| |
第7話
この思考を停止させたら
全ての罪は癒されるの?
体中の血を流したら
全ての罰を消化できるの?
この心臓が止まったら
貴方への愛は消えてしまうの?
何も云えず沈黙するより
ただ叫び続けた方が善いと思う。
格好良いと思う。
思うだけ。
思うだけ。
思って終わり、思いが全て。
だって
声が枯れるまで叫び続けたら
この想いは届くの?
ねぇ、おかあさん。
貴方は何を見ましたか?
リビングの真ん中で。
未だに、あたしは学校に滞在していた。
そして、緑のスリッパを引っ掛けて走っている。
「なんてこったい」
辿りついたここは「図書館」。
学校の中でも、保健室に続いて輝きのない場所。
あたしにとっては、凄く居心地の良い場所。
昼間の為か、利用者が居ない為か白い蛍光灯は切られてる。
まだ息を切らしてる輝を横目に、あたしは溜息をつく。
輝は、窓辺の椅子に座る。
あたしは、窓辺に置かれた名も知れぬ草を手でいじりながら、図書館を見回す。
それ程蔵書数は無いにしろ、図書館と云うだけあって本がいっぱい。
きっと、この「走れメロス」もその一人。
「なんで?」
輝は、眉を寄せて言った。
「あんたの為」、そんなこと言えない。
ってか、そういうキャラじゃないし。
「忘れてる」
あたしは、スッと本を差し出す。
「メロス好き?」
彼はそう言うと、また小首をかしげる。
メロス……どんな話だったか覚えてないけど、「ナルシストで嫌い」と応える。
それだけは、覚えてるんだ。
自分を奮い立たせるメロスは、なんだか痛々しかった気がする。
「暴君が居るんだ。自分が気に入らない奴は無慈悲に殺しちゃうんだ」
あぁ、そーだ。
ってか、訊いといて無視?
はい、黙っときます。
図書館私語厳禁。
「僕は、今の世界の方がずっと怖いんだ」
それは……「あいつら」のこと?
「一人殺せば、殺人者」
その視線は植物に向いていて、あたしに話してる感じがしない。
「一万人殺せば、英雄」
光と影が、彼の顔を形取る。
「一億人殺せば、天才」
よく解らない、何が言いたいの?
「人間だけだよ。お互い殺すために計画なんて立てるの」
社会の矛盾?
残酷凄惨さについて?
「当たり前に人殺して、当たり前に生きる」
……あぁ。
殺人者だと異常に見られて、軍人だと称えられる。
段々と彼の思考が見えてくる。
「あたりまえ」そう思い込んで感覚が麻痺する。
矛盾に気付かない、善悪が判断できない。
……昔のあたし。
今のあたしは違う。
でもきっと彼は、昔のあたしだ。
「全世界の生きとし生けるもの全部殺す方法知ってる?」
彼に問う、全部を殺す方法を。
彼は、またも小首をかしげる。
「君が怖いのは、学校?あいつら?」
あたしは続ける。
今度は、あたしが語る番なのだ。
「あたしは、あいつらが駄目だった」
「駄目だった」の裏にはどろどろして冷たい嫌な出来事があった。
彼に言うべきか?
「僕は……要らないんだ」
あたしの言葉は、彼に届かない。
ただ、その空気の重さを感じる。
言いだしっぺのあたしは、重い空気に耐えられず本を手に取る。
黒が染めるから。
だから「灰色」
中途半端な色は拭えない。
干渉しないで。
流れ込む感情は黒。
せめぎどよめくのは白。
何で染めるの?
流されて
染められて
汚されて
消えていく。
テリトリーが消えていく。
干渉しないで。
心を何だと思っているの?
コミュニケーションの中継地点なんかにしないで。
心をどうしたいの?
自分の色ばかり押し付けないで。
触れる指先は黒。
震える手足は白。
混ざる心は「灰色」。
淀んだ世界。
干渉……しないで。
彼はきっと思ってる。
「一人は嫌」。
かといって、彼らを受け入れるのも嫌。
外の世界は恐怖でいっぱいだから。
嫌われる恐怖。
否定される恐怖。
……失う恐怖。
「僕は……要らないんだ」
彼は、続ける。
「僕は、無価値だから。生きる価値なんてないんだ、意味なんてないんだ」
僅かに表情が歪む。
「だから、他人に必要とされて、褒められると嬉しい」
そうだった。
あたしも、そうだった。
あたしは、自分自身が大嫌いで無価値だと思ってた。
そこに、あいつらが出てきて感化されたとき「必要」とされていることに気付いた。
それは、捻じ曲がった「必要」。
でも、その「必要」を失うのが怖くて、段々とエスカレートしていった。
自虐。
所謂、「いじられる」こと。
突発的に話しかけてきたあいつらは、あたしをからかった。
最初は遠巻きに。
あたしは、それが嬉しかった。
自分に関心が向いたようで。
気に入られたようで。
「友達」が出来たようで。
あいつらは、あたしが変人でいれば居るほど喜んだ。
関西弁で喋ったり、家庭環境をネタにしたり、好きでもない人と付き合ったり。
そうして、話題の中心にいることで、気に入られる「あたし」を造ることで、
不安と寂しさを解消した。
しかし、それは「一時的」なもの。
子供は、遊び飽きた玩具には見向きもしない。
それも、また突発的に。
当然、また恐怖が襲ってくる。
何倍にも膨れ上がって。
一人は嫌。
かといって、もう過去に戻れない。
戻りたくもない、気に入られるためだけの惨めな「玩具」に。
そうして、「学校」という世界にいられなくなったあたしは、別の世界を探し始める。
そして、見つける。
ずっと昔から存在していた、とても暖かな世界。
それが母。
母の世界と同化することで、心の喪失感を防ぐ。
母は何も言えない。
なぜなら、母は自分が「まとも」じゃないと感じていたから。
だから、あたしは存在出来た。
干渉されず、且つ不安や寂しさを解消する都合の良い世界に。
「接触と承認」。
それだけが欲しくて。
結局、あたしは母を利用していたに過ぎない。
そう思った。
「だから、僕」
あぁ。
彼の話、聴かなきゃ。
「本に助けられてるんだ」
そっか。
あたしは、ぼそっと呟く。
あたしは、「母の世界」で生きてる。
それと同じように、彼は「本の世界」に生きてるんだ。
「ただの現実逃避だけどね」
寂しそうに彼は呟いた。
あたしは、思った。
あたしは、未だに「あの時」に依存している。
関西弁がいい例だ。
未だに「関西弁」で素を包みこんでしまっている。
否定されても、馬鹿にされても傷つかないように作った「心の壁」。
関西弁のあたしは、クレイジーなあたしであって、素のあたしじゃない。
だから、傷つかない。
でも、それは昔の話。
傷つくことのない今でも、その壁は確かに存在している。
「あの時」の名残が、傷だらけのもう一人の自分が、まだそこに居る。
でも多分輝は違う。
現実逃避しながらも、依存なんかしてないんだろう。
彼は今、「あの時」と隣り合わせに生きてる。
「現実逃避だって、いいじゃん。あたしより凄いと思う」
「なんで?」
「だって、あたし、不登校だもん」
「僕には、不登校になる勇気だってないんだよ」
暫く沈黙。
遠くの方から微かに歓声が聞こえる。
「……学校に来れば、誰かが僕のこと見てくれるかもって思うんだ」
あぁ。
あたしは、何も解ってないや。
違うんだ。
彼だって依存してるんだ。
学校という社会に、あいつらに。
でも、じゃぁ何で逃げたんだろう?
気に入られたいなら、輪に入ればいいのに。
「じゃぁ、何でさっき走ったの?」
「虐められてる……と思う」
いじめ、か。
いじられることの度が過ぎると、そうなってしまう。
「矛盾してるんだ。関わりたくない自分。友達になりたい自分」
だから、ここに逃げてるのかな?
あたしが、母に依存してるように。
皆が、「友達」や「携帯」に依存しているように。
そしたら、母は何に依存していたんだろう?
依存するものを失ったとき、人は死を望む。
依存を失った恐怖。
自分を認めることのできない恐怖。
母の失ったものとは?
考えていると、不意に声がする。
「きっと、貴方たち自分が嫌いなのね」
司書室からニヤリと笑った女性が出てくる。
「あたしは好きよ、自分」
あはは、と笑うと彼も笑う。
ここ笑うとこなん?
「盗み聞きしちゃったー」
てへ。とか言う姿は学校の先生とは思えない。
「図書館でベラベラとごめんなさい」
彼が軽く頭を下げるから、あたしも下げる。
「いいのよ。私語厳禁なんて昔の偏見よ」
古ぼけた手作りのポスターを指差して言う。
「そりゃ静かにしなきゃいけないけど、喋らないって変でしょ」
もっと開放的になるべきだわ、と小声で続ける。
「ですよね、読書家は根暗ってイメージ強いです」
輝ってこんな話もできるんだと感心する。
「あと……司書が楽だって思ってる人も多いわね!!」
わざとらしく顔をしかめる。
な、なんなんだ、この人。
「ま、私もそう思ってたけど」
てへ。
母が失ったものとは?
母が失ったものとは?
あたしは、自分の世界が壊れていく原因が知りたい。
あたしは、自分が死ぬ理由を知りたい。
依存していた人が依存していたものとは?
「森口」
呼ばれて気付く。
……君、顔が近いよ。
一体、君はなんなんだ?
「時々、白目だよね」
は?え?嘘?!
「マジで?!」
「うん、嘘」
へへー、と笑う君。
なんなん?
喧嘩売ってんの?
ムカつきはするけど、とりわけ嫌でもない。
なんか変な感じ。
「なんなん?」
「学校来ないの?」
彼はまた首を傾げる。
ちょっと可愛いと思う、犬みたいで。
「何で行かなきゃいけないの?」
「え?」
もう、来ないよ。
だって、あたしは失ってしまったから。
「一人は嫌じゃない?」
彼は言う。
あたしは、応えない。
……別にあんたに心を開いた訳じゃないんだ。
ただ「本を届けに来ただけ」。
おせっかいなことしようとしてた、あたしって……。
あーなんて愚か。
「あたし、帰る」
さっき言うべきだった言葉をやっと今、口にする。
「うん、あのさ」
うつむいた彼に若干イラつきを覚える。
あたしは、こんなヤツと一緒じゃない。
そう、君は「あたし」なんかじゃないんだよ?
君は一人でも生きていけるから。
本を失うことはない。
「上手く言えないんだけど」
「なに?」
早くして。
君は……眩しすぎる。
「自分に対して罰を与えるのは、止めたほうがいいよ」
……?
「腕」
彼は一言、そう言ってリストバンドを指差す。
「あ、これ……」
「服装に合ってないから」
言われちまったよ。
「すいませんねっ!」
あたしは、背を向けて図書館を出る。
後ろから、「昇降口に靴あるよ」って声がする。
それと、司書の先生の「明日もおいで」の声。
案外、人間は簡単に輝けるのかも知れない。
輝を見ていて、思った。
でも、それは世界に「光」がある人だけ。
では、光とは何か?
繋がり?思いやり?信じること?愛すること?
いずれにせよ、それは人との関わりから生まれるものなのだ。
だから輝は、あたしと関わることで光を覚醒させた。
それを見て解ってしまったんだ。
あたしは、やっぱり光にはなれないってこと。
人と関わっても、輝けないってこと。
心の壁が強すぎる。
表層的な感情しか表に出せない。
悲しみや怒りの様な使用頻度の少ない感情は出せない。
傷だらけなのに、とても強靭な心の壁が遮断する。
もう一人のクレイジーなあたしが、遮断する。
あたしの感情を。
彼らと関わることで得られるものを。
深海魚みたいだ。
グロテスクで、野蛮な魚。
光の届かない深海で、ただ捕食されるだけの深海魚。
真っ暗で。
真っ暗で。
ほら、また。
あたしの隣には誰もいない、いつだって。
居たとしたって、暗い海の底じゃあ……誰も気付かない。
おかあさん。
世界は真っ暗になりました。
|
【第6話に戻る】 【第8話に続く】
第7話 | |
Copyright (c) TOKYO FM Broadcasting Co., Ltd. All rights reserved. |