大阿闍梨 塩沼亮潤さんを訪ねて
- 2020/10/04
薫堂さん 大阿闍梨に会いにいく
宇賀「今回は薫堂さんが久しぶりにロケに行ってきたようですね」小山「ある人に会いに行ってきました。“大阿闍梨(だいあじゃり)”って聞いたことありますか?」
宇賀「大阿闍梨? 阿闍梨餅は関係ないですか?」
小山「そう、その阿闍梨! 阿闍梨というのは、モデルとなるべき高僧、お坊さんのことを言うんです。厳しい修行を乗り越えた方だけに与えられる称号らしいのですが、その最高位が『大阿闍梨』。千日回峰行と呼ばれる修行があって、これは比叡山もしくは奈良の大峰山を千日間歩き続ける。毎年、冬は雪が深すぎて歩けなくなるので、年間120日間だけ歩けるのですが、それを9年間で千日やった後で、四無行(しむぎょう)という食べてはいけない、水を飲んではいけない、眠ってはいけない、横になってはいけないという9日間やった人に対して、大阿闍梨という称号が与えられるんです。どうですか、宇賀さんはお酒を9日間断つのも難しいんじゃないですか?」
宇賀「それは頑張ればできるかもしれませんよ(笑)。でもお水を断つのは無理でしょうね」
小山「この千日回峰行に成功した方が、奈良・吉野では1300年の間で2人しかいないんですよ。その一人がいま、現役でいらっしゃるんです。宮城県仙台市に自らのお寺を開かれた、塩沼亮潤さんという方なんですけど、その方に会いに行きました。普通、京都のお寺だったら、日本庭園っていう感じなんですけど、慈眼寺は野趣あふれる山の木を植えてあったりするんです。でも野暮ったくならずに、すごくセンスがいいんです」
宇賀「そうなんですね」
小山「でも、大阿闍梨は慈眼寺は自分の代で終わる、と断言しているんです」
慈眼寺は仙台駅から車でおよそ40分、秋保温泉の近くにあります。放送では薫堂さんがお寺を訪れ、大阿闍梨 塩沼亮潤さんとお話しされた模様をお届けしました。
塩沼「開祖が亡くなった後は、開祖の言うことを守るファンクラブみたいな感じになると思うんです。そこで分断が生まれる気がするので、それはあまり好きじゃないなと思って。一代限りで、自分が土に還ったらもういいんじゃないかという考えですね。もともと宗教というのはこうしなければならない、とか制約がありすぎるんです。でも信仰って違うじゃないですか。かたちでもない、ものでもない、お金でもない。自分が手を合わしたい時に足を運ぶ……これが信仰心だと思うので。宗教をいろんなかたち付けてガチガチにするよりは、心でするものだと。特に宗教に入らないといけないということはない、というのが私の考え方ですね。千日回峰行というお山の中でずっと歩いて得た自分の感性なのかなと思います」
宇賀「結構びっくりしました。お寺は何百年も続いているところもあって、変わらないこととか繋いでいくことを大事にされていると思っていたので」
小山「まず、檀家さんがいらっしゃらないんですよ」
宇賀「経営はどうされているんですか?」
小山「護摩焚きや護摩行ですね。お寺の横にすごく広い駐車場があったんですけど、そこが週末は全部埋まるんですって。ご自身のお葬式もしないと決められていて、自分がお世話になった人に食事会を開いて、自分の骨は海に散骨して欲しいとおっしゃっていましたね。ずっと同じところにいるよりも海に巻いてもらって地球のいろんなところを旅する方が幸せだから、と。すべては千日回峰行という難しい修行を乗り越えられて、今のようなお寺があるわけですけども……いかに過酷なものなのか、伺いました」
塩沼「毎年、5月の3日から9月3日くらいまで4ヶ月歩くんですけど、初めの1ヶ月で爪が砕けてくるんです。カルシウム不足で。3ヶ月目になると梅雨明けで、40度近くまで気温が上がるので、一気に体力が落ちて、必ず血尿は出ますね」
小山「夜の11時半に起きるんですよね」
塩沼「まず目が覚めると、滝行で身を清めて、階段で500段登るんです。そこでやっと着替えができる場所に移動するんです。1時間半後の12時半に提灯を持って、杖を持って、編笠をかぶって、そこから無言です。どんなことがあっても言葉を発してはいけないというルールなんです。真夜中に鈴をチリンチリンと鳴らしながら道に入っていく。2キロを超えると街灯がなくなって、4キロを超えると山道になって」
小山「真っ暗なんですよね」
塩沼「提灯がなかったら目をつぶっているのと同じです」
小山「途中で『もう来年はやめよう』とか、『仏門を離れよう』と思うことはなかったんですか?」
塩沼「1回もなかったですね。この修行の厳しいところは、リタイアする場合は、切腹して行を終える。なぜかというと、たった1回でも大変なんですけどそれを千回やるのはまず不可能だから、やたらみんなこの修行に入っちゃいけないよという戒めなんです」
小山「千日回峰行をやられたあと、最後に四無行をやられるんですよね」
塩沼「はい、9日間、飲まず、食わず、寝ず、横にならずという修行が10年目にあります」
小山「そんなこと人間ができるんですか?」
塩沼「いや、絶対に無理です(笑)。絶対にみなさんは真似しちゃいけないですよ」
小山「凡人だったら、終わったらあれしようこれしようと考えると思うんですけど、もう考えないですか?」
塩沼「何も考えないですね。感謝の真綿に包まれているような感じだったんです」
宇賀「もっと荘厳な感じの方かと思ったら、意外と気さくな方ですよね」
小山「学校の先生にいたらいいな、という感じですよね。では、四無行の中で何が一番苦しかった、とおっしゃっていたと思いますか?」
宇賀「眠れない、ですか?」
小山「僕もそう思ったんですけど、水を飲めないことなんですって。始まって15分で喉が渇いたらしいんですよ。5日目に、1回だけうがいが許されるらしいんです。そのうがいもお茶碗に水があって、横に空のお茶碗があって、うがいをして吐き出して、量が同じかどうかを確かめるんですって」
宇賀「じゃあもう絶対に飲んじゃいけないんですね。真似しちゃいけないっておっしゃっていましたけど……できないですよね」
小山「そして、今回のロケで一番お聞きしてみたかったことがありました。何かと言いますと、僕のふるさと熊本もそうですし、今年は多くの方々が災害にあわれて、大切な方や大切なものを失ってしまった。しかも、何も悪いことをしていないのに。こうした人生の不条理さに、苦行を乗り越えてきた大阿闍梨がどう考えるのか、聞いてみました」
塩沼「どうしても人生はいろいろなことがあるから、大切な家族を失ったり、悲しみに深く入るのはものすごく大変なことだと思います。でも、大事なことは、過去を取り戻すことはできない。未来の方向にしか人生は動いていない。その苦しみや悲しみはなかなか傷が癒えないと思いますけど、残された我々が前を向いて、その人の分まで頑張っていかないといけない。そういう思いで寄り添っています。この世に生きているっていうだけで奇跡だと思うんですね。自分の身を最大限守る努力はしておかないといけないんですけど、災害が起きてしまったら前向きに、明るい気持ちで生きていくしかないなと思うんです。暗い気持ちになると、暗い方向に引っ張られてしまうので。常に明るい方向を見て、力強く生きていってほしいですよね」
小山「未来に向かって明るく生きるコツといいますか、何を自分の中で目指せば明るくなれるんですかね?」
塩沼「明るく生きていこう、という意思を持つことですよね。人間は揺れ動く感情と知識でいろいろ考えることができるけども、それに左右されることがない強い意思を持つことだと思います。夢を持って夢を諦めない強い意思で、明るく進んでいこうというのは、絶対に譲らないところですね」
小山「人によって哀しみの深さは違うので、答えはひとつではないと思うのですが、ただ哀しみは自分の中にしか起こりませんからね。自分が哀しいと思えば哀しみですし、同じ哀しみに向き合った時にそれをまた違うように捉えることができたら少しは和らぐのかなと思います」
宇賀「そうですね、自分ではどうにもならないことをどう受け止めるかで自分自身も変わっていくし、自分の未来も変わっていくということですね」
小山「今回、20時間くらいお寺にいたんですよ。その中で少しずつお話をうかがって。お寺に来た人が自由に言葉を書いていくノートみたいなものがありまして。何か書かなきゃ、と思った時に、ふと浮かんだ言葉があって。『生きるを苦しむ、苦しみを楽しむ、楽しむを哀しむ、哀しむを笑う。そして、笑いながら生きる。』というものがひらめいたんです。自分で書いたあとにこう考えると楽だな、いいなと思ったんです」
宇賀「いま苦しいと思っている方が前向きに思っていただけたらいいですよね」
小山「ぜひ、大阿闍梨にお手紙を書いてみてはいかがですか?」
宇賀「はい、番組宛てにお送りいただけたらご本人に必ずお渡しします」
大阿闍梨 塩沼亮潤さんへのお手紙は、【〒102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」大阿闍梨 宛て】にお願いします。
小山「そう、その阿闍梨! 阿闍梨というのは、モデルとなるべき高僧、お坊さんのことを言うんです。厳しい修行を乗り越えた方だけに与えられる称号らしいのですが、その最高位が『大阿闍梨』。千日回峰行と呼ばれる修行があって、これは比叡山もしくは奈良の大峰山を千日間歩き続ける。毎年、冬は雪が深すぎて歩けなくなるので、年間120日間だけ歩けるのですが、それを9年間で千日やった後で、四無行(しむぎょう)という食べてはいけない、水を飲んではいけない、眠ってはいけない、横になってはいけないという9日間やった人に対して、大阿闍梨という称号が与えられるんです。どうですか、宇賀さんはお酒を9日間断つのも難しいんじゃないですか?」
宇賀「それは頑張ればできるかもしれませんよ(笑)。でもお水を断つのは無理でしょうね」
小山「この千日回峰行に成功した方が、奈良・吉野では1300年の間で2人しかいないんですよ。その一人がいま、現役でいらっしゃるんです。宮城県仙台市に自らのお寺を開かれた、塩沼亮潤さんという方なんですけど、その方に会いに行きました。普通、京都のお寺だったら、日本庭園っていう感じなんですけど、慈眼寺は野趣あふれる山の木を植えてあったりするんです。でも野暮ったくならずに、すごくセンスがいいんです」
宇賀「そうなんですね」
小山「でも、大阿闍梨は慈眼寺は自分の代で終わる、と断言しているんです」
慈眼寺は仙台駅から車でおよそ40分、秋保温泉の近くにあります。放送では薫堂さんがお寺を訪れ、大阿闍梨 塩沼亮潤さんとお話しされた模様をお届けしました。
塩沼「開祖が亡くなった後は、開祖の言うことを守るファンクラブみたいな感じになると思うんです。そこで分断が生まれる気がするので、それはあまり好きじゃないなと思って。一代限りで、自分が土に還ったらもういいんじゃないかという考えですね。もともと宗教というのはこうしなければならない、とか制約がありすぎるんです。でも信仰って違うじゃないですか。かたちでもない、ものでもない、お金でもない。自分が手を合わしたい時に足を運ぶ……これが信仰心だと思うので。宗教をいろんなかたち付けてガチガチにするよりは、心でするものだと。特に宗教に入らないといけないということはない、というのが私の考え方ですね。千日回峰行というお山の中でずっと歩いて得た自分の感性なのかなと思います」
宇賀「結構びっくりしました。お寺は何百年も続いているところもあって、変わらないこととか繋いでいくことを大事にされていると思っていたので」
小山「まず、檀家さんがいらっしゃらないんですよ」
宇賀「経営はどうされているんですか?」
小山「護摩焚きや護摩行ですね。お寺の横にすごく広い駐車場があったんですけど、そこが週末は全部埋まるんですって。ご自身のお葬式もしないと決められていて、自分がお世話になった人に食事会を開いて、自分の骨は海に散骨して欲しいとおっしゃっていましたね。ずっと同じところにいるよりも海に巻いてもらって地球のいろんなところを旅する方が幸せだから、と。すべては千日回峰行という難しい修行を乗り越えられて、今のようなお寺があるわけですけども……いかに過酷なものなのか、伺いました」
塩沼「毎年、5月の3日から9月3日くらいまで4ヶ月歩くんですけど、初めの1ヶ月で爪が砕けてくるんです。カルシウム不足で。3ヶ月目になると梅雨明けで、40度近くまで気温が上がるので、一気に体力が落ちて、必ず血尿は出ますね」
小山「夜の11時半に起きるんですよね」
塩沼「まず目が覚めると、滝行で身を清めて、階段で500段登るんです。そこでやっと着替えができる場所に移動するんです。1時間半後の12時半に提灯を持って、杖を持って、編笠をかぶって、そこから無言です。どんなことがあっても言葉を発してはいけないというルールなんです。真夜中に鈴をチリンチリンと鳴らしながら道に入っていく。2キロを超えると街灯がなくなって、4キロを超えると山道になって」
小山「真っ暗なんですよね」
塩沼「提灯がなかったら目をつぶっているのと同じです」
小山「途中で『もう来年はやめよう』とか、『仏門を離れよう』と思うことはなかったんですか?」
塩沼「1回もなかったですね。この修行の厳しいところは、リタイアする場合は、切腹して行を終える。なぜかというと、たった1回でも大変なんですけどそれを千回やるのはまず不可能だから、やたらみんなこの修行に入っちゃいけないよという戒めなんです」
小山「千日回峰行をやられたあと、最後に四無行をやられるんですよね」
塩沼「はい、9日間、飲まず、食わず、寝ず、横にならずという修行が10年目にあります」
小山「そんなこと人間ができるんですか?」
塩沼「いや、絶対に無理です(笑)。絶対にみなさんは真似しちゃいけないですよ」
小山「凡人だったら、終わったらあれしようこれしようと考えると思うんですけど、もう考えないですか?」
塩沼「何も考えないですね。感謝の真綿に包まれているような感じだったんです」
宇賀「もっと荘厳な感じの方かと思ったら、意外と気さくな方ですよね」
小山「学校の先生にいたらいいな、という感じですよね。では、四無行の中で何が一番苦しかった、とおっしゃっていたと思いますか?」
宇賀「眠れない、ですか?」
小山「僕もそう思ったんですけど、水を飲めないことなんですって。始まって15分で喉が渇いたらしいんですよ。5日目に、1回だけうがいが許されるらしいんです。そのうがいもお茶碗に水があって、横に空のお茶碗があって、うがいをして吐き出して、量が同じかどうかを確かめるんですって」
宇賀「じゃあもう絶対に飲んじゃいけないんですね。真似しちゃいけないっておっしゃっていましたけど……できないですよね」
小山「そして、今回のロケで一番お聞きしてみたかったことがありました。何かと言いますと、僕のふるさと熊本もそうですし、今年は多くの方々が災害にあわれて、大切な方や大切なものを失ってしまった。しかも、何も悪いことをしていないのに。こうした人生の不条理さに、苦行を乗り越えてきた大阿闍梨がどう考えるのか、聞いてみました」
塩沼「どうしても人生はいろいろなことがあるから、大切な家族を失ったり、悲しみに深く入るのはものすごく大変なことだと思います。でも、大事なことは、過去を取り戻すことはできない。未来の方向にしか人生は動いていない。その苦しみや悲しみはなかなか傷が癒えないと思いますけど、残された我々が前を向いて、その人の分まで頑張っていかないといけない。そういう思いで寄り添っています。この世に生きているっていうだけで奇跡だと思うんですね。自分の身を最大限守る努力はしておかないといけないんですけど、災害が起きてしまったら前向きに、明るい気持ちで生きていくしかないなと思うんです。暗い気持ちになると、暗い方向に引っ張られてしまうので。常に明るい方向を見て、力強く生きていってほしいですよね」
小山「未来に向かって明るく生きるコツといいますか、何を自分の中で目指せば明るくなれるんですかね?」
塩沼「明るく生きていこう、という意思を持つことですよね。人間は揺れ動く感情と知識でいろいろ考えることができるけども、それに左右されることがない強い意思を持つことだと思います。夢を持って夢を諦めない強い意思で、明るく進んでいこうというのは、絶対に譲らないところですね」
小山「人によって哀しみの深さは違うので、答えはひとつではないと思うのですが、ただ哀しみは自分の中にしか起こりませんからね。自分が哀しいと思えば哀しみですし、同じ哀しみに向き合った時にそれをまた違うように捉えることができたら少しは和らぐのかなと思います」
宇賀「そうですね、自分ではどうにもならないことをどう受け止めるかで自分自身も変わっていくし、自分の未来も変わっていくということですね」
小山「今回、20時間くらいお寺にいたんですよ。その中で少しずつお話をうかがって。お寺に来た人が自由に言葉を書いていくノートみたいなものがありまして。何か書かなきゃ、と思った時に、ふと浮かんだ言葉があって。『生きるを苦しむ、苦しみを楽しむ、楽しむを哀しむ、哀しむを笑う。そして、笑いながら生きる。』というものがひらめいたんです。自分で書いたあとにこう考えると楽だな、いいなと思ったんです」
宇賀「いま苦しいと思っている方が前向きに思っていただけたらいいですよね」
小山「ぜひ、大阿闍梨にお手紙を書いてみてはいかがですか?」
宇賀「はい、番組宛てにお送りいただけたらご本人に必ずお渡しします」
大阿闍梨 塩沼亮潤さんへのお手紙は、【〒102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」大阿闍梨 宛て】にお願いします。
レターソングプロジェクト with YOASOBI
SUNDAY’S POSTでは、音楽ユニットYOASOBIとのコラボ企画「レターソングプロジェクト with YOASOBI」を開催しています。あなたの手紙を原作にYOASOBIが楽曲を制作するプロジェクト。テーマは〈「ありがとう」を伝える手紙〉。家族、友人、恋人……面と向かって言うには少し気恥ずかしい「ありがとう」の気持ちを手紙で伝えてみませんか?
ご応募は【郵便番号102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」レターソングプロジェクト】までお願いします。締め切りは10月31日。氏名、住所、電話番号の明記を忘れずにお願いします。
詳しい情報は、こちらのページからご確認ください。
レターソングプロジェクト with YOASOBI
今週の後クレ
今回のメッセージは、神奈川県<逗子郵便局>西澤真理子さんでした!「昨年、手紙の書き方体験授業を通して、小学生に手紙の書き方を教える機会がありました。体験授業では、子どもたちに自分のおじいちゃんやおばあちゃんへの手紙を実際に書いてもらったのですが、「手紙が届いたら喜んでくれるかな」「返事書いてくれるかな」など、全員ワクワクしながら一生懸命に手紙を書いていて、とても微笑ましかったです。 子どもたちに基本的な手紙の書き方はもちろん、手紙を書く楽しみを知ってもらうことができ、体験授業をきっかけに、またお手紙を書いてくれたら良いなと思いました。」
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