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『手紙から始まる物語。』
ここには、様々な思いが詰まった手紙が毎週届きます。
読むと、送り主のことがもっと知りたくなってきます。
日曜の午後3時、1通の手紙から始まる物語。
手紙の送り主にじっくりお話をうかがいながら、
手紙を受け取る喜び、手紙を送るワクワク感、
手紙に詰まった想いをラジオを通して全国に届けます。
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ラジオ界のレジェンド! 毒蝮三太夫さんをお迎えして

  • ON AIR
  • 2021/01/03

2021年もよろしくお願いします & 年賀状の投函まだ間に合います!


宇賀「2021年最初の放送ですね!」

小山「宇賀さんの今年の目標は?」

宇賀「あんまり夢とか目標を持たないようにしているタイプなので……“今に一生懸命”、これがすべてです! 薫堂さんは?」

小山「僕はですね、やせること」

宇賀「それ、ずっと前から言っていません?(笑)」

小山「絶対にやせます!」

宇賀「さあ、どうなることやら……。
皆さんから年賀状もたくさんいただいていまして、こちらはまた改めてご紹介させていただきます。皆さんのお手元にも年賀状がたくさん届いていると思いますが、思いがけない方から受け取って、『出していなかった!』という方もいらっしゃるかもしれないですね」

小山「まだ、送るのはセーフですもんね」

宇賀「はい、年賀状は松の内のやり取りが一般的で、関東と関西で松の内の期間が異なるようですが、年賀はがきはお年玉のくじの抽せん会までに届けば、受け取った方はくじ抽せんが楽しめます。年賀はがきの販売は1月8日(金)まで。お待ちかねのくじ抽せん会は1月17日(日)です」

毒蝮三太夫さんをお迎えして

写真 宇賀「新年最初のゲストには、毒蝮三太夫さんをお迎えしました」

「ババア」「ジジイ」などの毒舌で大人気の毒蝮三太夫さん。TBSラジオの名物企画「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」は1969年にスタート、なんと今年で52年目を迎えます。ラジオ界のレジェンドであり大先輩に、今回はお話をうかがっていきます。
写真 毒蝮「おめでとうございます。去年はね、俺の年だったのよ。俺は84歳だったんだけどね、子年で。その子年が明けても暮れてもコロナでね。今年は丑年でしょう、いい年にしたいなあと思いますね。2020年は本当に忘れられない年になっちゃったね。まあ、とは言えひとつ、こんな年寄りだけどよろしくお願いします。ちょっと聞いたけど、薫堂さんは日芸(日本大学芸術学部)なんだよね?」

小山「そうです、毒蝮さんは先輩ですね」

毒蝮「学部は違うけど後輩だね。宇賀さんも初めてだね。きれいな方で」

小山「いらっしゃった途端、『おい、ババア』っておっしゃるのかと思ったら……」

毒蝮「ババア予備軍だよ。いずれなるよ」

小山・宇賀「(笑)」

毒蝮「時々、俺のTBSのラジオでね、『ババアって言ってください』って言う年寄りが来るのよ。冗談じゃない、まだババア予備軍だよ、ババアって呼べるほど魅力がないよ。『ババアっていうのはもっと魅力があって、生きていてほしい人を俺はババアって言うんだ』って。言ってくれ、って言う人ほどダメだね。このコロナの最中でね、大変だと思うよお年寄りは。だからお年寄りを元気にしたい。そのための見本になろうと思って、頑張ってはいるんですけどね」

小山「ラジオ界のレジェンドのトークをいま、目の前で聞ける幸せを感じていますよね」

宇賀「本当に!」
写真 宇賀「そもそもなのですが、この“毒蝮三太夫”というお名前は、どうして付けられたんですか?」

毒蝮「これはね、俺が落語が好きで、立川談志が談志という名前になる前、柳家小ゑんという名前だった時代、昭和30年くらいね。俺が大学の1年か2年で、一緒に寄席なんかに行っていて、その時に俺が『ウルトラマン』とかやっていたじゃない。(※毒蝮さんは当時、本名の石井伊吉の名前で『ウルトラマン』『ウルトラセブン』に出演されていました)立川談志に『お前は一人で喋るのが面白えんだから、演芸の世界へ入ってこい。スタンドアップコメディアンになれよ』『笑点の座布団運びをやれ』って言われて。ウルトラマンで俺は地球防衛軍だったのに、こんな落語家の座布団をはがせるか、って言ったら『名前を変えよう』となって。それで俺が田中三太夫という役を当時やっていたから、その三太夫を残して、怪獣のような負けない名前でということで、“毒蝮”に」

小山「談志さんが付けられたんですね。『ウルトラマン』に出ていた時は……」

毒蝮「本名。だから『ウルトラマン』『ウルトラセブン』が本名での最後の仕事。それでTBSの『ミュージックプレゼント』が毒蝮の名前になって最初の仕事」

小山「その仕事がいまも続いているんですよね」

宇賀「すごいですよねえ」

毒蝮「52年くらいになったのかな。1969年から始まったの」

小山「リスナーの方で、親子三代で聞いている人もいるんじゃないですか?」

毒蝮「いま、介護福祉士を教えるのに大学で教授みたいなことをやっているのよ。それで18、19歳の女子大生の子たちの『おばあちゃんから先生のことを聞きました』っていうレポートが多いね」

宇賀「我々も、50年続く番組に……」

毒蝮「この番組は何年目なの?」

宇賀「2019年に始まったので、2年目です」

毒蝮「まだちょんちょこぴーだね(笑)」

宇賀「そう、ちょんちょこぴーなんです(笑)。長く続けていきたいな、と思っているんですけども」

毒蝮「でも、『50年もどうして?』って言われると、俺に答えはないんだよね。聞いてくれる人がいたり、スポンサーがいたり、局がやろうという気がないと続くわけないじゃない。需要と供給だから、俺に聞かないでリスナーに聞いてくれりゃあ、それが答えだよね。聞きたいリスナーがいたから続いているんでしょう」

小山「最初から毒舌だったんですか?」

毒蝮「毒舌じゃないよ。俺は本当はきれいな言葉で、大和言葉でね……」

小山「(笑)」
写真 毒蝮「いきなりババアとか言うわけないじゃん。お袋が昭和48年に亡くなったんだけど、(中継に行くと)お袋と同い年の人が元気でいて、俺はお袋のことをたぬきババアなんて呼んでいたから『たぬきババアは死んじゃったけど、このババアは元気だな』と言ったのが最初らしいんだよ。その代わり、TBSには馬に食わせるほど講義の電話が鳴り止まなかったらしいよ。放送でババアと言うとは何事だ、あいつをやめろ、替えさせろってね。でも、1本だけ『放送を聞いて胸がスッとした』と言ったタクシーの運転手さんがいたらしいんだよね。だから、俺を守ってくれたディレクターとかプロデューサーが偉いよね。命がけで、防波堤になってくれたから。それで俺は助かって、スポンサーも説得してくれたの。そういう人に守られて、俺は続けようと思ったんだけどね。
俺は竜泉寺というところの育ちなんだけどね、そこの連中から『お前自分の言葉で喋ってないだろう』と言われたことがあるんだよ、番組が始まって4年くらい経って。『お前、おばあちゃんなんて言ったことないじゃないか。なんであんな風に喋ってるの?』って。だから普段の言葉で喋らなきゃ、というのがあって。それが背中を押してくれたね。俺には悪意がないんだということをわかってくれて」

小山「愛がありましたもんね、ババアという言葉に」

宇賀「すごく難しいじゃないですか、毒舌であることって。下手な人がしてしまうとただの悪口みたいになってしまうし。そこに愛があるかどうかが違いなのかな、と」

毒蝮「なつみちゃんね、メディアはみんなそう言うんだよ。その方が書きやすいし、喋りやすいから。でも俺は『愛』って言われるとね、背中がゾクゾクっとして居心地が悪くなっちゃうんだよ。照れるんだよ」

小山「どういう感じなんですか?」

毒蝮「からかっているんだよ」

小山「からかっている?」

毒蝮「そう、構っているの。この“からかう”っていうのが下町の子どもは得意だったんだよ。普通におばあちゃん、っていうのは面白くないから、おいババアとか、くたばりぞこないとか言うのはからかっているんだけど、大きな意味ではその人に愛がなければ構わないわけで。要するに無視されることがいちばんつまらないし、屈辱じゃない。だから、からかうっていうのは愛があるっていうことなんだけど、愛って言われると照れるんですよ。からかわれるようなババアが世の中にたくさん出てくれると嬉しいね」
写真 小山「実は毒蝮さんは今でも奥様にラブレターを出していらっしゃるんです。今回、マネージャーの方にこっそりお借りしてきました」

宇賀「素敵!」

毒蝮「1ヶ月に2通くらい出してるの」

宇賀「奥様にわざわざはがきを出しているんですね。直接渡すんじゃなくて、ちゃんとポストに投函して?」

毒蝮「不思議ですか?」

宇賀「でも、一緒に暮らしているんですよね」

毒蝮「いいじゃない。うちのがそれを郵便受けに入っているのを見て、『あっ、これ』って言うんですよ。それはね、とってもいいもんですよ。ポストに出すというのは」

小山「これは仕事先とかから出しているんですか?」

毒蝮「いやいや、散歩とか行った時にね。薫堂さんは物書きだからわかるだろうけど、書いているときって相手のことを考えているんだよね。集中しているわけじゃない。結婚して58年だけど、やっぱり『嬉しい』って。うちのが病気した時に病院にも手紙を置いたことがあるんですよ。そうしたら『薬よりこれがいちばんよく効いた』って言われたことがありますよ」
写真 宇賀「お手紙ご紹介させていただきます。
〈すっかり冬となりました。指の調子もよくなり、結構、結構。寒くなり、風邪にも十分気をつけて。秋から冬をそれなりに楽しみましょう。今年もあと二ヶ月。ほんとにほんとにお世話になりました。大切な人と一緒なので、あたたかいでーす。〉……素敵! これ、毒蝮さんの写真も貼ってあるんですね」

毒蝮「それ、プリクラですよ。しょっちゅう会っているんだけど、はがきで書いて出すというのは普段言えないことが書けるんですよ」

小山「何でもないことが書いてあるけど、すごく心を感じますよね」

毒蝮「うちのは手紙をジュエルボックスに入れていますよ。それを今日持ってきています」

小山「僕も1通読んでいいですか? 
〈お暑うございます。でも、お互いとにかく元気で何よりです。(俺のおかげですか?)輝く老後を楽しみましょう。風邪ひくな。転ぶな。〉」

毒蝮「高齢になるとそれがいちばん致命傷になるんですよね。うちは子どもがいないから、お互いにね。なつみさんもそういう手紙もらったら嬉しい?」

宇賀「嬉しいですね」

毒蝮「簡単だよ、はがきの63円で機嫌がよくなるんだからね。何ヶ月もそれで機嫌がもつんだから安いもんだよ。書いて送ることを今の人はムダだとか、面倒くさいとかでやらないでしょう。書くとか、はがきという文化をものすごく大事にしたくなっちゃうのよ。古いかなあ」

小山「いえいえ、今いちばん必要ですよね」

宇賀「今だからこそ手紙を書くということの価値がすごく上がっているので。あえて書くということに意味がありますよね」

毒蝮「メールもいいけどメールは残らないじゃない。その人の字じゃないじゃない。これは自分の字だからね」
写真 小山「毒蝮さんは今も年賀状をご自分で手書きされているようですね。今年はどんな年賀状を?」

毒蝮「今年はね、〈モーレツコロナはもう嫌だ ギューッと押し込み ウシシと笑う一年でありますように〉と書きました」

小山「いいですね。もっと早く聞いていれば僕も使いたかったです(笑)」

宇賀「何枚くらい書かれるんですか?」

毒蝮「多いときには600枚くらい書きましたね。それがだんだん減ってね、今は400枚くらい。それが書けなくなったら俺もそろそろ店じまいかなと思いますね。自分のひとつのリトマス試験紙でもあるのよ、年賀状を書くという作業は」

小山「きっと書かれているあいだはその相手のことを考えてらっしゃるわけですよね」

毒蝮「元気でいてくれてありがたいなあ、とかですね」

小山「毒蝮さんも本当にお元気で、本も最近お書きになったんですよね」
写真 昨年の10月に刊行された毒蝮さんの新刊『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語(学研プラス)』も好評販売中です。こちらもぜひお手に取ってみてください!

『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語(学研プラス)』

小山「毒蝮さんは84歳で、今年の3月に85歳になられますけど、いま、いちばん幸せだと思われる瞬間はどんなときなんですか?」
写真 毒蝮「それはもうね、普通のことですよ。たとえば朝起きたら手が動いている、目が見えるとか、ものが食べられるとか、足が動くとかね。普通のことがとってもいま幸せですね。うちのが飯を作ってくれたとか、洗濯をしてくれたとかね。老夫婦ですからね。そういう意味で、いまは普通に動ける、普通に喋れる毎日になってほしいと思う。多くは望まないよ。85になるけどね、チャーミングなジジイになろうと思ってんの」

宇賀「もう十分なっていらっしゃいますよ」

毒蝮「そう? そうなるにはね、清潔であったり物事をぐちゃぐちゃ言わないとかね。顔は老けてもいいですよ、頭も白くなっていいし、ハゲてもそれはしょうがないよ。いい歳のとり方をしようなと思うの。素直な、チャーミングな、笑顔のね。ましてや今はマスクの時代でしょう。顔が分かんないじゃない。だから目が口ほどにものを言うで、目の表情が大事よ。だから穏やかな優しい目をする人に会いたい。そういう人と会うと幸せだなと思うね。普通のことが幸せだというのがいかに大事か、コロナ騒ぎでわかったよね。生きるということは死ぬまでの暇つぶしだなとも言いますよ。だからいまはその暇つぶしを楽しみたい」

小山「今日は新年最初の元気をいただいた気がします」

宇賀「本当に元気になりました!」

毒蝮三太夫さん、ありがとうございました!
写真

Letter From代官山 代官山 蔦屋書店で開催中!


手紙を書く楽しさ、大切さを体験できるSUNDAY’S POSTとのコラボイベント「Letter From代官山」は、代官山 蔦屋書店で来年の1月11日まで開催されています。ぜひ足を運んでみてください。
詳細はこちらからご確認ください。

Letter From 代官山

今週の後クレ

写真 今回のメッセージは、香川県〈高松中央郵便局〉沖野知晴さんでした!

「配達の業務を始めたばかりの頃、バイクがよろめいてしまった時に、通りすがりのお客さまに助けていただいたことがあったのですが、数日後、そのお客さまに再びお会いした際に『あの時は大丈夫だった?今日も頑張ってね!』とお声をかけていただき、それ以降、道すがらお会いするたび、そのお客さまが声をかけてくださるようになりました。 特に雨の日や、配達する荷物が多い日など『頑張ってね』と声をかけていただけると、それだけで一日中元気に配達することができます。」
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