アシタのアタシきつね

第6話

ここ数時間のあたしは、どうかしてた。
感情が暴れて、冷静に自分を把握出来てない。
泣いてみたり、怒ってみたり、元気な振りをしてみたり。
とにかくバラバラで、いつも何かに憤りを感じていた。
母の死の宣告からは、まだ1日とちょっとしか経ってないのに、
あまりに出来事が多すぎて、展開が速すぎて、考え過ぎて、正直疲れた。
それは、精神的には勿論のこと、肉体的にも限界にきていた。
昨日食べた、惣菜なんかはもう胃に残っていないから、お腹は空くし、
トイレにも行ってない。

家に帰りたい。

そう、思った。
母も待っているのだから。
なにか食べて、少し休んで、それから火を着けよう。
母が死ぬ前に晩餐を望んだように、あたしも人間らしく死にたい。
どーせ、すぐに「肉」になってしまうけど。
あー。
溜息も出ない。
あたしは、紐を切られた操り人形の様に温まったコンクリの上にしゃがみ込む。
職員駐車場に一人座り込んだあたしは酷く滑稽だ。

もう、疲れた。
早く、死にたい。

なんで、あたしだけこんな思いしなきゃいけないんだろう。
そんなことを、校舎の中の楽しそうな生徒を見て思う。
あたしだって……あたしだって。

みんなと遊びたかった。
笑いたかった。
輝きたかった。

「友達」が欲しかった。

もうあたしからは、その何もかもが失われていた。
生きる気力、希望なんてものは最初からなかったし、
今となっては、唯一の母さえも居ないことを認めざるを得なかった。
血の中に横たわっていた「死んだ」母の姿が甦る。
同時に母の笑った顔。
さっきあたしは、隣に居ない母を想って泣いた。
親と友達をいっぺんに失ったあたしは、死んだ母の隣で泣いていた。
死んだ母の首を絞め、喉元に包丁を宛てたあたしは、酷く惨めだった。
喧嘩して家出したあたしは、幼稚だった。
母を「殺したい」と思ったあたしは、短絡的だった。
橋の下で黄昏ていたあたしは、自惚れていた。
母の言葉で動揺していたあたしは……。

想いは回帰し、遡り、見つめる。
あたしの本当の想いは、最初にあったんだ。
関西弁なんかで隠しても、ポジティブに偽っても、あたしは、あたしは……。

あなたと居たかった。
悲しかった、寂しかった。

その想いは一貫して存在していた。
「死」とか「偽り」とか、そーゆう難しいもんはどーでもよくて、
そんなのは後付けされた、ただの言い訳でしかないんだ。

母として友として、ただ一緒に居たかった。

過程が結果を生む。
あたしの言えなかった言葉は、後悔と死を生み出した。
母は「あたしと死ぬ」ことを伝えたのに。
もう何もかもがまとまらない。
結局あたしは、どーしたくて、どーしなきゃいけないのか。

偽りながら生きることについて疑問を持ったのと同じように、
このまま死ぬことについても疑問を持つ。

それは、母を想うが故に。
「死にたい。母のところへ行きたい」
その思いは決して揺るがない。
でも、それで全て終わるのだろうか?
あたしは、母の死の理由を知らない。
そのままで良いのだろうか?
灰色の世界を抱いて燃え尽きれば、終焉だろうか?
闇に生きる者は、「光」を知らなくていいのだろうか?
本当に「光」の中では生きていけないのだろうか?
何かが終わった後には、必ず何かが始まる。
あたしは、終えることで何か生み出してしまうのだろうか。

このまま、世界を終えていいのか。
世界の終わりは、この形で正しいのか。

答えは、どこにある?

考えてはみたものの、生きるのは辛いし、願いも希望も何も無い。
あたしの人生は、幕を閉じるべきだろう。
死ぬこと――それは無責任な放棄。
そんなことは解っているけど、
本心、あたしは疲れたし、死にたい。
早く家に戻ろう。
力なくよろよろと立ち上がる。
しかし、その想いに反比例するかのように視界がブラックアウトしていった――。


……あぁ、夢だったんだ。

残酷な悪夢やったんや。
どっからが夢でどっからが現実なんだろー?
あたしは、全部覚えてる。
そう全部、夢。
とてもリアルな……夢。
口の中がジャリジャリする。
最悪。
卵焼きに卵の殻が入ってる時の、あの不快感の約7倍。
視界は暗闇。
暖かい心地良さは、ベッドのもの。
肌触りの良い布地が、あたしを柔らかく包み込む。
どこだろう、どこであたしは意識を途切れさせてしまったんだろ?
そうやなぁ……。
橋の下?
ってことは、そっから夢?
じゃぁ、まだお母さん……。

違う。
ここは、天国でもウチのベッドでも無い。
「夢」の内容は全部覚えてる。
頭もはっきりしてる。
さっきのは、「夢」じゃない。
確固たる現実だ。
口内の不快感と身体の疲労感とが、あたしを繋ぐ。
規則的に紙が擦れる音が耳に入る。
それと、小さな吐息。
僅かな太陽の匂いは布団から。
それに混じって、「オンブルローズ」。
……静かだ。
本当に……静か。

あたしは、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
白んだ視界に蛍光灯が映る。
光は灯っていない。
中途半端に閉じられたカーテンが見える。
病院のようにベッドを囲む、あのカーテン。
左端に男の子。
首だけを回して、視野の中心に映す。
「ねぇ」
と声を出そうとしたけど、喉が詰まって上手く出せない。
声って、どやって出すんだっけか?
身体を起こせば気付くだろうけど、それもダルい。
「起きたんだ」
目は下に向けたまま彼は言う。
……本でも読んでるんだろーか?
ってか誰?
「保健委員会。駐車場で倒れてた」
主語がなく単語で話すから、理解するのに手間取る。
っつーことは、彼は保健委員会で、駐車場に倒れてたあたしを連れてきたって訳?
この「保健室」に。
「佐藤先生」
また単語で話す。
佐藤があたしを運んだってことかな?
あーあ。
学校の中か。
本当にダルい。
「どう?」
初めて彼は、あたしの顔を見る。
これといった特徴のない彼の顔。
ある意味整っているのかもしれない。
ワックスとか、ピアス穴とか、そういったものは見られない。
いい子ちゃんキャラというよりも、根暗キャラ。
空気系の人間。
空気だからか「空気」を読むのは得意らしい。
喋らずとも伝わっていて楽だ。
「具合」
普通。と言いたいとこだけど声が出ない。
寝起きはいつもそーなのだ。
だから、こくりと頷いてみる。
「なら良かった。暫く休んでれば。そのうち佐藤先生来るから」
あ、文章になってる。
暫く休みたいけど、帰らなきゃいけない。
これが夢でないならば。
「起きたの?瑠璃ちゃん、貧血か疲労か寝不足か。とにかく生活改めなさいー」
カーテン越しに飛んでくる保健の先生の声。
「お父さん居なくて、大変だとは思うけど」
お父さん居なくて大変、大人は皆そう言う。
すごく嫌だってこと知らないで。
お父さんが居なくたって生きていかれるんだよ?
同情なんか要らないの。
そう言いたいけど、父親がいる家庭の人たちに、それを理解しろと言うほど、
馬鹿じゃない。
彼らに父親の居ない環境が理解できないように、
あたしも父親が居る環境が理解できないから。
そんなことを考えてると、いきなり腕を掴まれる。
冷たくて、細くて、長い指。
「行こう」
ほら、また勝手に動く。
いつだって皆はあたしの気持ちなんか知らないで、連れまわす。
来客用の緑のスリッパを引っ掛けて、そそくさと保健室を後にする。

「ねぇ」

やっと声が出る。
「痛い」
あたしが、そう言うと彼はビクッとして手を離す。
校内に人影はない。
あたしと彼の二人だけ。
文化祭の飾りの折り紙が、廊下に落ちている。
「なんなの?」
そういったときには、もう既に彼は歩き始めてた。
一体なんなの?
暫く休めとか言っといて。
「森口さん、口」
水道を指差す。
……洗えってこと?
あたしは口をすすぐ。
汚い砂が吐きだされる。
うえ。
「回る?文化祭」
彼は、小首を傾げる。
「名前は?皆は?佐藤はいいの?」
腕で水滴を拭って、訊く。

彼の名前は、てると云うらしい。
「輝く」と書いて「てる」。
まったく輝いてませんけど、と思いながら聞く。
皆は、体育館で行われるミスコンに行ってるらしい。
……終わる前に帰らないと。
「回る?文化祭」
さっきと同じトーンで聞いてくる。
「帰る」
単語で返す。
「駄目だって佐藤先生が言ってたよ」
表情を変えず、返される。
「でも、帰りたいなら帰れば。辛いなら」
よく解んない子。
死んでんのか、生きてんのか。
忠実なのか、自己中なのか。
それでも、輝は眩しくないなと感じる。
文化祭なのに楽しそうに笑ってないから?
ううん。

「飾ってない」

多分それが理由。

突然、騒がしい声が階下から聞こえてきた。
あぁ、最悪。
「あいつら」だ。
もう帰るね、と言おうと振り向いた。

ぱさっ。

ほら、また悲しい音。
続いてキュッキュと上履きが床に擦れる音。
輝は、既にあたしに背を向け走り出していた。
はぁとため息をついて蛇口を閉める。

本が落ちていた。

落ちた本の音が、電話の落ちた音とダブる。
何かが落ちたときの音は、いつも悲しい。

かがんで本を手に取る。
その瞬間、あたしは気付く。
あの子、あたしと「おんなじ」なんだ。
普通の子なんだ。
昔のあたし。
壊れる前の捻じ曲がる前の……あたし。
偽る前のあたし。
駄目。
あたしは、走り出す。
世界の終わり。
あたしは、またもや道草をする。
でも今回ばかりは、道草しなくちゃいけない。

あたしは、走る。
それはもう、走りにくいスリッパで。
ってか、久しぶりのダッシュですか?
あれ、佐藤に急かされて走ったっけ?
とにかく、あたしは走ってる。
こんなスリッパで、こんな身体で、こんな状況で。

何故なら、第二の「あたし」を生まない為に。
残された本のタイトルは皮肉にも『走れメロス』だった――。

【第5話に戻る】 【第7話に続く】

第6話アシタのアタシ

蒼き賞
Copyright (c) TOKYO FM Broadcasting Co., Ltd. All rights reserved.