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第3話
あわてて玄関まで出て行くと、声の主はやっぱりお父さんだった。久しぶりに会ったお父さんは、タバコくさかった。お父さんはタバコを吸わないから、きっと長時間喫煙者に囲まれてたんだろう。知らない匂いになったお父さんが、いよいよ家族ではなくなったような気がした。
「おかえり。帰ってくるの早かったね?」
「ああ、こずえ。帰ってたんだな、よかった」
「え?」
「泊まりの仕事が入ったんだ。ちょっとの間、戻れそうにないから、こずえ、家のことよろしくな」
普段から任せっきりのくせに。そう言おうとして、飲み込んだ。だって仕方ない、うちはお母さんがいない、父子家庭。仕事で忙しいお父さんが家のことを見る余裕なんてない。
「それよりお前、」
「な、何?」
「駅の爆発、大丈夫だったか?」
どうせあたしのことも殺しちゃうんでしょ、白々しいよ。そう言おうとして、また飲み込んだ。お父さんの顔が、見たこともないくらい真剣だったからだ。「あたしのこと殺すんでしょ」なんて、冗談でも言わせないような表情だった。外からは、救急車のサイレンが聞こえる。
「あ、うん、あたしは大丈夫。駅から近いところにいた友達ひとり、今ウチに連れてきたんだけど」
「友達?」
「うん。澪、野崎澪。ほら、山のほうに霊園あるでしょ。そこの娘だよ」
お父さんの眉がぴくりと動いた。
「お前、仲いいのか」
「そうだけど?」
「そうか……友達か」
最後にお父さんに学校の話をしたのはいつだったか。高校の友達を知らないってことは、もう1年以上も前か。なんだか、遠い遠い過去のことみたいだ。
「とりあえず、しばらく家を空けるってことだけ知らせにこようと思って。じゃ、仕事に戻るから」
「え、ちょっと待って、泊まりなんでしょ? 着替えとかの荷物は今用意しなきゃ、」
「ああ、それならお前が帰ってくる前に一度家に来てもう持っていったよ」
家にも上がらずに、玄関で短いやりとりを終えると、お父さんは踵を返した。これからお父さんはまた仕事に行くんだ。仕事って、なんだろう。お父さんはどこへ行くんだろう。待ってよ! 娘のこと放っていかないでよ! 本当に小沢野市の人たちを皆殺しにするの? 背広の後姿が、なんだかひどく疲れているように、さみしそうに見えた。
殉職。
なぜかその二文字が頭をよぎった。
「お父さん!」
思わず呼び止めると、お父さんは振り返った。
「あ、えっと……いつ帰ってくるの?」
「さぁ、長くて1週間くらいかな」
「あっ、あのさっ、何かあったら連絡するから、」
「わかったよ。駅はまだ危ないから、絶対に近づいちゃいかんぞ」
こずえはしっかりしてるから大丈夫だよな。そう言ってお父さんは少し笑って、車のドアをバタンと閉めた。
言えずじまいだった。「どこに行くの」「死なないで」「殺されないで」「殺さないで」何も言えなかった。自分の本心を打ち明けてお父さんにすがりつくなんて絶対にできない。結局あたしは、本当のところではお父さんときちんと向き合えないんだ。正直、寂しい。だけど、あたしのことでお父さんに余計な心配はさせたくないから、寂しくない寂しくないといつも自分に言い聞かすんだ。
「へぇー」
計画書を見た真知子の反応は意外に冷静だった。もっとも、真知子が取り乱してるところなんか見たことないんだけど。
そんな真知子は、澪の期待通り、テキパキと話をまとめてくれた。おかげで、あたしと澪の間でごちゃごちゃになっていたいくつかの情報もスッキリした。
とりあえずわかったのは、「人口削減」の対象となっているのが、この市の住民登録名簿に名前が載っている全市民であること。だから、もしも市民全員が他の市町村へ逃げても、意味がない。そこが小沢野市ではなくても、小沢野市民が集中している地域から順に被害に遭うということになる。
要するに、どこにいようが関係なくみんな殺されるってことだろう。
真知子は、やっぱり姉御肌だった。むしろ、あたしと澪といっしょに恐ろしい計画に向き合おうとすることにノリ気であるようにすら見えた。
「真知子、死ぬかもしれないんだよ?」
「ばか。あたしは不死身よ」
それはただの強がりかもしれない。だけど、こんなときだからこそ強がっていられる、そんな真知子がいて、本当に心強いんだ。
真知子の提案で、二人はしばらくうちに泊まることになった。まだまだ考えなければいけないことがたくさんあるからだ。
「こずえ、うちら今夜からどこで寝ればいいの? 場所あんの?」
「あー、……お母さんと兄ちゃんの部屋空いてるけど使う?」
お母さんは、5年前に亡くなった。事故だった。国の研究機関に勤めていたお母さんは、地質の研究のために仕事で向かった山で土砂崩れに巻き込まれた。
兄ちゃんは社会人。車を買ってから、めっきり家に帰ってこなくなった。もう2か月くらい会ってない気がする。
そんなわけで、二人の部屋は空いているのだけど(ちゃんとあたしが掃除もしてるし)。
澪と真知子は顔を見合わせて、うーん、と唸った。
「はいはいはーい、コズのお部屋がいいでーす」
「はーい、あたしも賛成でーす」
二人は、うちの家族がどんな状態なのかを知っている。だから、気を遣ってお母さんと兄ちゃんの部屋にも触れないようにしてるんだろう。
「……いや、あの、あたしの部屋ね、六畳もないような狭さなんだけど」
「じゃあリビング! 川の字で寝ようよー」
「決まりね。こずえ、世話になるわね〜」
真知子が、有無を言わせぬ美しい笑顔をあたしに投げかけた。
もしかしたら明日死ぬかもしれないっていう状況なのに、どうしてこんなに笑っていられるんだろう。そう思うと、ちょっと悔しいけどなんだかあたしも笑えてきた。
「澪は外で寝ちゃえばいいよ、外で」
「えっ何それ!」
「だって澪は森の中で暮らしてるんでしょ」
「そういう真知子、ごめんね、しばらく固い固いフローリングの床で寝ていただきますよ、お嬢様」
「別にいいよ。……っていうか、あたしをそんなお嬢様キャラに仕立てるなー!」
「ひゃっはっはっはっはー。オジョウサマだってー」
「澪うるさーい!」
夜、うちに泊まるための荷物を持って真知子は再びやってきた。澪は電車が不通になったせいで家に帰れないので、とりあえず今はうちにいる。家に連絡すると、やっぱりご両親は澪の身を心配していたそうだ。
夕食はあたしが作った。真知子は「こずえって意外と料理上手ね」と褒めてくれた(「意外と」は余計)。澪はおいしいおいしいと言って食べてくれている(基本的に何を食べても感想は同じ)。
なんとなくつけたテレビからは、ニュースキャスターの無機質な声が聞こえる。
『農林水産省の発表によりますと、低下を続ける日本の食料自給率はついに2パーセントを下回ったとのことで、……』
「2パーセント!?」
澪が目を丸くしてすっとんきょうな声をあげた。
『このような低迷の原因としては、温暖化による日本各地の異常気象にともない農作物が不作であったことや、人口の増加などが……』
画面には、炎天下赤っぽい土と枯れ枝でいっぱいになってしまった畑が映し出されたこれが日本国内とは信じられない、まるで赤道近くのどこかの砂漠みたいだと思った。
「日本……ちょっとやばくない?」
「ちょっとどころじゃない。かなりやばいわね」
「あたしたち、外国から食べ物がこなくなったらどうなるんだろう」
温暖化の影響は、確実に人間の暮らしの中に現れている。いや、温暖化だけならまだこの国には救いがあるのかもしれない。マズいのは、人口だ。多すぎる人口が、日本国民の暮らしをさらに脅かしているんだ。
『続いてのニュースです。今日午後6時30分頃、小沢野駅舎内で突如爆発が起こりました』
あたしたちの注目が一気にテレビへ向かった。
いきなり燃える駅舎が映し出された。真知子は息を呑んで見つめていた。澪は無表情だった。きっといろいろ思い出しているんだろう。薄い液晶画面の中のそれは、夕方この目で確かに見たものだった。
『駅舎内にいた38名の利用者は、現在行方不明とされています』
「そう来ましたか」
箸を置いて、真知子が吐き捨てた。政府はこの爆発に関して「現在調査中」らしい。ふざけてる。行方不明者とは、たぶん爆発の犠牲になった人たちだ。38人というのが大きい数なのか小さい数なのかはわからないが、この結果が、次の破壊活動へと繋がるのだろう。今日の駅での爆破は、あくまで「社会実験」なのだから。
そういえば、お父さんはどうしているだろうか。
「あたし、今日お父さんと話した」
お父さんが一瞬だけ家に帰ってきたということを話すと、神妙な顔をしていた澪が口を開いた。
「……なんか変じゃない?」
「え?」
「澪、それあたしも思った。話聞いてると、こずえのお父さん不自然よね」
「何? 何が?」
お父さんは至っていつもどおりの様子だった。少し疲れてる感じはあったけど。
「しばらく仕事で家に戻らないから、って、そのくらいの用事ならさ、電話とかメールで済ませばよかったんじゃないのかなって」
「わざわざその足で娘のところまで来るなんてね」
「お父さん、どうしてもコズの顔が見たかったんじゃないのかな」
あたしの顔を見に? どうしてわざわざ――
――もう会えないかもしれないから?
お父さんは何を考えているんだろう。最後の別れをしに、わざわざあたしのところまで来たって? あたし含むこの市の人たちを皆殺しにするつもりなのに? わかんない。自分の親なのに、家族なのに、何を考えてるんだかこれっぽっちもわかんないんだ。笑っちゃうよ。さっきお父さんと話したとき、あたしは引き止めるべきだったんだろうか、「人殺しなんてやめて」だの「家に帰ってきて」だの説得すべきだったんだろうか。ねぇ、お母さん助けてよ、お母さん、おかあさん。
視界が、じわりと滲んだ。
ねぇ、澪、真知子。
どうかあたしから離れていかないで。
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