第百九十三話自分をふるい立たせる言葉を持つ
千円札は、北里柴三郎になりますが、現行の千円札の肖像として親しまれているのが、野口英世です。
北里と野口は、長きにわたり、師弟関係にありました。
野口は、1898年4月、北里が所長を務める伝染病研究所に入職し、研究に従事しました。
野口が1900年に渡米留学するときも、便宜をはかり、彼の研究を支えたのです。
野口英世は、福島県三ツ和村、現在の猪苗代町に生まれました。
猪苗代湖の湖畔には、彼の記念館が建てられています。
ノーベル賞の候補にもなった、世界的な医学者の足跡を知ることができる展示も人気ですが、何より目をひくのは、生家の床柱。
そこに、19歳の野口が上京する際に刻んだ文字が、当時のまま保存されているのです。
曰く、「志を得ざれば、再び此地を踏まず」。
自分は、医者になれなければ二度とふるさとには帰ってこない、強い決意を心にしっかりとどめるように、弱い自分に鞭うつように、ナイフで文字を書きました。
大きな火傷を負い、左手をほとんど使えなかった幼年時代。
多くのひとの力を借りて医学者になってからも、苦難の連続でした。
それでも彼は志を全うすべく、努力に努力を重ね、黄熱病と梅毒の研究に邁進したのです。
特に黄熱病との格闘はすさまじく、結局、自身も黄熱病に倒れ、51歳の若さでこの世を去ります。
彼は、こんな言葉を残しています。
「家が貧しくても体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸いも災いも、自分から作るもの。周りの人間も周りの状況も、自分から作りだした影と知るべきである」
医学に命を捧げた偉人・野口英世が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
野口英世は、1876年、磐梯山の麓、福島県の猪苗代町で生まれた。
村でも1、2を争うほど、貧乏な家だった。
父はお酒なしでは半日ももたない。
田畑を売ってしまい、家計は火の車。
母親のシカが朝から晩まで働いて、なんとかしのいだ。
英世が生まれて2年目の春、彼の将来を決める出来事が起こる。
裏の畑で野良仕事をしていた母親は、「ぎゃああ」という、とてつもない泣き声を聴いた。
英世が、囲炉裏に落ちていた。
「ごめんよう、ごめんよう、おっかあをゆるしてくれ!」
母親は、英世を抱き上げる。
彼の左手は、赤く焼けただれていた。
医者は、遠くにしかいない。
なにより、医者に払えるお金もなかった。
近所のひとが持ってきてくれた薬を塗る。
泣き続ける英世の傍らで、母親は寝ずに看病した。
幸い、一命はとりとめ、全身の火傷も日々よくなっていったが、左手の指はくっついたまま。
どうすることもできなかった。
深い母の愛のおかげで、英世は明るく元気な子どもに成長したが、学校に行くようになり、不自由な左手と貧乏なことでいじめられる。
かくれんぼ。
英世が加わると、じゃんけんは必ず左手で行うことになり、全員パーを出した。
いつも英世が鬼。
泣いて家に帰ると、彼の背中に声が飛んだ。
「てんぼうてんぼう、手が棒みたいな、てんぼう」
悔しかった。
でも、どうすることもできない。
そのときの悔しさを、英世は生涯忘れなかった。
野口英世の母は、いつも泣いて帰ってくる幼い息子が不憫で仕方なかった。
彼の左手を見るたびに、胸が痛む。
「全部、自分のせいだ。この子はひとつも悪くないのに…」
ただ、あわれんでいるばかりでは、我が息子の将来のためにならないことも知っていた。
「こっちへおいで」
英世を呼ぶと、母は言った。
「学問で見返してやりなさい。おまえは頭がいいのだから、一生懸命勉学に励みなさい。おっかあはもっともっと働いて、おまえのための本を買う。おまえが上の学校に通えるようにする。いいかい? わかったかい?」
そんな母の思いとは裏腹に、英世は決して勤勉な子どもではなかった。
学校に行くふりをして、ずる休み。
一日中、川でどじょうをつかまえた。
母にばれると、英世は泥だらけの顔をして言った。
「おれは、おっかあの仕事の手伝いをしたい。学校に行っても、なんにもならない」
そこで母は言った。
「野良仕事だけでは、暮らし向きはいっこうに変わらないんだよ。おっかあはね、おまえには、この貧乏暮らしから抜け出してほしいと思ってるんだよ。そのためにはまず、他のひとがやらないくらい努力しなくちゃダメなんだ。じっと待っていても、だーれも助けてはくれない。それがこの世の掟なんだよ」
母は、家の隅で酒に酔いつぶれて寝てしまっている父親の背中をちらっと見た。
野口英世は、幼いながらに母の言葉を理解した。
確かに、「てんぼうてんぼう」と自分をいじめる同級生に勝つには、勉強するしかないと思った。
学べば学んだ分だけ、成績もあがる。
うれしかった。
先生に褒められれば、またやる気になる。
気がつくと、学級で一番、学年で一番になっていた。
「負けてたまるか、負けてたまるか」
いつもそんなふうに、自分に声をかけた。
彼は決して最初から、鋼の意志を持っていたわけではなかった。
ともすれば、さぼりたくなる心。
どうでもいいやと捨て鉢になる気持ち。
そんなとき、夜中に内職する母の背中を思い出した。
11歳になって、進学するかどうかの選択を迫られる。
ほんとうは行きたかったが、行くお金がないことはわかっていた。
猪苗代高等小学校の小林栄という先生が、英世の母親にこんな申し出をした。
「私が息子さんの学費を全て出しましょう。彼は進学すべきです。どうでしょうか、お母さん」
少しでも前に進んでいれば、誰かが手を差し伸べてくれる。
大切なのは、努力して、まずは自分の環境を変えること。
一歩階段をあがれば、そこに見たことのない景色と、想像していなかった可能性が拡がっている。
野口英世は、くじけそうなときにはいつもノートに言葉を刻んだ。
「負けてたまるか、負けてたまるか」
【ON AIR LIST】
GET UP OFFA THAT THING / James Brown
DON'T LOSE YOUR STEAM / Gregory Porter
OUT OF THE GHETTO / Donald Fagen
BAMAKO / Youssou N'Dour
閉じる