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第6話 夜の下で
「お兄ちゃんには信じられないかもしれないんだけどね、実は結構、死んだ人が生き返って、この世界に混ざるのはよくあることなんだよ」
夕飯を食卓に並べながら、我が妹は再会した当初と同じく、とんでもないことを弾んだ声で言った。
「なんだよ、それ?」
実際にそんなことがあるのだとしたら、この世の中に蔓延る常識ってものが崩壊するに決まっている。
「うーん……お兄ちゃんには理解しがたいと思うけど、あるんだよ、天国も地獄も。
ただね、絶対にそれは秘密の存在なの。だって世の中の人達に知られちゃったら、すんごいパニックになっちゃうでしょ?こうやって帰ってこれる人間っていうのは、凄く厳しい審査をくぐり抜けてこられた人達だけなの。あたしはその為にこの半年間、いろいろと勉強して、ようやく審査を通過したの。それなりに素養も必要らしいから、つまりあたしは、選ばれた人間ってことになるんだよ」
エヘンとでも言いそうな口調でマユは熱弁をふるいながらエプロンを脱ぎ捨て、いそいそと俺の向かい側に座り、今度はチラチラと控え目な視線を向けてくる。
「ね、ねぇ、コロッケ、実は今まで失敗ばかりしてたんだけど……今日はね、割と自分の中でも成功したかなって思うの」
遠回しに感想を求められた俺は、合掌し、箸でコロッケをつついた。
まあ確かに、見てくれはあまり良いとは言えない。衣はところどころはげているし、中身が飛び出しているものだってある。だけど味は旨かった。
「……おいしいよ」
「ほんと!?」
マユが身を乗り出して聞き返してくる。瞳がキラキラと輝いて見えた。
俺はもう1度、しっかりと頷く。
「本当。だって俺、嘘つけるほど起用じゃないから。そのこと、マユが1番知ってるだろ?おいしいよ」
俺はこの時、“初めて”彼女の前で笑ったかもしれない。マユが俺の笑顔を見て顔を赤くしたのも束の間だ。俺の口から、スルリと、自分でも驚くほどその言葉は呆気なくこぼれ落ちた。
「……なあマユ。もし本当に天国も地獄もあるなら、他にも大勢の人間が生き返ることは出来るのかな?」
自分の分のコロッケを口に運ぼうとしていた彼女の箸の動きが止まった。視線が皿の上に落ちる。
「……今は、難しいと思う」
「どうして?」
「──お兄ちゃんは、やっぱりお父さん達にも来て欲しかった?」
疑問を疑問で返された。
問いかけてくる彼女の瞳の奥に広がる昏い光に、俺は思わず身をすくめる。
「……ん、いや、それはそうだけど。今はマユに帰ってきて貰えたことが、俺は嬉しい。ただ、マユが帰ってこれたなら、父さんも母さんもいつか帰ってこれるんじゃないかって、思った」
あさはかな言葉だったかもしれない。口に出した直後、不安の雲に覆われた。
「……それなら、大丈夫だよ」
マユは俺の予想に反して、穏やかな笑顔を口元に浮かべていた。
「お兄ちゃんがそう願っていれば、いつか必ずお父さん達は帰ってくるよ。神様がね、叶えてくれるよ」
──いるのだろうか、神様なんて。
マユが先程から何度も口にしている【神様】という言葉に対して、言い知れない黒い感情と、その感情の中に沈む小さな星屑ほどの救いを求める気持ちが溢れてしまいそうになった。自分の中で、意見が二分する。
神なんて嫌いだった。今でも嫌いだ。そもそも、存在自体を信じていなかった。
だが、目の前で死を実感した時、無関心は嫌悪へと繋がった。
──でも。
(マユは、帰ってきた)
マユの作ってくれる不器用な料理の味、思い出と重なる彼女の仕草。
この時の俺は、マユとの新たな生活の始まりの予感に、少しずつ自分が変化していくさまを感じていた。たぶん、心に余裕みたいなものが生まれてきたのだと思う。
だから俺は思った。
少しだけなら、神様というものを信じても良いんじゃないかって。
マユはじっと俺を見つめ、
「お兄ちゃん、なに想像してたの?」
「いや、別に何もしてないけど……」
正直なところ、驚いたと同時に拍子抜けだった。俺としては、もっと沢山の話を聞いてみたかった。両親のこと、マユ自身の生活のこと。実感が持てることを共有したいと思っていた。
ところがマユはフンと鼻を鳴らして、意地悪げな笑顔で俺の顔を凝視する。
「どぉーせお兄ちゃんのことだから、やれプラズマがどうとか、やれ科学はどうとか、そういう難しい言葉で誤魔化すつもりだったんでしょ? 人間、時には柔軟性が必要だと妹は思うのですよ」
「ぐっ………。お、俺って昔っからそんなに顕著に頭の硬さが現れてる人間だったっけ?」
思わず悔しさで赤面してしまう。それを見たマユは、勝ち誇ったように笑った。
「あれー?お兄ちゃんってば知らないの?中学の頃のお兄ちゃんのあだ名は、【石頭浩輔】だとか【堅物王浩輔】だったんだよ?瑞穂さんとね、命名したの。ほら、私と瑞穂さん、凄く仲良しだったしね」
「…………」
なにか俺の周りにだけ異常な重力がかかっているようなプレッシャーに、思わず口を閉ざす。
「ま、総じて言うなら、お兄ちゃんは気合いの入った強情人間ってことね!」
「……………」
そう胸を張って言わなくても良いだろうと、兄はうなだれるのだった。
「………お兄ちゃん」
「なに」
「なんか、ケータイ鳴ってるよ?」
妹に指摘され、現実から乖離しかけた俺の魂は再び元の世界へと戻ってきた。
耳をつくような電子音が鳴り響いていた。俺のケータイの着信音だ。慌てて手に取り、画面を開く。
そこには佐伯瑞穂の名前が表示されていた。俺は一瞬躊躇ったが、通話ボタンへと親指を誘導した。
秋の夜風は、もう既に冬の横顔を見せ始めている。切れるような肌寒さの中で、俺の足は学校近くの公園に歩を進めていた。
外灯に照らし出される人気のない公園に、キイキイと錆びた鉄同士のこすれる独特の音が静かに響き渡っている。
「お前、それ怖いよ」
「うるさいわね、馬鹿」
片手にコンビニの袋を掲げた俺を睨むと、瑞穂はブランコをこぐのを止め、恨めしそうな目をしながらこちらにズンズンと向かってきた。
「……怪我、大丈夫なの?大沢が結構心配してたわよ。『あの石島が』とかしつこいぐらい連呼してたもの。……私も、そんな時に呼び出してごめん」
「気にするな。……つーか俺、大沢の中でどんなキャラになってんだよ?………あ、そういえば瑞穂さ、中学の時によくも俺に愉快なあだ名をつけて流布してくれたな。【石頭浩輔】だとか」
「あはははは、なに、どうして今そういう話題?」
「マユが教えてくれた」
瑞穂の目は張り裂けんばかりに見開かれた。
「……なにそれ?」
「そこのベンチ、座ろうか」
いまいち頭がついてこれていない様子の瑞穂を引っ張って、俺達は仄暗いベンチに腰掛け、コンビニの袋からホットの缶コーヒーを2つ取り出し、片方を瑞穂に手渡した。
「ありがと……」
彼女はやや伏し目がちに受け取ると、虚ろな仕草でプルトップを開け、少しだけ口をつけた。俺も一口飲む。ジンワリと暖かさが体にしみて、そろそろコタツ出さなきゃな……とか、この場にそぐわないことを考えてしまった。
「………で、なんで俺を呼び出したんだよ?」
「アンタは明日学校を休むだろうけど、私は違うんだから。明日も委員会で1日中走り回らなきゃならない忙しい身の上なんだから、頭モヤモヤした状態で登校したくないの。わかるでしょ?私の言いたいこと」
「マユのことか」
瑞穂の横顔を見つめながら問うと、彼女は「ん」とすねた子供のような表情で頷いた。
「だって、有り得ないでしょ?ねぇ、あれ本当にマユちゃんなの?私らの頭がおかしくなっちゃったのかな?それとも、これ自体が夢とか?はは……都市伝説にでもありそうだよね。修学旅行のバスが事故っちゃって、それで私らのクラスまで巻き込んで、集団でこんな夢を延々と見せられてるとか、そういう話だったりする?」
瑞穂の、嘲笑と悲しみが入り混じった声。彼女の瞳がぶれて見える。
俺は冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「あれはマユだよ。死んだんだけど、帰ってきたんだ」
「……嘘だ」
「嘘だと思うのも仕方はない。俺だって最初はそう思った。信じられなかった」
瑞穂がまた何かを言いかけた。多分否定の言葉だろう。それを解っていたから、彼女の言葉に自分の言葉を強引に被せた。彼女の姿にムキになって、それでも構わず否定を続ける俺は、確かに強情な野郎だった。
「最初は夢だと思った。幻だと思った。もしくは幽霊かとも考えた。最悪、とうとう俺も精神に疾患が現れてしまったのではないかって……けど、違った。俺も瑞穂も、同じ空間で彼女を見ただろう?事情を知らない連中にだって見えていた。それに俺は彼女と話をしたし、食卓も囲んだ。今の俺の中で、彼女の存在を否定する言葉も理屈も、出尽くしてしまったんだ。………そしたら、今度は彼女を信じてやれなかった自分に憤慨した。俺はあいつの兄なんだ。だから俺はマユを信じる。彼女は、俺の妹なんだ」
瑞穂から、静寂な怒気が発生した。だがそれも、暫くの互いの無言の最中で、ゆっくりと消化されていく。
いつの間にかコーヒーはぬるくなっていた。
「……浩輔が信じるなら、私も信じる。でも、もう少しだけ時間が欲しい」
ゆったりと、静かに瑞穂は切り出した。
「……ねぇ浩輔」
「ん?」
瑞穂の目の端に、涙の滴が溜まっていた。
「私ね、何度かこう思うことがあったの。死んだ人が生き返るなら、残された人は幸せになれるんじゃないかって。でも、なんだか違う気がする。だって、マユちゃんは私にとって大事な友達だった。普通生き返ったら喜ぶべきなのに、……ごめんね、私はなんでか、あんまり嬉しくないの」
瑞穂の頬を、銀色の筋が伝った。
瑞穂の小さな嗚咽を聞きながら、俺は手を伸ばせば触れそうなほど近くに感じる大きな三日月を見上げた。そして、あの夜見た満月を思い出す。
何かが足りない気がした。何かが、あの三日月のように俺の心から、欠けているような気がした。
公園の入り口で瑞穂と別れる。送って行こうかと提案したが、それを瑞穂が拒否したのだ。仕方がないので、公園の入り口で、彼女の後ろ姿が夜闇へと消え去るのを見届けることにする。
去り際の彼女の後ろ姿は、いつにも増して細長く見えた。
底のほうに残ったコーヒーを飲み干し、ゴミ箱へ向かって投げる。缶は俺が希望とする軌道からそれて、ゴミ箱とは縁のない方向へと転がっていってしまった。だけどそれを拾いに行く気にもならなかった。
──カラン。
だから、乾いた金属音が夜のしじまに響いた時には驚いた。同時に、妙だと思った。
自分の他に、誰か公園の敷地内にいただろうか?と。
(俺と瑞穂以外、ここに入ってきた気配なんてなかったと思うんだけど……)
この公園は、入り口のスペース以外はグルリと周りを高いフェンスに囲まれている。だから、誰かが入ってくれば、必然的に目立つはずなのだが……。
(話に夢中になってて、気づかなかったか)
俺はソッと背後を振り向いた。
そして、俺の目が見開かれる。自分の見た光景が信じられなかった。
──そこに、彼は立っていた。
黒い上着に黒いTシャツを着て、更に黒いジーンズに黒いスニーカーなんていう、一見するととんでもなく怪しい風貌に違いないが、彼のその女とも思えるほど整った顔立ちと華奢な体格が見事に変質者っぽさを一
掃して、雑誌からでも抜け出てきたような垢抜けた全体像を完成させている。抜けるような色の白さと、相変わらず俺とは相容れることが一生なさそうな目つきは健在のようだった。
彼は鮮やかな唇を蠢めかせ、硝子のような声で、
「ゴミはちゃんとゴミ箱に棄てないと」
そして俺と目が合うと、不自然な程ニッコリと微笑んだ。
「こんばんは、石島。それとも久しぶりって言ったほうが正しいかな?」
彼のその問いに答える前に、俺の靴底は外灯の光も届かない闇を目指して、地面を蹴って走り出していた。足の傷が悲鳴をあげても、その悲鳴を、俺はひたすら無視し続けた。
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