ファイナリストのボーダーライン。 ―奇跡の瞬間と今―from 海賊先生


3年目の今年、あるバンドからストレートに質問メールが届いた。
「自分達が、どうして3次ライヴに進めなかったのか?「差」を教えて欲しい」という内容だった。
そのあまりに真摯な姿勢に、僕と閃光リーダーのあっきー先生が、直接電話で話した。
彼は深く頷いてくれたが、その電話を切った後、僕は眠れずに、ずっとアタマの中を旅した。
きっと他にも、同じ想いの挑戦者達は、たくさんいると思う。
その後、一気に、その得たいの知れない「差」について、言葉にしてみた。
正解も不正解もないハナシだ。まったくもって、鵜呑みにしないで欲しいが、
僕なりの思考の旅の断片を、少しだけこぼす。当たり前のような事しか言ってないが、
もし何かの答えに近づいてくれればと、願って。

ミンナが放ってくれてた創作物は、一般に「音楽」と呼ばれてるもの。
音楽の "よしあし" って、いったい何だろうと思う。基準やルールもなければ、
既定の方程式も、常勝の方法論も存在しない。
(もしそんなものがあったら、
全てのアーティストが100万枚のミリオンセラーになっちまうってばよ!)
更に言えば、送り手側も、受けて側も "個人差" という、宇宙規模並みに果てのない、
膨大な "個々の価値観" を持ち合わせているから、そこに「絶対値」は存在しない。
それなのに、不思議な事に「差」というものが生まれる。キミが大好きで敬愛している、
あの人気ミュージシャンも、おそらく何らかの偶然で、何らかの必然で、
その「差」というものを生み出し、過去や今、キミを魅了している。

その「差」とは、いったいなんだ。

いくら「絶対値」が存在しない世界だからと言って、最低限 "必要なもの" はある。
例えば、楽器が演奏できなければ、歌が歌えなければ、 "音楽" という表現が出来ない。
それを踏まえて考えると、楽器や歌の能力、いわゆるスキルが "ある" という事は、
もちろん "高い低い" の問題ではなく、 "ある" という意味で、 "必要" な条件だろう。
それをスタートラインにして、おそらく「差」が生じ始める。

「音楽」を構成してる要素、リズム、メロディー、詩、ハーモニー、コード、音色、歌声etc・・。
楽器を基盤に、コードやリフやリズムやラインが織りなす「演奏」があって、
その上を泳ぐドレミファソラシド=「メロディー」があって、
その上に "何か" を乗せる必要がある場合、それが「詩」となって、総称して「歌」と呼ばれる。
今度は、その「歌」と呼ばれるものを届ける要素の中心に、
「声」が登場し、譜割りや節回しで、それが生き物のように、種族によって様々に変化する。

これら全てが、ミュージシャンの数だけあって、千差万別の音楽となる。

ここからが、ワンダーランドのような、アドベンチャーランドのようなハナシ。
その「音」という武器。これを持って、物語に登場するのは、紛れもなく「人間」
つまり、 "ミュージシャン" と呼ばれる人種。つまり、閃光に挑戦したキミである。
人によって、その「音」という武器は、腰に下げる「刀」だったり「剣」だったり、
肩にかけた「マシンガン」だったり、「バズーカ―砲」だったり、
「ピストル」だったり、「ヌンチャク」だったり、「化学兵器」だったり、「薬品」だったり、
「花粉」だったり、「水流」だったり、「炎」だったり、「幻術」だったり、
もうそれはそれは無限に広がる武器の種類。

今度は、その "武器" が、自分に合ってるか?
自分が一番上手く使いこなせる武器を選択してるか?
を見極める必要が出て来る。そして、その武器を持った姿が、美しいか、カッコイイか、
堂々としてるか等の "見栄え" の要素も出て来る。
さらには、1人のミュージシャンが、 "刀を持った1匹狼" として、非常に凛々しく映れば、
ギター1本でシンガーソングライターとして、音楽のワンダーランドを旅すればいいし、
複数のミュージシャンが、 "術を使える忍者集団" として、非常に魅力的に映れば、
バンドやユニットというスタイルで音楽のアドベンチャーランドの冒険に乗り出せばいい。

音楽の "よしあし" は、 "音楽" と "人間"  その2つの相互関係が、
奇跡的にマッチングしているか、していないかの時点で、偶然か、必然か、生じる。
そして、それが、おそらく「差」となる。

音楽だけが良くても、見栄えだけが良くても、もしくは両方あっても、
埋もれてしまう場合もあるし、その逆もある。

つまり、絶対値もないし、方程式もない、上手いとか下手とかでもない、
ただその "奇跡的なマッチング" が、 "よしあし" の「差」になるのだろう。

分かりやすそうに届けたつもりが、全然、難しいハナシになっちゃったな。
きっと。(ゴメンゴメン)。

最後に、その "奇跡的なマッチング" は、予期せぬ時に、
自分達も解らないような時に、突如と巻き起こる可能性がある。

だから、今年惜しくも届かなかったから、ダメという事もなく、
逆に、去年届いたから、ずっといい、という事もない。

大切なのは、その "瞬間" なのだろう。
その奇跡的なマッチングが成立した瞬間。
すくなくとも、 "閃光ライオット" という生命体のもとでは、特に。

閃光ライオットが掲げる、― "今" を刻みたい。ただそれだけ。
というスローガンも、ここに起因しているのかもしれない。

願うのは、これからも音楽を好きでいてください。
祈るのは、できるなら音楽を続けて行ってください。

閃光の中で、会える日を、
楽しみにしています。



SCHOOL OF LOCK! 代表 海賊先生より
閃光ライオット2010を終えて


閃光ライオット2010を終えて 閃光直前の歌 心に残る閃光達へ。 ファイナリストのボーダーライン

―from海賊先生