みらい図鑑

Vol.25 「南部鉄器」 岩手県

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今回のタカラモノは、東北・岩手を代表するモノヅクリ、「南部鉄器」です。
岩手がルーツと言っても、盛岡と奥州、それぞれに異なった歴史を持った鉄器を総称して
「南部鉄器」と呼んでいます。

なかでも、900年以上という長きにわたって、
鍋やフライパンなど、庶民の日用品として愛されてきたのが奥州の「南部鉄器」。

そんな奥州・水沢で南部鉄器を作っているのが「及源鋳造(おいげんちゅうぞう)」です。



「及源鋳造」は、伊達藩水沢の鉄器で庶民の道具に近く、
一方、盛岡はお殿様用、つまり、献上品なので貴族的。
ですが、作り方は同じなんだそうです。

「及源鋳造」、5代目、及川久仁子(おいかわ・くにこ)さんにお話をうかがいました。

「私たちの道具っていうのは、黒いし、重いし、錆びやすいし、
お手入れをしないとならなくて、
よく言われるのは“おじいちゃんの時代の道具だよね”って言われるんですが、
だからこそ使いこんでいく、だからこそ育てていくっていう、
“人と道具が向き合う面白さ”ってあるのかなって思っているんです。」

単なる調理器具という役割を越えて、“暮らしに寄り添ってくれるのが南部鉄器”だと
及川さんは話します。



「3.11のときに沿岸の方が、全部津波で流されて、鉄器だけ残っていたと。
“この鉄器をなんとしても直してくれ”って持ってきた方がいたんですね。
この子、頑張ってくれていたんだ、と思って。
そういう道具を自分たちは作っているんだなと思って、それは誇りでしたね。」



モノだけでなく、作り手の想いも100年後に残したい。
作り手の想いをお客さんに伝えて、使うことで感動を生み、サビと付き合う文化を伝えたい。
そんな思いを抱いている及川さんの気持ちも一緒に、未来へと受け継いでいきたいですね。

鉄という単純な素材に向き合う生活、皆さんも楽しんでみてはいかがでしょうか?

Vol.24 「線香花火」 東京都台東区

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今日の話題は、ニッポンの夏の風物詩、線香花火です。

「みなさんが遊んでいる花火っていうのは、
“火をつけるからちょっと離れて危ないよ”って言って遊ぶでしょ?
でも線香花火だけはね、“ほら、こっちに寄ってらっしゃい”ってみんな仲良く
できるじゃないですか。
やっぱりそこに一番魅力があるわけですよ。
ぼくは100年でも200年でも、線香花火は遊ばれると思いますよ。」

と語ってくれたのは、東京・台東区蔵前にある花火問屋「山縣商店」の会長、
山縣常浩(やまがた・つねひろ)さん。
純国産の線香花火「大江戸ボタン」をプロデュースしています。




線香花火は300年の歴史を持ちながらも、外国産が増え、
平成10年には、国産の線香花火の生産が途絶えてしまいました。
それを、なんとか復活させたい!という思いで奮闘したのが「山縣商店」。

「300年も続いているこんなに素晴らしい商品がね、我々の時に無くしてしまったら大変。
そういう意気込みからどうしても復活させたいと。
3年間、火薬を練ってもらう人、線香花火に一番合う和紙を探して、
いままでずっと線香花火をよってくれていたおばあちゃんを探して、
3年かけて、やっとできたんですよ。」



こうして出来上がったのが「大江戸牡丹」です。
線香花火の中でも「幻」と言われている国産の線香花火。
細部にも徹底的にこだわって愛をこめて作り、
はかなさと美しさ、その両方を表現できるのは、純国産ならではだと、山縣さんは話します。



純国産の線香花火にしかみることのできない、4つの燃え方、
「牡丹」「松葉」「柳」「散り菊」。
0.1グラムという火薬が、わびさびのある繊細な美しさを表現します。

そんな線香花火を売って12年。
“あの時の線香花火をやりたい”、“孫に見せたい”と買いに来るリピーターが
後を絶たないそうです。
そんな日本ならではの美しさ、100年後の夏の夜にも花開いていてほしいですね。

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今回のタカラモノは、東北・岩手を代表するモノヅクリ、「南部鉄器」です。
岩手がルーツと言っても、盛岡と奥州、それぞれに異なった歴史を持った鉄器を総称して
「南部鉄器」と呼んでいます。

なかでも、900年以上という長きにわたって、
鍋やフライパンなど、庶民の日用品として愛されてきたのが奥州の「南部鉄器」。

そんな奥州・水沢で南部鉄器を作っているのが「及源鋳造(おいげんちゅうぞう)」です。



「及源鋳造」は、伊達藩水沢の鉄器で庶民の道具に近く、
一方、盛岡はお殿様用、つまり、献上品なので貴族的。
ですが、作り方は同じなんだそうです。

「及源鋳造」、5代目、及川久仁子(おいかわ・くにこ)さんにお話をうかがいました。

「私たちの道具っていうのは、黒いし、重いし、錆びやすいし、
お手入れをしないとならなくて、
よく言われるのは“おじいちゃんの時代の道具だよね”って言われるんですが、
だからこそ使いこんでいく、だからこそ育てていくっていう、
“人と道具が向き合う面白さ”ってあるのかなって思っているんです。」

単なる調理器具という役割を越えて、“暮らしに寄り添ってくれるのが南部鉄器”だと
及川さんは話します。



「3.11のときに沿岸の方が、全部津波で流されて、鉄器だけ残っていたと。
“この鉄器をなんとしても直してくれ”って持ってきた方がいたんですね。
この子、頑張ってくれていたんだ、と思って。
そういう道具を自分たちは作っているんだなと思って、それは誇りでしたね。」



モノだけでなく、作り手の想いも100年後に残したい。
作り手の想いをお客さんに伝えて、使うことで感動を生み、サビと付き合う文化を伝えたい。
そんな思いを抱いている及川さんの気持ちも一緒に、未来へと受け継いでいきたいですね。

鉄という単純な素材に向き合う生活、皆さんも楽しんでみてはいかがでしょうか?

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今日の話題は、ニッポンの夏の風物詩、線香花火です。

「みなさんが遊んでいる花火っていうのは、
“火をつけるからちょっと離れて危ないよ”って言って遊ぶでしょ?
でも線香花火だけはね、“ほら、こっちに寄ってらっしゃい”ってみんな仲良く
できるじゃないですか。
やっぱりそこに一番魅力があるわけですよ。
ぼくは100年でも200年でも、線香花火は遊ばれると思いますよ。」

と語ってくれたのは、東京・台東区蔵前にある花火問屋「山縣商店」の会長、
山縣常浩(やまがた・つねひろ)さん。
純国産の線香花火「大江戸ボタン」をプロデュースしています。




線香花火は300年の歴史を持ちながらも、外国産が増え、
平成10年には、国産の線香花火の生産が途絶えてしまいました。
それを、なんとか復活させたい!という思いで奮闘したのが「山縣商店」。

「300年も続いているこんなに素晴らしい商品がね、我々の時に無くしてしまったら大変。
そういう意気込みからどうしても復活させたいと。
3年間、火薬を練ってもらう人、線香花火に一番合う和紙を探して、
いままでずっと線香花火をよってくれていたおばあちゃんを探して、
3年かけて、やっとできたんですよ。」



こうして出来上がったのが「大江戸牡丹」です。
線香花火の中でも「幻」と言われている国産の線香花火。
細部にも徹底的にこだわって愛をこめて作り、
はかなさと美しさ、その両方を表現できるのは、純国産ならではだと、山縣さんは話します。



純国産の線香花火にしかみることのできない、4つの燃え方、
「牡丹」「松葉」「柳」「散り菊」。
0.1グラムという火薬が、わびさびのある繊細な美しさを表現します。

そんな線香花火を売って12年。
“あの時の線香花火をやりたい”、“孫に見せたい”と買いに来るリピーターが
後を絶たないそうです。
そんな日本ならではの美しさ、100年後の夏の夜にも花開いていてほしいですね。

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