神戸の駄菓子屋を訪ねて
- 2020/10/25
薫堂さんのロケ 神戸の駄菓子屋〈淡路屋〉と〈中川〉
今回は、以前、番組にこんなお手紙をくださった、神戸の駄菓子屋「淡路屋」さんの物語をお届けします。
〈SUNDAY’S POSTのみなさま
2020年3月20日に駄菓子屋ラリーを企画していましたが、コロナで延期になりました。現在、神戸駄菓子屋問屋さんの話によると、コロナにより駄菓子屋が5軒、閉店したようです。こんな時期にイベントをするのもどうかと悩みましたが、参加していただける最高年齢91歳の店主さんが、『頑張る』とおっしゃったので、2020年9月1日から30日まで、駄菓子屋ラリーを開催することに決めました。
素人の初めての手作り企画で、いろいろな不備とご迷惑をおかけするかもしれませんが、こんな時期だからこそ、子どもたちの笑顔と、駄菓子屋を1日でも長く続けていきたいという願いを込めて、開催します。ぜひラリーにいらしてください。心よりお待ちしています。 淡路屋 伊藤由紀〉
小山「実は、その手紙にあります『駄菓子屋ラリー』を見たくて、行ってまいりました。この駄菓子屋ラリーがきっかけで、駄菓子屋の横のつながりができたそうなんです」
宇賀「実際に行ってみてどうでしたか?」
小山「とても心温まる時間でしたね」
放送では薫堂さんが訪れた神戸の駄菓子屋ラリーの音をお届けしました。
神戸・三宮から車で15分ほどのところ。住宅街の一角に、黄色いテントが目印の駄菓子屋「淡路屋」はあります。お手紙を下さった伊藤由紀さんのもとを薫堂さんが訪ねました。
小山「いま、淡路屋さんは何年目ですか?」
伊藤「私が三代目なんですけど、継いでもう25年目ですね」
小山「ということは、創業は戦前ですか?」
伊藤「戦後すぐくらいですね」
小山「仕入れは全部伊藤さんが?」
伊藤「そうですね、子どもたちに教えてもらったりもしながら」
取材中も、たくさんの子どもやお母さんたちが淡路屋を訪れていました。中には、親子二代で通っているという方も。
小山「ここで子どもたちを相手に商売をされていて、最近の子どもたちが昔と変わったな、と思うことはありますか?」
伊藤「それがね、ないんですよね。ものを買いに来ているというよりは、喋りに来ているのが全然変わらない気がするんです、昔も今も。同じことを喋っているような気がします」
小山「伊藤さんは25年やられていると言いましたが、始めた頃に小さかった子がもうお父さんになっていたりもするわけですよね」
伊藤「そうですね、子どもを連れ来てくれたり。懐かしんで子どもを連れてきてくれるので、その子どもを見るのが嬉しいですね。抱っこさせてもらったり」
小山「そのうち、親子三代になったりするんでしょうね」
伊藤「三代になったら、すごいですよねえ」
小山「やっぱり町からこういう場所をなくしたくないですよね」
しかし、このコロナの影響で神戸市だけで、少なくとも5軒の駄菓子屋さんが閉店してしまいました。その中で、伊藤さんを中心に神戸市の5軒の駄菓子屋さんが文化を残そうと始めたのが、「駄菓子屋ラリー」だったのです。
小山「このコロナによって、駄菓子屋さん同士の横のつながりができたんですよね」
伊藤「はい、これからいろんなことができそうな気がします」
宇賀「子どもたちの元気な声を聞くと、自分がワクワクした気持ちで駄菓子屋に通っていた頃のことを思い出しました」
スタジオのテーブルには、淡路屋さんで買ってきた、たくさんの懐かしい駄菓子も!
宇賀「うまい棒、何百本食べてきたか……。クッピーラムネも懐かしいですね」
小山「僕はチョコバットが好きでしたね」
宇賀「チョコバット、薫堂さんの頃からあるんですね!」
小山「50年くらい前からあるってことですよね。そしてこの、“のむんちょ”。これ、機械が壊れたらしくて、もう製造分だけで販売が終わってしまうんですって」
宇賀「そうなんですね」
小山「子どもたちの間でのビッグニュースらしいですよ」
小山「手紙でもありました、駄菓子屋ラリーでつながった91歳の駄菓子屋さんのおばあちゃん。そこにも行かせていただきました」
それは、淡路屋さんから5分ほどの住宅街の中にある、看板のない駄菓子屋「中川」。薫堂さんと、伊藤さんの2人でお店を訪ねました。
小山「中川さん、91歳なんですか?」
中川「もう、歳言わんとって(笑)」
小山「女性に年齢を聞くのは失礼ですが……お若いですよね」
中川「子ども相手やからなぁ」
小山「刺激を受けていますか?」
中川「負けんとやろう、思ってね(笑)」
小山「お店は何年ほどやられているんですか?」
中川「52、3年になるわな。1日も休まずや。お正月も、ここでお好みをしよったりな。元日早々から子どもらは食べにきてな、20円で」
小山「20円!」
中川「その頃はおじいさんがおったからな。もう利益も何もないから、消費税が上がるときにやめよう思ったんやけどな」
小山「でも、やめなかったんですね。それはどうしてですか?」
中川「道歩いているときに(子どもに)『開いとるか?』言われて、『閉まっとる』言うたら『なんでー?』って辛そうな顔するやろ。それがな、子ども好きやしな」
小山「この仕事をされていて、いちばん嬉しかったり、やりがいを感じるのはどんなときですか?」
中川「小さかった子が、あめ玉の一つでも持って来てくれるとき。熊本に行っておった、東京に行っておった、北海道に行っておった子が、お土産持ってこんでも顔を出してくれて、『元気やった、よかったなあ』言ってくれたときが、幸せやなあ思う。『あんた万引きして怒られたやろ』言うと、『おばちゃん言わんといてー』ってなったり」
伊藤「ほんまやなあ」
中川「そんな子がもう70歳やもん。うちの息子が、もう死んでおれへんけど、23年生まれの子や。その子の友だちが、もう定年になって遊びにきたりとかで、その子がもう70歳とかやから」
小山「お孫さんを連れてきたり」
中川「もう、ひい孫やな」
小山「伊藤さんと中川さんは、今回初めてお会いされたんですか?」
伊藤「昔から私もここに通っていたんですよ。隣のアパートに住んでいて。クイズラリーも、コロナでも頑張るって中川さんが言ってくださったから始めて。おばちゃんがいるから、みんな頑張ろうって」
小山「お互い、元気を送りあって生きがいになっている感じですよね」
中川「子どもがな、『淡路屋とはライバルか?』言うんよ」
小山「(笑)」
中川「『向こうは30円で、こっちが20円なのはなんでや』って言うたりな。子どもも優しいから、『向こうでこんなの置いているから、おばちゃんここにも置いて』言うたり」
小山「100歳まで頑張っていただきたいですよね。100歳になったら、町をあげてお祝いしたいですね」
伊藤「駄菓子屋の卒業生をみんな呼んでね」
最後に、伊藤さんの夢についてうかがいました。
伊藤「今世はこのまま、『ばばあいつまでやっとんねん』言われるまで(淡路屋を)やるのが夢です。ここまで来たらやりきります。なんとか駄菓子屋を残せるようにしたいと思います」
宇賀「いいですね、中川のおばあちゃん。お声も元気だし、100歳のときはお祝いのパレードをして欲しいですね」
小山「やっぱり駄菓子屋が地域とつながる場所になっているのが素敵ですね。最近はただ安いだけとか、便利っていうものの方がどうしても優先されやすいんですけど……それだけじゃない、そこに行くといろんな人と繋がれる、地域の温度感を感じることができますからね」
宇賀「どんなにおしゃれで美味しいお店でも、歴史には勝てないわけじゃないですか。52、3年続いてきた重みってこういうことなんですよね」
小山「中川さんと伊藤さんのお店は、だいたい歩いて5分くらいなんです。神戸に行かれたときは、ぜひ」
宇賀「でも看板がないんですよね?」
小山「中川のおばあちゃんの方にはないんですけど、淡路屋さんの方には黄色い大きな看板が出ていまして。いちばんいいのは、淡路屋さんに聞くのがいいです」
宇賀「ラリーするといいんですね」
そして、淡路屋・伊藤さんから、こんな贈り物も届きました!
伊藤さんの手作り、牛乳パック製のパクパク人形! 薫堂さんソックリ……!
今回の放送を聞いて、淡路屋の伊藤さんや、中川さんにお手紙を書きたいと思われた方は、ぜひ番組に送ってください。責任を持ってご本人にお渡しします。
宛先は、【〒102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」 淡路屋宛て】にお願いします。
「淡路屋」
兵庫県神戸市兵庫区笠松通7-3-6(定休日 月曜日)
https://awajiya.ko-co.jp
2020年3月20日に駄菓子屋ラリーを企画していましたが、コロナで延期になりました。現在、神戸駄菓子屋問屋さんの話によると、コロナにより駄菓子屋が5軒、閉店したようです。こんな時期にイベントをするのもどうかと悩みましたが、参加していただける最高年齢91歳の店主さんが、『頑張る』とおっしゃったので、2020年9月1日から30日まで、駄菓子屋ラリーを開催することに決めました。
素人の初めての手作り企画で、いろいろな不備とご迷惑をおかけするかもしれませんが、こんな時期だからこそ、子どもたちの笑顔と、駄菓子屋を1日でも長く続けていきたいという願いを込めて、開催します。ぜひラリーにいらしてください。心よりお待ちしています。 淡路屋 伊藤由紀〉
小山「実は、その手紙にあります『駄菓子屋ラリー』を見たくて、行ってまいりました。この駄菓子屋ラリーがきっかけで、駄菓子屋の横のつながりができたそうなんです」
宇賀「実際に行ってみてどうでしたか?」
小山「とても心温まる時間でしたね」
放送では薫堂さんが訪れた神戸の駄菓子屋ラリーの音をお届けしました。
神戸・三宮から車で15分ほどのところ。住宅街の一角に、黄色いテントが目印の駄菓子屋「淡路屋」はあります。お手紙を下さった伊藤由紀さんのもとを薫堂さんが訪ねました。
小山「いま、淡路屋さんは何年目ですか?」
伊藤「私が三代目なんですけど、継いでもう25年目ですね」
小山「ということは、創業は戦前ですか?」
伊藤「戦後すぐくらいですね」
小山「仕入れは全部伊藤さんが?」
伊藤「そうですね、子どもたちに教えてもらったりもしながら」
取材中も、たくさんの子どもやお母さんたちが淡路屋を訪れていました。中には、親子二代で通っているという方も。
小山「ここで子どもたちを相手に商売をされていて、最近の子どもたちが昔と変わったな、と思うことはありますか?」
伊藤「それがね、ないんですよね。ものを買いに来ているというよりは、喋りに来ているのが全然変わらない気がするんです、昔も今も。同じことを喋っているような気がします」
小山「伊藤さんは25年やられていると言いましたが、始めた頃に小さかった子がもうお父さんになっていたりもするわけですよね」
伊藤「そうですね、子どもを連れ来てくれたり。懐かしんで子どもを連れてきてくれるので、その子どもを見るのが嬉しいですね。抱っこさせてもらったり」
小山「そのうち、親子三代になったりするんでしょうね」
伊藤「三代になったら、すごいですよねえ」
小山「やっぱり町からこういう場所をなくしたくないですよね」
しかし、このコロナの影響で神戸市だけで、少なくとも5軒の駄菓子屋さんが閉店してしまいました。その中で、伊藤さんを中心に神戸市の5軒の駄菓子屋さんが文化を残そうと始めたのが、「駄菓子屋ラリー」だったのです。
小山「このコロナによって、駄菓子屋さん同士の横のつながりができたんですよね」
伊藤「はい、これからいろんなことができそうな気がします」
宇賀「子どもたちの元気な声を聞くと、自分がワクワクした気持ちで駄菓子屋に通っていた頃のことを思い出しました」
スタジオのテーブルには、淡路屋さんで買ってきた、たくさんの懐かしい駄菓子も!
宇賀「うまい棒、何百本食べてきたか……。クッピーラムネも懐かしいですね」
小山「僕はチョコバットが好きでしたね」
宇賀「チョコバット、薫堂さんの頃からあるんですね!」
小山「50年くらい前からあるってことですよね。そしてこの、“のむんちょ”。これ、機械が壊れたらしくて、もう製造分だけで販売が終わってしまうんですって」
宇賀「そうなんですね」
小山「子どもたちの間でのビッグニュースらしいですよ」
小山「手紙でもありました、駄菓子屋ラリーでつながった91歳の駄菓子屋さんのおばあちゃん。そこにも行かせていただきました」
それは、淡路屋さんから5分ほどの住宅街の中にある、看板のない駄菓子屋「中川」。薫堂さんと、伊藤さんの2人でお店を訪ねました。
小山「中川さん、91歳なんですか?」
中川「もう、歳言わんとって(笑)」
小山「女性に年齢を聞くのは失礼ですが……お若いですよね」
中川「子ども相手やからなぁ」
小山「刺激を受けていますか?」
中川「負けんとやろう、思ってね(笑)」
小山「お店は何年ほどやられているんですか?」
中川「52、3年になるわな。1日も休まずや。お正月も、ここでお好みをしよったりな。元日早々から子どもらは食べにきてな、20円で」
小山「20円!」
中川「その頃はおじいさんがおったからな。もう利益も何もないから、消費税が上がるときにやめよう思ったんやけどな」
小山「でも、やめなかったんですね。それはどうしてですか?」
中川「道歩いているときに(子どもに)『開いとるか?』言われて、『閉まっとる』言うたら『なんでー?』って辛そうな顔するやろ。それがな、子ども好きやしな」
小山「この仕事をされていて、いちばん嬉しかったり、やりがいを感じるのはどんなときですか?」
中川「小さかった子が、あめ玉の一つでも持って来てくれるとき。熊本に行っておった、東京に行っておった、北海道に行っておった子が、お土産持ってこんでも顔を出してくれて、『元気やった、よかったなあ』言ってくれたときが、幸せやなあ思う。『あんた万引きして怒られたやろ』言うと、『おばちゃん言わんといてー』ってなったり」
伊藤「ほんまやなあ」
中川「そんな子がもう70歳やもん。うちの息子が、もう死んでおれへんけど、23年生まれの子や。その子の友だちが、もう定年になって遊びにきたりとかで、その子がもう70歳とかやから」
小山「お孫さんを連れてきたり」
中川「もう、ひい孫やな」
小山「伊藤さんと中川さんは、今回初めてお会いされたんですか?」
伊藤「昔から私もここに通っていたんですよ。隣のアパートに住んでいて。クイズラリーも、コロナでも頑張るって中川さんが言ってくださったから始めて。おばちゃんがいるから、みんな頑張ろうって」
小山「お互い、元気を送りあって生きがいになっている感じですよね」
中川「子どもがな、『淡路屋とはライバルか?』言うんよ」
小山「(笑)」
中川「『向こうは30円で、こっちが20円なのはなんでや』って言うたりな。子どもも優しいから、『向こうでこんなの置いているから、おばちゃんここにも置いて』言うたり」
小山「100歳まで頑張っていただきたいですよね。100歳になったら、町をあげてお祝いしたいですね」
伊藤「駄菓子屋の卒業生をみんな呼んでね」
最後に、伊藤さんの夢についてうかがいました。
伊藤「今世はこのまま、『ばばあいつまでやっとんねん』言われるまで(淡路屋を)やるのが夢です。ここまで来たらやりきります。なんとか駄菓子屋を残せるようにしたいと思います」
宇賀「いいですね、中川のおばあちゃん。お声も元気だし、100歳のときはお祝いのパレードをして欲しいですね」
小山「やっぱり駄菓子屋が地域とつながる場所になっているのが素敵ですね。最近はただ安いだけとか、便利っていうものの方がどうしても優先されやすいんですけど……それだけじゃない、そこに行くといろんな人と繋がれる、地域の温度感を感じることができますからね」
宇賀「どんなにおしゃれで美味しいお店でも、歴史には勝てないわけじゃないですか。52、3年続いてきた重みってこういうことなんですよね」
小山「中川さんと伊藤さんのお店は、だいたい歩いて5分くらいなんです。神戸に行かれたときは、ぜひ」
宇賀「でも看板がないんですよね?」
小山「中川のおばあちゃんの方にはないんですけど、淡路屋さんの方には黄色い大きな看板が出ていまして。いちばんいいのは、淡路屋さんに聞くのがいいです」
宇賀「ラリーするといいんですね」
そして、淡路屋・伊藤さんから、こんな贈り物も届きました!
伊藤さんの手作り、牛乳パック製のパクパク人形! 薫堂さんソックリ……!
今回の放送を聞いて、淡路屋の伊藤さんや、中川さんにお手紙を書きたいと思われた方は、ぜひ番組に送ってください。責任を持ってご本人にお渡しします。
宛先は、【〒102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」 淡路屋宛て】にお願いします。
「淡路屋」
兵庫県神戸市兵庫区笠松通7-3-6(定休日 月曜日)
https://awajiya.ko-co.jp
旅するカメラシーズン2! 最初のバトンを渡すのは……
1台のインスタントカメラのバトンを回していく企画「旅するカメラ」。参加希望者を募ったところ、リスナーの皆さんからたくさんのお手紙をいただきました!今回、最初にカメラのバトンを託すのは……写真展で、写真家のハービー・山口さんに会ったこともあるという、岡山県にお住いの〈今西さん〉。もともとカメラが趣味で、あのライカもお持ちだとか。
小山「相当お上手そうですよね。まず、今西さんにカメラを送って、何枚か撮っていただいて、また次の方に回していただいて」
宇賀「今西さんからカメラ仲間につながっていったら、すごそうですよね!」
ご応募いただいた皆さん、ありがとうございました。「旅するカメラ」、続報をお待ちください。
SUNDAY’S POSTでは引き続き、皆さんからのお手紙をお待ちしています。番組の感想、日々のこと、お手紙の内容はどんなことでも構いません。【〒102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」】まで送ってください。お待ちしています!
レターソングプロジェクト with YOASOBI
SUNDAY’S POSTでは、音楽ユニットYOASOBIとのコラボ企画「レターソングプロジェクト with YOASOBI」を開催しています。あなたの手紙を原作にYOASOBIが楽曲を制作するプロジェクト。テーマは〈「ありがとう」を伝える手紙〉。家族、友人、恋人……面と向かって言うには少し気恥ずかしい「ありがとう」の気持ちを手紙で伝えてみませんか?
ご応募は【郵便番号102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」レターソングプロジェクト】までお願いします。締め切りは10月31日。氏名、住所、電話番号の明記を忘れずにお願いします。
詳しい情報は、こちらのページからご確認ください。
レターソングプロジェクト with YOASOBI
さらに、「山野楽器」CD/DVD取扱い店舗全26店で、「レターソングプロジェクト With YOASOBI」の専用応募はがきと投函箱を設置いただいています。その場で書いて専用ポストに投函いただくか、
またははがきを持ち帰って、切手を貼ってポストに投函してください。こちらもぜひチェックをお願いします。
今週の後クレ
今回のメッセージは、東京都<江東白河郵便局>村山美保子さんでした!「2年ほど前の話ですが、私と出身が一緒という理由で意気投合し、お世話になった男性のお客さまがいらっしゃいました。とても人見知りの方で、私の手が空くまでロビーで待たれて手続きされるような方でした。
ある日、そのお客さまから郵便局に電話があり、奥さまが亡くなられたことを告げられました。私は、何かできることがないか、と思いながら聞いていましたが、お客さまに『気持ちが落ち着くまで、よければ毎日郵便局に顔を出してください。お待ちしています。』とお伝えしました。それから毎日、そのお客さまが窓口にいらっしゃるようになり、顔を合わせて一言二言お話しして帰られるという状況がしばらく続いた後に、お客さまの娘さまから『父が郵便局へ出かけているうちに、少しずつ気持ちの落ち着きを取り戻しました。本当にありがとうございました。』とお礼のお言葉をいただきました。 私がこれまで働いている中で、お客さまの気持ちに寄り添うことができたことを実感した出来事でした。」
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。
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SUNDAY'S POST宛