横山剣さんと横浜と手紙のお話
- 2021/09/12
クレイジーケンバンド 横山剣さんをお迎えして
今回はゲストに、クレイジーケンバンド 横山剣さんをお迎えしました。
宇賀「横山剣さんは、今年でデビュー40周年だったんですね。クレイジーケンバンドとしては24年目ということですが、どうですか、この40年間を振り返ってみると?」
横山「プロになったり、アマになったりという感じをずっと繰り返していたんですけど、クレイジーケンバンドになってからは、ずっとコンスタントに毎年アルバムが出せるようになりまして。ツアーもできるようになった、活動らしい活動になってきたのはクレイジーケンバンドの頃からかなと思っていますね」
小山「40年ということは、21歳の時にデビューをされているんですね。その頃は最初からアーティストになると思われていたんですか?」
横山「その時はクールスRCという舘ひろしさんが作ったグループがあって、舘ひろしさんがお辞めになって、数年後にスタッフとして入ったんです。いわゆるローディーとして入って、そのあとマネージャーになって、ファンクラブの責任者になって、人事異動で今度はリードボーカルに声がかかったんです」
小山「そうなんですか!」
宇賀「歌うつもりはなかったんですか?」
横山「バンドはやっていたので、言われて悪い気はしなかったんですけど、ちょっと荷は重かったですね。最末端からいきなりリードボーカルだったので」
小山「はじめて自分の曲を作られたのは何歳くらいだったんですか?」
横山「意識的に作るようになったのは11歳なんですけど、その前から、いわゆる子どもが作るような曲は物心がつく前から作っていましたね。録音するようになったのは11歳です」
小山「タイトルとか覚えていますか?」
横山「『GTの歌』っていうので」
小山「クレイジーケンバンドにも『GT』の曲がありますけど、あれとはまた違う曲ですか?」
横山「あれのルーツになるような。60年代から東京モーターショーに行っていたんですけど、トヨタのセリカ1600GTと、カリーナ1600GTというのがあって、その2つの車のデビューの年に思いついた曲ですね。70年に思いついて、71年にテープに吹き込みました」
小山「テープはまだあるんですか?」
横山「脳内のサンプラーにある感じですね。ずーっと同じことをリピートする曲なんですけど、たまにライブで合間に歌ったりとか、ふざけてやっていますね」
宇賀「これまで作った曲は、全部でどのくらいあるんですか?」
横山「確認したところ1000弱くらいあったんですけど、この世に出ていない曲も入れるともっとだと思います」
宇賀「どういう時にメロディーが浮かぶんですか?」
横山「運転中がいちばん多いですね」
小山「その時に何かにメロディーを吹き込んだりするんですか?」
横山「吹き込むこともありますし、脳内サンプラーに入れておきます。『タイガー&ドラゴン』という曲は、国道16号線を運転している時に、最後のトンネルを抜けたと同時にメロディーと歌詞が一筆書きみたいに出てきたんです。運転中のマジックですね」
小山「その瞬間も鮮明に覚えていますか?」
横山「鮮明に覚えています。頭の中で歌っているのは、僕じゃなくて和田アキ子さんが歌っているイメージでした」
宇賀「運転中だと浮かんでも忘れちゃいそうと思ったりされませんか?」
横山「ほとんどの曲は忘れちゃうんですけど、忘れちゃう曲は弱いということで、淘汰されていくんです」
小山「やはり、横浜という土地は音楽をやる上で大きいと思われますか?」
横山「大きいですね。僕は2年だけ東京に浮気して、神宮前に1年と、用賀に1年と計2年住んだんですけど、その時に柳ジョージ&レイニーウッドの『YOKOHAMA』っていうアルバムばかりを聴いていて、横浜が恋しくなって。それで横浜に帰ってから、横浜を題材にしたオリジナルの曲が増えました。ずっと横浜にいらっしゃる方って横浜の歌はそんなに意識されないと思うんですけど、逆輸入的に恋しくなりましたね」
クレイジーケンバンドのニューアルバムについてもお話をうかがいました。
宇賀「先日リリースされたニューアルバムが、はじめてのカバーアルバム『好きなんだよ』。どうしてカバーをやってみようと思われたんですか?」
横山「前々からやろうと思っていたんですけど、どうしてもオリジナル曲が出てきちゃうので、やる隙がなかったんです。それで、クレイジーケンバンドには“1”のつく年はオリジナルアルバムを出さないという暗黙の了解がありまして。今年はどうしようかなと思った時に、このタイミングでカバーだ! と思ったんです」
小山「選曲はずいぶん時間がかかったんじゃないですか?」
横山「選曲は大変で、もう何年分の想いがありますから。限定しないと無理ということで、20世紀、そして1970年代以降90年代までと限定しました。さらにクレイジーケンバンドのファンクラブに『カバー曲リクエスト』というのがあるのですが、そのリストの中からだけにしようと絞って。それでも200曲くらいになって、さらに絞りました」
宇賀「カバーならではの難しさや楽しさはありましたか?」
横山「その楽曲をたくさんの方が知っていらっしゃるので、比べられちゃうんですね。その楽曲に対して、作者の方、シンガーの方にリスペクトがないと成り立たないということがありますので。そういう緊張感はオリジナル以上にありましたね」
9月8日リリース クレイジーケンバンドのニューアルバム「好きなんだよ」。詳細はこちらから。
クレイジーケンバンド OFFICIAL WEB SITE
宇賀「横山さんがこれまで書いたり、受け取ったりした中で、印象に残っているお手紙はありますか?」
横山「昨年、ユーミンさんの『やさしさに包まれて』を、いろんな人とマイクリレーみたいなかたちでリモートでレコーディングしたんですけど、発表してしばらくしてからユーミンさんからはがきが来て、そこに『多作な剣さんへ』と書いてありまして。ユーミンさんに比べたら全然多作じゃないんですけど、そういう風に言っていただけて。『過去の作品とか、過去の何かがいろいろなヒントになるよ』ということと、『過去の自分が今を助け、今の自分が未来をつくるよ』と書いてあって。わーっと全身に電気が駆け巡った感じでしたね」
小山「クリエイティブのお守りになるような1枚ですね」
横山「まさにお守りになっています。すごく嬉しかったです」
宇賀「そして、今日は『いま手紙を書きたい人へ宛てたお手紙』を書いてきていただきました。どなたへのお手紙ですか?」
横山「僕が11歳の頃、中古レコードの実演販売をやっているおじさんがいまして、その手伝いをやっていたんですね。そのおじさんに宛てた手紙です」
手紙は横山さんに朗読していただきました。ぜひradikoでお聴きください(9月19日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、横山さんへお手紙を書きたい、と思った方もいらっしゃると思います。ぜひ番組にお寄せください。ご本人にお渡しさせていただきます。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST横山剣さん 宛】にお願いします」
クレイジーケンバンド 横山剣さん、ありがとうございました!
横山「プロになったり、アマになったりという感じをずっと繰り返していたんですけど、クレイジーケンバンドになってからは、ずっとコンスタントに毎年アルバムが出せるようになりまして。ツアーもできるようになった、活動らしい活動になってきたのはクレイジーケンバンドの頃からかなと思っていますね」
小山「40年ということは、21歳の時にデビューをされているんですね。その頃は最初からアーティストになると思われていたんですか?」
横山「その時はクールスRCという舘ひろしさんが作ったグループがあって、舘ひろしさんがお辞めになって、数年後にスタッフとして入ったんです。いわゆるローディーとして入って、そのあとマネージャーになって、ファンクラブの責任者になって、人事異動で今度はリードボーカルに声がかかったんです」
小山「そうなんですか!」
宇賀「歌うつもりはなかったんですか?」
横山「バンドはやっていたので、言われて悪い気はしなかったんですけど、ちょっと荷は重かったですね。最末端からいきなりリードボーカルだったので」
小山「はじめて自分の曲を作られたのは何歳くらいだったんですか?」
横山「意識的に作るようになったのは11歳なんですけど、その前から、いわゆる子どもが作るような曲は物心がつく前から作っていましたね。録音するようになったのは11歳です」
小山「タイトルとか覚えていますか?」
横山「『GTの歌』っていうので」
小山「クレイジーケンバンドにも『GT』の曲がありますけど、あれとはまた違う曲ですか?」
横山「あれのルーツになるような。60年代から東京モーターショーに行っていたんですけど、トヨタのセリカ1600GTと、カリーナ1600GTというのがあって、その2つの車のデビューの年に思いついた曲ですね。70年に思いついて、71年にテープに吹き込みました」
小山「テープはまだあるんですか?」
横山「脳内のサンプラーにある感じですね。ずーっと同じことをリピートする曲なんですけど、たまにライブで合間に歌ったりとか、ふざけてやっていますね」
宇賀「これまで作った曲は、全部でどのくらいあるんですか?」
横山「確認したところ1000弱くらいあったんですけど、この世に出ていない曲も入れるともっとだと思います」
宇賀「どういう時にメロディーが浮かぶんですか?」
横山「運転中がいちばん多いですね」
小山「その時に何かにメロディーを吹き込んだりするんですか?」
横山「吹き込むこともありますし、脳内サンプラーに入れておきます。『タイガー&ドラゴン』という曲は、国道16号線を運転している時に、最後のトンネルを抜けたと同時にメロディーと歌詞が一筆書きみたいに出てきたんです。運転中のマジックですね」
小山「その瞬間も鮮明に覚えていますか?」
横山「鮮明に覚えています。頭の中で歌っているのは、僕じゃなくて和田アキ子さんが歌っているイメージでした」
宇賀「運転中だと浮かんでも忘れちゃいそうと思ったりされませんか?」
横山「ほとんどの曲は忘れちゃうんですけど、忘れちゃう曲は弱いということで、淘汰されていくんです」
小山「やはり、横浜という土地は音楽をやる上で大きいと思われますか?」
横山「大きいですね。僕は2年だけ東京に浮気して、神宮前に1年と、用賀に1年と計2年住んだんですけど、その時に柳ジョージ&レイニーウッドの『YOKOHAMA』っていうアルバムばかりを聴いていて、横浜が恋しくなって。それで横浜に帰ってから、横浜を題材にしたオリジナルの曲が増えました。ずっと横浜にいらっしゃる方って横浜の歌はそんなに意識されないと思うんですけど、逆輸入的に恋しくなりましたね」
クレイジーケンバンドのニューアルバムについてもお話をうかがいました。
宇賀「先日リリースされたニューアルバムが、はじめてのカバーアルバム『好きなんだよ』。どうしてカバーをやってみようと思われたんですか?」
横山「前々からやろうと思っていたんですけど、どうしてもオリジナル曲が出てきちゃうので、やる隙がなかったんです。それで、クレイジーケンバンドには“1”のつく年はオリジナルアルバムを出さないという暗黙の了解がありまして。今年はどうしようかなと思った時に、このタイミングでカバーだ! と思ったんです」
小山「選曲はずいぶん時間がかかったんじゃないですか?」
横山「選曲は大変で、もう何年分の想いがありますから。限定しないと無理ということで、20世紀、そして1970年代以降90年代までと限定しました。さらにクレイジーケンバンドのファンクラブに『カバー曲リクエスト』というのがあるのですが、そのリストの中からだけにしようと絞って。それでも200曲くらいになって、さらに絞りました」
宇賀「カバーならではの難しさや楽しさはありましたか?」
横山「その楽曲をたくさんの方が知っていらっしゃるので、比べられちゃうんですね。その楽曲に対して、作者の方、シンガーの方にリスペクトがないと成り立たないということがありますので。そういう緊張感はオリジナル以上にありましたね」
9月8日リリース クレイジーケンバンドのニューアルバム「好きなんだよ」。詳細はこちらから。
クレイジーケンバンド OFFICIAL WEB SITE
宇賀「横山さんがこれまで書いたり、受け取ったりした中で、印象に残っているお手紙はありますか?」
横山「昨年、ユーミンさんの『やさしさに包まれて』を、いろんな人とマイクリレーみたいなかたちでリモートでレコーディングしたんですけど、発表してしばらくしてからユーミンさんからはがきが来て、そこに『多作な剣さんへ』と書いてありまして。ユーミンさんに比べたら全然多作じゃないんですけど、そういう風に言っていただけて。『過去の作品とか、過去の何かがいろいろなヒントになるよ』ということと、『過去の自分が今を助け、今の自分が未来をつくるよ』と書いてあって。わーっと全身に電気が駆け巡った感じでしたね」
小山「クリエイティブのお守りになるような1枚ですね」
横山「まさにお守りになっています。すごく嬉しかったです」
宇賀「そして、今日は『いま手紙を書きたい人へ宛てたお手紙』を書いてきていただきました。どなたへのお手紙ですか?」
横山「僕が11歳の頃、中古レコードの実演販売をやっているおじさんがいまして、その手伝いをやっていたんですね。そのおじさんに宛てた手紙です」
手紙は横山さんに朗読していただきました。ぜひradikoでお聴きください(9月19日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて、横山さんへお手紙を書きたい、と思った方もいらっしゃると思います。ぜひ番組にお寄せください。ご本人にお渡しさせていただきます。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST横山剣さん 宛】にお願いします」
クレイジーケンバンド 横山剣さん、ありがとうございました!
今週の後クレ
今回のメッセージは、新潟県〈長岡郵便局〉川瀬翔太さんでした!「長岡郵便局では、『一万発の長岡冬花火』と題して、市民の皆さまに、年賀はがきに花火のイラストや応援メッセージを書いていただき、その絵はがきを長岡市の施設に展示するという企画を行っています。 この企画は、例年、多くの方が心待ちにしている『長岡まつり大花火大会』が昨年、コロナ禍の影響で中止となり、長岡市民の皆さまの心にぽっかりと穴が空いてしまったため、郵便局員の私たちができることは何かないか、そんな想いで企画したものです。 お客さま自身やその家族、花火師や医療従事者の方など、頑張っている沢山の方々宛てに、応援メッセージが添えられた合計10,400枚もの絵はがきが寄せられました。長岡花火というものが、どれだけ長岡市民の皆さまにとって大きなものだったのか、ということがよく分かりました。また、私たち郵便局員が、年賀はがきを使って沢山の長岡花火を上げることができたことが強く心に残っています。」
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。
〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
SUNDAY'S POST宛