三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2019.08.20

起業で国に貢献したい

Doneru株式会社 代表取締役
和智雄司
打たれる杭は引っ込んでられない

【Doneru株式会社 代表取締役 社長の和智雄司さん】です。

大阪生まれ、大阪育ちの和智雄司さん
当初は官僚を志していましたが、あるきっかけで起業家を目指します。
大学在学中に2度、起業し、卒業後はIT企業に入社しますが、半年で退社。
独学でプログラミングを習得し、フリーランスエンジニアとして活動。
そして、3度目の起業でDoneruを創業しました。

まずDoneruの主な事業を教えて下さい。

「e-Sportsプレイヤーやライブ配信者の収益アップを支援する
 拡張プラットフォーム「Doneru(どねる)」というサービスの運営をしております。
 この「Doneru」という名前の由来からご説明しますと
 「ドネーション」という「寄付」を意味する言葉を日本語風に
 名詞に「る」を付けるような意味合いを込めて名前を付けさせて頂いております。
 「ドネーション」というと、子どもたちに自分の髪の毛を寄付する
 ヘアドネーションなどが有名ですが、ゲーム実況やのライブ配信にも、
 そういった文化がありましてこの配信面白いなとか、笑えたなという時に
 「お金を投げる」というのがドネーションなんです。
 それをサポートするサービスになっております。」

いわゆる「投げ銭文化」というものですね。
まずはどうやって「Doneru」にたどり着いた経緯を教えてください。
大学生の時に2度、起業されていますが、
「大学在学中にやってやろう!!」と言う気満々だったんですか?

「大学入学当初は、そんなことはなく普通に大学生活を謳歌していました。
 授業に出て、サークルの飲み会に出てという普通の大学生でした。」

そこから変わったきっかけというのは?

「大学主催の留学プログラムでミャンマーに行くというものがありまして
 そこはアジアの優秀な学生達が集まるプログラムだったんですね。
 その学生達とディスカッションや価値観の交換などをしたところ
 彼らはハングリー精神に溢れていて、自分との違いに感銘を受けまして
 その時に意識が変わり始めたのだと思いますね。」

意識が変わってまず目指したのが官僚だったのですか?

「そうですね。国に帰ってから真っ先に自分を変えたいなと思い
 出来ることを考えた時、日本に貢献したいなと。
 だったら公務員しかないだろうと、そこで官僚だと思いました。」

結局官僚にならなかった理由とは?

「シンプルに自分が官僚に向いていないというのが理由でして
 「滅私奉公」という性質がある職業なので
 自分を殺して黒子に徹するということが自分にはできない。
 どちらかというと”打たれる杭は引っ込んでられない”というような
 前に出たい側面があるので、それが抑えきれませんでした。」

打たれに行くという姿勢、素晴らしいですね!
そして、起業家になろうというきっかけは何があったのでしょうか?

「それは一つの書籍との出会いだったのですけども
 新しい1万円札のデザインになる近代日本経済の父とも言われる
 渋沢栄一という方の『論語と算盤』という本に感銘を受けて企業を志しました。」

この本はどういった内容だったのでしょうか?

「『論語と算盤』という本は、言い換えると『儒教と経済』という意味でして
 動乱の時代においていかに道徳を修めて、実業から国を盛り上げるか
 ということについて書かれたハウツー本です。」

これは起業する上で非常に大事なことですね。
自分の会社を大きくすることは国のためでもあると
イコールになっていくということですね。

「渋沢さんはもともと官僚のエリートだった方なのでですが、
 ある日一念発起して、官僚からでは国を変えられないと
 実業から国を変えていきたいという志を持たれて、
 実業の世界に飛び込まれた方なのです。」
 
そこから在学中に2度起業、どんな会社だったんですか?

「1度目は「人材紹介会社」、2度めは「イベント会社」を起業しました。
 1度目は勢いで起業したところがあり、官僚になる勉強をやめてしまって
 民間から国を興したいという気持ちが強かったので、
 まず企業の社長を見に行こうと合同就職説明会に行ったのですが
 当時大学2年生でスーツも着ておらず、まったく相手にされなかったのですが
 ある1社の社長さんだけ話を聞いてくださって、
 その社長さんがビジネスコンテストに出てみたらどうかと
 声をかけていただいてからのご縁です。」

この起業した会社は、うまく行ったのでしょうか?

「結論から言うと失敗でした。1度目は自分の圧倒的な力不足から、
 2度目は起業した経験があるという過信からの失敗でした。」
 
大学卒業後、1度はITの会社に就職。
起業ではなく就職したのはどうしてなぜですか?

「憧れの起業家さんがその会社にいらっしゃって、
 一緒に働いてみたかったというのが理由です。
 0からスタートして上場まで会社を成長させた方だったので、
 その方の近くで働けば、自分も成長できるかもしれないという気持ちがありました。」

起業を念頭において就職されたということですね。
ステップアップを考えて就職をされるのはいいことですよね。
そこからプログラミングを勉強し直して、フリーのエンジニアになられたと・・・

「一応師匠の方はいらっしゃったのですが、ほぼ独学です。
 まずかっこいい理由からお伝えすると、自分でプロダクトのモック(試験版)を作って
 投資家に見せれるようになりたかったからという理由です。
 今どき高校生の方でも素晴らしいコード書ける時代なので書けないと話にならないと。
 リアルな理由をお伝えすると、稼ぎ口が当時何も無かったからです。
 商学部を卒業した自分には「手に職」がない全くない状態でしたので、
 スキルを身に着けようとプログラミングを始めました。

この後、ゲームの世界とつながっていくわけですが、続きは来週です。
最後にこれまで乗り越えてきたハードルを教えて下さい。

「事象としてのハードルはたくさんあって正直数え切れないです。
 これからもきっとたくさんのハードルが現れては
 ひとつひとつ対処していくことになると思います。
 しかし、本質的にはハードルというのは目に見えなくて、
 「もう無理かも」とか「しんどい、辛い」と妥協しそうになる心と
 逃げずに向き合ってそれを乗り越えていくことがハードルだと思っているので
 毎日がハードルだと思っています。」

和智さんには来週もお話を伺います!
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