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第7話 世界は欺瞞の色を隠して
騒々しい兄の帰宅に、妹は驚き、目を丸くした。
「お兄ちゃん?どうしたの?」
「なん、でもない」
「もしかして、瑞穂さんに告白しちゃったとか?」
__なんでそうなる!
俺が思いっきり顔をしかめたからなのか、マユは心配そうに眉を寄せる。
「・・・・・・まさかまさか、それとは逆に瑞穂さんと喧嘩しちゃったとか?」
「・・・・・・違うって。クラスメートのことで、ちょっと込み入った話。・・・・・・それよりマユ」
まさかマユの話で微妙を雰囲気を引きずってしまっているなどと言えるわけがない。
息を整え、マユに真正面から言おうとする言葉は、彼女の大きな瞳とぶつかった瞬間、あっけなく鎮静させられた。
「?・・・・・・何?」
「・・・・・・いや、えーと」
途端に手持ち無沙汰になってしまう。目線をチラチラと漂わせる俺を「怪しい・・・・・・」と可愛らしく睨みつけてくるマユ。
無言の戦いを経て、俺は1つの提案を掲げた。
「明日、一緒に買い出しに行かないか?」
すると妹は、笑顔で兄の提案を受け入れた。
「うん、いーよ。お兄ちゃんと買い物なんて久しぶりだね!・・・・・・でも学校とか、怪我は・・・・・・大丈夫なの?」
「良いよ、学校は。こんな状態で授業受けるのも面倒くさいし。それにさっき瑞穂と会ってきたけど、ちょっと気になるくらいで、普通に歩くぶんなら体も問題ないさ。何か必要なものとか、欲しいものがあったら遠慮なく言えよ。明日は奮発するからさ、マユの帰還祝いに」
これは多分、無理矢理な提案だった。
俺が二度とマユの存在に疑問を持たない為に必要な行為。
俺はこの時、もうこれ以上マユの身の上に対して踏み込むべきではないと決めた。これから先、どんなあり得ない出来事に遭遇しても、深くは追求せず、あるがままを受け入れてみようと思い始めた。
下手をすればその行為は、今までの俺の生き方や考え方を全て一掃するほどのものだろう。それでも、彼女と生活をともにするにはそのことから目を背けることも必要なのかもしれ ない。
あと何年かすれば俺も大人になる。高校を卒業すれば働ける。マユにも楽な暮らしをさせてあげられるかもしれない。
もしかしたら、マユが言うところの天国だとか地獄だとかそういう場所にまだ残っている両親も帰ってくる日がいつか来るに違いない。そうすれば全てが元通りになる。
この半年、俺が望んでいた、家族への 夢を叶えることが出来るかもし れない。
だからもう考えてはいけないような気がした。
マユが帰ってこれた理由の深い意味 や、殺されたはずの同級生との、突然の再会のことなんて。
翌日の天気は晴れだった。絵に描いたような秋晴れ。
俺とマユは、午前中からアパート近くのショッピングモールへと足を運んでいた。銀行へ行き、多めの額を引き出して、ブラブラする。さすがに平日とあってか、俺と同年代の人間を見かけることは少ない。学校には、暫く欠席するという旨を伝えた。
「ねー、ずっと気になってたんだけどさ」
「ん?」
スキップするように歩くマユが不意に動きを止め、振り返り、俺の頭から爪先までをジッと見つめた後、
「お兄ちゃんって、服のセンス微妙だよね」
心底呆れるような表情で言われた。
長袖のTシャツにジーパン。服のセンスよりも、顔や手の甲で強い主張を放つ白い包帯やガーゼに、何故だかマユ本人よりも申し訳なさを感じていた俺は、意表を突かれた気分で顔をしかめた。
「うっ・・・・・・」
「ちゃんと選んで買ってるの?」
シャツの裾をつまみ、マユは睨む。
俺は言葉に詰まった。
「いや・・・・・・・・・っ。・・・・・・だって、よくわかんねーもん、そういうこと。買う時も殆ど試着しないし、とりあえず着れれば良いか、みたいな」
「・・・・・・はああああ」
わざとらしい、深い溜め息をつかれた。
俺は少しだけ肩身の狭い思いに、片手で額を覆う。
「いつかあたしがレクチャーしてあげるから」
「・・・・・・その時は、頼む」
「うん!・・・・・・・・・あ、ねぇお兄ちゃん、あそこのアクセサリーショップ、寄っても良い?」
俺が頷くより素早くマユの腕が伸び、俺の腕を強引に掴んで緩く引っ張る。
彼女の目指す先には、女の子が好みそうな雰囲気の、小さなアクセサリーショップが佇んでいた。
マユに引かれるままに店内に足を踏み入れる。
正直、男が入店するにはかなり抵抗感を感じる雰囲気だった。
いかにもマユと同世代の少女達が身に着けそうな、チープで可愛らしいネックレスや指輪がディスプレイされている。商品によってはキラキラと光る鮮やかなお菓子のようにさえ見えた。
「へぇ・・・・・・お前、こういうのも好きだったんだな?」
マユの年頃が好むデザインであるとはいえ、彼女の趣味とするものとは、180度くらい違うようにも見受ける。彼女はパンク系の服装やアクセサリーを好むから・・・・・・。
「ていうか、プレゼント」
「プレゼント?誰に?」
俺の問いに、マユは悪戯っぽく微笑む。
「秘密」
「なんだよそれ。・・・・・・まあ、会計の時は声かけろよ」
「ううん、大丈夫。お金ちゃんと持ってるし。それに贈り物だから、自分で払いたいんだよね」
「・・・・・・でもお前が持ってきた金って、使えるのかよ」
マユは得意げに頷く。
「大丈夫大丈夫!」
「・・・・・・それなら、まあ」
俺は商品を吟味し始めるマユから離れて、1人ボンヤリと店内を見回ることにした。
ペンダントに指輪にブレスレットに・・・・・・アミュレットだとかチョーカーだとか、あまり耳慣れないものもある。
(一口にペンダントって言っても、いろいろあるしな・・・・・・)
しきりに商品を覗き込んでいる俺に、優しい感じの女性店員が「彼女さんへのプレゼントですか?」とニコニコしながら訊いてきたりもした。
俺は慌てて首を横に振りながら、
「妹待ちです」と答える。
それにも店員は、微笑ましい、とでも言うような表情で一礼してきた。
__そういえば。
カウンターへと戻っていく店員の横顔を眺めながら、ふと、俺は既視感を感じていた。
(こういうこと、前にもあったような気がする)
・・・・・・そうだ、あの、事故の日。
俺はソッと瞼を閉じた。
あの日の映像が、それだけでリアルに浮かぶ。つまりそれほど、あの日の記憶は俺の頭を占領しているということなのだろう。
(あの時、マユは誰にあてて、あのアクセサリーを買ったんだろう?)
鈍色を放つ、男モノのペンダント。
結局渡されなかったそれは、今ではマユの形見の1つとして、タンスの奥に眠っている。
(いつか、訊いてみようかな)
「お兄ちゃん、お待たせっ」
マユの声にハッと目を開ける。
彼女は上機嫌で、小さな袋を片手に提げていた。
よほど、納得のいく商品を買えたのだろう。もしくは、相手に渡す時のことでも思い浮かべているのかもしれない。見ているだけで口元が緩んでしまいそうになる。
「じゃ、行こうか」
「うん!」
そして俺達は店を出た。
2人並んで、石畳の通路を歩く。ポプラ並木と鮮やかなレンガに彩られたショッピングモール一帯は、独自の洒落た雰囲気を持つ、この街でもわりと賑わいの大きい場所の1つだ。うちの高校に通学している生徒達の大半が、ここらを主な遊び場にしているほどだ、利便性と娯楽性が程よく入り混じっている。
買い物袋を提げた主婦が脇を通り過ぎた。
「・・・・・・そうだ。マユ、今晩、何食べたい?」
唐突な質問に、マユは首を傾げる。
「・・・・・・まだ昼前だよ?」
「今日は食材買い出しに行く予定だったろ?昨日はマユが晩飯作ってくれたから、今夜は俺がこしらえるよ」
俺なりの踏み込みだった。
ところが、
「え!お兄ちゃん、料理出来るの!?」
妹は心底驚いたとばかりに目を見開き、兄を見上げてきた。
「・・・・・・お前な、これでも俺は半年ちょっと、1人暮らししてた身なんだぞ」
「お兄ちゃんのことだから、てっきりカップ麺とか、ジャンクフードばっかりかと思ってた」
真剣な眼差しで、しかも遠慮がちに言われると、どうも身も蓋もないような気持ちにさせられる。
俺はガリガリと頭皮をかきむしり、
「ま、そういうわけだからさ、何食べたい?リクエストならなんでも聞く」
「じゃあ、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーニ」
__なんだそれ。
「それどこの料理だよ・・・・・・ていうか、そんな小洒落た名前の料理なんか作れるかよ。せいぜいスタンダードにミートスパとか言ってくれよ」
「えー、これもミートスパとおんなじ、パスタ系なんだけどなぁ・・・・・・。そもそも、お兄ちゃんがなんでもリクエストきくって言ったからー」
お前は幼稚園児か。
兼ねてから、年齢に少々不釣り合いだと思ってしまう言動の目立つマユだったが、再会してからはどうも・・・・・・幼児性が現れている気がする。
「・・・・・・前言撤回だ」
俺は少し遠い場所を見つめながら、マユの2つに束ねられた髪の片方をちょっとだけ引っ張ってみた。
「ちょっとお兄ちゃん!髪、崩れる!」
というマユの訴えも無視。
「とりあえず、ハンバーグが簡単だし、マユも好きだよな。てなわけでハンバーグにしよう」
「もー仕方ないなー」
「・・・・・・おい」
ショッピングにアイスクリーム屋に、映画に、ファミレス。
最後に食材の買い出し。
半年ぶりの俺達の交流はあまりに楽しくて。だから誰かの言葉のように、まさに時間が過ぎ去るのは驚くほど早かった。
俺とマユがアパートに帰る頃にはオレンジの光が街を包み込んでいて、その光は彼女と過ごす実感に満ち溢れている俺自身の心を表しているようにさえ思えた。
「・・・・・・あれ?」
マユと2人して、食材や乾物を冷蔵庫や戸棚に詰める作業をしている時だった。
俺は必要な調味料を買い忘れたことに気づく。きちんと買い物メモは作っていたのだが、記入漏れがあったのだろう。それだけでなく、突発的にレシピを考えてしまったものだから、自宅に買い置きがあるかどうかの確認がとれていなかったのだ。
仕方ないが、もう一度スーパーへ行かなければ。
塩と胡椒と味噌とナツメグ。塩と胡椒と味噌・・・・・・あれがなければ我が家の食卓は始まらない。それになにより、最後のナツメグは今晩の食事を作る上では必要不可欠なスパイスだ。
「ごめんマユ。ちょっと買い忘れた物を思い出したから、もう一回出かけてくる。いつも悪いけど、留守番頼んだよ。チャイムが鳴っても、ドアは開けるなよ」
少し急ぎ足でアパートの階段を降りる。
敷地から軽い小走りで走り出ようとした矢先、夕陽を背景にして、黒い影が躍り出てきた。
「うわっ!?」
__ぶつかる!!
そう思った時には既にぶつかっていて、俺の足が相手の足に絡まり、2つの体は地面を派手に転がった。
つくづく最近はついていないことばかりだ。折角、ほんの少しだけおとなしくなっていた足の痛みが再び蘇ってくる感覚に軽く呻く。
「す、すみません・・・・・・」
しかし俺の前方不注意が招いた結果だ。
本当は、痛みに乗じて相手を怒鳴り散らしたい衝動に駆られたのだが、それでも辛うじて残った冷静さを振り絞って、俺は謝った。それは呻き声と混じり合って、少し感じが悪いように聞こえてしまったかもしれない。
だがそれは俺の杞憂に過ぎなかった。
「いえ、大丈夫」
相手の声は、予想に反して涼しげだった。
もしかしたら、俺だけが打ち所が悪かったのかもしれない。
(まあ、怪我なんてハンデあったしな・・・・・・)
そう思い、顔を上げ、相手の顔を確認した瞬間、俺の視界がグラリと揺れた。
昨日の晩、夜の闇に紛れて突然現れた、懐かしくも二度と見るはずのなかった顔。
確かな軸を失いかけた視界の中で、白い顔が冷ややかに微笑む。
「それより、石島のほうが辛そうだ。立てる?」
手を差し出される。
俺の額から、嫌な汗がタラリと滑り落ちた。こういう心境は、どう表現すれば良いのだろう。
震える唇から、ポツリと、そいつの名前がこぼれた。
「水・・・・・・嶋・・・・・・」
__水嶋。それは2ヶ月ほど前に死んだはずの、同級生の名前だった。便宜上、病死ということで。もう二度と、彼だという確信を持って口にすることはないと思っていた名前。俺とマユの生活へ落ちる黒い影だった。
「どうして、お前・・・・・・」
「水臭いな、昨日再会したじゃないか。ま、シチュエーションはあれだったけど」
水嶋の、思ったよりも強い力に支えられ、俺はゆっくりと立ち上がる。彼は口元に絶えず笑みを浮かべながら、まるでじっくりと観察でもするように俺の全身を頭の先から爪先まで、くまなく見つめる。
「少し見ない間に、石島変わったね。背、伸びた?」
「・・・・・・お前は、なんだ。水嶋・・・・・・なのか・・・・・・?」
脅えを孕んだ声で問う俺に、水嶋は飄々とした態度で笑った。
「そうだよ。でも違うかもしれない」
「・・・・・・は?」
「僕であって、僕ではない。そういう存在だってこと」
「意味が・・・・・・分からない。もっとちゃんと説明しろ・・・・・・・・・」
「あれ?妹さんから、何も説明されていないの?」
「・・・・・・どういう意味だ」
水嶋の笑みが、変わった。
まるで爬虫類のような目。絡みつく冷ややかな視線から逃れたい俺だったが、水嶋の口から流れ出た「妹」という言葉に、思わず目を見開き、彼に詰め寄る。
「なんでお前がマユを知っているんだ?」
「知ってるよ、君の妹さんのことも、君のことも、君自身よりね。僕達は、【回収班】の人間だから。僕も彼女も選ばれた存在」
「・・・・・・マユが、なんだって?」
次から次へと押し寄せる言葉の波。俺は水嶋の暗い硝子玉のような目を凝視した。
「・・・・・・ああ、やっぱり彼女、まだ君には何も説明していなかったんだね」
彼は1人、納得したように相槌を打つ。
「お前とマユが、選ばれた人間?・・・・・・てことは、お前も天国だか地獄だかの審査を通過したって言うのか?お前も帰ってこれた人間なのか?」
俺の問いかけに、水嶋は乾いた笑い声をあげた。
「石島、いつからそんな発想が出来る人間になったの?天国とか地獄とか、そんなものは人間が作り出した幻想に過ぎないよ。天国も地獄もあるわけがない。この世にあるのは、僕らが生きる現実だけだ。それに帰ってきたんじゃない。僕らはやって来たんだ」
「嘘だ・・・・・・、マユは、そういうふうに説明してくれたんだぞ」
影そのもののような少年に挑戦するように、俺は精一杯の毒気で相手を睨んだ。
「・・・・・・なるほど、そういう形で説明したんだね」
水嶋の手が、軽く俺の肩を押し返した。それほど力は強くなかったはずなのに、俺の体は大きく揺らぎながら後退する。
「彼女らしい、優しい嘘だね」
「嘘?」
肌寒いはずの外気が生温く感じ始めた。心拍数が上昇し始めるのが分かる。
まるで俺の反応を楽しむように、水嶋はとっておきの冗談を思いついたような顔で、俺の耳元まで口を近づける。まるで外国の映画なんかで男が女をくどく時にでもやりそうな、恋人の耳に吹き込むように、背筋が粟立つほど甘い声で囁いた。
「どうやら君は何かを勘違いしているようだから、忠告してあげるよ。
あれは、君の妹じゃない。ただの、似て非なる存在だ」
クスクスと不快な笑い声が、咀嚼しきれない言葉と共に俺を揺さぶる。
「ねぇ石島、もし君が望むなら、僕がこの世界の真実と終焉の行方を教えてあげるよ。それは妹さんの身の上を知る上では、一番近い答えだからね」
「・・・・・・答え?」
震える俺の肩を、水嶋はポンと軽く叩いた。そしてすぐに手の重みは消え去る。
「そう。現実が如何に君を裏切るか・・・・・・、ああ、この場合は妹さんが君を裏切るってことに__」
それ以上耳を傾ける余地などなかった。俺は目の前の少年が恐ろしくなって、力の限り彼を突き飛ばした。女のように細い体は綺麗にのけぞり、そのままなんの障害もなくアスファルトの地面へと叩きつけられた。
体を突き動かす見えない衝動のまま、俺はショッピングモールへと急いだ。
背後から、嘲笑のような水嶋の声が追いかけてくることも構わずに。
「2人の再会の場所、公園でいつでも待ってるよ。そこで全て教えてあげるから、知りたくなったらいつでも来ると良い。でも・・・・・・そうだな、10日以内__出来れば早いほうが君の為だよ」
__どういう意味だ。
怪訝になって、彼が居るであろう方向を振り向いた時には、そこには既に誰の姿もなかった。
そこに転がっているはずの水嶋の姿が、ない。
「・・・・・・・・・なにが、どうなってるんだよ」
取り残された俺の前を、秋風が乾いた音をたてて吹き抜けていった。
__彼女らしい、優しい嘘だね。
頭の中で、水嶋の発した言葉が幾度もリフレインする。
俺は調味料類の詰まったレジ袋を片手に、太陽と月が織り成す鮮やかなグラデーションの空を睨みながら、帰宅の途についた。
「あ、お兄ちゃん、おかえりなさ・・・・・・・・・・・・い」
俺はどんな顔で部屋に飛び込んで来たのだろうか。
いや、足音や仕草こそは、自分でも驚くほどに冷静だったかもしれない。
だが、自分のまとう空気のまがまがしさは、マユの慄く表情を見なくても、わかった。この渦巻く感情を構成しているのは、怒りなのか驚きなのか、それとももっと別の何かなのか。
とにかく、俺自身でもよく分からなかった。
だけど確かなのは、マユに留守番を頼み、満たされた気持ちでこの部屋を後にしたあの時の俺には、二度と戻れないことだった。
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