令和2年度(第75回)文化庁芸術祭ラジオ部門優秀賞受賞 TOKYO FM 特別番組 Positive ~コロナとホテルとラインチャット~

  • TOKYO FM
インタビュー

『水無田さんインタビュー』

社会学者の水無田気流さんは、日本経済新聞に寄せたコラムのなかで、新型コロナウィルスがもたらした最大の「敵」は社会の分断だと書いた。お互いに監視し合う世の中では、自分の「正義」を振りかざし、他人を厳しく取り締まる。不安が蔓延してしまった日本社会は、いつの間にか、寛容さを失ってしまった。水無田さんはそのことに警鐘を鳴らし、他人が他人を排撃しない社会を取り戻す必要を説く。コロナによって明らかになった社会の分断とは何か。コロナ禍とは私たちにとってどのような意味を持つものなのか。平穏な社会を作り上げるために、今、知っておくべきこととは一体…。

他者に不寛容な日本社会

  • マンタ
  • マンタ:水無田さんは6月1日の日経新聞朝刊に「コロナで見えた「他者への不寛容」戦うべき相手は人ではない」と題したコラムを寄稿されました。あのなかでコロナ禍が生み出した同調圧力と、それによって現れた社会の軋みについて書かれています。コロナ禍になってから、みんな他人に対して厳しくなる一方で。コロナに罹患した私には、水無田さんが書かれたことは痛いほどよくわかるんです。あのコラムを書かれたとき、どんなお気持ちだったんでしょうか?
  • 水無田
  • 水無田:危機の時代っていうのは、コロナ以前からいろんなところで言われていたことでした。それが、今回、高速で集約して目に見える形で顕現しましたよね。コロナが蔓延してからわずか数ヶ月。たったそれだけの期間で、社会の抱える問題が最も悪い状態で露呈したんです。これが現実なのか……と戸惑いを感じていたと思います。
  • マンタ
  • マンタ:「寛容」と「不寛容」というキーワードを水無田さんは提示しています。コロナ患者だったり、コロナが蔓延している都市部の人たちに対して、これでもかってぐらいの不寛容さをみんな見せていました。ひとりで療養ホテルで苦しんでいた私はそれがとても辛くて。日本人ってここまで他人に不寛容だったんだって思わされました。
  • 水無田
  • 水無田:自粛警察なんて言葉が流行りましたけど、日本ってもともと排外意識がとても高い社会なんです。だから法的な力がなくても、世間の空気圧によって、みんな自粛しなきゃいけないのかなって気になる。社会学では、そうやって人々が自然と守ろうとする道徳的規範のことを「習律(mores)」といいますが、日本人は習律を実によく遵守する国民なんです。弱者や異質な他者に対して厳しい日本人の性質が、コロナによって、悪い方に出てしまったのが、あの頃でした。市民による市民の「取り締まり(ポリシング)」がそこかしこで見られるようになったわけです。この取り締まりは、コロナ以前からありました。例えば、女性ならこう振る舞え、という風潮は昔も今もありますよね。歪な正義感で他人を取り締まる。でも、それに従うことができない人だっているわけです。移動を仕事とする人もいるし、商用車の県外移動を止めたら経済が止まる。けれど、そんなことお構いなしで、相互に監視する空気が醸成されてしまった。それを見て、ふと、戦時中の隣組を想起したりもしました。日本人のすごく嫌な側面が出てしまったわけですね。

新型コロナウィルスは
新自由主義的な病気である

  • マンタ
  • マンタ:コロナに罹患する人だって、別に好きでかかるわけじゃないんです。でも、コロナ禍になってからは、かかったお前が悪いってムードが生まれました。私も、すごく責められている気がしました。
  • 水無田
  • 水無田:私は新型コロナウィルスというのは、極めて新自由主義的な病気なんじゃないかなって思います。弱い立場の人がどんどん追い込まれていく。そこでは本来、被害者だった人が加害者扱いされてしまうわけです。コロナに罹患すると、「遊び歩いてたからだ!」って後ろ指をさされて、敵がい心を抱かれてしまう。直接かかっていなくても、医療従事者などのエッセンシャルワーカーの方々は、とても大切な仕事をしているのに、差別にあってしまうんですよね。こうやって被害者や社会のために働いている人をあたかも加害者のように扱ってしまう状況が、コロナ禍というものなんです。だから、コロナ患者の方々はとても孤独なんじゃないかなと思います。
  • マンタ
  • マンタ:まさにそうなんです。療養ホテルでの日々はそんな孤独との戦いでした。そこで私を救ってくれたのが、見知らぬコロナ患者同士によるLINEの匿名チャットグループだったんです。あそこではみんなが開き直って、自分たちの傷を舐め合っていたんですね。不寛容な世界で、ほとんど唯一といってもいいくらい安心できる場所でした。私はあのとき、東京のホテルにいたのですが、この不寛容さは地方の方がよりきついのでしょうか?
  • 水無田
  • 水無田:都会と田舎には今回のコロナに対する考え方に大きなギャップがあると思います。閉鎖的な地方はコミュニティが強固なので、犯人探しが簡単にできてしまう。岩手県では長らくコロナの感染が確認されませんでしたが、最初の感染者が出るとものすごい勢いで特定が始まった。だから怖くてかかってもなかなか言い出せなかったんじゃないかなって思います。学級会で、みんなに目をつむらせて、先生が「これを壊した人は怒らないから名乗り出てごらん」と呼びかける状況ってよくあるじゃないですか。おずおずと手を挙げると、案の定、みんなからバッシングを受ける。あれによく似ていますよね。

コロナ禍が見せた社会の分断

  • マンタ
  • マンタ:コロナにかかった私は、社会から隔離されました。あのときほど疎外感を感じたことはありません。でも、SNSが現実の人と人の距離感を埋めてくれたんです。このコロナ禍ではITの技術によってどんどん新しいツールが誕生しました。そのことはいろんなネガティヴなことが多いコロナの世界で、良かったことなんじゃないかなって思います。。
  • 水無田
  • 水無田:そうですね。コミュニケーションの取り方が変われば、人と人の関係性の作り方も変わるんです。そうすると社会全体が変わっていくわけです。結果として、コロナ禍になってから、働き方がガラッと変わりました。以前からITなどの業種ではワークシェアリングを推奨する声があったんです。そうすればワーキングマザーの負担も減りますし、長時間労働対策にもなるわけで。それが今回、仕事がオンラインになったことで、一気に推し進められました。そのことは良かったと思います。ただ、それによってひとつ分断が明らかになりました。オンライン化がしやすい仕事と難しい仕事がはっきりと分かれたんですね。何でもかんでもオンラインでできるというわけではありません。サービス業の多くはオンラインにすることはできませんし、じゃあ、そういう人たちの仕事はどうするのかという課題が解消されないまま、ここまで来てしまいました。
  • マンタ
  • マンタ:なるほど。そう考えると新型コロナウィルスは多くの分断を社会にもたらしたってことですね。地方と都市、オンライン化できる仕事とそうではない仕事……。他にもどんな分断があるのでしょうか。
  • 水無田
  • 水無田:正規雇用と非正規雇用や、正規雇用のなかでも安定した職業に就いている人とそうじゃない人の間に分断が起きました。ジェンダー間の落差も大きいです。京都大学の落合恵美子先生が行った、在宅ワークとなった人を対象にした調査で次のような結果が明らかになりました。「子どものいる女性」の36%が家事や育児が負担になってしまったと言っているのに対して、同じ解答をした人の割合は、「子どものいる男性」はわずか15%、「子どものいない女性」では10%だったというんです。さらに、子どもが学校に行けなくなってしまった家庭の女性で、家事に困難を抱えるようになった人は44%にも跳ね上がる。世のなかの母親がどれだけ苦労しているかということです。女性にとって、家族が家にいる時間というのは労働時間なんです。ケアワークですから。コロナ禍では、夫も子どももみんな家にいなくちゃならなくなった。だから、労働時間が一気に増えたんです。家事を手伝ってくれる男性がパートナーだと負担には思わないのでしょうが、逆の場合、ストレスが増えるだけになってしまう。そうやってコロナ以前からあった家庭の歪みのようなものが、くっきりと可視化されてしまったのが、今回の事態です。

コロナ患者によるLINEチャットは
ディストレスを緩和させるためのものだった

  • マンタ
  • マンタ:女性と男性の間で、のしかかる負荷が違っているんですね。女性の自殺率が急増したという話も聞きました。
  • 水無田
  • 水無田:そうなんです。東京都医師会の報告では、女性の自殺率が76.6%も増えたと言っていました。男性は三割程度なので、圧倒的に女性の方が多い。それだけ女性が困難を抱えていて、心身のケアが必要だということです。これも、仕事に関する格差が原因だと思います。例えば、メディカルコワーカーは、女性の割合がとても大きい。先ほども言いましたが、医療福祉従事者はコロナ禍において、スティグマ化されやすいんです。差別的な感情に取り巻かれながら働くことがどれほど苦しいことか、想像に難くありません。また、非正規雇用の形態で働いている女性も多くいます。彼女たちのなかには経済的基盤を失ってしまった人も少なくない。つまり、コロナ禍によって起きた分断のうち、より弱い立場にいる人の多くが女性だったのです。
  • マンタ
  • マンタ:自粛生活が続き、家族以外の人と簡単に会えなくなってしまったのも原因だったりしますか?
  • 水無田
  • 水無田:コミュニケーションが失われたことも大きな要因の一つです。家族社会学にはディストレス状況下における人的資源についての研究があったりします。ディストレスというのは不安や抑うつを抱えた状態のこと。それを緩和するための人的資源というのは、つまり、愚痴をこぼしてすっきりできる相手のことです。ストレス耐性は男性より女性の方が低い。だから女性は、ディストレスを和らげるために、話し相手を求めます。会社の同僚だったり、ママ友だったり。悩みをわかち合って、精神的な負担を自分でケアしなければならないんですが、今回、ステイホームが要請されたことで、愚痴を言い合える人がいなくなってしまった。人的資源に頼れなくなると、息苦しくなってしまいます。自殺率の増加の背景にはそのような現状もあったりするのではないでしょうか。
  • マンタ
  • マンタ:療養ホテルで交わされていた匿名のLINEチャットはまさにディストレスを緩和するための人的資源だったんですね!あのとき私が耐えられたのは愚痴をこぼせる仲間がいたからでした。じゃなかったら、私も療養生活のなかで自分を責めちゃってたかもしれません。コロナにかかったせいでいろんな人に迷惑をかけたんじゃないかって思ってしまいました。これも女性特有の思考パターンなのでしょうか。
  • 水無田
  • 水無田:女性の方が自責の念に駆られるというのはその通りだと思います。この国には、以前から、家族の面倒を見るのは女性だという空気がありました。女性はケアをする存在だと見なされてきたわけです。そのことを内面化している女性たちは、今回、新型コロナウィルスから家族を守らなきゃという責任を誰よりも抱え込んでしまっているのではないでしょうか。女性がケアワークから受ける負担の重さについて、これまで低く見積もられ過ぎていたのではないか、というのが私の実感です。

社会を覆っている明るい闇をめぐって

  • マンタ
  • マンタ:いかにこの社会が女性にとって生きづらいものなのかが今回のコロナ禍ではっきりとわかりました。まだ半年ですが、いろんなことが見えてきましたね。水無田さんが寛容と不寛容についてのコラムを書かれた6月と比べて、11月の現在は状況が少し変わってきているのでしょうか?
  • 水無田
  • 水無田:5月や6月の頃は、もっと緊迫感があったのは確かです。みんなで生き残りを模索していた感じがあったというか。自粛警察といったポリシングの動きも相まって、お互いにピリピリしていましたよね。でも、GoToキャンペーンが始まったあたりから、社会の雰囲気がどこか明るくなりました。メディアも含めた空気感が変わったと思います。明るい闇に包まれているとでもいいましょうか。でも、感染者数は決して減ってはいないんです。東京は相変わらず感染拡大の危機から脱せていませんし。それなのに、社会の気分が明らかに変わった。この明るい闇の気持ち悪さみたいなものを、私たち研究者はウォッチしておく必要があるんじゃないかと思います。
  • マンタ
  • マンタ:今回のコロナ禍を考えると、どうしてもネガティヴなイメージしか持てません。あえて、これをポジティヴに捉えることって可能なのでしょうか?
  • 水無田
  • 水無田:問題のありかがはっきりと見えるようになったというのはポジティヴなことなんじゃないでしょうか。例えば、日本における雇用形態はいわゆるメンバーシップ型と呼ばれるもので、人に際限なく仕事を割り当てるタイプの労働環境が整備されていました。それが、今回、コロナによって、このままではいけないと多くの企業が痛感することになったわけです。テレワークでは個々人の生産性だけが問われるので、その意味では、明確に仕事内容が規定されているジョブ型雇用の方がぴったりくる。そこで、メンバーシップ型からジョブ型へ移行する企業も多く見られました。

軽視されてきた女性のケアワーク

  • マンタ
  • マンタ:テレワークが主流になって、これまで私たちがいかに無駄で非効率な仕事の方法に頼っていたかが突きつけられましたよね。私も、もっと時間を大切にしようと思いました。知らない間に時間を浪費してきちゃっていたんですね。
  • 水無田
  • 水無田:そう感じる人は多いと思います。これまで社会のメンバーである以上、時間を捧げて当然とされてきたんですね。先ほども言いましたが、女性のケアワークについて社会はそれほど考えてきませんでした。『「居場所」のない男、「時間」がない女』のなかでも書きましたが、日本の女性は平均、男性の5倍ほど多くの時間を家事に費やしているんです。なかには会社で働いている女性ももちろん多くいます。無償労働と有償労働を合わせた総労働時間は男性より長い。そのことがどれほど負担になっていたのかが、コロナ禍で働くということが見直された結果、世間の知るところとなったわけです。あるいは、テレワークが主流になり、人々が時間の大切さに気づいたことで、人の時間を際限なく使う風潮そのものを改めようとする気運も見て取れます。私はいろんなところで言っているのですが、他人から頂くモノで一番価値が高いモノっていうのは、時間なんですよね。だって、考えてみたら、時間ってその人の寿命の一部を頂いているわけじゃないですか。これまでの働き方では他人の時間を無闇に使い潰していました。特にケアワーカーである女性の時間は軽視されてきました。その結果、タイムプアになってしまう人が多かった。でも、コロナ禍でわかったのは、もっと効率的に仕事をすることができるんじゃないかということです。長時間会議なんてなくても良いし、同じ空間を共有しなくても仕事は進められる。これまでいかに無駄なことに時間を割いてきたかということに気がつくことができたのと同時に、他人の時間の希少性について考える契機にもなった。人の時間を奪うことの暴力性を改めて認識することができたのです。このことは、新型コロナウィルスが収束しても、元に戻ってほしくないことですね。
  • マンタ
  • マンタ:家事・育児と仕事の両方を負っている女性は、時間をそれほどまでに犠牲にしてきたんですね。外出自粛が要請されて、初めて気がつくことってたくさんあります。自粛生活そのものも、そういう意味では無駄ではなかったのかもと、考えたいですね。
  • 水無田
  • 水無田:はい。ただ、自粛生活で見えてきたものは、日本人の嫌な面だったり、マイナスな部分が多かったのも事実です。法的な強制力のない以上、自粛というのは個々人によって解釈が異なるものなのです。それなのに、他人の自粛に口を出して勝手に取り締まろうとする人たちが出てきてしまった。繰り返しますが、日本社会がいかに他者に不寛容であるかが露呈したわけです。それから、自粛生活が続いて、今まで経験したことがないほど、家族と一緒にいることで、お互いの嫌なところ、見せなくて済んでいたところが見えてしまった。これまでは「家にいる」イコール「休息・リラックス」だったのが、そうは言えない状況になった。自粛生活は多くの人にとって息苦しかったものだったのではないでしょうか。
  • マンタ
  • マンタ:他者に不寛容な日本社会か……。なかなか厳しい現実ですね。もし、今後、感染拡大が再び起きたとして、これ以上の分断を防ぐにはどうしたら良いですか?
  • 水無田
  • 水無田:冷静に状況を見る、ということだと思います。第一波で起きた分断の問題点が何だったか、みんな気がつくことができたと思います。この病気が、致死率の異常に高くて恐ろしいものではないこともわかってきました。だとするなら、感染が拡大しても、落ち着いて、メディアに惑わされず、ウィルスを正しく恐れるということをすべきです。メディアや政府が作り出す、根拠のない明るい空気に流されるのでも、不安に苛まれるあまり他者に不寛容になるのでもなく、冷静に病気と付き合っていく。そのための力がこれからの社会では求められます。敵視すべきなのはウィルスであって人ではない。そのことを、今一度、認識し直す必要があるんじゃないでしょうか。

東京都医師会データ。2020年と2017年~2019年の全国月別自殺数比較による。
40歳未満の世代では男性の自殺者数は356人で前年比31.4%増、女性の自殺者数は189人で前年比76.6%の大幅増。