Every Sunday 12:30-12:55 JFN 38stations
2011年7月10日(日)
渡辺美里
「サマータイム・ブルース 」
渡辺美里
『10才の時に、“まずは13才でデビューしよう”って、思っていたの』
デビュー当時、さまざまなインタビューに、こう答えていた美里さん。歌を目指してからの興味は、ほとんどが音楽と、歌と、声。声楽科のある芸大へ行こうと考えたり、オペラの先生に発声を習ったり。学校の勉強よりも、お稽古ごとに情熱を傾け、知識と技術をグングンと吸収していきました。中学2,3年の頃は、ほぼ登校拒否状態。実際には学校へ行っていても、誰とも会話せず時間をやり過ごし、家へ帰るとラジオを聴いたり、譜面を書いて、早くこんな毎日から脱出したいと思っていた、そんな青春時代でした。音楽の勉強は続けていても、変わらない日々。そんなある日、ラジオから聞こえてきたのが、ビリー・ジョエルの『オネスティ』でした。ビリー・ジョエルのことも、言葉の意味も、何もわからないのに、涙があふれ、心が動く・・・。13才でデビューするはずの予定が狂い、気持ちが不安定だった時だからこそ、改めて音楽の力を実感したのでしょう。「やっぱり音楽をやり続け、やり遂げよう」そんな風に自分の気持ちを強くしたのです。それからしばらくして、“誰かに歌を聴いてもらわないとはじまらない”と、「ミス・セブンティーン・コンテスト」に応募。出場すれば、きっと誰かに歌を聴いてもらえる・・・その思いだけで、行動に移しました。『10代のデビューにこだわるのは、意味のないことかもしれないけど、自分で決めたことだから通したかった』こうした真っ直ぐな思いが実って、コンテストでは歌唱賞を獲得。これがきっかけとなり、1986年、見事デビューを果たします。この時、美里さん18才。予定より5年ほど遅いスタートとなってしまいましたが、それでも自分の意志を貫き、歌手の道をスタートさせたのです。
美里さんの思いの強さは、その後も目を見張るものがあります。ファースト・アルバムのジャケット写真も、高校の頃よく聴いていたU2のアルバムを見せて、「こういうのを作りたいんです」と意思表示。わからないことがあると、「どうして?」「なぜ?」と聞きまくり、曲を提供してくれる小室哲哉さんや、大江千里さんなどのアーティストにも、「私のイメージじゃない!」と、怖れずに言っていたといいます。『ずっとやりたかったことが現実になろうとしてるのだから、手探りではなく、これが自信作ですって、胸をはって言えるファースト・アルバムにしたかった』この「正直で、まっすぐな思い」は、その後も、美里さんの歌づくりに、大きく影響していきます。
「夏が来た!」
渡辺美里
デビューからわずか459日、単独の女性アーティストとして初めて、西武球場のステージに立った美里さん。その後もヒット曲に恵まれ、西武球場が西武ドームに姿を変えても、20年連続でスタジアムライブを行い、のべ75万人のファンを魅了してきました。台風による集中豪雨で、やむなくライブを中断した年もありましたが、20年の間には、国内ではじめて衛星放送によるノーカット生中継が行われたり、公演当日に特別列車「MISATO TRAIN」が運行されたりと、さまざまな伝説を作りあげていきました。1990年の公演は、そんな中でも、特に想い出深いもの。前の年の公演が台風で中断し、悔しい思いをしていただけに、どんなハプニングがあろうと、歌さえあれば大丈夫…そういう強い気持ちで望んだ公演でした。午後6時。ライブがスタートすると、またしてもポツリポツリと不吉な雨。夏の嵐がまたやってくるのか?と思った時、ハプニングを起こしたのは、雨ではなく、なんと、3万人のファンだったのです。突然、客席の端の方から、ドドドッーーとうねりが始まり、アリーナを含め、球場全体が、大きな波に包まれたのです。そう、それは、3万人による見事なウェーブ!!美里さんがウェーブを見るのは、これがはじめて。毛穴という毛穴が泡立ち、人のチカラを目の当たりにして、心が震えたといいます。
「セレンディピティー 」
渡辺美里
デビューから26年、こうした感動を味わい続けてきた美里さんにも、当然、葛藤や転機はありました。デビューの頃から走りっぱなし。毎年アルバムを作っては、ライブをするというスタイルを続けていた、ある時。陣痛と共に生み落とした歌が、次から次へ消費されている… そんな感覚に襲われたのです。『自分が痛みを伴って生んだものだから、もっと大事に歌いたい』。生み出すことも仕事なら、その生み出したものを、きちんと伝えるというのもボーカリストとしての役目。そう思った美里さんは、それから、いつものペースでアルバムを制作するのを敢えてやめ、フルオーケストラで歌うライブなど、新しい試みに挑戦しました。“自分の作ってきたものに、もう一度、命を注ぎ込む。そうすれば、もっと…“という思い。歌へのまっすぐな姿勢が、美里さんを、また別のステージへと押し上げていったのです。
「セレンディピティー」とは、ふとした偶然をきっかけに、幸運を掴み取る能力のことだそうで、美里さんはこの曲を震災後に書き上げ、明日への希望を歌っています。
20年続けたスタジアムでの公演が終わり、ひとつのクライマックスを迎えた美里さんですが、今は自分のセレンディピティーを信じて、また明日へと歩き出しています。2006年からは、夏祭りの第2章をスタートさせ、京都の下鴨神社や、奈良の薬師寺など、世界遺産でライブを行ったり、山中湖や熊本城などの、野外で美里祭りを行い、環境保護なども訴えるようになりました。今年も富士山が見える河口湖と、大阪城を舞台に美里祭りが行われます。『希望を感じる歌を届けていきたい』という美里さん。デビュー当時から変わらない、このまっすぐな思いは、きっと多くの人の心に届き、希望の花を咲かせていくのでしょう。今夜は、渡辺美里さんをピックアップしました。
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