着したので、わざわざ『江戸料理』という言葉がなくなってしまった、ということですね」
小山「なるほど!」
宇賀「当時の人たちはどういう食生活、食文化だったんですか? 朝昼晩、ちゃんとお家で作っていたんですか?」
車「ごはんは、江戸では朝に炊くんですね、3食分。京、大坂では昼に炊くんですけれども。江戸の成人男性は驚くべきことに1日5合もの米を食べているんですよ」
宇賀「ええ!」
車「日本人は炭水化物をエネルギー化する酵素が他の民族より多いんですね。飛脚ですとか、駕籠かきとか、肉体労働者も、にぎり飯2つであれだけ動けている。それは炭水化物のエネルギー化に優れているDNAがあるということですね」
小山「食べ物だけではなく、体質との関係もすごくあるわけですね」
車「そうですね。一時、糖質ダイエットでお米を食べない人が増えちゃいましたけど、本来、日本人の体に合うのはごはんをちゃんと食べてちゃんと運動することですね。幕末に日本に来た外国人たちが、日本人の体は背も低くて足も短いけれども、ギリシャ彫刻のように素晴らしい筋肉がついている、と感嘆したんですよね。見習うべき食生活だったと思います」
宇賀「外食とかはしていたんですか?」
車「していますね。1657年に明暦の大火という、江戸の大半を焼き尽くした大きな火事があるんですけど、その時に江戸城も天守閣も焼け落ちまして。復興する時に突貫工事が行われるんですね。近隣からも人足を集めてやるんですけど、お昼にいちいち家に帰ったりですとかね、やってられないので、工事現場の周りに屋台が出来始めるんですよ。そこから、屋台で皆さん外食で食を楽しみ出して。そうすると外食店が出来始めて。あと、戦がなくなりましたから、食を楽しめる時代になったんですね」
小山「戦と関係あるんですね、食文化は」
車「戦国時代までは糧でしかなかったので。一般の平民にとっては、生きるために食べるという感じ。(江戸時代は)ミシュランガイドみたいな料理番付もありましたね」
宇賀「平和な時代になって、お勤めする人ができたことで、外食文化が花開いていったということなんですね」
小山「ちなみに、江戸の番付のトップにはどういうお料理屋さんがあったんですか?」
車「鎌倉の『八百善』は、あまりにもトップ過ぎて番外、ランク外だったようです」
小山「それは何屋さんですか?」
車「高級料亭ですね。割烹のランキングで。番付文化だったから、なんでも番付していたんですね。いい女番付とか、橋番付とか。その中でやはり、いちばん熱狂したのは料理番付」
宇賀「昔からランキング好きだったんですね」
小山「先ほど、江戸では朝にごはんを炊いて、関西では昼とおっしゃっていましたけど、これはなぜそういう違いがあるんですか?」
車「ブルーカラーとホワイトカラーの違いもあるんですけど、関西というのは商人の町ですから、その場所にいて、昼ごはんが家の中で食べられるんですね。でも、江戸はブルーカラーの町なので、昼間、家にいないことが多いんですよ」
車さんは今年、『江戸っ子の食養生』『江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ』と2冊の本を出版されています。
今回は、『江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ』にも掲載されているレシピで、車さんにお料理を作っていただきました!
車「2品、持ってきました。まず1つは『炒り豆腐』と言いまして。本来はごま油で豆腐を焼いてから、その上に青のりソースを乗せるんですけど、今日は夏ですので、冷奴の上に青のりとごま油と醤油で炒めて……ごはんに乗せてもおいしいです」
宇賀「おいしい! ごま油のいい香り。夏らしいですね」
小山「冷奴がいいですね」
車「もう1品は、『磯菜卵』。江戸版ポーチドエッグです。煎り酒という、醤油ができるまで各家庭で作っていた調味料なんですが、お酒と梅干しと鰹節を煮詰めて作る、あっさりとしたポン酢のような味わいがするものをかけて、海苔を上からかけて食べてください。これはお酒にも合います」
小山「卵の甘みと梅の酸味、海苔の香ばしさが三位一体となって、ものすごくおいしいです。味が濃いですね」
車「これはおつまみに少しずつ食べるような感じです」
宇賀「これをごはんの上に乗せてもおいしそうですね!」
車さんには、「お手紙」についてのお話もうかがいました。
宇賀「この番組はお手紙をテーマにしていまして、これまで受け取ったり書いたりした中で、心に残っているお手紙はありますか?」
車「私は小説のデビュー作が『蔦重の教え』……歌麿や写楽を世に出した蔦屋重三郎という江戸時代の版元、風雲児と呼ばれた人がいるんですけども、その小説を発表した時にですね、読者の方からお手紙をいただいたんです。その中で、女性なんですけど男性として生きてきた20代の方が、『この本を読んで自殺を思いとどまりました』というお手紙があったんです。励まされた、元気になったという手紙があった中で、私の本が命を救うなんてことがあるのかと。作家になってよかったと」
小山「そうやって自分が感じたことを作家の人に伝えるって大切ですね」
車「嬉しいですね」
小山「車さんもたくさん読者の方がいらっしゃるでしょうけど、その1通の手紙で、逆に勇気をもらうわけですものね」
車「書き続けようとやはり思いましたね」
宇賀「そして今日は、『いま手紙を書きたい人』に宛てたお手紙を書いてきていただいているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
車「私を作家にしてくださった方です。作家として活躍されている柘いつかさんという女性なんですけど、まさに、私に江戸料理の道を作ってくださって。私はもともと浮世絵研究から江戸にはまり、時代小説を書きたくてやっていたんですけど、その中でなかなかデビューできなくてもがいていた時に、(柘さんが)『江戸料理はどうなの?』と。そのことをお手紙に書かせていただきました」
車さんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聴きください(9月4日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、車さんへお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しいたします。
【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 車浮代さん 宛】にお願いします」
車浮代さん、ありがとうございました!
車さんの新刊も、ぜひチェックしてみてください。
『江戸っ子の食養生(ワニブックスPLUS新書)』
『江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ(東京書籍)』
車「江戸料理の特徴というのは、“濃口醤油の料理”なんですよ。というのが、野田や銚子で濃口醤油が作られる前は、上方、和歌山で生まれたと言われていて、“下り醤油”なんですね。廻船ではるばる運ばれてきて、高価で庶民はまず醤油なんて使えなかったわけですよね。そんな中で、野田や銚子で安い濃口醤油ができた時に、隅田川を下ってくるだけなので、安価で手に入るし、“煎り酒”という、それまで手作りされていた調味料と違って、腐らないということで、料理文化が花開くわけなんですけど。
“江戸前の四天王”という言葉がありまして、鰻、天ぷら、そば、鮨の4つなんですが、全部やはり濃口醤油なしに発展していないんですね。日本料理のルーツが京都にあるとすれば、日本のお惣菜、おかずのルーツは江戸にあると考えていいと思います。きんぴらごぼうにしても、お煮しめにしても、今や日本に濃口醤油のない家庭はないと思うんです。それは参勤交代ですとか、商人の出張とかで、全国に江戸の食文化が広がって定着したので、わざわざ『江戸料理』という言葉がなくなってしまった、ということですね」
小山「なるほど!」
宇賀「当時の人たちはどういう食生活、食文化だったんですか? 朝昼晩、ちゃんとお家で作っていたんですか?」
車「ごはんは、江戸では朝に炊くんですね、3食分。京、大坂では昼に炊くんですけれども。江戸の成人男性は驚くべきことに1日5合もの米を食べているんですよ」
宇賀「ええ!」
車「日本人は炭水化物をエネルギー化する酵素が他の民族より多いんですね。飛脚ですとか、駕籠かきとか、肉体労働者も、にぎり飯2つであれだけ動けている。それは炭水化物のエネルギー化に優れているDNAがあるということですね」
小山「食べ物だけではなく、体質との関係もすごくあるわけですね」
車「そうですね。一時、糖質ダイエットでお米を食べない人が増えちゃいましたけど、本来、日本人の体に合うのはごはんをちゃんと食べてちゃんと運動することですね。幕末に日本に来た外国人たちが、日本人の体は背も低くて足も短いけれども、ギリシャ彫刻のように素晴らしい筋肉がついている、と感嘆したんですよね。見習うべき食生活だったと思います」
宇賀「外食とかはしていたんですか?」
車「していますね。1657年に明暦の大火という、江戸の大半を焼き尽くした大きな火事があるんですけど、その時に江戸城も天守閣も焼け落ちまして。復興する時に突貫工事が行われるんですね。近隣からも人足を集めてやるんですけど、お昼にいちいち家に帰ったりですとかね、やってられないので、工事現場の周りに屋台が出来始めるんですよ。そこから、屋台で皆さん外食で食を楽しみ出して。そうすると外食店が出来始めて。あと、戦がなくなりましたから、食を楽しめる時代になったんですね」
小山「戦と関係あるんですね、食文化は」
車「戦国時代までは糧でしかなかったので。一般の平民にとっては、生きるために食べるという感じ。(江戸時代は)ミシュランガイドみたいな料理番付もありましたね」
宇賀「平和な時代になって、お勤めする人ができたことで、外食文化が花開いていったということなんですね」
小山「ちなみに、江戸の番付のトップにはどういうお料理屋さんがあったんですか?」
車「鎌倉の『八百善』は、あまりにもトップ過ぎて番外、ランク外だったようです」
小山「それは何屋さんですか?」
車「高級料亭ですね。割烹のランキングで。番付文化だったから、なんでも番付していたんですね。いい女番付とか、橋番付とか。その中でやはり、いちばん熱狂したのは料理番付」
宇賀「昔からランキング好きだったんですね」
小山「先ほど、江戸では朝にごはんを炊いて、関西では昼とおっしゃっていましたけど、これはなぜそういう違いがあるんですか?」
車「ブルーカラーとホワイトカラーの違いもあるんですけど、関西というのは商人の町ですから、その場所にいて、昼ごはんが家の中で食べられるんですね。でも、江戸はブルーカラーの町なので、昼間、家にいないことが多いんですよ」
車さんは今年、『江戸っ子の食養生』『江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ』と2冊の本を出版されています。
今回は、『江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ』にも掲載されているレシピで、車さんにお料理を作っていただきました!
車「2品、持ってきました。まず1つは『炒り豆腐』と言いまして。本来はごま油で豆腐を焼いてから、その上に青のりソースを乗せるんですけど、今日は夏ですので、冷奴の上に青のりとごま油と醤油で炒めて……ごはんに乗せてもおいしいです」
宇賀「おいしい! ごま油のいい香り。夏らしいですね」
小山「冷奴がいいですね」
車「もう1品は、『磯菜卵』。江戸版ポーチドエッグです。煎り酒という、醤油ができるまで各家庭で作っていた調味料なんですが、お酒と梅干しと鰹節を煮詰めて作る、あっさりとしたポン酢のような味わいがするものをかけて、海苔を上からかけて食べてください。これはお酒にも合います」
小山「卵の甘みと梅の酸味、海苔の香ばしさが三位一体となって、ものすごくおいしいです。味が濃いですね」
車「これはおつまみに少しずつ食べるような感じです」
宇賀「これをごはんの上に乗せてもおいしそうですね!」
車さんには、「お手紙」についてのお話もうかがいました。
宇賀「この番組はお手紙をテーマにしていまして、これまで受け取ったり書いたりした中で、心に残っているお手紙はありますか?」
車「私は小説のデビュー作が『蔦重の教え』……歌麿や写楽を世に出した蔦屋重三郎という江戸時代の版元、風雲児と呼ばれた人がいるんですけども、その小説を発表した時にですね、読者の方からお手紙をいただいたんです。その中で、女性なんですけど男性として生きてきた20代の方が、『この本を読んで自殺を思いとどまりました』というお手紙があったんです。励まされた、元気になったという手紙があった中で、私の本が命を救うなんてことがあるのかと。作家になってよかったと」
小山「そうやって自分が感じたことを作家の人に伝えるって大切ですね」
車「嬉しいですね」
小山「車さんもたくさん読者の方がいらっしゃるでしょうけど、その1通の手紙で、逆に勇気をもらうわけですものね」
車「書き続けようとやはり思いましたね」
宇賀「そして今日は、『いま手紙を書きたい人』に宛てたお手紙を書いてきていただいているんですよね。どなたに宛てたお手紙ですか?」
車「私を作家にしてくださった方です。作家として活躍されている柘いつかさんという女性なんですけど、まさに、私に江戸料理の道を作ってくださって。私はもともと浮世絵研究から江戸にはまり、時代小説を書きたくてやっていたんですけど、その中でなかなかデビューできなくてもがいていた時に、(柘さんが)『江戸料理はどうなの?』と。そのことをお手紙に書かせていただきました」
車さんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聴きください(9月4日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、車さんへお手紙を書きたい、と思ってくださった方は、ぜひ番組にお寄せください。責任をもってご本人にお渡しいたします。
【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 車浮代さん 宛】にお願いします」
車浮代さん、ありがとうございました!
車さんの新刊も、ぜひチェックしてみてください。
『江戸っ子の食養生(ワニブックスPLUS新書)』
『江戸の料理本に学ぶ 発酵食品でつくるシンプル養生レシピ(東京書籍)』
皆さんからのお手紙お待ちしています
毎週、お手紙をご紹介した方の中から抽選で1名様に、大分県豊後高田市の「ワンチャー」が制作してくださったSUNDAY’S POSTオリジナル万年筆をプレゼントします。引き続き、皆さんからのお手紙、お待ちしています。日常のささやかな出来事、薫堂さんと宇賀さんに伝えたいこと、大切にしたい人や場所のことなど、何でもOKです。宛先は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST】までお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、栃木県〈宇都宮中央郵便局〉廣瀬千桜さんでした!「お客さまの大切なお手紙を、責任と愛情を持って配達させていただいています。手紙や荷物をお届けした時に、『ありがとうございます』という一言をもらえるだけで、疲れが吹き飛びます。特に、夏など暑い時期は、水分補給をこまめにしているのですが、お客さまから飲み物などをいただくこともあり、体力が回復するような感じがして嬉しいです。」
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