五木寛之さんを迎えて/嵐 大野さんと二宮さんから年賀状のアドバイス
- 2019/12/15
作家 五木寛之さん
宇賀「さっそくご紹介をさせていただきます。日本全国をめぐり、数々の傑作を生み出されてきた、作家の五木寛之さんです。よろしくお願いします」五木「はい、よろしく」
小山「スタジオに入っていらっしゃった時、若さに驚きました。87歳でいらっしゃるんですよね。声の張りもありますし、颯爽とした感じが……ジムとかに行かれているんですか?」
五木「いやいや、まったくそういうことは無しで」
小山「散歩とかは?」
五木「散歩もあまりやらないですね」
宇賀「健康の秘訣はあるんですか?」
五木「秘訣とはいわないけど“趣味は養生”といってね、何となく年のはじめにテーマを決めて、今年は歩行、今年は呼吸、今年は咀嚼、今年は嚥下と。1年間、自分なりに勉強したり実践したりして楽しんでやっていますよ」
小山「ちなみに2020年は決まっているんですか?」
五木「転ばない、ってことだね(笑)。そのためにはどういう立ち方、歩き方、どういう動き方が必要か。楽しみにやっています」
宇賀「以前、番組でも紹介した『はがきの名文コンクール』。一言の願いであれば、なんでも叶えてくれると言われる奈良・御所(ごせ)の“一言主神社”にちなんで“一言の願い”をはがきで募集するコンクールなのですが、五木さんは審査員をされているんですね」
五木「昔はコピーライターみたいな仕事もやっていたものですから。いまでも本の帯の文言をつくったりするのが趣味でね」
小山「それは、いろいろな方から頼まれたら引き受ける、ということですか?」
五木「いや、進んでこっちから。たとえば編集者は会議でどんなに一生懸命頑張っても、5時間か6時間でしょう。僕なんかは寝ても覚めても四六時中そればっかり考えているから。それに集中している時間が違うんですよ」
小山「ご自身の本の帯は、ご自身で書かれるということですか?」
五木「向こう(編集者)が提出したのが良いときにはそれを選びますけど、だいたいタイトルっていうのは自分で付けますからね」
小山「ご自身の考えよりも良かった帯があることもあるんですか?」
五木「ええ、そういうこともありますね。やっぱり偶然というものもありますし、天から降ってくるようなアイデアというものもありますからね」
小山「でも五木先生の担当編集の方は嫌でしょうね(笑)」
五木「『ああでもないこうでもない』、『それはダメだよ』って、みんなでガヤガヤやっているから、楽しいんじゃないですかね?」
小山「『はがきの名文コンクール』の話に戻りますけど、今年は2万7千通も応募があって、そこから審査をするのって大変ではないですか?」
五木「理的に選考していくというよりは、もう直感といいますか。ぱっと見た瞬間に『これは面白いな』っていうものがあるじゃないですか。はがきっていうところがいいですよね」
宇賀「このコンクールの文章は20字以上200字以内ということなので、ちょっと長めのものもあるんですけど、今回の大賞に選ばれたのが、大阪に住む11歳の男の子。いちばん若い子で、7歳の女の子」
小山「その子が、五木寛之賞なんですね?」
宇賀「読ませていただきますね。『わたしはぜんそくをもっています。ママもおなじです。だからママのしんどさがわかります。みんなとちがうびょうきです。ぜんそくになったひとしかこのしんどさがわかりません。だけどぜんそくになってうれしいです。なぜかいうとママのしんどさがわかるからです。ですがママは、こどものころからぜんそくをもっていることをしっています。だからママはずーっとしんどいおもいをしているからかわいそうなのでママのぜんそくがなおりますように。』」
小山「優しい言葉ですね」
五木「最近、相続という問題が大きな話題になっていますよね。僕はそれを土地とか不動産とかそういうものだけを相続するのじゃなくて、家とか家族とか親とかからは見えないいろいろなものを相続しますよね。だから母がぜんそくを持っていて、娘さんがぜんそくを持っているというのも、やっぱり一つの相続というものだなと。すごく心打たれるところがありましたね」
そして、五木さんの執筆についてのお話もうかがいました。
宇賀「五木さんの代表作の1つでもある『青春の門』は、シリーズ累計2200万部。そして、連載開始から50年の今年、最新作が『新・青春の門』が発売になりました」
五木「もう、それくらいでいいですよ(笑)」
小山「50年間書き続けるというのは、どんな気分なんですか?」
五木「読んでくださる方がいて、出してくださる出版社がいて。こっちが健康で書くことができる。そういう5つか6つくらいの要素が奇跡のようにカチッとスパークしないと、ものは出てこないんです。だから僕は他力っていう言い方をしているんですけどね。自力だけじゃ成さない。うまくいかなかった時には、『他力の風が吹かなかったんだよ』って言って自分の責任を逃れていますけど。こういうものが出るっていうのは、縁ですよね」
小山「情熱とか人があるとしてもですよ。肝心の才能といいますか、あふれ出る何かがないと出てこないと思いますけど」
五木「いや、薫堂さん、それは僕は違う考えを持っているんですよ。作家とかものを書く人っていうのはね、自分の才能で書いているのではないと思うんですよ。読者とかユーザーみたいなそういう人たちが自分の中で持っている『こういうふうであればいいな』とかね、夢に描いている物語を、無意識に感知してそれを加工して向こうへ投げ返すっていう仕事が作家の仕事だと思っているのね。東北の方にイタコっているじゃない、霊媒の人。あの人たちは自分のオリジナルなことを言っているんじゃなくて、目の前の家族や遺族たちが心の中でこういう言葉が欲しい、と思っていることを体全体で受け止めて、それを相手へ投げ返している仕事をやっている人たちなの。ミディアムというんだけど、“メディア”はそこから来ているんだけど。そうすると僕ら作家というのはミディアム、イタコの仕事。メッセンジャーというか代理人であって、読者に対して『書いているのはお前たちだよ』という感じを持っているの。だから『今度の作品はちょっとアレですね』と言われると、それは君たちが悪い、と(笑)」
小山「接するポイントはどうやって作られるんですか?」
五木「ブッダとか、イエス・キリストとかソクラテスとか、偉大な人がいるじゃないですか。そういう人の生涯を見ていると彼らは1冊の本も書いていないんです。1行の文字も書いていない。何をやったかというと、話をして、問答を繰り返して生涯を終えているわけですよね。だから聖書なんかも世界のベストセラーだけど、あれはイエス・キリストの言行録ですよね。そう考えるとね、話をするということと人と会って会話、問答をするということが一番の仕事なのでね。書くものというのは、その中からこぼれ落ちてくる……そういうものだと思っているんです。ですから僕は講演と対談は断ったことがないんです。ストリッパーから政治家まで、これまで2000人以上対談しています」
小山「講演もお断りしないんですか?」
五木「できるだけ山の中のお寺とか、そういうところを選んで行っていますけどね。大きなところでもやりますよ。ナゴヤドームでもやったことがあるし、でも10人くらいのところもありましたし。いまだに全国を歩き回っています」
小山「積極的にいろいろな方とふれあって」
五木「自然とね、否応なしに『面倒くさいな』と思っても会わなきゃいけない」
小山「じゃあ今日も、この時間から面倒くさいな、と思いながら……」
五木「いやいや、ラジオは僕のふるさとですからね。もう60年以上前にラジオの仕事を始めていて。それ以来、ずっとラジオは欠かしたことがない。いまも『ラジオ深夜便』をやっていますけどね。テレビの時代に入っても、ラジオだけは生涯、付き合っていこうと思っています」
小山「ラジオは何が良いと思われますか?」
五木「やっぱりパーソナルな感じがしますね。大きなシステムの中で動いているのではなくて、人間の声が直接、一対一で聞こえてくる。感性というか、そういうのがラジオの生命だと思いますし。ラジオは本当にね、これから先もずっと大事にしていかなきゃいけないメディアだと思っています」
宇賀「五木先生もお手紙はよく書かれるんですか?」
五木「あんまり書かないんですけどね、毎日心の中で書いています。夢の中で書いたつもりになって、なかなか書かないんですけどね」
宇賀「手書きはよくされます?」
五木「毎日、原稿は手書きですね」
宇賀「原稿はすべて手書きなんですか?」
五木「ダブロイド版の連載をやっていて、毎日3枚で42年目になるんですけど。42年間で3枚というと、何万という」
宇賀「もう今日は書けない! という日は?」
五木「それでも書かないといけない。ストックなしでやっていますから。今日の夜中の12時半までに入稿すると、明日のお昼のキオスクには出ている、という新聞ですからね。新聞だから新しくないといけない、ストックは駄目だ、というのが僕の説なんですよ」
宇賀「夜に書かれるんですか?」
五木「打ち合わせとか仕事の雑用が終わるのが夜の10時頃ですから。それが終わって一休みして、12時くらいから仕事を始めて。朝の6時くらいまでやっています。それで7時くらいに寝て、午後起きるというのを、60年間」
小山「完全に逆転なんですね」
五木「ドクターがね、ビタミンDをつくるためにはちゃんと朝日を浴びないといけないと言うんですけどね、寝る前に浴びているから大丈夫、と(笑)」
宇賀「日本全国回られていますけど、いままででいちばん印象に残っている“音”ってありますか?」
五木「前にテレビでお寺を回る番組があったんです。あちこちのお寺で鐘の声を聞いていてね、こんなにお寺によって音が違うのだと思っていました。近所の人は大体それを時報がわりにしていて、生活の中に鐘の音が入り込んでいる。その風景はいまは少なくなりましたけど、いいですよね」
小山「あの寺の鐘はよかったな、というのはありますか?」
五木「そうですね……」
小山「いま、(スタジオの外にいた)スタッフの方が『滋賀の三井寺ではないですか?』と」
五木「ええ、大きな鐘を武蔵坊弁慶が比叡山からひきずりおろして来たという説があるんですけどね。とてもいい音でしたね」
宇賀「五木さん、今日はお忙しい中、ありがとうございました」
五木「もう終わりなんですか? これがイントロなのかと思っていた(笑)」
小山「聞きたいこといっぱいあるんですけどね」
宇賀「ぜひまた来年も」
小山「僕、最後に一つだけいいですか? 書けないときってどうされるんですか?」
五木「書けないときでも書きます。いろはでもいいからとにかく書きます。書けば糸口がほぐれてきますから。僕は書けないときってあんまりないですね。これで生きているんだって思えば、息をやめるわけにいかないですから。いまはもうみんなパソコンで原稿を打っていますけど、僕とか井上ひさしさんとか、野坂昭如とか……原稿用紙で書く人が減っているのは非常に寂しいですけど、古流を守ってやっています」
小山「お話しさせていただいているだけで、『書いてみよう』という気になってきますね」
五木寛之さん、ありがとうございました。
五木「昔はコピーライターみたいな仕事もやっていたものですから。いまでも本の帯の文言をつくったりするのが趣味でね」
小山「それは、いろいろな方から頼まれたら引き受ける、ということですか?」
五木「いや、進んでこっちから。たとえば編集者は会議でどんなに一生懸命頑張っても、5時間か6時間でしょう。僕なんかは寝ても覚めても四六時中そればっかり考えているから。それに集中している時間が違うんですよ」
小山「ご自身の本の帯は、ご自身で書かれるということですか?」
五木「向こう(編集者)が提出したのが良いときにはそれを選びますけど、だいたいタイトルっていうのは自分で付けますからね」
小山「ご自身の考えよりも良かった帯があることもあるんですか?」
五木「ええ、そういうこともありますね。やっぱり偶然というものもありますし、天から降ってくるようなアイデアというものもありますからね」
小山「でも五木先生の担当編集の方は嫌でしょうね(笑)」
五木「『ああでもないこうでもない』、『それはダメだよ』って、みんなでガヤガヤやっているから、楽しいんじゃないですかね?」
小山「『はがきの名文コンクール』の話に戻りますけど、今年は2万7千通も応募があって、そこから審査をするのって大変ではないですか?」
五木「理的に選考していくというよりは、もう直感といいますか。ぱっと見た瞬間に『これは面白いな』っていうものがあるじゃないですか。はがきっていうところがいいですよね」
宇賀「このコンクールの文章は20字以上200字以内ということなので、ちょっと長めのものもあるんですけど、今回の大賞に選ばれたのが、大阪に住む11歳の男の子。いちばん若い子で、7歳の女の子」
小山「その子が、五木寛之賞なんですね?」
宇賀「読ませていただきますね。『わたしはぜんそくをもっています。ママもおなじです。だからママのしんどさがわかります。みんなとちがうびょうきです。ぜんそくになったひとしかこのしんどさがわかりません。だけどぜんそくになってうれしいです。なぜかいうとママのしんどさがわかるからです。ですがママは、こどものころからぜんそくをもっていることをしっています。だからママはずーっとしんどいおもいをしているからかわいそうなのでママのぜんそくがなおりますように。』」
小山「優しい言葉ですね」
五木「最近、相続という問題が大きな話題になっていますよね。僕はそれを土地とか不動産とかそういうものだけを相続するのじゃなくて、家とか家族とか親とかからは見えないいろいろなものを相続しますよね。だから母がぜんそくを持っていて、娘さんがぜんそくを持っているというのも、やっぱり一つの相続というものだなと。すごく心打たれるところがありましたね」
そして、五木さんの執筆についてのお話もうかがいました。
宇賀「五木さんの代表作の1つでもある『青春の門』は、シリーズ累計2200万部。そして、連載開始から50年の今年、最新作が『新・青春の門』が発売になりました」
五木「もう、それくらいでいいですよ(笑)」
小山「50年間書き続けるというのは、どんな気分なんですか?」
五木「読んでくださる方がいて、出してくださる出版社がいて。こっちが健康で書くことができる。そういう5つか6つくらいの要素が奇跡のようにカチッとスパークしないと、ものは出てこないんです。だから僕は他力っていう言い方をしているんですけどね。自力だけじゃ成さない。うまくいかなかった時には、『他力の風が吹かなかったんだよ』って言って自分の責任を逃れていますけど。こういうものが出るっていうのは、縁ですよね」
小山「情熱とか人があるとしてもですよ。肝心の才能といいますか、あふれ出る何かがないと出てこないと思いますけど」
五木「いや、薫堂さん、それは僕は違う考えを持っているんですよ。作家とかものを書く人っていうのはね、自分の才能で書いているのではないと思うんですよ。読者とかユーザーみたいなそういう人たちが自分の中で持っている『こういうふうであればいいな』とかね、夢に描いている物語を、無意識に感知してそれを加工して向こうへ投げ返すっていう仕事が作家の仕事だと思っているのね。東北の方にイタコっているじゃない、霊媒の人。あの人たちは自分のオリジナルなことを言っているんじゃなくて、目の前の家族や遺族たちが心の中でこういう言葉が欲しい、と思っていることを体全体で受け止めて、それを相手へ投げ返している仕事をやっている人たちなの。ミディアムというんだけど、“メディア”はそこから来ているんだけど。そうすると僕ら作家というのはミディアム、イタコの仕事。メッセンジャーというか代理人であって、読者に対して『書いているのはお前たちだよ』という感じを持っているの。だから『今度の作品はちょっとアレですね』と言われると、それは君たちが悪い、と(笑)」
小山「接するポイントはどうやって作られるんですか?」
五木「ブッダとか、イエス・キリストとかソクラテスとか、偉大な人がいるじゃないですか。そういう人の生涯を見ていると彼らは1冊の本も書いていないんです。1行の文字も書いていない。何をやったかというと、話をして、問答を繰り返して生涯を終えているわけですよね。だから聖書なんかも世界のベストセラーだけど、あれはイエス・キリストの言行録ですよね。そう考えるとね、話をするということと人と会って会話、問答をするということが一番の仕事なのでね。書くものというのは、その中からこぼれ落ちてくる……そういうものだと思っているんです。ですから僕は講演と対談は断ったことがないんです。ストリッパーから政治家まで、これまで2000人以上対談しています」
小山「講演もお断りしないんですか?」
五木「できるだけ山の中のお寺とか、そういうところを選んで行っていますけどね。大きなところでもやりますよ。ナゴヤドームでもやったことがあるし、でも10人くらいのところもありましたし。いまだに全国を歩き回っています」
小山「積極的にいろいろな方とふれあって」
五木「自然とね、否応なしに『面倒くさいな』と思っても会わなきゃいけない」
小山「じゃあ今日も、この時間から面倒くさいな、と思いながら……」
五木「いやいや、ラジオは僕のふるさとですからね。もう60年以上前にラジオの仕事を始めていて。それ以来、ずっとラジオは欠かしたことがない。いまも『ラジオ深夜便』をやっていますけどね。テレビの時代に入っても、ラジオだけは生涯、付き合っていこうと思っています」
小山「ラジオは何が良いと思われますか?」
五木「やっぱりパーソナルな感じがしますね。大きなシステムの中で動いているのではなくて、人間の声が直接、一対一で聞こえてくる。感性というか、そういうのがラジオの生命だと思いますし。ラジオは本当にね、これから先もずっと大事にしていかなきゃいけないメディアだと思っています」
宇賀「五木先生もお手紙はよく書かれるんですか?」
五木「あんまり書かないんですけどね、毎日心の中で書いています。夢の中で書いたつもりになって、なかなか書かないんですけどね」
宇賀「手書きはよくされます?」
五木「毎日、原稿は手書きですね」
宇賀「原稿はすべて手書きなんですか?」
五木「ダブロイド版の連載をやっていて、毎日3枚で42年目になるんですけど。42年間で3枚というと、何万という」
宇賀「もう今日は書けない! という日は?」
五木「それでも書かないといけない。ストックなしでやっていますから。今日の夜中の12時半までに入稿すると、明日のお昼のキオスクには出ている、という新聞ですからね。新聞だから新しくないといけない、ストックは駄目だ、というのが僕の説なんですよ」
宇賀「夜に書かれるんですか?」
五木「打ち合わせとか仕事の雑用が終わるのが夜の10時頃ですから。それが終わって一休みして、12時くらいから仕事を始めて。朝の6時くらいまでやっています。それで7時くらいに寝て、午後起きるというのを、60年間」
小山「完全に逆転なんですね」
五木「ドクターがね、ビタミンDをつくるためにはちゃんと朝日を浴びないといけないと言うんですけどね、寝る前に浴びているから大丈夫、と(笑)」
宇賀「日本全国回られていますけど、いままででいちばん印象に残っている“音”ってありますか?」
五木「前にテレビでお寺を回る番組があったんです。あちこちのお寺で鐘の声を聞いていてね、こんなにお寺によって音が違うのだと思っていました。近所の人は大体それを時報がわりにしていて、生活の中に鐘の音が入り込んでいる。その風景はいまは少なくなりましたけど、いいですよね」
小山「あの寺の鐘はよかったな、というのはありますか?」
五木「そうですね……」
小山「いま、(スタジオの外にいた)スタッフの方が『滋賀の三井寺ではないですか?』と」
五木「ええ、大きな鐘を武蔵坊弁慶が比叡山からひきずりおろして来たという説があるんですけどね。とてもいい音でしたね」
宇賀「五木さん、今日はお忙しい中、ありがとうございました」
五木「もう終わりなんですか? これがイントロなのかと思っていた(笑)」
小山「聞きたいこといっぱいあるんですけどね」
宇賀「ぜひまた来年も」
小山「僕、最後に一つだけいいですか? 書けないときってどうされるんですか?」
五木「書けないときでも書きます。いろはでもいいからとにかく書きます。書けば糸口がほぐれてきますから。僕は書けないときってあんまりないですね。これで生きているんだって思えば、息をやめるわけにいかないですから。いまはもうみんなパソコンで原稿を打っていますけど、僕とか井上ひさしさんとか、野坂昭如とか……原稿用紙で書く人が減っているのは非常に寂しいですけど、古流を守ってやっています」
小山「お話しさせていただいているだけで、『書いてみよう』という気になってきますね」
五木寛之さん、ありがとうございました。
手紙文化を盛り上げよう! ポスト会議#29
全国におよそ2万4千局ある郵便局と連携を取りながら、商品開発をしたり、手紙文化を盛り上げていく企画コーナー「ポスト会議」。小山「我々が一刻も早くやらなければいけないことは……わかっていますよね?」
宇賀「……年賀状づくり」
小山「我々自身の年賀状づくり。今日がね、デッドですよ」
そうなのです、番組オリジナルの年賀状でどんなものをみなさんにお届けするのか、2人はなかなか決められずにいるのです……。
宇賀「年賀はがきの顔といえば、やはり嵐! ということで、今回のポスト会議は、嵐の大野智さんと、二宮和也さんに、年賀状のアイディアを教えていただくことにしました。今日、アイデアをいただいて、まさに来週つくってすぐに出そう、と」
小山「わかりました。加えてですね、2人に僕から、質問させていただいたことがあります」
放送では、大野さんと二宮さんのコメントをご紹介しました。
まず、薫堂さんからの1つ目の質問は、「これまでで最も心に残っている年賀状は?」
大野「子どもの時とか、学校の友達と年賀状を出し合っていたんだけど、もうね、文字より当時は絵を描くやつがいっぱいいたわけ。いかに絵で埋めるかっていう」
二宮「あー、もう合戦になるわけですね」
大野「だからほとんどね、年賀状は“絵”だったね」
二宮「俺はね、野球をやっていたから、それも含めて自分で友達に配っていたよ。マラソンみたいに。小学校の頃は友達の家に遊びに行くし」
続いての薫堂さんからの質問は「メンバーに年賀状を送るとしたら、それは誰でどんなことを書きますか?」
二宮「リーダーかな、俺は」
大野「俺も、ニノかもしんない」
二宮「来年は子年ですから。俺のいま持てるフルパワーのネズミを、やっぱりリーダーに見てもらいたいし。なんなら判定してもらいたいよ、点数で」
大野「よし、そうだ。届いたら、俺はその絵を判定する年賀状を、送るから」
二宮「点数だけでいいよ。挨拶なんていらない。点数だけのをもらいたいよ(笑)」
大野「70点なら、『70点でしたよ』っていう年賀状を送るよ(笑)」
そして3つめは、「『SUDNAY’S POST』オリジナル年賀状のアイデアをください」。
二宮「珍しいよ、あの日本一のアイデアマンの薫堂さんがアイデアをくださいと」
大野「ないはずないのに! 俺はね、においの出る年賀状とかね」
二宮「我々の世代は流行りましたもんね。消しゴムからもにおい出てきたし」
大野「正月らしいにおいがね、お雑煮とかね」
二宮「こぼしたんじゃないか、みたいになりません?」
大野「薫堂さんは多分まだ、においは浮かんでいないと思う」
二宮「ハンコとはないのかな?」
大野「じゃあ、ハンコ作ればいいじゃないですか」
二宮「サンポスのやつ、バンバカ貼っていけばいいですよ。そういうのを薫堂先生につくっていただくといいかもね、意外と」
そして最後に、薫堂さんと宇賀さんにメッセージをいただきました。
大野「薫堂さん、今度……おいしいご飯連れてってください」
二宮「いやいや、ここはどう流れ着いてもね、年賀状の方に行ってもらいたかったんですよ。『年賀状ください』って」
大野「年賀状ください」
二宮「(笑)年賀状でね、やり取りしましょうね。逆に宇賀さんとかは、我々はそんなに馴染みがある方じゃないですか。でもそう考えると、意外と年賀状って思い切れるツールなのかもしれませんね。新年の挨拶ってさ、知らない人と街で会っても『おめでとうございます』なんてやり取りがあるわけじゃない。それこそ字に起こすか起こさないかだけだから」
大野「送ってもいいんだもんね」
二宮「そうそう、送っていいものだから。ぜひちょっと、『この人に挨拶しちゃおう!』と思った時に出せる唯一のツールだと思うから。みなさんにも年賀状書いていただきたいなと思います。返ってくる喜びもありますからね」
大野「楽しみですしね」
小山「ハンコはいいですね! 考えてなかった」
宇賀「オリジナルのハンコ、作りましょうか」
小山「作りましょう! 二宮さんのアイデア、採用です」
宇賀「来週、どなたか先生を呼んで、作って、その場でバンバン押して出しましょう」
小山「ギリギリですよ、我々」
宇賀「クリスマスまでに出せば元日には届くので、ギリギリ間に合います」
小山「鮮度のいい、押したてホヤホヤの年賀状を出しますので(笑)」
今週の後クレ
今回のメッセージは、<宇治西小倉郵便局>新井圭永子さんでした!「エリアの郵便局の郵便局長をやらせて頂いてます。私ずっと地元で。10年ほど前に私の母校が66年の歴史を閉じたんですね。その時に2万人を超える卒業生がいますので、その方たちと力を合わせて高校をフレーム切手というのにしたんです。校舎も全部無くなっちゃったんですけども、それが残りまして。10年経った今でも感謝されるんで、それが嬉しくって。この仕事してて良かったなぁと思いました。」
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この番組ではみなさんからの手紙を募集しています。
全国の皆さんからのお便りや番組で取り上げてほしい場所
を教えてください。
〒102-8080 東京都千代田区麹町1−7
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