アフターグロウくり

第2話

 駅から逃げる人の流れに逆らって、全力でチャリをこいだ。信号は無視した。前輪がガクガクするけど、かまってられない。
澪の姿はどこにも見えない。
「いったい××××!」
「わからん、何かが××××」
「とにかく×××だ!」
 いろんな人のいろんな声がする。ああ、ああ、でも何一つ頭に入って来ない。澪はどこにいる? まさか、今の爆発で――
 駅前の大きな通りに出た瞬間、見慣れた制服が目に飛び込んできた。いた。澪は、立ち止まってぼんやりと駅を見つめていた。何してるんだこんなときに。
 近づいて、肩をつかんで揺する。
「ねえ、澪、何ボーっとしてんの、早く逃げるよ!」
「え、でも、あそこにいた、ひと、たち、どうなっちゃうの」
「いいから早く逃げよう」
「だけど、あたし」
「うるさい!」
 澪は口をつぐんだ。
「このままここにいて爆発とかまた起きてさっ、」
 駅の方から砂の混じった熱い風が吹きつける。自分の声が震えているのがわかった。
「つぎは澪がしんだらどうすんだよ! ……早くチャリっ! 乗って!」
あとは死に物狂いで少しでも駅から遠くへ離れるだけだった。後ろの澪は、我慢が切れたように泣き叫んでいた。あたしは、めちゃくちゃにチャリを壊す勢いでスピードを上げた。もう何がなんだかわからない。わあぁぁぁと叫びながら、ひたすら駅から逃げた。
そして、あたしたちの声を掻き消すように、背後で駅舎が崩れる落ちる音がした。

――すべて、爆発が起こってから10分も経たないうちの出来事だった。

「ケガない?」
「……」
「どこも痛いとこない?」
「……うん」
 あれから夢中でチャリを飛ばして、とりあえずうちに帰ってきた。さっきまでのことが、まるで悪い夢みたいだ。だけど、制服のブラウスに染み付いた煙の匂いと、髪に、肩に、スカートに降り注いだ粉塵が現実を物語っている。網戸にした窓の外から、消防車とかパトカーとか、いろんなサイレンが聞こえる。
「はい、どうぞ」
 澪の前に麦茶のコップを置いた。氷がカランと音を立てた。
「ごめん、ありがと」
 澪は一気にお茶を飲み干して、はぁーっ、と長くため息をついた。
「あたし、コズきてくれなかったら絶対死んでた」
 えへへ、と澪は笑った。少しは落ち着いたみたいで、安心した。
「いきなりだったよね。駅舎から逃げるの、大変だったでしょ」
「あ、あたし爆発のときもスーパーの前にいたんだよ」
「へ?」
「あのね、駅についた頃にマッチからメールきてね」
「真知子から?」
「うん。ほら、これ見て」
 差し出された携帯の画面を見る。

〈 To:野崎 澪
  From:広瀬 真知子
今日あたし澪に数学の宿題写させてあげたよね。杏仁豆腐食べたいんだけど。〉


「ぎゃはははは! アンタらってばもう……」
「えっ、そ、そんな笑わなくてもいいじゃんっ」
「それで、わざわざスーパーまで真知子のために杏仁豆腐買いに行ってたんだ?」
「そ、そうだよ!」
「真知子様には頭が上がりませんってか! あっはっはっは!」
「うっ……うるさーい!」
「別に真知子は『買ってこい』ってハッキリ言ってるわけじゃないのに」
「いや、言ってるよ、これは遠まわしに『買ってこい』って言ってるよ!」
「あっはっは!」
「だってさぁ何かお礼しなきゃマッチいつまでも根に持つんだもん! 恩着せがましいんだもん!」
「その前にアンタ数学の宿題をやればいい話でしょうが!」
「だって2時間考えてもわかんなかったんだもん!」
 ひとしきり笑ったあと、頭の中にチラッとあの計画書のことがよぎった。
……澪や真知子に見せたら、何て言うだろう。こんな恐ろしい計画を知ってしまったあたしの味方でいてくれるだろうか。それとも、もう関わりたくないって離れていってしまうだろうか。そんなふうに、あたしがひとりぼっちになってしまう可能性も、ないわけではないんだ。だけど、だけど。
 どっちみち、あの計画はあたし一人でどうにかできる規模の問題じゃない。
 ――ごめん。
「澪」
「なに?」
「……友達やめないでね」
「…え?」
「お願い。これから渡すもの見ても、あたしの友達やめないで」
 あたしは決意して、澪に例の計画書を渡した。
 最初は不思議そうな顔をしていた澪も、それに目を落とすと急に緊張した表情になった。
「こんなもの、一体どこで……」
「さっきお父さんの書斎に入ったときに偶然見つけちゃった。それ読んで、もしかしたらヤバイことになるかもって思ってさ、駅までチャリ飛ばして行ったんだけど、もう遅かった」
「そういうことだったんだ……」
「澪、ごめん、」
 涙がこぼれそうだ。大切な友達を、命に関わるかもしれない大変なことに巻き込もうとしているのはわかってる。でも、誰かに話さないと、このままあたしがパンクしてしまいそうだったんだ。
「たすけて」
 澪はじっとあたしの顔を見つめている。ああ、やっぱり言わなきゃよかったのかも……
「……コズ」
 黙ってた澪がおもむろに口を開いた。
「あたし、もう殺された命とか見たくないんだ」
 ……?
 よくわからない返答にちょっとたじろいでいると、澪は少し微笑んだ。
「ちょっと、昔の話してもいい?」
「うん」
「ちっちゃいときね、妹や弟といっしょに近くの森で遊んでて、罠みたいなものつくって野生の子ダヌキを殺したことがあったんだ。それが親にばれちゃって。お母さんはかんかんに怒って、顔真っ赤にして、大きな声であたしたちを叱ったよ。お説教が終わるとね、黙って見ていたお父さんがあたしひとりを森へ連れていった。タヌキの死骸の前まで来たところで、お父さんが言ったの、」
 一息おいて、澪は続けた。 「お前が今ここにくるまでに、もしも急に誰かに捕まって殺されたらどうする、って」
 ドキッとした。何かに心臓をギュッと握られたような気がした。なぜか、さっき駅で見た、逃げ惑う人々を思い出した。
「いやだ、そんなのこわい、って答えたよもちろん。そしたらお父さんね、じゃあどうしてこのタヌキにそんな怖いことをしたんだ、って言って。その時にあたしようやくわかったんだよね、自分は生きてたものを殺したんだって」
 澪の目は、どこか遠くを見ていた。
「どれだけ泣いてごめんって謝っても、動かなくなったタヌキにはもう何も届かない。親ダヌキは悲しむ。死んだ生き物の体は冷たくて、もう絶対に目を覚まさない。――こういうのってさ、ぜーんぶ『あたりまえ』のことだよね。あたしは、自分の手で生き物を殺してやっと、『あたりまえ』を知ったんだ」
 当時の自分を許すようなやさしい口調で、澪はぽつりぽつりと話した。
「……奪われない限りは、誰にでも平等に未来があるんだよね」
 あたしは、動物や昆虫、いろんな生き物に対して澪がいつも優しくおおらかである理由がわかった気がした。幼かった澪は、命の重みを、身をもって知ったんだろう。
「とにかく」
「うん」
「できることなら誰にも死んでほしくないよ」
 小さい、だけど力強い声だった。
 澪が逃げずに燃える駅舎を見つめていたのは、そういう気持ちがあったからだろう。
「人がたくさん死ぬのなんて見てらんないよ。ねぇ、コズ、こんなこわい計画、止めなきゃ」
「うん、うん、」
「そうだ、マッチ呼ぼうよ。あの子なら賢いからさ、きっと助けてくれる。それで、これからどうすればいいかとか、3人で考えよう?」
 澪はすぐに真知子に電話した。あぁ、いつも学校で聞いてるようなテンションの会話だ。あたしは別に大丈夫だよー!(たぶん駅の爆発のことだろう)とか、ちゃんと買ってくるから!(たぶん杏仁豆腐のことだろう)とか、笑いながら真知子としゃべってる澪を見て、改めて、あたしは本当にいい友達を持ったなぁと思った。
「よーし。今マッチ呼んだから! すぐ来るように言ったから!」
 いろいろな意味をこめて、ありがとう、と言おうとしたとき。
 玄関のドアがガチャッと開いて、
「ただいまー」
 と、声がした。
 この声はまさか……!
「ヤバイ……」
「え、ちょっ、どうしたの、」
「早く、早く今の書類隠して!」
「え? え?」
「お父さんが帰ってきた!」
「えぇぇぇ!!」

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第2話アフターグロウ

蒼き賞
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