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24.10.04

メジャーリーグ歴代最多安打、ピート・ローズの光と影

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金曜日の「トレンドネット」は、「スポーツ」をキーワードにお届けします。今朝のテーマはこちら!


【メジャーリーグ歴代最多安打、ピート・ローズの光と影】

吉田:1960年代から80年代にかて活躍し、メジャーリーグの歴代最多安打記録を誇るピート・ローズさんが、9月30日に死去したと生前に選手、監督として所属していたシンシナティ・レッズが先日、発表しました。ピート・ローズさんは、メジャーリーグ1年目の1963年にナショナル・リーグ新人王に選出されると、1968年、1969年、1973年の3度にわたり首位打者を獲得。1973年にはナ・リーグのシーズン最優秀選手(MVP)にも輝きました。24年間の現役生活で積み上げたヒットの数は、4256本です。


ユージ:スポーツジャーナリストの生島淳さんにお話を伺います。生島さん、おはようございます!ピート・ローズさんが活躍していたのが1980年代までということで、その存在を知らない方もいるかと思いますが、生島さんは、リアルタイムで活躍をご覧になっていたのですか?


生島さん:日本では、1975年にテレビ神奈川でピート・ローズが所属していたレッズ対レッドソックスのワールドシリーズの中継があり、小学校2年生の時に宮城県で見ていました。1978年にフジテレビが週2回、第リーグ中継というものを始めまして、この年がメジャーリーグ中継元年といっても良かったと思います。その当時は、レッズが強かったので中継されることも多く、その中でピート・ローズさんが空中を飛ぶようなヘッドスライディングがかっこよかったです。「チャーリー・ハッスル」のニックネームで呼ばれていたのも懐かしいですが、僕は校庭の砂場で、ヘッドスライディングの真似をした記憶があります。1978年の中継が始まった年にレッズの一員として来日していたので、とてもメジャーリーガーとしては近い存在でした。


ユージ:そういう子供達にも与えてたインパクトも当時大きかったんですね。ピート・ローズさんの現役時代の話ですが、どんなタイプの選手でしたか?


生島さん:先ほど、吉田さんからの紹介もありましたが通算4256安打。メジャーリーグナンバーワンで首位打者3度。クラウチングスタイルといって背中を丸めて打つ人が昔いたのですが、ヒットを量産する安打製造機で、元々は右打者でしたが、スイッチヒッターに転向して左右両打席で3割近い打率を残しています。シーズン200安打以上が10度あります。これはイチローと一緒です。イチローみたいなイメージと思ってください。当時のレッズは強く、ジョニー・ベンチ、ジョー・モーガンらと「ビッグ・レッド・マシン」と呼ばれた中心的な存在だったと思います。


ユージ:そんなピート・ローズさんですが、1985年、45歳になった時にはシンシナティ・レッズに選手兼監督として活躍。そして、1986年には選手を引退して監督業に専念しています。そこからは人生における大きな転落を経験することになるんですよね。


生島さん:そうです。1989年、監督在任中に野球賭博に関わり、自分のチームの勝利にかけていました。これが明るみに出てメジャーリーグ機構から永久追放処分になりました。これの1番の問題は、野球殿堂入りする機会が失われてしまったことです。メジャーにおいて野球賭博は大罪。今年、水原一平氏の違法賭博問題が明るみに出た時、ピート・ローズさんのことに言及する報道が見られたのは、当時も今もピート・ローズさんの賭博事件が本当に大きな社会問題でした。ピート・ローズ自身のキャリアに大きな影を落としていました。晩年、僕がキャンプ取材にアリゾナに行ったりするとサイン会でお金を稼いでいて、寂しい環境に置かれていたと思います。


ユージ:近年では、イチローさんが2016年に日米通算4257安打を記録して生涯で打ったヒットの数においてはピート・ローズさんを抜いた時に物議を醸す発言をされていた事が話題になりましたね。


生島さん:そうです。「日米合算に意味はない。高校時代のヒットも数えるのか」と否定的な発言を繰り返していて、少し残念でした。日本でもメジャーリーグからやってきた通算記録も報道しないので、他は各国の基準になっていいかなと思いますが、ピート・ローズさんは、少しスポーツマンシップが失われていたのが残念でした。


吉田:最後は負のイメージがつきまとってしまったピート・ローズさんですが、それでもシンシナティ・レッズの地元ファンには人気あったのですか?


生島さん:レッズの顔だったので、2015年に本拠地のシンシナティで行われたオールスター戦の前にセレモニーで登場した時、大声援に包まれました。この時、メジャーリーグ側も彼の登場を許容したことで、雪解けや殿堂入りにチャンスがある?と思われましたが、結局は実現しませんでした。


吉田:改めて、最後にピート・ローズさんの生涯を振り返ってみて、生島さんはどんな事を思いますか?


生島さん:僕は、幼い頃に英雄には光と影があるんだなということをピート・ローズさんから教わった記憶があります。


ユージ:ありがとうございました!シンシナティ・レッズでは、ピート・ローズさんの現役時代の活躍をたたえて、当時つけていた背番号「14」を永久欠番としています。ピート・ローズさんの野球人生、その光と影にフォーカスしました。

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