『Hellosmile Lounge』は20代、30代の女性に増えている子宮頸がんの予防啓発プロジェクト「ハロースマイル」の情報発信拠点。
女性の健康と笑顔を応援するさまざまなメッセージを、全国38局フルネットでお届けします。
今夜、ハロースマイル・ラウンジを訪れたゲストは元・おニャン子クラブのメンバーで女優・タレントの生稲晃子さんです。
「ハロースマイル」の小巻亜矢さんがお話を伺います。
(小巻さん)
今夜のゲストは生稲晃子さんです。生稲さんはアイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして活躍し、卒業後は女優、タレントとして活動してきました。プライベートでは結婚して娘さんも誕生。
でも妻として、母として充実した日々を送る中で乳がんが見つかったそうですね。
いつ頃だったんでしょうか。
(生稲晃子さん)
2011年の1月に受けた人間ドックで見つかりました。その前も検査はちょこちょこ受けていたんですが、元気だったんです。
でも、その時の人間ドックで再検査の通知がきて、再検査したら3月に悪性である、という告知受け、そこから私のがん生活が始まりました。
(小巻さん)
公表はしていなかったんですよね。後で知って、強い方だなって思いました。
(生稲晃子さん)
当時、健康番組を担当していたので、悩みましたが、がんという病気が健康番組の内容にそぐわないかもしれない、と思って…。
治療で自分の外見が変わってしまって、周りの人に「どうしたの?大丈夫?」って言われない状況で、元気良く過ごしていられるのであれば、公表は控えておこうと思って、結果的に4年8カ月が経ちました。
(小巻さん)
その間に手術をされ、しかも一回の手術では留まらなかったそうですが…、
(生稲晃子さん)
最初に発覚したシコリは8ミリでステージ1だったので、とってしまえば終わりかと思っていました。でも、再発を二度してしまい、最終的には全摘となりました。その時は一日一日を頑張って生きようと、一日一日をこなしているだけで、あっと言う間に日々は過ぎましたが、その5年を振り返ると、大変な毎日だったなぁ、色々あったなぁ、って思います。
5回も手術したなぁ、って。
(小巻さん)
生稲晃子さんの著書「右胸にありがとう、そしてさようなら」を読ませて戴きました。
闘病記でありながら、女性へのメッセージに溢れた本だなぁって思いました。
実は私も乳がんを罹患しているのですが、この本を読んで担当医が一緒だったということを知りました。
私は2007年のことで、乳がんが発覚してからすぐに全摘となって、再建もしていないのですが、生稲さんが一つ一つのプロセスに向き合って、葛藤して、その都度、立ち向かって手術を受け、再建された…、その選択に敬意を表したいと思います。
(生稲晃子さん)
患者側はがん告知をされて、その上、(乳房の)全摘と言われ…、
そんな時に「じゃぁ、すいません、再建もお願いします!」なんていう風には言えなくて、なかなか気持ちがついていかないものです。
私の場合は医師の方から「再建という手段はどうですか。」ときかれたんです。「今まで再建をされた患者さんが、膨らみが戻った胸を見て、辛かった日々を忘れることができる。みなさん喜んでいらっしゃいます。」と。
その時、私はまだ胸があったので、無くなった時の自分が想像できなくて、もしかしたら、凄いショックを受けるのかもしれない…。
そんな風に思って、先生の再建という話に乗ってみようと、再建手術に踏み切ったわけなんです。
ただ、膨らみは戻りましたが、昔のように自然な胸ではないです。シリコンを入れた人工的な胸です。でも、膨らみが戻ったことで普通の下着を付けることもできるし、普通に洋服を着ることもできるようになったので、もし、再建を考えている人がいたら、どんどんお話してあげようと思っています。
(小巻さん)
闘病の過程で元気づけられた音楽などがあれば、教えていただけるでしょうか。
(生稲晃子さん)
BELIEVEという歌で合唱曲なんですが、子供が学校の行事があると、全員でこの歌を歌っていて…。ママ友といい曲だね、っていつも話していた曲なんです。
(小巻さん)
私もこの曲で大泣きしたことがあります。
清らかな合唱曲ですよね。この曲を聴くと色んなことを想い出すと思います。
最初の乳がんが発覚した時、ご家族とはどんな風に向き合われたんでしょうか。
(生稲晃子さん)
主人は大人なので勿論、すぐ理解してくれたんですが、その時、主人の父が悪性リンパ腫で入院中している時だったんです。余命数カ月だったので、父親と私が同時にがんということで、ショックだったと思います。
だからでしょうか、逆に平常心を保つように考えたのか、家の中ではあまり、がんの話をしないようにしていたと感じました。多分、自分の中で消化していたんだと思います。
一番悩んだのは5歳の娘に伝えるかどうか、ということでした。
結局、子供の性格を親が判断して決めるのが一番いいと思って、全部伝えました。ママは右胸に悪いものがあって、それをとらないと死んでしまうって…。
娘は、ママが死ぬのが嫌だ、入院するのが嫌だ、って泣きました。
その姿を見て、この子は5歳だけれど、理解はできたなって思いました。
それから5年間、全て話しています。手術の傷跡を最初に見たのも娘です。
(小巻さん)
最近はお嬢さんと、どんな会話をされますか?
(生稲晃子さん)
左胸を見て本物のおっぱい。右胸を見て、ニセモノのおっぱいって言っています。(笑)
シリコンを入れていて、神経はとっているので…。触ってみて、「どう、今、分かる?」なんて言っています。
(小巻さん)
腫れものに触るような関係ではなくて、信頼関係があるからこそですね。
(生稲晃子さん)
2013年、全摘する前は、私も辛かったですが、娘も葛藤した時期があったと思います。二度目の再発の時には私が弱音を吐く事もあったりして、
「ママ、死んじゃうかもしれない。」
とか、言ってはいけないことも随分、言ってしまいました。
(小巻さん)
年齢的にはどんどん多感になって、色んな事を何十倍にも吸収する時期ですよね。その時期に素敵な母娘関係を築かれましたね。
(生稲晃子さん)
今も温泉に行くと、どうしても大浴場に行きたくなってしまって、夜中にこっそり行くんですが、どうしても、みなさんの前で胸を見せるのがちょっと辛かったりして…
(小巻さん)
私も必ず手ぬぐいを使います。
(生稲晃子さん)
そうですよね。そんな時、娘が必ず、右胸を隠すように私の前を歩いてくれるんです。
(小巻さん)
チームですね。
乳がんのことを公表されてからは、ご自身の経験を本にもされて、伝える立場になりましたが、今、どんな想い伝えたいと思っていらっしゃいますか。
(生稲晃子さん)
命の大切さ、って分かってはいましたが、大病しないと強くは思えないものですから、そのことを皆さんに伝えたいです。
今の私が一番感じている事は、普通が一番、ということです。
長年生きていれば欲が出てくるもので、欲も大切ですが、欲よりも今、自分が持っているもの全てに感謝して、普通に穏やかに生きることが一番尊いものだ、ということを感じているので、そんな事をお伝えしたいです。
(小巻さん)
この活動を始めて、沢山の患者さんに接する機会が増えましたが、罹患された方がおっしゃるのは、がんは沢山のことを教えてくれた、よいう事なんですよね。
でも、当然、がんにはならない方がいいです。
女性の皆さん、ご自分のこととは関係ないと思わずに、一緒に考えていきましょう。ぜひ、検診を受けて下さいね。
生稲さん、ありがとうございました。来週も宜しくお願いします。
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