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第1話
上空がキラリと光った。見上げると、何かが降ってくる。あれは……枕?愛用の枕だ。枕は、あたしめがけてまっすぐに落ちてくる。あたしは、ゆっくりと両手広げてそれを受け止め……ってちょっと待った。枕が何かおかしい。近づくにつれてようやく理解した頃には遅かった。枕が大きいのだ。自動車ほどの大きさになっている。
「いぎゃぁぁぁああああッ」
不覚にも女子高生らしからぬ雄叫びをあげて、あたしは呆気なく愛する枕(の、20倍くらいの大きさの飛来物体)の下敷きとなった。
ああ、だめだ、あたしはこんなところで枕に潰されて死ぬのか……。その時、
「こずえー!」
薄れていく意識の中で、友人たちの声をきいた。澪と真知子だ。
「コズ、今助けてあげるからね!」
「さあ早く、この枕の中身を叫びなさい!」
中身……?
「中身だよ中身!羽毛?綿?スポンジ?ビーズ?」
なぜ中身?えーと、コイツの中は確か……そばがら。
「え、何!?聞こえない」
なぜか声が出ない。さっきはあんなにすさまじい雄叫びを響かせたのに。そもそも、このワケわかんない展開は一体何なんだ?だめだ、息ができない。そばがらが詰まっただけの枕がこんなにも強いなんて。そばがら、そばがら……
「よし、それじゃあ、せーので叫ぶんだよ!」
澪が急かす。え、ちょっと待ってよ、話の流れがよくわかんないんだけど……!
「せぇーのっ、」
「そばがらぁっ!」
叫んでバッと起き上がると、そこには見慣れた授業中の風景が広がっていた。あたしは即座に理解した、すべて夢だったということを。そして今この瞬間、自分は級友たちにとんでもない醜態を晒しているということを。
(やっちゃった…)
馬鹿げた夢の出演者たちをチラリと見やる。澪はうずくまって小刻みに体を動かしている。爆笑を必死でこらえているらしい。真知子はあたしを一瞥した後、また黒板に向き直ってノートをとっている。ちょっと、二人ともこの状況をフォローしてよ!夢の中ではあたしのこと助けてくれたじゃんか!
「城岡」
先生が引きつった笑顔でこちらを見つめていた。
「蕎麦殻がどうした?」
「……すみません」
「お前なあ。こんなにでかい声で寝言しゃべる生徒も初めてだぞ……家でちゃんと睡眠とれよ」
「はい」
恥ずかしい。穴があったら入りたい。むしろ穴を掘って入りたい。顔から火が出るとはこのことか。いや、この恥ずかしさは、火が出るっていうよりは線香が長い時間かけてじわじわ燃えてるような感じだ。あああ嫌だ!
黒板を見て授業内容を思い返そうとしたがまったく内容が分からなかった。教科書は開いてすらいない。こりゃ完璧に寝てたな、と反省すると同時に、黒板に書かれた「枕草子」の文字を見て、あたしはなぜ夢に枕が出てきたかを理解したのだった。
「こずえ、あんた最高なんだけど」
「あたしは最低です」
「そばがら!そばがら〜。いーっひっひっひ」
「黙らっしゃい澪」
放課後、教室でポッキーをボリボリと食べながら、授業中に見た夢の内容を話すと、澪も真知子も大爆笑だった。
「だって、二人が、枕の中身を叫べーとか言うから!」
「そんなこと言わないよぉ」
「あんた、どんだけその枕愛用してんのよ」
「たかが枕、されど枕よ。愛用枕のパワーをなめられちゃぁ困るね」
「あ、やばい!もう電車来る。じゃあねっ」
澪は手をブンブン振りながら、すばしっこく駆けていった。
この地方都市「小沢野市」の中でもかなり山間部に位置する澪の家は、私立の霊園だ。以前澪の家に遊びに行ったときに、何も聞かされていなかった真知子とあたしは眼前に広がる墓地に驚愕した。きっと雄大に広がる自然の中で自然や生命に対する心を育んできたのだろう。おおらかで無邪気な澪は、動物や昆虫にやたら好かれる。たとえば授業中、窓から教室にハチとかチョウチョが入ってきたら、奴等はだいたい澪の席へと飛んでいく。そして澪と笑顔で戯れている。どんな凶悪な犬でも、有毒な虫でも、あの子の手にかかればマイナスイオン放出体になってしまうのだ。
そんな澪とは対照的に、真知子は超お嬢様育ちだ。家が大きな電器屋を経営しているらしい。土日の過ごし方や持ち物を見る限り、相当の金持ちだということは明らかである。そういえば「こないだデンマーク行ってきた」とか言っていた気がする。加えて、真知子は美人だ。頭脳明晰、スタイルもいい。女子としてのステータスは、かなりのものだと思う。……性格を除けば。育ちのいい彼女は、性格に大いに問題がある(こんなこと本人の前では口が裂けても言えないけど)。とにかくワガママなのだ。それでも、その性格の悪さをカバーしてしまうような色々を、真知子は持っている。それに、なんだかんだで、困ったときはその勝ち気な性格でもっていつも味方になってくれる真知子を、あたしは信頼している。
こんな親友たちと毎日を過ごしながら、あたしはもう高校2年生になってしまった。
「そばがらとか言ってる間に青春終わっちゃうよ」
なんとなくつぶやくと、真知子が「じゃあ羽毛とかスポンジとか言えばよかったんじゃないの」と吐き捨てた。いや、そういう問題じゃないよ真知子。
鞄から家の鍵を取り出して、家に入った。
「お母さん、ただいま」
あたしのお母さんは、もう生きていない。もう会えない。それでも、写真の中のお母さんはいつもあたしに笑いかけてくれるんだ。だから、兄ちゃんがもう何日も帰ってきてないことも、お父さんが最近すごくピリピリしていることも、最近ニキビが増えてきたことも、別に平気。何をしていても、お母さんはテレビの上の写真立てからいつもあたしのことを見ていてくれるから。つらいことがあったら、黙って、黙って、やり過ごす。
あたしは、真知子が「廃墟の写真集を貸してほしい」と言っていた(彼女は本当に変わった子だとつくづく思う)ことを思い出して、お父さんの書斎へ向かった。
久しぶりに入ったお父さんの書斎は、書類や本やファイルで相変わらず散らかっている。お父さんは、市役所だか地方自治体だか知らないけどそういう感じのところに勤めているらしい。今までは職を転々としていたから、あたしは実を言うとよく知らない。
いろいろと考えを巡らしながら棚に目を走らせる。
「あ、あった」
椅子に上って、目的物を手に取った。これだ。『破滅の美学』。パラパラとめくってみると、錆びた鉄筋や草ぼうぼうになった公園の写真がたくさん載っている。少なくともあたしには、それらからは美的なものを見出せない。あの子はこんなもん眺めて一体どうしようというのか。
その時。
「うぉわっ!」
開いていた窓から、強い風が吹いてきた。残念ながら、発達した反射神経もバランス感覚も持たないあたしは、あえなく床にひっくり返った。
「いったぁー……」
お尻を強打したようだ。鈍い痛みが響く。
そして、ゆっくりと上半身を起こしたあたしの顔にさらに一撃、強風に舞い上がった紙がビシッと張り付いた。
……。
視界を塞いだ忌まわしき紙をつかんで、顔から離した。
イライラして、そいつをぐしゃぐしゃと丸めて、壁に投げつけようとしたところで、ドキっとして手を止めた。その紙に、なんだか嫌な文字列を見た気がしたのだ。
シワのついたその紙をピンと伸ばす。瞬間、あたしの目に飛び込んできたのは、
小沢野市に於ける人口削減計画 No.1
小沢野市とは、この街のことだ。そこまではわかる。理解できないのはその続きだ。「人口削減計画」?ジンコー・サクゲン・ケーカク?中国の「一人っ子政策」みたいなことでもするのかな。「No.1」って書いてあるってことは、この紙1枚で終わりじゃないってこと?
聞きなれない言葉の真意が気になって、読み進める。
社会実験
2050年 7月14日(月) 18:30 小沢野駅 駅舎倒壊
社会実験?いったい何のことだろう?この街で、何の実験をするんだろうか?
14日って、今日だ。時計を見ると、今ちょうど30分になろうとしているところ。そんなことより、不安なのがその続きだ。
駅舎倒壊
(駅舎が倒壊する……?)
「!」
そういえば、電車通学の澪は、小沢野駅を通過するはずだ。これってまさか―――
次の瞬間、遠く、小沢野駅の方角から爆発音が聞こえた。 |
【第2話に続く】
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