アフターグロウくり

第4話

「お母さん、行ってきます」
 近い将来この街が消えようとも、いつもと同じ朝がきた。澪と真知子に朝ごはんを出したあと、あたしの分は目玉焼きと白いごはんで適当に済ませた。ヘアワックスで寝癖を直す。リップクリームを塗る。スカートを短くする。お弁当とお茶をカバンに入れる。仏壇の写真の中のお母さんに「行ってきます」のあいさつをする。ガスの元栓を閉めたか確認する。戸締まり、オッケー。チャリの鍵は持った。今日も、お願いですからいつもと同じ平和な1日でありますように。踵を踏み潰したローファーを履きながら、そう強く祈った。

「城岡―!」
 学校に着いた途端、担任に呼び止められた。ああ、平和な1日はどこへ……。
「おはよう! いいところに来たなぁ!」
「よくないですよ……朝から何なんですか」
「いやあ、ちょっとコイツの手伝いしてやってくれ」
 先生が指差すほうを見ると、クラスの男子がひとりで大量の教材冊子を持ってよろめいていた。
「おい太田ー! 城岡が手伝ってくれるぞー!」
「いや、あたし女の子で……そんな大量な……」
「じゃあ二人で、朝礼までにこれ教室に運んどいてくれ。あとは任せた」
 風のように去っていく先生の後ろ姿を見て立ち尽くしていると、後ろから声をかけられた。
「おはよっす! わりいなー、手伝わせて」
「太田くんだったんだ。朝から災難だねぇ」
 ひとりで重労働にトライしていたのは、クラスメートの太田くんだった。彼は、さわやか好青年だ。服装検査がある日には、みんなに快く爪切りを貸している。他のクラスにも友達が多いらしく、廊下で見かけるときはいつも誰かとおしゃべりしてる。ただ、遅刻が多いようで、ものすごい速さで朝の校門を駆け抜けていく姿は多くの生徒に目撃されている。そんな、どこか抜けてる性格の太田くんだが、理系の科目はめちゃくちゃ成績がいい。物理、数学、化学、どの科目もテストではいつも高得点だ。クラスメートの「太田ー、この問題の解き方教えてくれー」とか「化学の宿題助けてくれ」とかの声もよく聞こえる。そのたびに太田くんはニコニコと笑いながら楽しそうに応じている。ハメをはずしたりはしない、しっかりした人だと思う。そんな感じで、クラスの男子の中ではいちばんとっつきやすいから、あたしもわりとよくしゃべったりする。サッカーでもやればかっこいいのに、なぜか帰宅部という謎がある。そういうところもおもしろいから、結局いじられキャラだ。
 とりあえず、そこらへんにカバンを下ろした。
「城岡ぁー」
「はーい」
「おれ課題ワークまとめて持ってくから、プリント類のほう頼むわー」
「はいはーい……」
 ……うわ、うちのクラスの配布物ロッカー、散らかりすぎ。紙という紙が、一枚一枚バラバラの方向を向いている。仕方ない、片付けるか。
「城岡ぁー」
「今度はなんですかー」
 ぐちゃぐちゃになったプリントをまとめながら適当に返事をする。
「人口削減計画って、知ってる?」
 ピシッと音を立てて、一瞬で全身の血が凍った。そんな気がした。
 どうして太田くんがその言葉を知ってるんだ?
 まるで冗談でも言っているかのようなおどけた調子で、彼は続ける。
「なんかさぁ、地球やばいじゃん、温暖化とかで。それの理由、日本の人口が多すぎるつって、いろんな国から苦情が来てんだってさー。だから日本の人口減らすんだって、無差別殺人で。それの最初の実験台として小沢野が」
「もういいよ」
 ――まさか、こんなところまで計画実行の手が回ってたなんて思わなかった。
「……やっぱり知ってるんだな」
 太田くんは微笑んでいた。だけど、目が笑っていなかった。あたしの中で何かが弾けた。
「政府の人間? この学校まで潰す気なの?」
「ちょっと待て、待てよ城岡。おれは、」
「何のつもり? 何を企んでるの?」
「だから、おれはそんなんじゃなくてな、」
「させないよ!」
 もう犠牲者を出してはならない。もう誰も殺されてはならない。やられる前にやらなきゃ、やられる前に!
 遅刻届の箱の横にあった鉛筆をつかんで、太田くんの喉を目がけて振り上げた。
「こずえ」
 腕がピタリと止まった。
 振り返ると、澪と真知子が立っていた。
「コズ、おーちゃん、何してんの。朝礼、はじまっちゃうよ」
「太田。どういうことか……昼休みにでも話してもらおうかしら」
 真知子が鋭い声で言った。
「アンタと、そのふざけた計画、どう関わってんのか」

* * *

「しかしまぁ、さっき城岡に鉛筆向けられたときはビビったよ」
「ごめん。ほんとに、ほんっとーに、ごめんなさい」
「いやいや、おれの切り出し方もマズかったしさ」
 気にすんなって。そう言って、太田くんは手をひらひらさせながら笑った。
 昼休み、あたしと澪と真知子の3人で、太田くんに事情聴取をおこなった。結論から言えば、太田くんは敵ではなかった。ましてや、学校を潰そうなんて、とんでもない。全部、人口削減計画という言葉に過剰に反応したあたしの、勘違いだったのだ。

「きのう、駅で爆発があっただろ」
 太田くんはそう言って、ポケットから新聞の切り抜きのようなものを取り出した。
「これ、朝刊に載ってた行方不明者リスト。ほら、ここ」
 指さされた部分を見ると、『太田 正輝』とある。太田くんのお父さんの名前だということは、容易に想像できる。
「政府は現在調査中だとか言ってるけど、たぶん親父はもう帰ってこないよ。たぶんそこに名前が載ってる人はみんな死んだ」
 太田くんは『死んだ』という言葉をさらっと口にした。あたしたちはそんな太田くんに、お父さんまだ生きてるかもしれないじゃん、なんて絶対に言えない。親父は死んだ、そう言い切った彼の心を揺さぶるようなこと、簡単に言えないってことくらいわかる。
 太田くんの話によると、お父さんも市の公務員だったそうだ。でも、昨日の駅の爆発に巻き込まれておそらく亡くなった。何かお父さんの思い出を探そうと家に遺された手帳をめくると、計画の詳細や目的、そして「俺が告発しなければ」などといったことが書かれていたそうだ。おそらく、告発を目論んでいることが政府に知られて、爆発があると聞かされずに向かった駅で命を落としたのだろう。すべてを理解し、この計画を阻止しなければと思った太田くんは、味方になるような人物を探した。そうして、計画の準備段階で関わっていた人たちの名前の中にあたしのお父さんを見つけ、もしかしてと思って、さりげなくあたしに対して計画の話題を出してみたということだった。

「なあ、お前ら3人、これからどうするつもりなんだ? 市のみんなに知らせたら、それこそ逃げる前に全員が殺されてしまうよ」
 あたしたちは一瞬顔を見合わせた。澪と真知子の目にも、あたしと同じ気持ちが灯っていた。
「止めるよ。こんな計画、止める」
 そっか。太田くんは、弱々しく、やさしい声でそう答えた。
「……こんなこと言ったら、なんとなく親父に申し訳なくなるんだけどさ、」
 外から響いてくるセミの声にかき消されそうな声だった。
「おれ、まだ死にたくねえんだよな」
 自嘲気味に太田くんは言った。そして、うつむいて鼻をすすった。なんとなく、男の子が泣いてる顔って見てはいけないような気がしたから、目をそらした。
『まだ死にたくない』なんて、あたしは口にしたことも、思ったことさえもなかった。だって、まだ死なないはずだったから。まだまだ死なないはずだったから。それが、今、あたしの真っ白だった未来は削り取られて、「死」への一本道ができた。
「太田くん、死なせないよ」
 かっこつけて言ったわけじゃない。口から出まかせでもない。かと言って、根拠があるわけでもない。
だけど、あたしたちは同じ泥の舟に無理矢理乗せられてしまったんだ。『まだ死にたくない』の気持ちは痛いほどわかる。
「そうでしょ、澪、真知子」
「あったりまえじゃん! あたしだって死にたくないよぉ」
「そう、太田はこの計画知ってる数少ない『味方』なんだから。簡単には死なせないわよ」
 あたしたちのペースに押された太田くんは、顔をあげて少し笑った。正直、誰かが泣いてる顔を見ると、それだけですごく不安になる。あたしも泣きそうになる。だから、まわりのみんなにはいつも笑っていてほしい。
「あーあ。一体、政府は、次はどんな手段で人口を減らすんだろ」
 あたしたちの持っている計画書には、実施要項とかおおまかなことしか書かれていなかった。だから、次に何が起こるのか詳しくは分からない。ただ、今は駅の爆破の結果を得たところでまた政府も様子を見ているところだろうと思っていた。
「あれっ? おれの持ってる計画書には、もっと細かく書いてあったけど」
「え?」
 太田くんが持ってきたそれを見ると、実施日時、場所、破壊方法、死亡想定人数など、あたしのお父さんの書斎にあったものよりも遥かに詳しく計画が書かれていた。
「でさ、なんか、これ見てたら……今日の3時にうちの学校の体育館で爆発が起こるっぽくてさ……」
「えぇぇっ!?」
 慌てて太田くんの手から計画書を奪いとって凝視する。

2050年 7月15日(火) 15:00 小沢野高校 第一体育館 爆破 524人

 真知子が太田くんの胸倉をつかんでガクガクと揺すった。
「なーんーでーそういうことを早く言わないの! ひとりでなんとかできるとでも思ったの!? ていうか3時って全校集会してる時間、直撃じゃないの! 524人ってうちの学校の生徒と先生の数でしょ! みんな死ぬの!? どーすんのよ! なんで早くあたしたちに言わなかったのよ!」
「痛い痛い離して離して! おれをいじめないでー!」
 真知子がパッと手を離すと、太田くんは、「城岡といい、広瀬さんといい、過激な女子ばっかりだな」と苦笑して、はぁーっと長く息を吐いた。澪は「漫才みたいだー」と、けらけら笑っている。やっぱり、こんな何気ない学校生活の風景に安心してしまう。確かに、今は笑ってる場合ではないかもしれない。だけど、こんなときこそ笑っていなきゃ。この友達がいちばんの強みだ。あたしはひとりじゃないんだ。そう思うと、もうじきこの街が迎える「終わり」にも、なんとなく打ち勝ってしまうような気がする。
「広瀬さんの言うとおりだよ。おれ、ひとりでどうにかするつもりだった。――実は今朝も体育館に行って、爆弾があることを確認してきたんだ」
 太田くんの目が、まっすぐにあたしたちをとらえた。窓から、ぬるいけど強い風が吹いた。
「爆発は止められないとしても、体育館に人を近づけるわけにはいかない。3人とも……おれの作戦に協力してくれるか?」
 澪の瞳は、好奇心で爛々としている。真知子はニヤリと笑った。うん、きっと今のあたしたちって、驚くほど気持ちのベクトルが揃ってる。
「――もちろん!」

 5時間目は自習だった。先生はみんな職員室で会議中らしい。好都合だ。
 あたしたち4人は、教室を抜け出した。みんなおしゃべりしたりお菓子食べたり音楽聴いたりと好きなことしてるから、別に誰にも怪しまれないだろう。
「おれは体育館に行く。少しでも爆発の規模を小さくできないか、いろいろ試してみるよ」
「おーちゃん、死んだらだめだよ」
「澪、縁起でもないようなこと言っちゃだめでしょが」
「あはは。野崎に心配されるとは、おれもまだまだだなぁ」
 4人で声をひそめて、ふふふ、と笑った。
「じゃあ、あとはよろしく頼んだ」
「任せなさい!」
「この学校はおまえらのもんだと思って、好き放題やればいいんだぜ」
 工具の箱をかついだ太田くんは、くしゃっとした笑顔をつくった。それはもう、あたしが鉛筆を突きつけたときに見たような冷たいものではなかった気がした。
「それじゃあ」澪は短い髪の毛を無理やり束ねた。
「行きますか」真知子はグーッと伸びをした。
「またあとでね」あたしはうなずいた。

「健闘を祈る!」

 そうして、あたしたちはバラバラの方向へ走り出した。

【第3話に戻る】 【第5話に続く】

第4話アフターグロウ

蒼き賞
Copyright (c) TOKYO FM Broadcasting Co., Ltd. All rights reserved.