北総の小江戸 佐原の音
- 2020/07/26
千葉県香取市 佐原の音
宇賀「今日は久しぶりに、日本の音をお届けしたいなと思います。今回は千葉県の北東部、香取市にある佐原です。行ったことありますか?」小山「サワラ、食べたことはありますけど、行ったことはないですね」
宇賀「(笑)水郷の町でもあるということで、今も江戸時代の街並みが残っているんです。今でも船に乗って廻ることができたりとか。外国人観光客にも、成田にも割と近いので人気らしいですね。緊急事態宣言が出る前、今年の3月に取材に行っていました」
「北総の小江戸」や、「水郷の町」と呼ばれる千葉県の「佐原(さわら)」。なぜ、今もこの町並みが今も残っているのでしょうか。
佐原町並み交流館の前館長、高谷正弘さん曰く……
「佐原はもともと農業の村でして。そこに江戸時代、徳川家康の先見の明により、利根川を使って江戸に物資へ送っていて、佐原で、大きな船から小さな船へ荷物を詰め替えていて江戸に行くわけです。その物資の集散地として栄えていた町でございます」
当時、佐原では幕府直轄の天領地とし、名主(なぬし)を中心とした自治が行われていました。その名主として今も佐原の人々に愛されているのが伊能忠敬です。
「伊能忠敬さんが先見の明で、村人や商人を指導しながら、自治をしていました。特に大事だったのは、若い人を中心にして地域を作っていたこと。今も残っている『佐原の大祭』は、運営も若者が中心になってきています」
7月と10月に行われる「佐原の大祭」は、「関東三大祭り」の一つに数えられ、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されていて、街並みは関東地方では初めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。
「お祭り、若い人たち、町並み。そして何より伊能忠敬先生のご活躍とその関連が大事になってまいります。それぞれ、この町の3つの宝ということで今に繋いでおります」と、高谷さんは教えてくださいました。
そんな江戸情緒あふれる町並みは、舟の上から楽しむこともできます。船頭として長いキャリアをもつ、77歳の多田さんの船におじゃましました。
「佐原は上を歩いてみるのもいいけど、お船からはまた目線が違うから一層いいですよ。この川は、佐原の中心を流れている小野川。船着場は『だし』と呼ばれている。当時はどこの家にもあった。荷物の出し入れの“だし”ね」
「私たちはこの香取市の農家なんですよ。40年頃までは船でさおを使っていました。それから、区画整理をして、今は田んぼさに行くのにも車です。女の手もそんなにいらなくなって、それで会社に勤めて、それが終わって60を過ぎてからこの船の免許を取ってね」
船着き場の近くには「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている「ジャージャー橋」があります。人が通れる橋の両脇から30分に一度、大量の水が川へと溢れ落ちます。この音になぞらえ、ジャージャー橋と呼ばれるようになったそうです。
次に訪れたのは、佐原の地で220年続いていて、店舗も有形文化財に指定されている佃煮屋「正上」。10代目の加瀬幸一郎さんにお話を伺いました。
「もともとは油屋でした。江戸と舟運するに当たって、お醤油の醸造を始めて。そのお醤油を使いながら、佃煮とか惣菜を作っているお店になります」
歴史あるお店の10代目である加瀬さん。受け継ぐ上で、大事にしていることは何でしょうか?
「次に繋げることです。私どもには十五の家訓があるんですね。その15の家訓は、全て口伝で次の当主に伝えることになっているんです。私も10代目を受ける時に、9代目から仏壇の前に2時間くらいですかね、座らされられて、伝えられたんですけど。最後、15番目に『この家に伝わりしもの、己のものは箸一本に至るまでお前のものはないと思え』。次の世代に伝えることを大切に思えよという家訓でした」
「伝えていく」想いは、佐原の街全体にも受け継がれていると加瀬さんは教えてくれました。そして、その中心にあるのがやはり「祭り」なのだそうです。
「夏に10台、秋に14台の山車が出るんですね。半端じゃないくらい大きな山車で、お金もかかるんですけど。この6万人くらいしかいない香取市で、年2回もそんな大きな祭りをやっているところ、ないと思うんですよ日本全国でも。伝統と文化を伝えていく意味以上に……代々、先輩から後輩に教えられて、またその後輩が先輩になった時に教えていく。良い人と人との繋がりができていると思うんですよ。人と人との繋がりが何でそんなに濃いのかというと、やっぱりお祭りがあって、伝統文化を大切にしないといけない、楽しんでいたいという気質がある。それがこの町のすごくいいところだなと思います」
佐原の音を聞いた薫堂さんと宇賀さんは……。
宇賀「伊能忠敬のお話は知らなかったですね!」
小山「ここで影響を受けて、全国を旅して日本地図の元を作るんですよね。北総の小江戸と呼ばれていると言いましたけど、今のお話を聞くと東京以上に江戸らしさが残っている部分がたくさんありそうな感じがしますね」
宇賀「あと、船着き場のジャージャー橋の音も良かったですね。今年はやっぱり、7月10日から12日にかけて開催される予定だった佐原の大祭は中止になってしまったということで……。最後、お祭りの音があったじゃないですか。あれがもう懐かしく感じますね」
小山「お祭りというお祭りがことごとく中止になっていますからね」
宇賀「暑くなってくると血が騒ぐと言いますか、お祭り行きたい! となりますからね」
小山「さみしいですね、今年は」
宇賀「やっぱりみなさん、それぞれ地元のお祭りには想いがあって。ずっと守って引き継いているものなので、来年は開催できるといいですよね」
小山「佃煮屋さんの代々引き継いできた15の家訓。あの15番目がすごいですね。『この家に伝わりしもの、己のものは箸一本に至るまでお前のものはないと思え』」
宇賀「いまなかなかないですよね、この考え方は」
小山「こういうことがいまも連綿と伝わっているということがすごいですね」
小山「そういえば、この佃煮屋さんの『正上』さんには、宇賀さんのサインがあったとディレクターが行っていましたよ」
宇賀「お恥ずかしい! 実は局アナ時代にロケに伺ったことがありまして」
小山「写真が若い! いつのですか?」
宇賀「写真は後から貼ってくださったんじゃないですか、多分これ、お天気お姉さんをやっている時の写真だと思うので(笑)」
実は宇賀さんも訪れたことがあったという、千葉県香取市佐原の音をお届けしました。
佐原町並み交流館の前館長、高谷正弘さん曰く……
「佐原はもともと農業の村でして。そこに江戸時代、徳川家康の先見の明により、利根川を使って江戸に物資へ送っていて、佐原で、大きな船から小さな船へ荷物を詰め替えていて江戸に行くわけです。その物資の集散地として栄えていた町でございます」
当時、佐原では幕府直轄の天領地とし、名主(なぬし)を中心とした自治が行われていました。その名主として今も佐原の人々に愛されているのが伊能忠敬です。
「伊能忠敬さんが先見の明で、村人や商人を指導しながら、自治をしていました。特に大事だったのは、若い人を中心にして地域を作っていたこと。今も残っている『佐原の大祭』は、運営も若者が中心になってきています」
7月と10月に行われる「佐原の大祭」は、「関東三大祭り」の一つに数えられ、ユネスコの世界無形文化遺産にも登録されていて、街並みは関東地方では初めて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。
「お祭り、若い人たち、町並み。そして何より伊能忠敬先生のご活躍とその関連が大事になってまいります。それぞれ、この町の3つの宝ということで今に繋いでおります」と、高谷さんは教えてくださいました。
そんな江戸情緒あふれる町並みは、舟の上から楽しむこともできます。船頭として長いキャリアをもつ、77歳の多田さんの船におじゃましました。
「佐原は上を歩いてみるのもいいけど、お船からはまた目線が違うから一層いいですよ。この川は、佐原の中心を流れている小野川。船着場は『だし』と呼ばれている。当時はどこの家にもあった。荷物の出し入れの“だし”ね」
「私たちはこの香取市の農家なんですよ。40年頃までは船でさおを使っていました。それから、区画整理をして、今は田んぼさに行くのにも車です。女の手もそんなにいらなくなって、それで会社に勤めて、それが終わって60を過ぎてからこの船の免許を取ってね」
船着き場の近くには「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている「ジャージャー橋」があります。人が通れる橋の両脇から30分に一度、大量の水が川へと溢れ落ちます。この音になぞらえ、ジャージャー橋と呼ばれるようになったそうです。
次に訪れたのは、佐原の地で220年続いていて、店舗も有形文化財に指定されている佃煮屋「正上」。10代目の加瀬幸一郎さんにお話を伺いました。
「もともとは油屋でした。江戸と舟運するに当たって、お醤油の醸造を始めて。そのお醤油を使いながら、佃煮とか惣菜を作っているお店になります」
歴史あるお店の10代目である加瀬さん。受け継ぐ上で、大事にしていることは何でしょうか?
「次に繋げることです。私どもには十五の家訓があるんですね。その15の家訓は、全て口伝で次の当主に伝えることになっているんです。私も10代目を受ける時に、9代目から仏壇の前に2時間くらいですかね、座らされられて、伝えられたんですけど。最後、15番目に『この家に伝わりしもの、己のものは箸一本に至るまでお前のものはないと思え』。次の世代に伝えることを大切に思えよという家訓でした」
船めぐりの川沿いにある旧小江戸の町並みに佇む丸ポスト。
「伝えていく」想いは、佐原の街全体にも受け継がれていると加瀬さんは教えてくれました。そして、その中心にあるのがやはり「祭り」なのだそうです。
「夏に10台、秋に14台の山車が出るんですね。半端じゃないくらい大きな山車で、お金もかかるんですけど。この6万人くらいしかいない香取市で、年2回もそんな大きな祭りをやっているところ、ないと思うんですよ日本全国でも。伝統と文化を伝えていく意味以上に……代々、先輩から後輩に教えられて、またその後輩が先輩になった時に教えていく。良い人と人との繋がりができていると思うんですよ。人と人との繋がりが何でそんなに濃いのかというと、やっぱりお祭りがあって、伝統文化を大切にしないといけない、楽しんでいたいという気質がある。それがこの町のすごくいいところだなと思います」
佐原の音を聞いた薫堂さんと宇賀さんは……。
宇賀「伊能忠敬のお話は知らなかったですね!」
小山「ここで影響を受けて、全国を旅して日本地図の元を作るんですよね。北総の小江戸と呼ばれていると言いましたけど、今のお話を聞くと東京以上に江戸らしさが残っている部分がたくさんありそうな感じがしますね」
宇賀「あと、船着き場のジャージャー橋の音も良かったですね。今年はやっぱり、7月10日から12日にかけて開催される予定だった佐原の大祭は中止になってしまったということで……。最後、お祭りの音があったじゃないですか。あれがもう懐かしく感じますね」
小山「お祭りというお祭りがことごとく中止になっていますからね」
宇賀「暑くなってくると血が騒ぐと言いますか、お祭り行きたい! となりますからね」
小山「さみしいですね、今年は」
宇賀「やっぱりみなさん、それぞれ地元のお祭りには想いがあって。ずっと守って引き継いているものなので、来年は開催できるといいですよね」
小山「佃煮屋さんの代々引き継いできた15の家訓。あの15番目がすごいですね。『この家に伝わりしもの、己のものは箸一本に至るまでお前のものはないと思え』」
宇賀「いまなかなかないですよね、この考え方は」
小山「こういうことがいまも連綿と伝わっているということがすごいですね」
小山「そういえば、この佃煮屋さんの『正上』さんには、宇賀さんのサインがあったとディレクターが行っていましたよ」
宇賀「お恥ずかしい! 実は局アナ時代にロケに伺ったことがありまして」
小山「写真が若い! いつのですか?」
宇賀「写真は後から貼ってくださったんじゃないですか、多分これ、お天気お姉さんをやっている時の写真だと思うので(笑)」
実は宇賀さんも訪れたことがあったという、千葉県香取市佐原の音をお届けしました。
次の番組ノベルティはワイン?
先日、番組のオリジナルノベルティグッズ「はがきコースター」の企画会議をしたばかりですが、薫堂さんには早くも、ある新しいアイデアが浮かんだようで……。小山「1つ、ノベルティでピンときたものがありまして。それが今年の僕の誕生日にいただいた、1通のお手紙なんです……読みますね。みゆきさんからいただきました。
〈今年の誕生日プレゼントは、ポルトガルの郵便局という名のワインです。切手を象ったラベルが魅力的です。すでにご存知かもしれませんが、ポルトガルでは赤いポストは普通郵便と国際郵便、青いポストが速達だそうで、並んで設置されている場所もあるそうです。そのイメージの2本のワインです。並べて飾っておくと、手紙を書きたくなるかもです。〉」
小山「ラベルが切手風なんですよね。これでピンときたんです。うちもノベルティでワイン作るのはどうですかね? 日本ワインはいまクオリティが高くなっていますし」
宇賀「いいですね! 私たちワイン好きですし」
小山「長野県のワイン協会とか、山梨とか。もし、これを聞いてくださっていて『うちのワインどうですか?』というところがあれば、手を挙げていただければ」
今週の後クレ
今回のメッセージは、山形県<上山郵便局>林澄江さんでした!「数年前、仕事ですごく落ち込んでいたときに、娘から手紙をもらいました。普段、私子どもに『笑顔が大事だよ』って、よく言い聞かせていたんですが、まさに子どもがその手紙に『お仕事頑張って』の言葉の他に、『お母さんの笑顔が一番好きだよ』って書いてくれたんです。涙が出そうなくらい嬉しくて、明日からまた、『よし!仕事一生懸命頑張ろう』と思いました。子どもが、事あるごとに手紙をくれるので、小さい頃から、もらった手紙を私はずっと大切にとっておいています。」
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