歌人の穂村弘さんと手紙の話
- 2021/07/11
歌人 穂村弘さんをお迎えして
今回は、歌人の穂村弘さんをお迎えしました。
宇賀「まずは私から穂村さんのご紹介を。1962年生まれ、北海道のご出身です。1990年、第1歌集『シンジケート』でデビュー。2008年に『短歌の友人』で伊藤整文学賞、「楽しい一日」で短歌研究賞を受賞。歌集に、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『水中翼船炎上中』がある他、エッセイ、絵本、翻訳でも活躍されています」
小山「歌人という職業の方はあまりいらっしゃらないですよね」
穂村「いても分からないですよね」
小山「そもそも、子どもの頃はどんな職業に憧れていたんですか?」
穂村「小学校の卒業文集に『詩人になりたい』と書いていたので、あんまりずれはなかったかなと思います」
小山「僕も詩人になりたかったんですよ。中原中也に憧れていたものですから。詩人では食べていけないとわかったので、やめました(笑)」
宇賀「穂村さんは、なぜ短歌を?」
穂村「子どもの頃、アニメとかホームドラマ、時代劇の冒頭にかっこいいナレーションが入っていたんです。『サスケ』とか『奥さまは魔女』とか。それを暗唱したりするのが好きで。学生の時に何かやってみたいと思った時に、いまからピアノや柔道は間に合わないだろうと思って、それで短歌を見つけたという感じですね」
小山「最初に出会った作品とか、ピンときたものは何だったんですか?」
穂村「読者としては、塚本邦雄さんという偉大な戦後の歌人。それは昔風の言葉なので自分が作れる感じはしなかったんですけど、自分が学生の頃に、短歌が自分がしゃべっている言葉に切り替わる時代に差し掛かったので、作ってみようかなと思いました」
宇賀「作ってみようかな、と思って、まず何から始めるんですか?」
穂村「最初に見たのが林あまりさんという方の短歌で。『なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた』という、別れのセリフですけど、指を折って数えるとちゃんと短歌になるんです。でも当時は、え? これが短歌? という感じでかっこよくて。これなら自分も書けるんじゃないかと思ったんです」
小山「それで就職をなさらずに?」
穂村「いえ、しました。食べていけないので。就職して、プログラマーをやって、次に総務部で会社の電球を取り替えたりしていましたね」
小山「僕ら放送作家は試験もあるわけじゃないので、名刺に書いた途端からなれるんです。歌人は何かあるんですか?」
穂村「ないですけど、食べていくのは大変ですね。だから長期間、僕は会社にいて、二足のわらじでやっていました」
宇賀「何年くらいですか?」
穂村「17年」
小山「何かの賞をとられた時に、もう行けるということで独立されたんですか?」
穂村「そういうのが夢だったんですけど、現実はベクトルが逆で、目の病気が見つかっちゃって、緑内障なんですけど。治らない、と言われて、それで逆に、見えているうちに好きなことに時間を使おうと。絶対に見えなくなるわけじゃ全然なくて、人によるんですけど。だんだん視野が狭くなると言われたので、ビビって会社を辞めました」
小山「それでいろんなものを見て歌を詠もうとなったんですか?」
穂村「会社って時間を取られるので、今のうちにという焦りですね」
小山「緑内障はもう克服されたんですか?」
穂村「徐々には進行しているんですけど、ただ何十年という時間で、先に寿命が来れば逃げ切ったということになりますね。まだ大丈夫です」
宇賀「どういうものを見たときに、これを短歌にしようと思われるんですか?」
穂村「最初はやっぱり視覚的なもののインパクトが強かったんですけど、長くやっていると、皆そういう傾向があるみたいなんですけど、匂いとか音の方に注意がいきます。街でしゃべっていた人の言葉とか、そういう方に今は引っかかりますね」
宇賀「今年の5月に、穂村さんの第一歌集『シンジケート』の新装版が講談社から刊行されたんです。伝説のデビュー歌集、31年目の新装版。こちらはどうしてまた出版されることになったんですか?」
穂村「現実的には、最初の版を出していた出版社が出版業をやめるということで、絶版になってしまうので出し直そうということでお願いしました」
小山「デビュー歌集は、サラリーマン業と二足のわらじだった時代ですよね」
穂村「学生時代からのもありますね。だから受話器とか、出てきますね。いま受話器って言わないですよね。いまはなくなったものがいろいろ出てきます」
小山「いちばん最初に自分が作った作品は覚えていらっしゃいますか?」
穂村「やっぱり、正確には覚えていないんですけど、電話ボックスの中にぶら下がった受話器がくるくる回っているっていう短歌だったと思います。これもまったくいまとなってはレア過ぎる風景ですよね」
小山「その作品はもう記憶にないんですね」
穂村「もうないですね、正確には思い出せない。人がいないのに受話器がぶら下がっているのがかっこよく思えたんだと思います」
小山「でもそれだけでドラマありますよね」
穂村「何か事件があったのかな? ってなりますよね」
小山「別れ話でそのままにして出て行ったのかな、とか」
穂村「ぶら下がった受話器からは叫び声が聞こえる……とか」
宇賀「31年間、短歌をやってきて、改めて振り返ってみると、いかがですか?」
穂村「自分でも最初の方を読むと別人という感じですね。味覚とか変わるじゃないですか、ネギを好きになったり、ナスを好きになったり。言葉の感覚もすごく変わって、命令形の短歌が多くてびっくりしますね。生命力こんなにあったんだ、って。たとえば『体温計くわえて窓に額つけ『ゆひら』とさわぐ雪のことかよ』。女の子が体温計を口にくわえて、熱があるのに外を見て、雪が降ってきて、『雪だ』って言うんだけど、くわえているから『ゆひら』になっちゃう、みたいな。でもこの雪のことかよ、って言うツッコミが恥ずかしくてもうできない(笑)」
小山「(笑)」
穂村「言葉だからできるはずなんだけど、意外とやっぱりできないですね」
小山「世の中の言葉って、短い間に変わるんですね」
穂村「世の中も変わるし、自分に似合っていた服や髪型が変になることってあるじゃないですか。あんな感じで、確かにこれは自分が使っていた言葉なのに、って。昔は『まみれる』という言葉が好きだったんですけど、なんかいまは若い動詞だな、って」
宇賀「薫堂さんはあるんですか? 若い頃の作品を読んで恥ずかしい、みたいな」
小山「ありますよ! ありますけど、僕は全然覚えていないんですよね、自分の書いたものを」
宇賀「覚えていないし、振り返らない?」
小山「すぐに忘れるんで。だから自分の言葉を見て、『若いな』て思えるのはすごくうらやましいなと思います」
穂村「ペンネームとかも、若い時につけてたまに困っている人とかもいるじゃないですか」
小山・宇賀「(笑)」
穂村「ああ若い頃につけたペンネームだな、ってわかる人、たまにいますよね」
小山「穂村さんは本名ですか?」
穂村「僕もペンネームなんですけど、幸い地味なペンネームなので、そんなに恥ずかしくないですね」
小山「本名っぽいですもんね」
宇賀「この番組は手紙をテーマにお送りしているのですが、お手紙をテーマにした作品ってありますか?」
穂村「『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』というタイトルの歌集があります。偶然知り合った女の子がたくさん手紙を送ってくれて、その言葉がすばらしかったので、それを短歌にまとめた、という体裁の。実際にモデルになった女性もいたんですけど。『ドラキュラには花嫁が必要だから、それは私にちがいないから』とか、こんな手紙が来て、詩みたいだなと思って」
小山「それは本当に来たんですね?」
穂村「はい。『おやすみなさい。これはおやすみなさいから始まる真夜中の手紙です』とか。ちょっとグッときて。ただ、正確に短歌のフォルムにはなっていないので、僕がアレンジをしたり、自分の言葉を足して混ぜたりして、そんな本ですね」
宇賀「歌人の前には歌人が現れるんですね」
小山「短歌を作るって、いま流行っているじゃないですか。若い女の子も作ったりしていますけど、作ったことのない人が作ろうと思った時に、コツってあるんですか?」
穂村「短歌をちょっとだけ見て、それでいきなり作るのがいいと思います。ルールを守ろうとか思わないで。あとから直すのはいくらでも直せるので」
小山「短歌でラブレターを書いたことはないんですか?」
穂村「実は1回あって。すごいダメだったので、二度とやるまいと(笑)」
小山「その作品はもう覚えていないんですか?」
穂村「検索すれば出てくるんですけど、覚えていないですね。それまでいい感じだったんだけど、すごくダメになっちゃって」
小山「それを送ったら相手が引いたとか、そういうことですか?」
穂村「『素敵ですね』っていう冷ややかなメールがきて(笑)。メールなのにわかったんですよ、すごくこれ冷ややかだなって。メールも匂いがするじゃないですか、これは引いているなって。すごく迷ったんですよね、出す時に」
小山「それはもう歌人として一人前になられている時ですか?」
穂村「そうです」
小山「それで! いまの人が聞いたら怒るんじゃないですか、穂村弘からきた短歌を……って」
穂村「でも、実際にくると嫌みたいですね(笑)」
宇賀「これまで頂いたり書いたりした中で、特に印象に残っているお手紙はありますか?」
穂村「差出人と名前のない絵はがきをもらったことがあって。でも、字ですぐに誰かわかりました。僕は北海道大学に行っていて、そこで彼女がいたんだけど、上智大学を再受験したので、『2年したらまた』と言って泣き別れて。上智に行ったんですけどすぐにまた好きな人ができちゃって、それは隠していたんだけど、なんかわかったみたいで、その前の彼女から白紙のミュシャの絵はがきが届いたんです。一人で行ったであろう絵画展の絵はがきで。でもどうしようもなくて」
小山「ドラマですね」
穂村「結構ガーンってなりましたね。それは覚えています」
宇賀「すごい、素敵ですね」
小山「素敵ですか?(笑)」
宇賀「そういう風に想いを伝えよう、ということが」
穂村「こっちは素敵じゃないんですけどね(笑)」
宇賀「そういうことができる人になりたかったです」
宇賀「穂村さんに『いま手紙を書きたい人へ宛てたお手紙』を書いてきていただきました」
穂村「コロナで会えなくなっちゃった人がいろいろいるんだけど、その中でもいちばん気になっている先生に、短歌の大先輩なんですけど」
穂村さんが書いたのは、歌人の馬場あき子さんに宛てたお手紙でした。ぜひradikoでお聴きください(7月18日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて穂村さんにお手紙を書きたいと思ってくださった方もいらっしゃると思います。ぜひ、番組にお寄せください。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST穂村弘さん 宛】にお願いします」
穂村弘さん、ありがとうございました!
小山「歌人という職業の方はあまりいらっしゃらないですよね」
穂村「いても分からないですよね」
小山「そもそも、子どもの頃はどんな職業に憧れていたんですか?」
穂村「小学校の卒業文集に『詩人になりたい』と書いていたので、あんまりずれはなかったかなと思います」
小山「僕も詩人になりたかったんですよ。中原中也に憧れていたものですから。詩人では食べていけないとわかったので、やめました(笑)」
宇賀「穂村さんは、なぜ短歌を?」
穂村「子どもの頃、アニメとかホームドラマ、時代劇の冒頭にかっこいいナレーションが入っていたんです。『サスケ』とか『奥さまは魔女』とか。それを暗唱したりするのが好きで。学生の時に何かやってみたいと思った時に、いまからピアノや柔道は間に合わないだろうと思って、それで短歌を見つけたという感じですね」
小山「最初に出会った作品とか、ピンときたものは何だったんですか?」
穂村「読者としては、塚本邦雄さんという偉大な戦後の歌人。それは昔風の言葉なので自分が作れる感じはしなかったんですけど、自分が学生の頃に、短歌が自分がしゃべっている言葉に切り替わる時代に差し掛かったので、作ってみようかなと思いました」
宇賀「作ってみようかな、と思って、まず何から始めるんですか?」
穂村「最初に見たのが林あまりさんという方の短歌で。『なにもかも派手な祭りの夜のゆめ火でも見てなよ さよなら、あんた』という、別れのセリフですけど、指を折って数えるとちゃんと短歌になるんです。でも当時は、え? これが短歌? という感じでかっこよくて。これなら自分も書けるんじゃないかと思ったんです」
小山「それで就職をなさらずに?」
穂村「いえ、しました。食べていけないので。就職して、プログラマーをやって、次に総務部で会社の電球を取り替えたりしていましたね」
小山「僕ら放送作家は試験もあるわけじゃないので、名刺に書いた途端からなれるんです。歌人は何かあるんですか?」
穂村「ないですけど、食べていくのは大変ですね。だから長期間、僕は会社にいて、二足のわらじでやっていました」
宇賀「何年くらいですか?」
穂村「17年」
小山「何かの賞をとられた時に、もう行けるということで独立されたんですか?」
穂村「そういうのが夢だったんですけど、現実はベクトルが逆で、目の病気が見つかっちゃって、緑内障なんですけど。治らない、と言われて、それで逆に、見えているうちに好きなことに時間を使おうと。絶対に見えなくなるわけじゃ全然なくて、人によるんですけど。だんだん視野が狭くなると言われたので、ビビって会社を辞めました」
小山「それでいろんなものを見て歌を詠もうとなったんですか?」
穂村「会社って時間を取られるので、今のうちにという焦りですね」
小山「緑内障はもう克服されたんですか?」
穂村「徐々には進行しているんですけど、ただ何十年という時間で、先に寿命が来れば逃げ切ったということになりますね。まだ大丈夫です」
宇賀「どういうものを見たときに、これを短歌にしようと思われるんですか?」
穂村「最初はやっぱり視覚的なもののインパクトが強かったんですけど、長くやっていると、皆そういう傾向があるみたいなんですけど、匂いとか音の方に注意がいきます。街でしゃべっていた人の言葉とか、そういう方に今は引っかかりますね」
宇賀「今年の5月に、穂村さんの第一歌集『シンジケート』の新装版が講談社から刊行されたんです。伝説のデビュー歌集、31年目の新装版。こちらはどうしてまた出版されることになったんですか?」
穂村「現実的には、最初の版を出していた出版社が出版業をやめるということで、絶版になってしまうので出し直そうということでお願いしました」
小山「デビュー歌集は、サラリーマン業と二足のわらじだった時代ですよね」
穂村「学生時代からのもありますね。だから受話器とか、出てきますね。いま受話器って言わないですよね。いまはなくなったものがいろいろ出てきます」
小山「いちばん最初に自分が作った作品は覚えていらっしゃいますか?」
穂村「やっぱり、正確には覚えていないんですけど、電話ボックスの中にぶら下がった受話器がくるくる回っているっていう短歌だったと思います。これもまったくいまとなってはレア過ぎる風景ですよね」
小山「その作品はもう記憶にないんですね」
穂村「もうないですね、正確には思い出せない。人がいないのに受話器がぶら下がっているのがかっこよく思えたんだと思います」
小山「でもそれだけでドラマありますよね」
穂村「何か事件があったのかな? ってなりますよね」
小山「別れ話でそのままにして出て行ったのかな、とか」
穂村「ぶら下がった受話器からは叫び声が聞こえる……とか」
宇賀「31年間、短歌をやってきて、改めて振り返ってみると、いかがですか?」
穂村「自分でも最初の方を読むと別人という感じですね。味覚とか変わるじゃないですか、ネギを好きになったり、ナスを好きになったり。言葉の感覚もすごく変わって、命令形の短歌が多くてびっくりしますね。生命力こんなにあったんだ、って。たとえば『体温計くわえて窓に額つけ『ゆひら』とさわぐ雪のことかよ』。女の子が体温計を口にくわえて、熱があるのに外を見て、雪が降ってきて、『雪だ』って言うんだけど、くわえているから『ゆひら』になっちゃう、みたいな。でもこの雪のことかよ、って言うツッコミが恥ずかしくてもうできない(笑)」
小山「(笑)」
穂村「言葉だからできるはずなんだけど、意外とやっぱりできないですね」
小山「世の中の言葉って、短い間に変わるんですね」
穂村「世の中も変わるし、自分に似合っていた服や髪型が変になることってあるじゃないですか。あんな感じで、確かにこれは自分が使っていた言葉なのに、って。昔は『まみれる』という言葉が好きだったんですけど、なんかいまは若い動詞だな、って」
宇賀「薫堂さんはあるんですか? 若い頃の作品を読んで恥ずかしい、みたいな」
小山「ありますよ! ありますけど、僕は全然覚えていないんですよね、自分の書いたものを」
宇賀「覚えていないし、振り返らない?」
小山「すぐに忘れるんで。だから自分の言葉を見て、『若いな』て思えるのはすごくうらやましいなと思います」
穂村「ペンネームとかも、若い時につけてたまに困っている人とかもいるじゃないですか」
小山・宇賀「(笑)」
穂村「ああ若い頃につけたペンネームだな、ってわかる人、たまにいますよね」
小山「穂村さんは本名ですか?」
穂村「僕もペンネームなんですけど、幸い地味なペンネームなので、そんなに恥ずかしくないですね」
小山「本名っぽいですもんね」
宇賀「この番組は手紙をテーマにお送りしているのですが、お手紙をテーマにした作品ってありますか?」
穂村「『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』というタイトルの歌集があります。偶然知り合った女の子がたくさん手紙を送ってくれて、その言葉がすばらしかったので、それを短歌にまとめた、という体裁の。実際にモデルになった女性もいたんですけど。『ドラキュラには花嫁が必要だから、それは私にちがいないから』とか、こんな手紙が来て、詩みたいだなと思って」
小山「それは本当に来たんですね?」
穂村「はい。『おやすみなさい。これはおやすみなさいから始まる真夜中の手紙です』とか。ちょっとグッときて。ただ、正確に短歌のフォルムにはなっていないので、僕がアレンジをしたり、自分の言葉を足して混ぜたりして、そんな本ですね」
宇賀「歌人の前には歌人が現れるんですね」
小山「短歌を作るって、いま流行っているじゃないですか。若い女の子も作ったりしていますけど、作ったことのない人が作ろうと思った時に、コツってあるんですか?」
穂村「短歌をちょっとだけ見て、それでいきなり作るのがいいと思います。ルールを守ろうとか思わないで。あとから直すのはいくらでも直せるので」
小山「短歌でラブレターを書いたことはないんですか?」
穂村「実は1回あって。すごいダメだったので、二度とやるまいと(笑)」
小山「その作品はもう覚えていないんですか?」
穂村「検索すれば出てくるんですけど、覚えていないですね。それまでいい感じだったんだけど、すごくダメになっちゃって」
小山「それを送ったら相手が引いたとか、そういうことですか?」
穂村「『素敵ですね』っていう冷ややかなメールがきて(笑)。メールなのにわかったんですよ、すごくこれ冷ややかだなって。メールも匂いがするじゃないですか、これは引いているなって。すごく迷ったんですよね、出す時に」
小山「それはもう歌人として一人前になられている時ですか?」
穂村「そうです」
小山「それで! いまの人が聞いたら怒るんじゃないですか、穂村弘からきた短歌を……って」
穂村「でも、実際にくると嫌みたいですね(笑)」
宇賀「これまで頂いたり書いたりした中で、特に印象に残っているお手紙はありますか?」
穂村「差出人と名前のない絵はがきをもらったことがあって。でも、字ですぐに誰かわかりました。僕は北海道大学に行っていて、そこで彼女がいたんだけど、上智大学を再受験したので、『2年したらまた』と言って泣き別れて。上智に行ったんですけどすぐにまた好きな人ができちゃって、それは隠していたんだけど、なんかわかったみたいで、その前の彼女から白紙のミュシャの絵はがきが届いたんです。一人で行ったであろう絵画展の絵はがきで。でもどうしようもなくて」
小山「ドラマですね」
穂村「結構ガーンってなりましたね。それは覚えています」
宇賀「すごい、素敵ですね」
小山「素敵ですか?(笑)」
宇賀「そういう風に想いを伝えよう、ということが」
穂村「こっちは素敵じゃないんですけどね(笑)」
宇賀「そういうことができる人になりたかったです」
宇賀「穂村さんに『いま手紙を書きたい人へ宛てたお手紙』を書いてきていただきました」
穂村「コロナで会えなくなっちゃった人がいろいろいるんだけど、その中でもいちばん気になっている先生に、短歌の大先輩なんですけど」
穂村さんが書いたのは、歌人の馬場あき子さんに宛てたお手紙でした。ぜひradikoでお聴きください(7月18日まで聴取可能)。
宇賀「今日の放送を聞いて穂村さんにお手紙を書きたいと思ってくださった方もいらっしゃると思います。ぜひ、番組にお寄せください。【郵便番号102-8080 TOKYO FM SUNDAY’S POST穂村弘さん 宛】にお願いします」
穂村弘さん、ありがとうございました!
#手紙にしよう
「#手紙にしよう」ではさまざまなシーンに合わせたポストカードを更新しています。
日頃から頑張る誰かに感謝を伝えるための、もらったらちょっと嬉しくて、誇らしくなれるような賞状のデザインのポストカードが更新されています。みなさんもぜひ、大切な人に素敵な賞を送ってみてください。
詳しくは、「&POST」のwebサイトをご覧ください。
「&POST #手紙にしよう」
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今年のジンベイザメがハガキを泳ぐ絵入りはがきで暑中見舞いを届けませんか?
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今週の後クレ
今回のメッセージは、広島県〈広島西郵便局〉寺尾颯人さんでした!「お客さま第一をモットーに、持ち前の明るさと笑顔を持って日々の業務に精励し、たくさんの「ありがとう」をお客さまからいただけるよう努力しております。2年前、広島西郵便局宛てに、お客さまから「毎日、寺尾さんの明るい対応で、元気をもらっています」という嬉しいお言葉をいただきました。日々の行動で、お客さまに喜んでいただき、自分自身とても成長することができました。 日頃、言葉ではなかなか伝えることのできないことでも、手紙ではその人が直接書いたものがそのまま形に残り、想いを伝えることができます。コロナ禍で、なかなか大切な人と会うことができない今だからこそ、日頃の感謝や想いを伝えてみてはいかがでしょうか。」
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