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TOKYOFM/JFN38 Stations Every Saturday 14:00-14:55

放送後記

一緒にいたんですね。。。

2025/2/9
福山さんの誕生日を迎えてから最初の放送は、あなたの中で福山雅治を知った、福山雅治のファンになった、そんな【私の福山雅治誕生日】エピソードを紹介しました。
東京都杉並区・レモネードのささやきさん(44歳)
わたしにとっての福山雅治誕生日は、1994年3月24日。
この日はシングル『IT'S ONLY LOVE』の発売日です。

当時わたしはアメリカの中学校に通っていました。
今のようにインターネットで世界中のコンテンツがいつでも楽しめるわけではなく、週末、朝のテレビの日本語放送枠で流れていたCD売り上げランキングの番組で、この曲を知りました。

祖母がわたしの頼みに応じて 日本からすぐにCDを送ってくれたのですが、わたしが喜んでいると知り、張り切ってなんとその次のタイミングでは、CDショップにあった福山さんのCDを全部買って送ってくれました。

祖母はそれ以降、「福山さんのCDが出たら全部買ってあげる」と約束してくれました。

Message』まではアメリカに送ってくれて、私が帰国した後にリリースされた『Heart』以降は、毎回リリースのたびに一緒に日本で買いに行くのが恒例となりました。『Heart』を一緒に買えた時の感動は今も覚えています。

祖母は10日ほど前に100歳になりました。
わたしはふたりの子供に恵まれ、祖母はこのひ孫の写真を見るのが毎日の楽しみだそうです。
子どもたちは、昨年初めて福山さんのライブに参加しました。
また何度でも一緒に行きたいと思ってますので、福山さんがお体を大事に、一日でも長く音楽活動を続けてくれると本当にうれしいです。
お誕生日おめでとうございます。


ありがとうございます!!
おばあさま、がんばってくださっている!

メッセージを読んだ福山さんの最初の一言に続いて、おどろきの事実が伝えられました。

IT'S ONLY LOVE』の発売日のタイミングでアメリカの中学校に通っていたという”レモネードのささやき”さん。
僕はこのタイミング、アメリカにいました。
ロサンゼルスのビバリーヒルズ界隈にあった事務所の保養所をベースに、アルバム『ON AND ON』をカンヅメで作っていました。
そのさなか、毎週ファクシミリが日本から届いていました。
「今週のオリコンチャートです」と。
そして4週連続1位と!

「これは騙されている」と思いました。
過酷なレコーディングをしている僕を鼓舞するために、事務所がエンターテインメントとして僕をだましている!と。

なぜなら1990年3月21日リリースのデビューシングル『追憶の雨の中』は、オリコンチャートで調べるとランキングは計測不能。全く売れていなかったということです。

そこからたった4年。
1位です。
僕にとって初めてのミリオンヒットは『IT'S ONLY LOVE』だったと記憶しています。
そのとき、レモネードのささやきさんと同じアメリカに、僕も一緒にいたんですね。

人間、どういう出会いでどんなふうに近くにいるのかわからないものです。
そしてそのCDをおばあさまが日本から送ってくれている。。。
おばあさまは100歳。
ことしのドームライブにみなさんとお越し頂けると、とてもうれしいです。
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ことしデビュー35周年の福山さん。
レモネードのささやきさんのように、異国の地で福山雅治誕生日を迎えた、という方もいらっしゃることでしょう。
あなたにとって“その日”はどんなときだったでしょうか!?





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