女優のサヘル・ローズさんが登場!
- 2022/01/09
サヘル・ローズさんをお迎えして
今回はスタジオに女優のサヘル・ローズさんをお迎えしました。
宇賀「サヘル・ローズさんは、1985年イラン生まれ。幼少時代はイランの孤児院で生活し、7歳のときにフローラ・ジャスミンさんの養女として引き取られます。8歳でフローラさんとともに来日。現在はタレント活動のほか、女優として映画やテレビ、舞台でご活躍。そして国際人権団体NGOの「すべての子どもに家庭を」の活動で親善大使を務めていらっしゃいます。公私にわたる福祉活動が評価されて、アメリカで人権活動家賞を受賞されています。
私は夕方のニュース番組での、おいしいご飯を食べたりいろんなところ行かれたり、元気なお姉さん!というイメージがすごく強くて」
サヘル「10年間ずっと食レポをやっておりまして。当時は体重が10キロ多かったです(笑)」
宇賀「本当にいろいろな活動をされているんですね」
サヘル「自分の生い立ちもあって、何ができるんだろう? と考えた時に、未来を担うのって子どもたちだったり若い世代じゃないですか。そういう子たちに自分の経験や同じ思いをしてほしくないという気持ちから、個人的に母とふたりでさせていただいているサポートですね」
小山「幼少期にイランの孤児院で生活をされていたということは、ご両親を失われたということなんですか」
サヘル「当時は戦争の最中でしたので、私だけじゃなく多くの子どもたちが戦争孤児になってしまい、私も4歳から7歳までを親を失ってしまった子どもたちと共に共同生活をしていました」
小山「フローラ・ジャスミンさんという方の養女になられて、フローラさんが日本にやって来られるんですね。なぜ日本を選ばれたんですか?」
サヘル「当時、母親が結婚をしていたんですね。旦那さんも同じイランの方だったんですけども、その方が日本でお仕事をしていて、養子に迎えてくれた母親が女性一人で当時のイランで子育てができる状況ではなかったので、旦那さんを頼って日本に来たのが流れです」
宇賀「最初に日本に来た時はどうでしたか?」
サヘル「実は孤児院でずっと『おしん』を観て育っていたので……」
小山・宇賀「え!」
サヘル「当時の私たち孤児にとって、おしんは小林綾子さんのあの年齢で止まっているので、あの小さなおしんはのちにどうなったんだろう? と、日本に行くとわかった瞬間、私は『おしん』の世界に飛び込めるんだ、とすごい嬉しさがあったんですよ」
小山「8歳で来日をされた時は、日本語はまったく話せなかったんですか?」
サヘル「まったくです。世界はペルシャ語でできている、って思うわけじゃないですか。小さい頃は観ていた作品がすべてペルシャ語で、『おしん』もペルシャ語で喋っていたから。日本に来た瞬間にはじめて日本語という言葉に触れて、角があってちょっと怖かったんですよ。ペルシャ語はちょっとフランス語みたいで、すごく風が流れるような言語なんですよね。波を打つように話をするのですが、日本語は平らで。当時の私は日本語の音色がわからなくて、日本語って無色だな、と。表情もあまり読み取ることができなく、慣れない国に対しての文化の違い、表現の違いにすごく戸惑いました」
宇賀「でもそこから覚えていくんですよね」
サヘル「日本語を一生懸命学んで、いまに至るんですけど。29年、日本で生活をしています」
宇賀「こういうお仕事を目指したきっかけは何だったんですか?」
サヘル「定時制の高校に通っていたんですね。大学にどうしても行きたかったんですけど、母子家庭になってしまって、働かなければ大学費は稼げない。ある時からエキストラの仕事をお金だけのために始めて、最初は外国の方々が登録するエキストラ会社に登録していたんですけども。どちらかというと日本の中での外国の方々へのイメージというのは、ヨーロッパの方々……白人でブロンドヘアでブルーアイズという、ちょっと決まったかたちが当時は特にあったんです。私は何をしても受からなくて。でも生活がかかっているからお金が欲しい。それで『死体でもいい?』と言われて、6年間、死体役をやり続けたんですよ。だから死に方はすごく上手なんですけど(笑)。それをしていく中で、自分の国・イランの方々が使われるシーンってテロリストの役がとっても多かったんですよ。それがすごく悔しくなってしまって。どうして表現の世界で、国籍で毎回見られるのかと。私たちは地球人のはずなのにすごく表現が狭い世界だなと思って。イラン人というのはテロリストの役だけじゃなくて、どんな役でもやれるんだよと、未来の子どもたちにちゃんと道を作ってあげたかったんです。そしたら自分もある時から本気になってしまって、表現の世界を追求するようになったんです」
小山「すごいですね。素晴らしい」
サヘル「人生にマイナスはないんだなって。どんな経験もポジティブに変えられるし、表現の世界でも自分の幼少期のあらゆる出来事、いろいろ抱えてしまった昔は傷だと思ったものが、人の痛みって対話に変わると思うんですよね。自分の痛みを表現のフィルターを通して伝えることで、誰かの生きがいになれたらいいなって。それが本当にエンターテイメントの力だと思ったんです。チャップリンもそうじゃないですか。いちばんの喜劇っていちばんの悲劇だと思うので、そういう人物になれたらいいなと思いました」
宇賀「今月の20日に、講談社からサヘルさんの本『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』が出版されます。こちらはどんな本なんですか?」
サヘル「いまの時代は孤立をしてしまったり、孤独を抱えている方って大人も子どもも存在していると思うんですよね。そういう人たちに伝えたい、ポジティブになれるような1冊がいまの時代に届けることができれば、と思い、2年かけてこの本を完成させました」
小山「言葉の花束というワードは、ご自身で『言葉って花束になるな』という想いでつけられたんですか?」
サヘル「私も名前にローズ、花が入っているので。人生の中で私が母親からもらった言葉の花だったりとか、きっとどんな人も自分の花を持っていて、出会いこそ生きる力だと思うんですよね。どんな方にもこの一輪の花を渡せたらいいなと思って、最終的にそれが一つの花束となって、この本を締めくくれたなと思ったので、花をあえて入れました」
「成人の日」にちなんで、20歳の人に伝えたいメッセージをサヘルさんにうかがいました。
サヘル「私が20歳の時は、生きるということを模索していて。社会人になるワクワク感と、社会人というリュックを背負った瞬間に、責任というものがすごくのしかかって、生き方がわからなくなっていました。だからこそ、いろいろ挑戦してみてほしいなと。失敗を恐れる社会ではあると思うんですけど、私は自分の中に『サヘル辞書』というのを作っていて、その中で、『失敗は大成功』だと思っているんですよね。たとえ大きな壁があって、行きたかった景色や見えなかった景色がそこにはあるかもしれないけれど、道中で出会った人たちというのは自分にとっては財産ですし。大人になると、やっておけばよかったが増えるんですよ」
小山「そうですよね」
サヘル「やっておいて失敗したとしても、行動した自分に対して誇りが持てるじゃないですか。だからこそどんどんアクションを起こして、挑むという心を楽しんでほしいなと思います。20歳は可能性に溢れているので、自分の可能性を信じてください」
そしてサヘルさんに、お手紙についてのお話もうかがいました。
宇賀「これまで受け取ったお手紙とか、書いたお手紙で心に残っているものはありますか?」
サヘル「全部ですね。振り返るとすべての手紙が私の財産。その中でもし選ぶとなれば、いま関わっている施設の子どもたちからのお手紙がとても嬉しいです。私も孤児院にいた時、誰にも手紙って送れないんですよ、受け取ってもらえないから。送り先がいないんです。でも、誰かの心の灯火になれるって最高じゃないですか」
小山「確かに。送る相手がいるってことだけで幸せですね」
サヘル「その住所が書けるっていうことをもう一回噛み締めてほしいなと、いつも思います」
宇賀「そんなサヘルさんに『いま手紙を書きたい人』に宛てたお手紙を書いていただきました」
サヘル「言葉を教えてくれた恩師に向けてのお手紙です」
サヘルさんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聴きください(1月16日まで聴取可能)。
宇賀「今回の放送を聞いて、サヘルさんへお手紙を書きたい、と思った方もいらっしゃると思います。ぜひ番組にお寄せください。責任を持って、ご本人にお渡しいたします。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST サヘル・ローズさん宛】にお願いします。
サヘル・ローズさん、ありがとうございました!
サヘル・ローズ著『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”(講談社)』
私は夕方のニュース番組での、おいしいご飯を食べたりいろんなところ行かれたり、元気なお姉さん!というイメージがすごく強くて」
サヘル「10年間ずっと食レポをやっておりまして。当時は体重が10キロ多かったです(笑)」
宇賀「本当にいろいろな活動をされているんですね」
サヘル「自分の生い立ちもあって、何ができるんだろう? と考えた時に、未来を担うのって子どもたちだったり若い世代じゃないですか。そういう子たちに自分の経験や同じ思いをしてほしくないという気持ちから、個人的に母とふたりでさせていただいているサポートですね」
小山「幼少期にイランの孤児院で生活をされていたということは、ご両親を失われたということなんですか」
サヘル「当時は戦争の最中でしたので、私だけじゃなく多くの子どもたちが戦争孤児になってしまい、私も4歳から7歳までを親を失ってしまった子どもたちと共に共同生活をしていました」
小山「フローラ・ジャスミンさんという方の養女になられて、フローラさんが日本にやって来られるんですね。なぜ日本を選ばれたんですか?」
サヘル「当時、母親が結婚をしていたんですね。旦那さんも同じイランの方だったんですけども、その方が日本でお仕事をしていて、養子に迎えてくれた母親が女性一人で当時のイランで子育てができる状況ではなかったので、旦那さんを頼って日本に来たのが流れです」
宇賀「最初に日本に来た時はどうでしたか?」
サヘル「実は孤児院でずっと『おしん』を観て育っていたので……」
小山・宇賀「え!」
サヘル「当時の私たち孤児にとって、おしんは小林綾子さんのあの年齢で止まっているので、あの小さなおしんはのちにどうなったんだろう? と、日本に行くとわかった瞬間、私は『おしん』の世界に飛び込めるんだ、とすごい嬉しさがあったんですよ」
小山「8歳で来日をされた時は、日本語はまったく話せなかったんですか?」
サヘル「まったくです。世界はペルシャ語でできている、って思うわけじゃないですか。小さい頃は観ていた作品がすべてペルシャ語で、『おしん』もペルシャ語で喋っていたから。日本に来た瞬間にはじめて日本語という言葉に触れて、角があってちょっと怖かったんですよ。ペルシャ語はちょっとフランス語みたいで、すごく風が流れるような言語なんですよね。波を打つように話をするのですが、日本語は平らで。当時の私は日本語の音色がわからなくて、日本語って無色だな、と。表情もあまり読み取ることができなく、慣れない国に対しての文化の違い、表現の違いにすごく戸惑いました」
宇賀「でもそこから覚えていくんですよね」
サヘル「日本語を一生懸命学んで、いまに至るんですけど。29年、日本で生活をしています」
宇賀「こういうお仕事を目指したきっかけは何だったんですか?」
サヘル「定時制の高校に通っていたんですね。大学にどうしても行きたかったんですけど、母子家庭になってしまって、働かなければ大学費は稼げない。ある時からエキストラの仕事をお金だけのために始めて、最初は外国の方々が登録するエキストラ会社に登録していたんですけども。どちらかというと日本の中での外国の方々へのイメージというのは、ヨーロッパの方々……白人でブロンドヘアでブルーアイズという、ちょっと決まったかたちが当時は特にあったんです。私は何をしても受からなくて。でも生活がかかっているからお金が欲しい。それで『死体でもいい?』と言われて、6年間、死体役をやり続けたんですよ。だから死に方はすごく上手なんですけど(笑)。それをしていく中で、自分の国・イランの方々が使われるシーンってテロリストの役がとっても多かったんですよ。それがすごく悔しくなってしまって。どうして表現の世界で、国籍で毎回見られるのかと。私たちは地球人のはずなのにすごく表現が狭い世界だなと思って。イラン人というのはテロリストの役だけじゃなくて、どんな役でもやれるんだよと、未来の子どもたちにちゃんと道を作ってあげたかったんです。そしたら自分もある時から本気になってしまって、表現の世界を追求するようになったんです」
小山「すごいですね。素晴らしい」
サヘル「人生にマイナスはないんだなって。どんな経験もポジティブに変えられるし、表現の世界でも自分の幼少期のあらゆる出来事、いろいろ抱えてしまった昔は傷だと思ったものが、人の痛みって対話に変わると思うんですよね。自分の痛みを表現のフィルターを通して伝えることで、誰かの生きがいになれたらいいなって。それが本当にエンターテイメントの力だと思ったんです。チャップリンもそうじゃないですか。いちばんの喜劇っていちばんの悲劇だと思うので、そういう人物になれたらいいなと思いました」
宇賀「今月の20日に、講談社からサヘルさんの本『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”』が出版されます。こちらはどんな本なんですか?」
サヘル「いまの時代は孤立をしてしまったり、孤独を抱えている方って大人も子どもも存在していると思うんですよね。そういう人たちに伝えたい、ポジティブになれるような1冊がいまの時代に届けることができれば、と思い、2年かけてこの本を完成させました」
小山「言葉の花束というワードは、ご自身で『言葉って花束になるな』という想いでつけられたんですか?」
サヘル「私も名前にローズ、花が入っているので。人生の中で私が母親からもらった言葉の花だったりとか、きっとどんな人も自分の花を持っていて、出会いこそ生きる力だと思うんですよね。どんな方にもこの一輪の花を渡せたらいいなと思って、最終的にそれが一つの花束となって、この本を締めくくれたなと思ったので、花をあえて入れました」
「成人の日」にちなんで、20歳の人に伝えたいメッセージをサヘルさんにうかがいました。
サヘル「私が20歳の時は、生きるということを模索していて。社会人になるワクワク感と、社会人というリュックを背負った瞬間に、責任というものがすごくのしかかって、生き方がわからなくなっていました。だからこそ、いろいろ挑戦してみてほしいなと。失敗を恐れる社会ではあると思うんですけど、私は自分の中に『サヘル辞書』というのを作っていて、その中で、『失敗は大成功』だと思っているんですよね。たとえ大きな壁があって、行きたかった景色や見えなかった景色がそこにはあるかもしれないけれど、道中で出会った人たちというのは自分にとっては財産ですし。大人になると、やっておけばよかったが増えるんですよ」
小山「そうですよね」
サヘル「やっておいて失敗したとしても、行動した自分に対して誇りが持てるじゃないですか。だからこそどんどんアクションを起こして、挑むという心を楽しんでほしいなと思います。20歳は可能性に溢れているので、自分の可能性を信じてください」
そしてサヘルさんに、お手紙についてのお話もうかがいました。
宇賀「これまで受け取ったお手紙とか、書いたお手紙で心に残っているものはありますか?」
サヘル「全部ですね。振り返るとすべての手紙が私の財産。その中でもし選ぶとなれば、いま関わっている施設の子どもたちからのお手紙がとても嬉しいです。私も孤児院にいた時、誰にも手紙って送れないんですよ、受け取ってもらえないから。送り先がいないんです。でも、誰かの心の灯火になれるって最高じゃないですか」
小山「確かに。送る相手がいるってことだけで幸せですね」
サヘル「その住所が書けるっていうことをもう一回噛み締めてほしいなと、いつも思います」
宇賀「そんなサヘルさんに『いま手紙を書きたい人』に宛てたお手紙を書いていただきました」
サヘル「言葉を教えてくれた恩師に向けてのお手紙です」
サヘルさんのお手紙の朗読は、ぜひradikoでお聴きください(1月16日まで聴取可能)。
宇賀「今回の放送を聞いて、サヘルさんへお手紙を書きたい、と思った方もいらっしゃると思います。ぜひ番組にお寄せください。責任を持って、ご本人にお渡しいたします。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST サヘル・ローズさん宛】にお願いします。
サヘル・ローズさん、ありがとうございました!
サヘル・ローズ著『言葉の花束 困難を乗り切るための“自分育て”(講談社)』
#手紙にしよう 成人の日に向けたポストカードが登場
様々なポストカードを無料でダウンロードできる「ハッシュタグ手紙にしよう」から、お知らせです。1月10日の成人の日にむけたポストカードが届きました。「自分がやってみたいことを宣言する」「相手へチャレンジしてほしいことを伝える」と、2種類のデザインのポストカードです。今年の新成人の方はもちろん、家族や友人の方々と一緒に、やってみてほしいことを送り合ってみるのはいかがでしょうか? 成人の日だけでなく通年使えるデザインとなっているので、目標ができたときにもぴったりなポストカードです。ぜひ、「#手紙にしよう」のサイトからダウンロードしてみてください。
「&POST #手紙にしよう」
皆さんからの年賀状をお待ちしています!
SUNDAY’S POSTでは、皆さんからの年賀状をお待ちしています。『2022年の抱負や目標、応援してほしいこと』を書いて送っていただくと、番組からエールを送るかたちでお返事お届けします! 1月11日着分まで受け付けています。宛先は【郵便番号102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」】にお願いします。さらに、年賀状を送っていただいた方の中から、抽選でプレゼントのご用意もあります。
「SUNDAY’S POST賞」は、〈ぽすくまのぬいぐるみ〉。
「小山薫堂賞」は、〈一澤信三郎帆布のバッグ(H-04 中サイズ ベージュ×紺)〉。
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「宇賀なつみ賞」は、未来型ホットプレート〈abien MAGIC GRILL〉です。
abien MAGIC GRILL
ご応募の際は、お名前、ご住所、お電話番号、そして、来年の抱負を忘れずに書いてください。
今週の後クレ
今回のメッセージは、岡山県〈新見上市郵便局〉金田久美子さんでした!「わたしは普段、郵便局の窓口で働いており、ご来局いただくお客さまが毎回新鮮な気持ちで郵便局へお越しいただけるように、季節に合わせて窓口を装飾しています。実際に、窓口へお越しになったお客さまが『これ可愛いですね、どうやって作るんですか?』と聞いてくださり、会話のきっかけになります。お客さまの笑顔が少しでも増えれば良いなと思っています。」
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