石川さゆりさんをお迎えして/小さな親切運動の物語
- 2020/03/22
ゲストは石川さゆりさん
今回は日本の心を歌い続けていらっしゃる歌手の石川さゆりさんをお迎えしました。
宇賀「本当にお綺麗で……」
小山「全然変わらない印象ですが、そもそもデビューされたのはおいくつの頃なんですか?」
石川「14歳です」
宇賀「そんなにデビューが早かったんですね」
小山「『津軽海峡・冬景色』の時はおいくつだったんですか?」
石川「18歳でアルバムにして、シングル盤になったのは19歳ですね」
宇賀「18歳で!」
小山「あの曲をもらった時は、どんな気持ちだったんですか? すぐに理解を?」
石川「理解というよりも、ほとんどしがみついて歌っていました。夢中で。デビューから4年くらい経っていましたので、子どもながらに『これは聞いてもらいたい』と。それからあまり人には言えないんですけど、学校の先生に『これで絶対に紅白に出ます。ヒット曲になるように頑張るから、卒業の許可をください』と言ったのを覚えています」
小山「シングルカットされたというのは、それだけ周りの方がいい曲だなと、思っていたということなんですか」
石川「大阪の新歌舞伎座というところで公演をやったんです。1976年で、ミリオンとか大きなヒット曲がなかったので、何を歌おうかなあという時に、『津軽海峡・冬景色は良いよね』という話になって歌ったら、お客様から『絶対にシングルにしてください』というお声をレコード会社とかプロダクションの方でいただいて。そのお声が……という感じです」
小山「それで本当に紅白に! 初出場ですか?」
石川「初出場です」
宇賀「今では紅白歌合戦、女性の出場回数最多の42回ですよ。すごい!」
小山「『津軽海峡・冬景色』を歌いこなせたな、と思ったのはおいくつの頃だったんですか?」
石川「歌いこなせたなというのはないですね。逆にね、あの歌はすごくみなさんに応援していただいて。あの頃、『家族そろって歌合戦』という番組に出たんです。市川昭介先生が審査員に入っていらしてゲストで歌った時に、『さゆりちゃん、さゆりちゃんは歌が上手だよ。でも、私歌上手いでしょ? と思って歌ってない?』と言われて、目から鱗で。気持ちよく歌っていたのが、ガタガタガタと何かが音を立てるような感じがして。それから『津軽海峡・冬景色』をもう一度、自分の中で組み立て直したら見えてくる景色が変わるんですよね。詩もメロディーも絶対に変わらない普遍的なものなんだけど、何が変わるってそれは歌っていく私が年を重ねていく。そうすると、『ああ完成しないんだこの歌は』と。飽きないんです、私」
宇賀「いまも進化しているということなんですね」
石川「進化なのか何かわからないけど、その時の私の声とか、見ているものが歌になっているんだろうな、と」
そんな石川さゆりさんは2月に小唄・端唄・俗曲がモチーフのアルバム「粋〜Iki〜」をリリースされました。
石川「これはさかのぼること30年ほど前、昭和の終わりの頃、『童〜Warashi〜』という童謡のアルバムを作りまして。日本には、ちゃんと日本のことをまとめたアルバムがないなとふと思ったんですね。次に去年、平成の最後に、みんなの暮らしのことを歌いましょうと、『民〜Tami〜』が生まれて。そして令和の始まりに『粋〜Iki〜』という、もう一つディープなお座敷の小唄、端唄、都々逸の世界をまとめて。江戸の粋を作ってみました」
小山「驚くのが、プロデュースを亀田誠治さんなんですね。これはどういう出会いだったんですか?」
石川「亀田さんはね、全然違う方のライブを聴きに行った時にお会いして。お会いしたかったです、また私のコンサートもよろしかったら来てくださいと言ったら、すぐに来てくださって。そんなこんなでいろんなお話をしているうちに、『民〜Tami〜』もそうなんですけど作品作りにご一緒していただいて。それで今回も一緒にやっていただきました」
小山「アルバムのオープニングである『火事と喧嘩は江戸の華』では作詞作曲もされていて」
石川「ベースは私が書いて、それをもっともっとラップでやりましょうと亀田さんとお話をして。そうしたらKREVAさんをご紹介していただいて、KREVAさんも江戸資料館とかに行ったりして、ラップでどうしたらいいのか、というのを一緒に考えてくださって。だからみんなで言葉を紡いだ感じですね。そこにMIYAVIさんのギターが入って、面白い音楽づくりでした」
『火事と喧嘩は江戸の華〜ストトン節』を聴いた薫堂さんは……
小山「歌っていらっしゃる声も、20代の人が歌っているような……声の出し方は変えているんですか?」
石川「そうですね、楽曲によってどんな明るさがいいかな、とか。それがボーカルの楽しさですね」
宇賀「アルバムを作るときに、改めて日本の音楽について気がついたことはありましたか?」
石川「体裁じゃなく、本当に自分たちの思ったことを歌っていいんだと、それくらいこの時代の歌というのはストレートだし、面白い詩もメロディもいっぱいありましたね。あとはお座敷ですから、都々逸なんかは芸者さんとお客がやり取りをして遊ぶんですね。新作で、なかにし礼さんの都々逸を入れているんですけど……(一節歌って)その時の即興でいいんですって」
小山「石川さんはお手紙はお書きになるんですか?」
石川「お手紙は結構好きですね。手書きが好きです」
宇賀「今までいただいた中で、印象に残っているお手紙はありますか?」
石川「とっても大切なお手紙は色々ありますね。でも、(美空)ひばりさんが福岡の病院に入院なさって、お亡くなりになる少し前かな。その時、やはり病院からお手紙をいただいたことがあって。本当に健康というのはいちばんかけがえのないものだから、ちゃんと体を大切に歌っていくんですよ、と。そんなお手紙をいただいたのがすごく忘れられなくて、宝物ですね」
石川さゆりさんは3月25日に、126枚目のシングル「しあわせに・なりたいね」をリリース。5月からは、歌芝居2020年 石川さゆり『あい〜永遠に在り〜』も始まる予定です。
石川さゆりさん、ありがとうございました!
小山「全然変わらない印象ですが、そもそもデビューされたのはおいくつの頃なんですか?」
石川「14歳です」
宇賀「そんなにデビューが早かったんですね」
小山「『津軽海峡・冬景色』の時はおいくつだったんですか?」
石川「18歳でアルバムにして、シングル盤になったのは19歳ですね」
宇賀「18歳で!」
小山「あの曲をもらった時は、どんな気持ちだったんですか? すぐに理解を?」
石川「理解というよりも、ほとんどしがみついて歌っていました。夢中で。デビューから4年くらい経っていましたので、子どもながらに『これは聞いてもらいたい』と。それからあまり人には言えないんですけど、学校の先生に『これで絶対に紅白に出ます。ヒット曲になるように頑張るから、卒業の許可をください』と言ったのを覚えています」
小山「シングルカットされたというのは、それだけ周りの方がいい曲だなと、思っていたということなんですか」
石川「大阪の新歌舞伎座というところで公演をやったんです。1976年で、ミリオンとか大きなヒット曲がなかったので、何を歌おうかなあという時に、『津軽海峡・冬景色は良いよね』という話になって歌ったら、お客様から『絶対にシングルにしてください』というお声をレコード会社とかプロダクションの方でいただいて。そのお声が……という感じです」
小山「それで本当に紅白に! 初出場ですか?」
石川「初出場です」
宇賀「今では紅白歌合戦、女性の出場回数最多の42回ですよ。すごい!」
小山「『津軽海峡・冬景色』を歌いこなせたな、と思ったのはおいくつの頃だったんですか?」
石川「歌いこなせたなというのはないですね。逆にね、あの歌はすごくみなさんに応援していただいて。あの頃、『家族そろって歌合戦』という番組に出たんです。市川昭介先生が審査員に入っていらしてゲストで歌った時に、『さゆりちゃん、さゆりちゃんは歌が上手だよ。でも、私歌上手いでしょ? と思って歌ってない?』と言われて、目から鱗で。気持ちよく歌っていたのが、ガタガタガタと何かが音を立てるような感じがして。それから『津軽海峡・冬景色』をもう一度、自分の中で組み立て直したら見えてくる景色が変わるんですよね。詩もメロディーも絶対に変わらない普遍的なものなんだけど、何が変わるってそれは歌っていく私が年を重ねていく。そうすると、『ああ完成しないんだこの歌は』と。飽きないんです、私」
宇賀「いまも進化しているということなんですね」
石川「進化なのか何かわからないけど、その時の私の声とか、見ているものが歌になっているんだろうな、と」
そんな石川さゆりさんは2月に小唄・端唄・俗曲がモチーフのアルバム「粋〜Iki〜」をリリースされました。
石川「これはさかのぼること30年ほど前、昭和の終わりの頃、『童〜Warashi〜』という童謡のアルバムを作りまして。日本には、ちゃんと日本のことをまとめたアルバムがないなとふと思ったんですね。次に去年、平成の最後に、みんなの暮らしのことを歌いましょうと、『民〜Tami〜』が生まれて。そして令和の始まりに『粋〜Iki〜』という、もう一つディープなお座敷の小唄、端唄、都々逸の世界をまとめて。江戸の粋を作ってみました」
小山「驚くのが、プロデュースを亀田誠治さんなんですね。これはどういう出会いだったんですか?」
石川「亀田さんはね、全然違う方のライブを聴きに行った時にお会いして。お会いしたかったです、また私のコンサートもよろしかったら来てくださいと言ったら、すぐに来てくださって。そんなこんなでいろんなお話をしているうちに、『民〜Tami〜』もそうなんですけど作品作りにご一緒していただいて。それで今回も一緒にやっていただきました」
小山「アルバムのオープニングである『火事と喧嘩は江戸の華』では作詞作曲もされていて」
石川「ベースは私が書いて、それをもっともっとラップでやりましょうと亀田さんとお話をして。そうしたらKREVAさんをご紹介していただいて、KREVAさんも江戸資料館とかに行ったりして、ラップでどうしたらいいのか、というのを一緒に考えてくださって。だからみんなで言葉を紡いだ感じですね。そこにMIYAVIさんのギターが入って、面白い音楽づくりでした」
『火事と喧嘩は江戸の華〜ストトン節』を聴いた薫堂さんは……
小山「歌っていらっしゃる声も、20代の人が歌っているような……声の出し方は変えているんですか?」
石川「そうですね、楽曲によってどんな明るさがいいかな、とか。それがボーカルの楽しさですね」
宇賀「アルバムを作るときに、改めて日本の音楽について気がついたことはありましたか?」
石川「体裁じゃなく、本当に自分たちの思ったことを歌っていいんだと、それくらいこの時代の歌というのはストレートだし、面白い詩もメロディもいっぱいありましたね。あとはお座敷ですから、都々逸なんかは芸者さんとお客がやり取りをして遊ぶんですね。新作で、なかにし礼さんの都々逸を入れているんですけど……(一節歌って)その時の即興でいいんですって」
小山「石川さんはお手紙はお書きになるんですか?」
石川「お手紙は結構好きですね。手書きが好きです」
宇賀「今までいただいた中で、印象に残っているお手紙はありますか?」
石川「とっても大切なお手紙は色々ありますね。でも、(美空)ひばりさんが福岡の病院に入院なさって、お亡くなりになる少し前かな。その時、やはり病院からお手紙をいただいたことがあって。本当に健康というのはいちばんかけがえのないものだから、ちゃんと体を大切に歌っていくんですよ、と。そんなお手紙をいただいたのがすごく忘れられなくて、宝物ですね」
石川さゆりさんは3月25日に、126枚目のシングル「しあわせに・なりたいね」をリリース。5月からは、歌芝居2020年 石川さゆり『あい〜永遠に在り〜』も始まる予定です。
石川さゆりさん、ありがとうございました!
アマビエ絵はがきをプレゼント
宇賀「(薫堂さんに絵を見せながら)薫堂さん、これ知っています?」薫堂「知っているも何も、すごく今話題ですよね。熊本で特に話題で」
宇賀「そうなんです、これはアマビエ。江戸時代の末期に、現在の熊本に現れたとされる妖怪なのですが、この妖怪が6年の豊穣を予言するも、もし疫病が流行ったら、私の絵を描いて皆に見せよと言い残したそうなんですね」
薫堂「妖怪というにはかわいいんですけどね」
宇賀「このアマビエちゃんが今大流行。ネット上でアマビエチャレンジなるものも流行っているそうです。いろんな方がアマビエの絵を描いて、ネット上にアップしたりしているんだそうです。ということで、こんな時期ですので、『ラジオを聞いて手紙を出そうよキャンペーン』と題しまして、京都大学附属図書館所蔵のアマビエが印刷された絵はがきを抽選で50名の方にプレゼントしたいと思います。大学の許可ももちろん得ています」
ぜひ、アマビエ絵はがきでお手紙を書いてください。ご希望の方は、【郵便番号102-8080 TOKYO FM 「SUNDAY’S POST」】まで「アマビエ希望」と書いて、お手紙をください。
手紙文化を盛り上げよう! ポスト会議#39
全国の郵便局と連携をはかりながら、手紙や音にまつわる企画を考えるコーナー「ポスト会議」。先週に引き続き、「小さな親切」運動本部 副代表の小林和明さんをお招きして、SUNDAY’S POSTと一緒に何かできないか会議をしていきます。
小山「そもそも小林さんはこの番組にお手紙をくださっていたのですが、それは長崎の学校を表彰したところから始まるんですよね」
小林「長崎の三和中学校で女子生徒たちと、大川先生という方が、毎日ゴミ拾いをやったり、介護施設に歌を歌いに行ったり……」
小さな親切運動で表彰された際、三和中学校が歌ったのが合唱曲「マイバラード」。この合唱に胸を打たれた小林さんは、三和中学の生徒、そして大川先生と手紙で交流を持つように。小林さんは、「マイバラード」の作者である松井孝夫さんに手紙で連絡をとり、やがて松井さんに長崎まで来てもらい、三和中学の生徒たちに、松井さんのピアノで合唱をしてほしい、と考えるまでに胸が膨らんだそうです。
小山「一つの小さな親切を実行した人が、小林さんと出会って心が響き合って、そこからまた新しい物語が生まれて……どんどん広がっていくんですね」
小林「そういうことで知り合った方からいろんなものをいただける。小さな親切が、人生の中ですごく財産になっている気がしますよね」
小山「自分以外の誰かを幸せにする、気持ちよくすることが親切なんですよね。この番組と小さな親切運動が何かするとしたら、何がいいですかね? 小さな親切運動で表彰される方を我々がインタビューをするとか」
宇賀「いいですね、行きたいですね。あとははがきのキャンペーンの窓口を一緒にやるとかですね」
小山「そうですね、番組を窓口にしてやっていきたいですね」
「小さな親切」運動本部 副代表の小林和明さん、ありがとうございました!
今週の後クレ
今回のメッセージは、東京都<小平花小金井五郵便局>繁原健一郎さんでした!お住まいは横浜の方なんですが、ご実家に近いということでご来局頂いたお客様がいらっしゃいまして。その後、お礼のお手紙を出させて頂いたんです。遠いところまでありがとうございますって。そうしたら「手紙を貰ったからここの郵便局にまた来たよ」って再びご来局頂いた事がありました、それがすごく嬉しかったです。
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。
〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
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