NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

今、仕事も家庭も自分磨きにアクティブな生き様を実践する女性達。そんな女性達がいつまでも輝く心と勇気を失わず、体も心も健康な毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを送るのが、このノエビア カラーオブライフ。「生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと」をテーマにした、トークや音楽、話題、情報などが満載です。

TOKYO FM

NOEVIR Color of Life

EVERY SAT / 09:00-09:30

唐橋ユミ

今、仕事も家庭も自分らしく、いきいきと生きる女性たち。いつまでも輝く心を失わず、心も体も充実した毎日を送るため、各界を代表して活躍する女性ゲストが自らの言葉でメッセージを伝えます。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。

Guest大西順子さん

大西順子さん

1967年京都生まれ。1989年にバークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークを拠点に活動を開始。
93年にデビュー・アルバム『WOW』を発表。翌年にはセカンド・アルバム『クルージン』が米ブルーノートより発売され、名門ジャズクラブ「ヴィレッジヴァンガード」に日本人として初めて自己のグループで出演するなど輝かしいキャリアを築く。
近年はトリオ、カルテット、セクステットなど様々な編成での活動に加えて、2013年に出演した「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で大きな話題となった「ラプソディ・イン・ブルー」の再演をオーケストラとの共演で果たすなど、ジャズの枠を超えた活動を展開。バンド編成と並行してソロでの活動も積極的に行っている。

初のソロアルバム、そしてこれからの大西順子

2026/02/28
今月は、ジャズピアニスト・大西順子さんのライフストーリーをお届けしています。

◆キャリア初のソロアルバム
1993年のデビューから33年。大西さんが今年3月4日にリリースするのは、キャリア初のソロピアノアルバム『アメリカン・クラシックス』。
「コロナがちょっと関係しているのかわからないんですけど、ある時からコンサートホールで生演奏でソロピアノをやってくれないかというオファーがちょっと続きまして。それまで常にトリオとかバンドでやっていた自分でも、あまりやったことがなかったんですね。ピアニストとしての技量が非常に試されることなので、これはすごい挑戦だなと思ってやり始めたんですが、だんだん楽しくなってきて。改めてどこかで録音しようかということになりまして」
ソロという形式に向き合ううちに芽生えた喜びが、この一枚を生み出しました。

◆「アメリカン・クラシックス」というタイトルに込めた思い
ヒップホップ的なものやテクノ的なものなど多種多様に広がっているというジャズの世界。そんな時代に大西さんが選んだのは、王道への回帰でした。
「メンターであるジャッキー・バイヤードに習ってきたこととかは、ものすごく王道のジャズなわけですね。いろんな意味で私なりに王道にこだわってやってみたのが、このタイトルにちょっとあるんじゃないかなと思っています」
選曲のこだわりについては、「好きな曲であるし、私の中ではすごく有名な曲なんだけれど、あまり知られていないみたいなものも入っています」と話す大西さん。
リリース形態はCDと2種類のLPで、アナログ版は「こちらを主力として、アナログありきで選曲しました」と語ります。

◆かけがえない日常――愛犬と過ごす時間
音楽から離れた時間で大西さんが最も大切にしているのが、愛犬との暮らし。その愛らしい存在が大西さんの日常を彩っています。
「ふと見るととてつもなく愛らしい生き物が自分の部屋の中にいるという喜びですかね。私の生活を一変してくれたというか、たまらないですね」
好きな音のひとつとして「愛犬のかわいいいびき」を挙げるほど。「なかなかかわいい響きで」と表情をほころばせます。

◆漫画、映画、そして体を動かす喜び
プライベートでは漫画や映画も大切な楽しみ。3月3日には漫画家・文筆家のヤマザキマリさんと、東京・早稲田大学大隈記念講堂でライブ&トークイベントを開催予定。「漫画家さんというのは、この世で一番尊敬する職業の方ですかね。映画であれば監督がいて、プロデューサーがいて大勢でやることを、たった一人でやってしまう。本当にびっくりします」と語ります。
フィジカル面では30代から筋トレを続け、40代からは水泳もスタート。「4種泳ぎますよ、わりとガチ泳ぎです」と笑います。「働き続けるためには筋力を衰えさせてはいけない。そのためにもトレーニングは欠かせないですね」。


印象に残っている共演者を尋ねると、「簡単なジャムセッションみたいなところで一緒にやっただけの人ですけど、アート・ブレイキーはすごく存在感が素晴らしかったし、つつまれるようなドラミングでした」と懐かしそうに振り返りました。

10年後の姿については
「できたら、ちゃんと今ぐらい弾けていたいですね。まだやりたいことの構想もあるので、それはやりたいです」と語る大西さん。
引退と復活を経て、今また輝きを増しているようです。
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2度の引退宣言と完全復活への道

2026/02/21
今月は、ジャズピアニスト・大西順子さんのライフストーリーをお届けしています。

◆突然の長期休養宣言
トリオ、カルテット、セクステットとさまざまな編成で演奏を続け、ベストアルバムもリリース。輝かしいキャリアを重ねてきた大西さんが、2000年3月の大阪公演を最後に、突然の長期休養を宣言されました。
「体が疲れてましたね。当時若さだけでやってたっていう部分もあって、体もすごい痩せてましたし、ピアノって大きな楽器じゃないですか。それを弾くのは体が大きい人が向いてるわけですよ。私はピアニストの中では世界最小クラスなので、そういうこともちゃんと向き合わなきゃいけないだろうと思って。1回体を休めて、そこからもう1回ちゃんと勉強し直したいという気持ちもあって、しばらくスケジュールを入れなかったんですね」

休養中は筋トレなどフィジカル強化に取り組むと同時に、一度ピアノを弾かない期間を作り、また弾き始めるという経験をしたといいます。
「お腹が空かないと美味しく感じなくなるのと同じで、体の中にいろんな音楽がつまり過ぎていた部分もあったので、1回それをからにして。そうするとお腹がすき出して、また食べたくなるみたいな感じになり始めましたね」

◆2度目の引退宣言—CDビジネスの変化と、家族の介護
7年後に活動を再開した大西さん。しかし2012年の夏、今度は正式な引退を宣言されます。
「CDを作っても昔のように売れないし、情報があふれる世の中になってしまって、いろんな意味でビジネスのやり方が変わってきてしまった。そっちに私が付いていけなかったというのもありますね」
さらに、この頃は両親の介護という大きな転機も重なっていました。
「まず父が病で亡くなって、今度は母が・・・という感じになったので、今まで自分のことばかりやってきたから、今度はちゃんと日本に住んで母を介護しようと。ミュージシャンとして活動すると完全に家を空けてしまうので、介護との両立が難しいというのが、一番の引退の理由なんですけれども」

◆引退ライブに現れた小澤征爾さん
引退を前に行った最後のツアー。そのライブ会場で突然、「引退反対!」と叫んだのが、世界的指揮者・小澤征爾さんでした。
「引退ライブの中で、突然引退反対と立ち上がっておっしゃって。その後もなかなか帰らず、そこに座ったまま説得にかかられたという感じだったんですね」
打ち上げの席でも小澤さんの熱い説得は続き、大西さんは困惑しながらも、その情熱に心を動かされていきます。
「どこまでも自分事のように悩んでおられるんですよ。本当に困ったことになったな、と思いましたね」
それでも介護という現実は変わらない。「わかりました、ミュージシャンに戻ります」とは言えない状況の中、大西さんが出した答えは「1回だけ、ぜひ共演させてください」という形での復帰でした。

◆小澤さんのオーケストラと奏でた「ラプソディ・イン・ブルー」
その一夜限りの共演が、2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本での「ラプソディ・イン・ブルー」でした。
「これが最後だと思っているので、思い残すことはないように。たとえそれが原曲をないがしろにすることになろうが、もういいやと思って、好きなようにやったんですけど」
当時、小澤さんは闘病中。楽屋で点滴を打ちながらステージに立たれていたといいます。
「人生をかけられているんだなということで、私もいろいろ思うことがたくさんありました」
大西さんにとって、忘れることのできない、特別な一夜となりました。

◆日野皓正さんの言葉が背中を押した—完全復活へ
介護生活を2年続ける中で、「素人には無理だ」という現実に直面した大西さん。介護施設という選択肢を考え始めたタイミングで、改めて音楽に気持ちが向かい始めます。そして2015年、トランペッター・日野皓正さんに連絡を取りました。
「日野さんはニューヨークにいた頃からいろんなことを相談できる大先輩で。引退する時は相談しなかったんですけど、今回は日野さんに今までの人生を振り返りながら、皆さんと一緒に相談に乗ってもらったんですね」
日野さんの言葉は、開口一番、『絶対やるべきだ。たとえ最初はお金のためであろうと、やっぱり音楽やるために生きてるんだから』との温かい言葉。
今や日野さんも、ジャッキー・バイヤードと並ぶメンターの一人です。
「出会った人たちみんなそうですね」と微笑む大西さん。
「やっぱり一番面白いんですよね、私にとっては。特に介護の時なんかは、なぜ1回手放してしまったんだろうって後悔しました。戻ってきて、またこうしてやらせていただいて・・・これが死ぬまで続くといいな、と今は本当に思っています」

◆キャリア初のソロアルバム
1993年のデビューから33年、3月にキャリア初のソロアルバム「American Classics」をリリースされる大西順子さん。
番組では毎週、そのアルバムから先行して1曲ずつお届けしています。

来週もどうぞお楽しみに!
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ジャズピアニストとしての旅立ち、そしてメンターとの出会い

2026/02/14
今月は、ジャズピアニスト・大西順子さんのライフストーリーをお届けしています。

◆ニューヨークへの挑戦――期待と現実のギャップ
1989年にバークリー音楽大学を卒業後、いろんな方に電話番号をもらって、期待を胸にニューヨークへ。しかし現実は厳しく、こちらから電話しても「あ、そうなんだ、頑張って」という反応ばかり。

「ミュージシャンの数が多いので、ニューヨークでピアニストはその中でも一番多いぐらい。ベーシストは少ないので割とすぐ仕事くるんですけど、ピアニストは本当に上手い人だけだったんで」

ボストンでのアルバイトで貯めたお金を軍資金にしてい他ものの、ライブを見に行ってコネクションを作ろうとするうちに段々になくなっていきます。
「半年ぐらいにはもう、『あ、これはもう駄目だな、帰ろうかな』なんて思ってましたね」

帰る片道チケットを買った大西さん。最後にすごく評判になっている若手のバンドを見に行くことにしました。


◆最後の夜に起きた奇跡――飛び入り演奏が人生を変えた
「見に行ったら、たまたまその時弾いてたピアニストがリーダーと仲たがいしてたのか、『客の中にピアニストいないか、誰でもいいから飛び入りで弾いてくれ』なんて言うので、チャンスだと思って飛び入りで弾いたんですよ」

ステージに上がった大西さん、「自分でもびっくりするぐらいお客さんにもバンドにもすごく受けて、その場でそのバンドに入ることになってしまったんですね。もう来週から来てくれみたいな感じで」

そのバンドには今有名なベーシスト、クリスチャン・マクブライドなど注目される若手がいっぱいいたそうで、スカウトしに来るプロも多かったのだとか。

「私も一緒にスカウトされたりして、ちゃんとした仕事も入るようになって。ヨーロッパツアーだ、全米ツアーだなんだかんだみたいな感じで、生活もそれなりに出来るようになって、そうやって数年経ってしまいましたね」

もう帰るっていう時に、そんな出会いが。運と実力と勇気が揃った瞬間でした。


◆デビューアルバム『WOW』――日本ジャズ賞受賞
1993年には日本でデビューアルバム『WOW』をリリース。90年代はレコード会社にも勢いがあり、ジャズを盛り上げようという気分が高まっていた時代。若手発掘が盛んに行われ、大西さんもその中に入れてもらいます。何箇所かのレコード会社からオファーがあった中で、日本のレコード会社を選びました。

このアルバムは女性ジャズピアニストブームを牽引する一枚となり、スイングジャーナル主催第27回ジャズディスク大賞日本ジャズ賞を受賞。

「でも自分にはCDが売れるという感じは全然してなかったですね。結局すぐにまたニューヨークに戻って、それまで通りの活動をしてましたので、日本でCDが売れてるってことはあんまり知らなかった。あとから知ったみたいな」

その後もヨーロッパツアーなど過酷なツアーを続けた大西さん、「毎日移動して演奏を、移動して演奏という。本当に若くないとちょっとできないような、でしたね」と語ります。


◆セカンドアルバム『クルージン』――リーダーとしての一歩

翌年、セカンドアルバム『クルージン』がブルーノートから発売。この頃から自分のトリオを組み始めます。

「それまでは立派な人に連れて行っていただくっていう形ばかりだったんですけど、初めて自分がリーダーとしてやるということをやり始めましたね」

ただ、まだ試行錯誤の段階で自信がなかったため、日本でこっそり一枚目を作ったといいます。有名な歌手ベティ・カーターから「マスコミのオファーに乗っかってしまったら、そこからはもう一人旅だよ。自分で率先して勉強して行かないと、すぐ潰れてしまうよ」と言われていたからです。

「二枚目からは全世界デビューということになってしまったので、ここからは逃げられない。本当にちゃんとしたものを作らないとだめだなって、常に自問自答でやってましたね」

このセカンドアルバムは1995年のスイングジャーナル読者投票でジャズマン・オブ・ザ・イヤーをはじめ四部門受賞。また、名門ジャズクラブ「ヴィレッジヴァンガード」に日本人として初めて自己のグループで出演されました。


◆日本とアメリカのギャップ――葛藤の日々

「日本だと下駄履かせてもらってるっていう感じが常にあった。それでまたアメリカ戻ると、もう嫌というほどうまい人たちがいっぱいいるわけで。そのギャップにちょっとネガティブな気持ちが常になりましたね」

名前ばかり日本では先行してしまうけれど、実際アメリカで本当に起こってるジャズの世界はこんなもんではない。そんな葛藤を抱えていた大西さん。
その後、メンターとなる人のピアニストと出会います。

「ずっと好きで聞いてたチャールズ・ミンガスのヨーロッパ公演のDVDを見て、あまりのレベルの高さに、自分はとてもじゃないけど本当にやるべきことじゃないなと思ってしまったんですよ。
その中のピアニスト、ジャッキー・バイヤードが素晴らしくて、ジャズとはこうあるべきというのを本当に体現しているようなピアニストでした。」


◆カナダの空港での再会――そして弟子入り

そして大西さんは、彼の家まで訪ねていきます。
「自分のトリオでカナダのフェスティバルを回っていた時、どっかの空港で待ってたら、後ろに、真後ろにジャッキー・バイヤードが座ってたんですよ。たまたま同じ空港で遭遇して、同じフェスティバルに出演するっていうことをその時知ったんですね」

彼の演奏のカセットテープをいっぱい荷物に持っていた大西さんは、めちゃくちゃアピール。20代の子が自分を知ってるということに喜んでもらえたのか、次の日の大西さんの出演にちゃんと見に来てくれました。

「そこから交流が始まって、どうしてもレッスンを取りたいって言ったら、快く自分の住所教えてくれて。仕事終わってから、そのまま彼の元にレッスンに行きましたね」

本当に会いたい、会いたいと思ってた人が後ろに座ってたというのは、本当にびっくりでした。

ジャッキー・バイヤードからは、練習用のマテリアルをたくさんもらい、自分が絶頂期だった頃の話やジャズの歴史に関する話など、数えあげたらきりがないほど学んだといいます。

「学校にも行って授業とか取りましたけれど、ここまできちんとその人の教えを受けたっていうのは、後にも先にもないですね。なんかこう声に出して言うと実現するとかってよく言いますけど、割とそういうことが起こってましたね」

そんな大西さんが3月に発売されるキャリア初のソロアルバム『アメリカン・クラシックス』から、今日も一曲お届けしました。
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ジャズとの出会い、ニューヨークでの生活

2026/02/07
今月は、ジャズピアニスト・大西順子さんのライフストーリーをお届けします。

◆愛犬と過ごす朝、そしてピアノとの日々
朝は、常に愛犬と一緒に過ごしているという大西さん。
インスタグラムにも登場する愛犬との暮らし。毎朝、布団の中で一緒に目覚め、愛犬のルーティンが始まるそう。

ピアニストとしての一日について伺うと、「もちろんピアノは触るんですが、大きな公演があるとかそういうのじゃない限りは、まあだいたい2時間ぐらいはまあ弾くという感じですね」と大西さん。ピアノに向かって作曲やアレンジをするなど、鉛筆を持っての作業も多いといいます。

インスピレーションについて聞かれると、意外な答えが返ってきました。

「皆さんそれぞれだと思うんですけど、私の場合は受験生のように追い詰められて仕方なくやるという感じですね。なのであまり時間は関係ないです」

2、3日ピアノに触らない日もあるそうですが、「若干の罪悪感と、その後それをリカバーする練習っていうのをやっていかなきゃいけないのが面倒臭いな」という気持ちになるんだとか。


◆4歳のピアノとの出会い――5階の家から始まった音楽人生
京都生まれの大西さんは、3歳まで京都で過ごし、その後東京へ。9つ上のお兄様がいて、一人っ子のような環境で育ったといいます。
最初にピアノに触れたのは4歳の時。
「東京に引っ越してきて、父親がその時自衛隊員だったので官舎というところに住んでるんですね。うちが4階で、5階に住んでいるご家族のお嬢さんがピアノを習ってて。そうするとこう聞こえてくるじゃないですか。それで初めてピアノ聞いてもう夢中になって」

毎日その家に遊びに行き、お嬢さんがピアノを弾く後ろで座布団を膝の上に置いて、鍵盤の代わりにして弾く真似をしていたという大西さん。その姿を見たお母さんが「こんなにピアノが好きなら習わせてあげたら」と大西さんのお母様に勧めてくれたそうです。

「それで、しぶしぶっていう感じで母が連れてってくれたんですね」
それが4歳の頃。そこからクラシックピアノを習い始めました。
「今思うと、楽譜を読んで弾くクラシックの方から入ったんですけれども、耳から入ってくることの方が、まあ子供なのでより大きかったかなと思うんですけどね」

好きな作曲家を聞かれると、「バッハが好きでしたね。バッハ弾いてる時が一番楽しかったです」と答える大西さんでした。


◆ブルースブラザーズとの衝撃的な出会い

洋楽に興味を持った最初のきっかけは、映画『ブルースブラザース』でした。
「家のわりと近くに、三本立てをやっている映画館があって、そこが好きでしょっちゅう行ってたんです。そこにブルースブラザーズが来て、初めてR&Bに触れて夢中になりましたね」

ジェームス・ブラウンやアレサ・フランクリンなど、名だたるメンバーが出演していた『ブルースブラザーズ』。「もう何ていうか、魂抜きでエネルギーに溢れた映画っていう感じでした」と振り返ります。

実は、それよりも前から似たようなサウンドには触れていたという大西さん。

「日本の歌謡曲も、アールアンドビーとかソウルっぽいものにすごくこう影響されていて。例えばフィンガーファイブとかかなりそういうモータウン的な要素入れて作られている音楽で。フィンガーファイブは私が初めて親に頼んでお年玉で買ってもらったレコードなんですよ」

そうした音楽が好きだった大西さんにとって、『ブルースブラザーズ』は「その本物に出会った」瞬間だったのです。

◆人生を変えた一枚のアルバム――セロニアス・モンクとジョン・コルトレーン
さらに、高校2年生の冬、大西さんの人生を決定づける出会いがありました。それが、セロニアス・モンクとジョン・コルトレーンによるアルバムです。
「洋楽にリズムがある洋楽に憧れてはいるんですけれど、それはピアノでやるにはどうしたらいいかっていうのはずっとわからなかったんですね。それの答えがジャズだったんです」

そのきっかけとなったのが、9つ上のお兄様が大学生の時にアメリカ旅行のお土産で買ってきた、唯一家にあったジャズのレコードでした。

「本人はよくわからずにほったらかしにしてたのを私がなんか発掘したというか」

お兄様は当時流行っていたサックス奏者マイケル・ブレッカーが影響を受けた人がコルトレーンだと雑誌で読み、そのレコードを買ったつもりが、ピアニストのセロニアス・モンクとのアルバムだったため「思ったのと違うな」と感じていたそう。

初めて聴いた時の感情について、大西さんはこう語ります。

「歌もなく本当に素朴な音なんですけど、かなりアヴァンギャルド。私すごくびっくりしましたね。その和声の動きとか、クラシックにはないものだし。こういうのをインストゥルメンタルでこうやれるんだと思うと、『ああ、こういうやり方があるんだ』っていうことで。この音楽がどういうふうに構築されているんだろうっていうことがすごく気になり出して」

そこからジャズの世界に少しずつ入っていきます。アルバイトで貯めたお金でレコード屋さんに通い、「ジャズ」と書かれているものを買って聴いて、ジャズの世界に触れていったそう。


◆バークリー音楽大学――理論より感覚で掴んだ音楽
高校2年生の冬、進路を考える時期に、ジャズを学べる大学がアメリカにあると知った大西さん。それがバークリー音楽大学でした。
アメリカの大学は日本と違って入学はそれほど難しくないという大西さん。「そこから本当にプロになれるかどうかはその人次第ということになりますが」と続けます。
バークリー音楽大学での日々については、「楽しかったですね」と即答。
「初めてピアノ以外の楽器とセッションするっていうことを覚えまして。学校の授業よりも、いろんな国から来た色んな楽器の生徒たちと毎日のようにー学校は夜2時まで開放されるので、授業をやってない時間はもういくらでもそうやってジャムセッションとか活動できるんですね」

「授業この時間は寝てて、で、授業が終わるといろんな2時まで仲間と毎日のようにジャムセッションやってる。その中でどんどんうまくなっていく」

理論を勉強しに行ったはずが、「理論というよりはなんか感覚で掴んでいた」と振り返る大西さん。3年ほどの在学期間は、最初から最後まで楽しかったといいます。

◆ニューヨークへの道――電話番号が示した未来
バークリー音楽大学では、有名な活躍しているミュージシャンが講義をしに来たり、特別にレクチャーをする機会も多く、その時に生徒が選抜されてグループを組み、その人と一緒に演奏する機会があったそう。

「私も選抜されたりして。そうすると、必ず当時は電話番号聞かれるか否かっていう。要するに有名ないろんな実際のプロの方からその生徒が電話番号を聞かれるっていうことは、ものすごくこうこの先何かがあるかもしれないということなわけですね。認められて、まあ若干期待に値してもらえたという合図でもある」

そういうことが続いたため、「ニューヨークに来たらきっと仕事があるな」と思ったという大西さん。
それをきっかけに、ニューヨークへ
「本当に行ってくれる人もまあ口先だけだったりもすることが多いんですけど、まあでもそういうこと言われると子供なのでやっぱり本気にしちゃうんですよね。それだけを頼りにニューヨークに出ようかなって思ってしまったわけです」

さあ、ニューヨークに移った大西さんを待ち受けていたものとは?
この続きは、来週、お話伺います。

◆キャリア初のソロアルバム
1993年のデビューから33年、2026年3月にキャリア初のソロアルバム「American Classics」をリリースされる大西順子さん。
番組では、毎週、そのアルバムから先行して、1曲づつお届けしていきますので、お楽しみに!
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