みらい図鑑

Vol.27 「寒天」 長野県

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今回のタカラモノは、350年以上もの古い歴史を持つ、日本発祥の食材「寒天」。
あんみつなどでよく見かけますが、実は、いろんな食べ方があるんです。
例えば、「寒天ときのこのマリネ」。洋風メニューにも活躍するんですよ。



そんな寒天ですが、日本一の製造を誇るのが長野県茅野市。
「寒天の里」と呼ばれています。

寒天の原料は、「天草(テングサ)」と呼ばれる海藻。
海のない長野で、寒天が製造されるようになったのにはこんな歴史があります。

もともと寒天は江戸時代に京都で発見されました。
当時、長野の行商人が京都に行った際に寒天作りを見て修業、
故郷に持ち帰ったのが始まりだと言われています。
その後、海のない長野で生産が盛んになったのにはどんな理由があったのでしょうか?

長野県寒天組合の組合長、小池隆夫(こいけ・たかお)さんのお話です。

「もう、天保年間から180年続いています。
天候・気候が寒くて、冬はマイナス10度ぐらいで晴天続きということで、
寒天作りには一番適しているということで産地化しました。」

長野の気候条件が、寒天づくりにマッチしていたんですね。

大釜で煮溶かした天草から「ところてん」を抽出、
5cm四方に切って木の棚に並べて冬の露天にさらして、
マイナス10数度の気温で氷結させ、昼間の天日で溶かす。
この作業を10日から2週間繰り返すことによって、「ところてん」から水分が蒸発し、
ぱりぱりとした真っ白な寒天が完成します。





寒天を作り続けて50年の小池さん、未来のことをこんな風に語ってくれました。

「100年後、ちょっと想像がつかないところもありますが、
180年、曲がりなりにも続いた地域ですので、なんとか寒天を長野県の産物として、
100年後まで、みんなでがんばって続けていきたいなと思っています。」

京都から長野県の諏訪地方に伝わり、
日本生まれの天然食材として、代々、受け継がれてきた寒天。
100年後も「寒天の里」の寒天は、きっと多くの人に愛されていることでしょうね。

Vol.26 「周防大島の魅力を伝えるジャム屋さん」 山口県

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山口県に浮かぶ人口2万人のちいさな島、
周防大島。
この島にあるジャム屋さんが、いま、注目を集めています。

「瀬戸内ジャムズガーデン」。

四季折々の旬の果実を使った、手作りのジャム屋さん。
一見、どこにでもありそうですが、
多くの人を惹きつける魅力はどこにあるのでしょうか。

はじまりは夫婦の新婚旅行でした。
訪れたのはフランスのパリ。
妻がアクセサリーショップを見ているときに、
偶然、目に入った隣のジャム屋さん。
松嶋匡史さんは、多種多様なジャムの種類に衝撃を受けました。
その場で30本ものジャムを買って帰りました。

ジャムと言えば、「マーマレード」や「ブルーベリー」。
それがいままでの常識でしたが、
どんな土地で暮らすどんな人がどんな季節に作った果物なのか、
1種類1種類がビンテージで、
地域と作り手の”顔”が見えるジャムを知りました。

「このような食文化が日本にもあったらいいのに」。
その想いがスタートでした。



瀬戸内ジャムズガーデンは1年間に160種類以上のジャムを販売しています。

”この時期だとこういう酸味がある、
ここは南斜面だからこの時期だとこれぐらいの甘みが乗ってくる、
そういう風に、具体的に、
「この人が、この畑でこういう風に作っているから生まれるジャム」っていうものを楽しむ、
そういう文化をぜひ根付かせていきたいなと思っているんです”



1種類1種類に、物語があるんですね。
松島さんが見据えるのは、
ジャムづくりをとおした、「地域の活性化」です。



”まさしく地域っていうのは一色で染まる話ではなくて、
いろんな方々がいろんなことをやっていて、
それを上手いこと組み合わせることによって、
地域の魅力になっていくはずなので、
そういう地域としてこの島が今後100年、
さらにもっと先まで残っていければと思っています”



周防大島のの魅力を伝える「瀬戸内ジャムズガーデン」。
その挑戦は、まだ、始まったばかりです。

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Vol.27 「寒天」 長野県

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今回のタカラモノは、350年以上もの古い歴史を持つ、日本発祥の食材「寒天」。
あんみつなどでよく見かけますが、実は、いろんな食べ方があるんです。
例えば、「寒天ときのこのマリネ」。洋風メニューにも活躍するんですよ。



そんな寒天ですが、日本一の製造を誇るのが長野県茅野市。
「寒天の里」と呼ばれています。

寒天の原料は、「天草(テングサ)」と呼ばれる海藻。
海のない長野で、寒天が製造されるようになったのにはこんな歴史があります。

もともと寒天は江戸時代に京都で発見されました。
当時、長野の行商人が京都に行った際に寒天作りを見て修業、
故郷に持ち帰ったのが始まりだと言われています。
その後、海のない長野で生産が盛んになったのにはどんな理由があったのでしょうか?

長野県寒天組合の組合長、小池隆夫(こいけ・たかお)さんのお話です。

「もう、天保年間から180年続いています。
天候・気候が寒くて、冬はマイナス10度ぐらいで晴天続きということで、
寒天作りには一番適しているということで産地化しました。」

長野の気候条件が、寒天づくりにマッチしていたんですね。

大釜で煮溶かした天草から「ところてん」を抽出、
5cm四方に切って木の棚に並べて冬の露天にさらして、
マイナス10数度の気温で氷結させ、昼間の天日で溶かす。
この作業を10日から2週間繰り返すことによって、「ところてん」から水分が蒸発し、
ぱりぱりとした真っ白な寒天が完成します。





寒天を作り続けて50年の小池さん、未来のことをこんな風に語ってくれました。

「100年後、ちょっと想像がつかないところもありますが、
180年、曲がりなりにも続いた地域ですので、なんとか寒天を長野県の産物として、
100年後まで、みんなでがんばって続けていきたいなと思っています。」

京都から長野県の諏訪地方に伝わり、
日本生まれの天然食材として、代々、受け継がれてきた寒天。
100年後も「寒天の里」の寒天は、きっと多くの人に愛されていることでしょうね。

Vol.26 「周防大島の魅力を伝えるジャム屋さん」 山口県

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山口県に浮かぶ人口2万人のちいさな島、
周防大島。
この島にあるジャム屋さんが、いま、注目を集めています。

「瀬戸内ジャムズガーデン」。

四季折々の旬の果実を使った、手作りのジャム屋さん。
一見、どこにでもありそうですが、
多くの人を惹きつける魅力はどこにあるのでしょうか。

はじまりは夫婦の新婚旅行でした。
訪れたのはフランスのパリ。
妻がアクセサリーショップを見ているときに、
偶然、目に入った隣のジャム屋さん。
松嶋匡史さんは、多種多様なジャムの種類に衝撃を受けました。
その場で30本ものジャムを買って帰りました。

ジャムと言えば、「マーマレード」や「ブルーベリー」。
それがいままでの常識でしたが、
どんな土地で暮らすどんな人がどんな季節に作った果物なのか、
1種類1種類がビンテージで、
地域と作り手の”顔”が見えるジャムを知りました。

「このような食文化が日本にもあったらいいのに」。
その想いがスタートでした。



瀬戸内ジャムズガーデンは1年間に160種類以上のジャムを販売しています。

”この時期だとこういう酸味がある、
ここは南斜面だからこの時期だとこれぐらいの甘みが乗ってくる、
そういう風に、具体的に、
「この人が、この畑でこういう風に作っているから生まれるジャム」っていうものを楽しむ、
そういう文化をぜひ根付かせていきたいなと思っているんです”



1種類1種類に、物語があるんですね。
松島さんが見据えるのは、
ジャムづくりをとおした、「地域の活性化」です。



”まさしく地域っていうのは一色で染まる話ではなくて、
いろんな方々がいろんなことをやっていて、
それを上手いこと組み合わせることによって、
地域の魅力になっていくはずなので、
そういう地域としてこの島が今後100年、
さらにもっと先まで残っていければと思っています”



周防大島のの魅力を伝える「瀬戸内ジャムズガーデン」。
その挑戦は、まだ、始まったばかりです。

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