TOKYO FM / JFN 38 STATIONSTOKYO FM / JFN 38 STATIONS 番組宛に手紙を贈る

SUNDAY'S POSTSUNDAY'S POST

『手紙から始まる物語。』
ここには、様々な思いが詰まった手紙が毎週届きます。
読むと、送り主のことがもっと知りたくなってきます。
日曜の午後3時、1通の手紙から始まる物語。
手紙の送り主にじっくりお話をうかがいながら、
手紙を受け取る喜び、手紙を送るワクワク感、
手紙に詰まった想いをラジオを通して全国に届けます。
from

NEWSNEWS

卒業シーズン……セーラー服の歴史を知っていますか?

  • ON AIR
  • 2022/03/06

日本大学商学部 准教授の刑部芳則さんをお迎えして

写真
写真 宇賀「もうすぐ卒業シーズンということで、制服を着るのもあと数回という方もいるかと思いますが……薫堂さん、セーラー服ってどうですか? 思い出があったりしますか?」

小山「街を歩いていて、制服によって『あ、あの女子校だ』とかはありましたね。男子校だったので。宇賀さんはセーラー服は?」

宇賀「私、セーラー服は着たことがなくて。中学校が1つ上の先輩まではセーラーだったんですけど、私たちの代からブレザーに変わったんですよ。ずっと着たことがなくて、でも社会人になってから着ました、(テレビ番組の)『Qさま!!』で(笑)。実はこんな本があるんです……『セーラー服の誕生』。この本によりますと、セーラー服は日本では女性のあいだでなかなか普及しなかったそうなんです」

小山「そうなんですか」
写真 宇賀「『セーラー服の誕生』の著者である、日本大学商学部 准教授の刑部芳則(おさかべ よしのり)さんをお迎えしています」

小山「なぜ、商学部の准教授がセーラー服の本を書かれたんですか?」

刑部「商学部にいるんですけど、もともとは歴史の研究なんですよ。商学部でも歴史を教えています」

小山「日本史の中で“日本女子の服飾の歴史”みたいなものだとわかりますけど、なぜセーラー服に焦点を当てたんですか?」

刑部「日本の女性がどうして洋服を着るようになったのか、その原点を探っていこうと考えたところ、セーラー服を研究するのがいちばんいいのではないかと思って研究を始めたんです」

小山「本の帯には“100年の歴史”とありますが、100年前に誕生したということですか?」

刑部「そうですね。そもそもですね、セーラー服というのはイギリスの海軍の水兵の服から始まっているんですよね。当時19世紀、ヴィクトリア女王というのがイギリスにいまして、子どもたちに着せていたわけですね。もともと海軍の水兵の服には諸説あるんです。海に落ちた時に脱ぎやすいから襟が大きいとか、船の上で音を聞くのに聞きやすくするために襟を大きくしているとか、いろいろあるんですけど。ヴィクトリア女王が子どもたちに着せたことによって、イギリスを中心としてヨーロッパ各国、欧米諸国で、子ども服の形で非常に人気が出て、広がっていたんですよね」

小山「最初に採用されたのはどこだったんですか?」
写真 刑部「日本でもまずは海軍に入ってくるんです。幕末に幕府の海軍の水夫たちが着て、それが明治の帝国海軍の水兵服という形で入ってくるんです。それが明治のはじめなんです。欧米諸国でもセーラー服が子ども服みたいな形で普及していましたから、日本でも皇族とか華族のあいだでやっぱり子ども服として広まっていくんですね。昭和天皇も小さい頃はセーラー服を着ていたんですよ。未成年のあいだで男女問わず広がっていった時に、大正8年に服装改善運動というのが起きるんですよ。文部省とかを中心としましてね、明治時代から引き継がれてきた着物の欠点をどう克服するかとか、どうやって洋服を日本に取り入れていくのか決着をつけようということで、かなりの有識者たちが集まってですね、実践していこうということが始まっていくんですね。そうすると、有識者の中で校長をしている人の学校から実践していくことになって、このあたりから洋式の制服がぽつぽつ現れ始めるんです。大正10年の9月に、愛知県の名古屋にある金城学院で第1号のセーラー服を取り入れていく形になるんです」

小山「それが原型となって広まっていくんですか?」

刑部「そうですね。金城学院に外国人の先生がいまして、その娘さんがセーラー服を着ていたんです。金城学院の場合、大正9年からなるべく洋服で通学するように、となったところ、女の子たちが『先生の娘さんが着ているセーラー服が素敵だ』と。『自分たちもそれと同じモデルのものを作ろう』と言って、各々が仕立てていったら、制服じゃないんだけどみんな同じデザインになっていったんですよ」

宇賀「自発的だったんですね」

刑部「そうなんですよ。1年経った時に、学校もこれほどみんなが同じようなセーラー服を着てくるんだったら、いっそこれを制服として採用しようと。それが大正10年の9月なんですよ」

小山「面白いですね。制服になった途端、たちまち広がっていったんですか?」

刑部「そうですね。当時の彼女たちは、高等女学校に通っていることがエリートの象徴というか、プライドを持っているんですね。セーラー服さえ着ていれば、誰が見ても高等女学生だ、という判断がつくのも人気の1つだったんですよね」

宇賀「(本には)いろいろな学校のセーラー服が載っているんですけど、東洋英和とか東京女学館とか、私は近かったので、よく見ました。見るとどこかわかりますもんね」
写真 宇賀「この番組はお手紙をテーマにお送りしているのですが、これまでお手紙を書いたり、受け取ったりした中で印象に残っているものはありますか?」

刑部「出版社から『本を書いていただけませんか?』という直筆の手紙をいただいた時は嬉しかったですね」

宇賀「今日は、刑部先生が『いま手紙を書きたい人』に宛てたお手紙を書いていただいているんですよね」

刑部「私は昭和歌謡が好きなのですが、中でも作曲家の古関裕而さんが大好きなんです。一昨年は朝ドラ『エール』もやっていましたけど、風俗考証を私が担当していまして。天国にいる古関裕而さんに手紙を書いてまいりました」

刑部さんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聴きください(3月13日まで聴取可能)。

宇賀「古関さんの素晴らしさや魅力は、ひとことで言うとどんなところですか?」

刑部「どの時代でも元気を与えてくれるというか、非常に日本人の心に沁みてくるようなメロディーという感じがしますよね」
写真 小山「先生の子ども時代が想像できます。いまとあまり変わらない子どもだったんじゃないですか?」

刑部「変わらないですよね。子どもの時、昭和時代でしたけど、いまでも昭和が続いているというかね」

小山「昭和から令和に変わりましたけど、令和まで残したままでいたいと思うものは何ですか?」

刑部「昭和歌謡はもちろんですけど、学ランやセーラー服は残したいですね」

宇賀「いまでもありますもんね。減ってきてはいるかもしれないけど」

小山「減ってきているんですか?」

刑部「そうですね、私はもう絶滅危惧種だと思っているんですよ。さすがに明治時代の着物に袴というような、あそこまではいかないと思いますけど、でも限りなくやがて99%なくなってしまうんじゃないかなという感じもしていますね」

小山「制服が減っているんじゃないですか? 自由にさせるというか」

刑部「それがですね、最近は逆に制服が復活しているんですよね。1970年代は高校紛争とかが起きて、その時に自由化された形だったんですけど、もう10年くらい前から逆に制服を求めるような学校が非常に増えてきました」

宇賀「私の高校も私服通学だったんですけど、いまは中高一貫校になって制服になりました」

小山「制服の方が楽ですよね」
写真 宇賀「今回の放送を聞いて、刑部さんへお手紙を書きたい、と思った方もいらっしゃると思います。ぜひ番組にお寄せください。責任を持って、ご本人にお渡しいたします。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST 刑部芳則さん宛】にお願いします。

刑部さんの著書『セーラー服の誕生(法政大学出版)』もぜひお手に取ってみてください。

セーラー服の誕生 女子校制服の近代史
写真 刑部芳則さん、ありがとうございました!

今週の後クレ

写真 今回のメッセージは、香川県〈丸亀駅内郵便局〉北野奈美恵さんでした!

「出来る限り、お客さまのお顔とお名前や、その時お話しした内容を覚えておくように心掛けています。そうすることで、次にそのお客さまにお会いした時に話が弾み、お客さまとの距離が近くなると思います。 定期的に人事異動があるのですが、異動する度に、以前働いていた郵便局で関わったお客さまがわざわざ会いに来てくださることがあります。中でも、ご高齢の女性で、近所の方に車に乗せてもらい、私に会いに来てくださった方がいらっしゃって、その時はとても感激しました。」
MORE

ARCHIVEARCHIVE

MORE

CONTACTCONTACT

番組宛に手紙を贈る

この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。

〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
SUNDAY'S POST宛

番組への要望・リクエストを送る

番組宛にメールでメッセージを
送るにはこちらから

詳しくはコチラ