ON AIR REPORT オンエアレポート

8月27日、宮沢賢治の誕生日にちなんで・・

2018.08.27


今夜もお聴きいただきありがとうございました。

8月27日は、童話作家、宮沢賢治の誕生日。今回は、宮沢賢治と音楽の関係に迫りました!

1896年(明治26年)8月27日、岩手県花巻市に生まれた宮沢賢治、代表作の「銀河鉄道の夜」以外にも、「注文の多い料理店」「やまなし」「セロ弾きのゴーシュ」なども有名です。そして、実は音楽マニアとしても知られています。

作品中にもしばしば音楽が登場。SPレコード収集家としても知られ、自らオルガンやチェロなどの楽器を演奏することもあったと言われています。

<Play List>
M1 ドヴォルザーク 《交響曲第9番「新世界より」》 第2楽章 ラルゴ /
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

M2 ベートーヴェン 《交響曲第6番「田園」》 第1楽章 /ベルリン新交響楽団 、ハンス・プフィツナー(指揮)(1920年録音)

M3 宮澤賢治 《星めぐりの歌》 / 鈴木慶江(ソプラノ)

M4 冨田勲 《イーハトーヴ交響曲》 より第1楽章「岩手山(いわてさん)の大鷲(おおわし)〈種山ヶ原(たねやまがはら)の牧歌〉」/日本フィルハーモニー交響楽団、大友直人(指揮)

M1ドヴォルザーク 《交響曲第9番「新世界より」》は、宮沢賢治の代表作【銀河鉄道の夜】に登場する曲です。
あらすじ:主人公のジョバンニは同級生たちにからかわれている孤独な少年。ある夜、ひとりで星空を眺めているうちに、気付くと幼馴染のカムパネラと銀河鉄道に乗っていた。星をめぐる旅を楽しみながら、途中さまざまな考えや生き方をする人々に出会う。最後、カムパネルラは意味深な言葉を残し姿を消してしまう。現実世界に戻ると、カムパネルラは友達を助けるために死んでしまったことがわかる。「本当の幸福とは何か」を問いかける作品。
交響曲第9番との関連
・銀河鉄道の旅をするジョバンニとカムパネルラの車室に同乗した女の子が、どこからか聴こえてくる音楽の調べを聴きつけて、「新世界交響曲だわ」とつぶやく場面がある。これはまさにドヴォルザークの「新世界より」と考えられる。賢治は実際に、ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』を愛聴していたことが知られている。


M2ベートーヴェンの交響曲第6番『田園』は、【セロ弾きのゴーシュ】に登場する曲。実際に賢治が聴いたであろう、当時の音源でご紹介しました。
あらすじ:「町の活動写真館」でチェロを弾く係であるゴーシュが、動物たちに助けられながら音楽家として成長する物語。ゴーシュは「活動写真館」で、無声映画の伴奏を務める専属の楽団の楽団員です。楽団では近く町の音楽会で演奏予定の『第六交響曲』の練習を続けていますが、ゴーシュは「仲間のなかではいちばん下手」で、毎晩猛練習をしています。三毛猫がやってきた日から、夜中の動物たちの触れ合いで知らず知らずにゴーシュは上達していき、本番は大成功。初めて楽長、楽団員から賞賛されます。
交響曲第6番との関連
・町の音楽会で演奏する「第6交響曲」はベートーヴェンの第6交響曲《田園》と考えられている。それは、宮沢賢治がベートーヴェンの交響曲、とりわけ《田園》が大好きだったこと、さらに賢治が『セロ弾きのゴーシュ』を書く上でベートーヴェンの《田園》の曲想と標題からいくつかのヒントを得ていることなどから、間違いないと考えられている。
・賢治は多くのSPレコードを所有していたが、その大半は友人に譲渡するなどで手放してしまっている。そのなかで最後まで手元に残していた数点の中にベートーヴェンの交響曲第6番があり、それはお送りした、プフィツナー、ベルリン新交響楽団(ベルリンフィルの前身)によるものでした。

M3の「星めぐりの歌」は、宮沢賢治の作詞、作曲。最初期の童話「双子の星」では、「空の星めぐりの歌」に合わせて銀の笛を奏でる、というシーンがあり、そこで登場するのがこの曲です。
晩年の「銀河鉄道の夜」においても、子供たちはケンタウル祭の夜に、みんなで「星めぐりの歌」を唄うことになっている。ジョバンニもカムパネルラも、物語のなかで何回か、この曲を口笛で吹く場面が登場します。

M4《イーハトーヴ交響曲》は、賢治へのオマージュ作品。全7楽章の作品。タイトルの「イーハトーヴ」は賢治の造語で、理想郷としての岩手を意味。一説には、賢治が学んでいたエスペラント語で「岩手」を発音したところから命名されたといわれる。
冒頭のわらべ歌風の旋律<種山ヶ原の牧歌>は宮澤賢治の作詞作曲。フランスの作曲家、ダンディ(1851-1931)の《フランスの山人の歌による交響曲》の主題もコラージュされている。この曲も賢治が好んでいた曲です。

横山さんは、賢治のSP盤のコレクションに、当時もっともモダンだったストラヴィンスキーの「火の鳥」などもふくまれていることにも注目し、
「ここまでくると、作家でありながら音楽評論家、作詞作曲も手掛けるので音楽家とも、音楽以外のこともできた人、とも言っていいのではと思います。好きだった音楽や演奏と、作家としての作品が密接に結びついていると感じます」とおっしゃっていました。

バーンスタイン生誕100年!

2018.08.20


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
今から61年前、1957年の8月19日は、バーンスタインのミュージカル《ウェスト・サイド・ストーリー》が初演された日でした。

バーンスタイン(1918-1990)といえば、20世紀を代表するアメリカの作曲家ですが、指揮者、ピアニストとしても活躍したマルチ音楽家です。音楽教育者としても、テレビ時代を利用して活躍。そして、ちょうど今週の土曜日、8月25日に生誕100周年を迎えます。

今回はそんなスーパースター、バーンスタインに注目して、その人生や作品をご紹介しました。

<Play List>
M1 バーンスタイン《ウェスト・サイド・ストーリー》よりプロローグ/レナード・バーンスタイン(指揮)、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
M2 バーンスタイン《タッチズ〜コラール、8つの変奏とフーガ〜》/ヘルマン・レヒラー(ピアノ)
M3 バーンスタイン作曲 交響曲第2番「不安の時代」、第2部より「仮面舞踏会」 /フィリップ・アントルモン(ピアノ)、レナード・バーンスタイン(指揮)、ニューヨーク・フィルハーモニー

M1、バーンスタインの代表作『ウェスト・サイド・ストーリー』。原曲は1957年に初演されたブロードウェイ・ミュージカルの音楽。バーンスタイン(1918 - 1990)が、39歳の頃に作曲されました。
「ロメオとジュリエットを現代のマンハッタンに置き換えてミュージカルを作ったらどうだろう?」という振付師からの提案を受け作られた作品で、敵対する家柄同士の若者の悲恋を、移民同士が対立する現代(当時)の群像劇に置き換え、広く大衆の心に訴えることに成功しました。

M2 ピアノ・ソロのための「タッチズ」副題『コラール、8つの変奏とコーダ』、バーンスタインは1979年にニューヨーク・フィルを率いて来日、滞在中に翌年1980年は指揮活動を一切休止すると発表。実際に、作曲活動に専心し,
その期間中に作曲された作品です。

バーンスタインは・・・
*1918年8月25日マサチューセッツ州ローレンスに生。10歳からピアノを学び、16歳でボストン・パブリックスクール交響楽団のコンサートでグリーグの「ピアノ協奏曲」のソリストを務めます。
*1941年カーティス音楽院を卒業。
*1943年、25歳の時、急病で倒れた大指揮者ブルーノ・ワルターの代役としてリハーサルなしで指揮したニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会が全米に放送されて大反響を呼び、一躍時の人となります。同オーケストラの副指揮者に就任。
1947年ごろ、30歳目前で作曲されたのがM3の「交響曲第2番“不安の時代”」です。この曲の第2楽章は、ピアノ協奏曲のような作品で、横山さんも20年前演奏したことがあるそうです。「難しい作品、でも1度手に入って来ると楽しい作品」だったそうです。

* 日本との関係も深く、生涯に7度来日したバーンスタイン。最晩年の1990年には、札幌に国際教育音楽祭「PMF:パシフィック・ミュージック・フェスティバル」を提唱。今も若き音楽家たちを世に送り出す原動力となっています。

* バーンスタインが25歳で指揮活動を始めた時期、指揮者はほとんどが他国からの移住者が多かったため「アメリカ生まれ、アメリカ育ち」のバーンスタインは、非常に注目を集めました。

* 現代の作曲家で、今も世界中で作品が演奏されている稀有な存在、そして、ピアニストとしても、モーツァルトやラヴェルの作品に名演を遺しています。

<ベートーヴェン・プラスVol.5>直前スペシャル1!

2018.08.13


今回もお聴きいただきありがとうございました。
9月23日に迫ってきました、東京オペラシティでの秋のコンサートシリーズ「ベートーヴェン・プラス Vol.5」の直前スペシャルをお送りしました。

「ベートーヴェン・プラス Vol.5」は、30代前半のベートーヴェンに焦点を当て、第21番から第23番のピアノ・ソナタを中心に、<創作主題による6つの変奏曲 Op. 34>、<「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ Op. 35>も取り上げます。

そしてベートーヴェンに「プラス」して、ブラームスとショパン、さらにドビュッシーとラヴェルの同じく30代の傑作も聴きどころとなっています。

<PLAYLIST>

M1ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」》op.31-2より
第1楽章/横山幸雄(ピアノ) 2017年の「ベートーヴェン・プラスVol.4」のライブ録音より

M2 ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」》より 第1楽章/横山幸雄(ピアノ)CD『ベートーヴェン12会』より

M3 ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ第23番「熱情」》より 第3楽章/横山幸雄(ピアノ) 
CD『ベートーヴェン12会』より


30代になったベートーヴェンは、作曲家として一大転機を迎えます。
20代後半から現れ始めた耳の病の兆候がどんどん悪化していき、
32歳では遺書をしたためます。

しかし、その絶望を乗り越えた後、次々と傑作を生み出していくようになります。
まさに30代からの十数年間はベートーヴェンの創作の絶頂期と言って良いでしょう。
今回のベートーヴェン・プラスでは、見事な創作力を開花させた30代前半の魅力あふれる作品群をお聴きいただきたいと思います。

《ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」》は、
1802年、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた直後の1803年から04年にかけて作曲されました。

ちょうど本作の献呈者でもあるワルトシュタイン伯爵からエラール社の新しいピアノをベートーヴェンは贈られています。それは5オクターヴ半の音域を備え、音量も従来より大きく、迫力ある表現を追求できるピアノでした。このことがベートーヴェンの作曲の幅を大きく広げたと言われます。

ワルトシュタイン伯爵はベートーヴェンが10代の時に出会い、
ベートーヴェンを早くからパトロンとして支えたことで知られています。

実験的な《ピアノ・ソナタ第22番》をへて、
《ピアノ・ソナタ第23番「熱情」》はドラマティックでロマンティックな傑作、人気作品です。
1804-05年に作曲され、次の第24番のピアノ・ソナタ「テレーゼ」は1809年作で、
第23番の作曲からしばらくあいています。

ベートーヴェンにとっても「ピアノ・ソナタ」の頂点に達したという感覚が23番にあったのではないでしょうか。

この直前スペシャルを放送すると横山さんご自身も身がひきしまる思い、
充実したコンサートにしたいと意欲がわいてくるそうです。

次回の直前スペシャルは、9月2日。
来週は、生誕100年のバーンスタインに注目します!お楽しみに!

ヴァイオリニスト寺沢希美さんをお迎えして

2018.08.06


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
ゲストにヴァイオリニストの寺沢希美(てらさわのぞみ)さんをお迎えしました。

<Play List>
M1 森山直太朗作曲 さくら / 寺沢希美(ヴァイオリン)
M2 メンデルスゾーン作曲 ヴァイオリン協奏曲 第1楽章 /
寺沢希美(ヴァイオリン)、ライプツィヒ室内管弦楽団

クラシックになじみのない方にも親しんでほしいと(当番組のコンセプトと同じ!)日本のポップスをクラシカルなアレンジでとりあげたアルバム『スウイート・ヴァイオリン』をリリースした寺沢さん。

お姉さんの影響で4歳でヴァイオリンをはじめて以来、ずっとヴァイオリンが大好き、周りの人がヴァイオリンを弾くと楽しそうに聴いてくれるのがうれしかったので、幼いころからプロのヴァイオリニストになりたいと心に決めていたそうです。もし、ヴァイオリニストになっていなければ、宇宙飛行士になりたかったそうです。

ジョージ・パーク先生に学ぶため、英国王立音楽院へ。演奏家ディプロマコース卒業(DipRAM受賞)
2001年にはザルツブルク音楽祭のコンチェルト・ソリスト・コンクール優勝。世界中からオーデションを経て集まった若手ヴァイオリニスト数百名の中から1人選ばれて、ザルツブルク音楽祭という世界的な大舞台からヨーロッパデビューを果たした。コンサートは大成功で、その模様は現地のTV、ラジオで特集されました。

メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」は、ザルツブルク音楽祭で弾いた曲であり、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスター、ヘルマン・クレバース先生のレッスンを受けるため東京からアムステルダムに通って勉強した思い出の曲だそうです。

ヴァイオリンは歌わせることのできる楽器、そして、色彩豊かで弓が長いので、音を自分で変化させることができる。自分のイメージにヴァイオリンの音の響き方を近づけるために練習するときは時間を忘れてしまう、とおっしゃっていました。

8月30日(木)12時15分から銀座・山野楽器でランチタイムコンサートがあります。
ぜひおでかけください。

YUKIO YOKOYAMA_NOZOMI TERASAWA2018

バッハ、シューマン、リストに注目!

2018.07.30


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
7月末は、バッハ(1750年7月28日)、シューマン(1856年7月29日)、リスト(1886年7月31日)と大音楽家の命日が続いています。
J.S.バッハは17世紀末から18世紀にかけて、ちょうどバロック時代の後半に活躍した作曲家です。「音楽の父」と呼ばれるように、西洋音楽の基礎を築いた大作曲家で後世への影響も多大な大作曲家です。そしてその後およそ130年後に生まれたのがシューマンとリスト。二人は同じ時代に活躍しましたが、ともにバッハを学び大きな影響を受けています。
そこで今夜は、この三人の作曲家にスポットをあて、バッハーシューマン、バッハーリスト、シューマンーリストの「三角関係」?に注目しました。
<PLAY LIST>
M1 バッハ 《半音階的幻想曲とフーガニ短調》BWV.903/ 横山幸雄(ピアノ) 2017年のアルバム『ファンタジー』より

M2 シューマン 《バッハの名による6つのフーガ》op.60より 第1番/マルティン・シュメーディング(ペダル・ピアノ)

M3 リスト 《バッハの名による幻想曲とフーガ》S529/R22/マイケル・ポンティ(ピアノ)

M4 シューマン=リスト 《献呈》 S566/横山幸雄(ピアノ) 2006年のアルバム『ラ・カンパネラ 〜ヴィルトゥオーゾ名曲集〜』より

M1の作曲時期は1720年〜30年頃。バッハの鍵盤作品の中でも最高峰の一つ。
「幻想曲」はきわめて自由な形式です。(バロック時代の「幻想:ファンタジー」は、形式ばらずに自由に即興風に書かれた作品を意味している。)
「幻想曲」に続く3声の「フーガ」は長大でドラマティック。主題のはじめの4音(ラ→シ♭→シ→ド)はバッハの名前(BACH)を並び替えたものです。

●バッハとシューマン
J.S.バッハといえば、1000曲を越す作品を残した大作曲家として、さらに鍵盤楽器奏者、即興演奏の大家・・・とマルチに活躍した音楽家として知られます。しかし、65歳で亡くなってからは、一般的には忘れられた存在でした。

そんなバッハが復興するきっかけになったのが、19世紀初め、バッハ研究家であるフォルケルが『バッハ伝』を出版、1829年、メンデルスゾーンによって《マタイ受難曲》が再演、そして、1850年、バッハ没後100年にシューマンが発起人となり「旧バッハ協会」が発足。バッハ全集の刊行に取り掛かるなどがあげられます。

シューマンは、バッハの自筆譜をもとに、フーガの作曲法を学んでいたといわれています。その成果は《4つのフーガ》op.72、《バッハの名による6つのフーガ》op. 60に現れています。また、晩年はバッハの有名な《無伴奏ヴァイオリン作品(全6曲)、《無伴奏チェロ作品(全6曲)》のすべてにピアノ伴奏を付けて出版(1853年)もしています。

M2は、6曲とも冒頭にB(シ♭)-A(ラ)-C(ド)-H(シ)の主題をみとめることができます。シューマンのバッハへの尊敬の念は深く、手紙に「私の手本とする双璧はバッハとベートーヴェンです」、「私の確信するところでは、バッハには到底かないません。彼は桁違いです」などと記しています。

●フランツ・リストとバッハとのつながり
やはりバッハは特別な存在だったようで、30代の1841年と1842年、バッハにゆかりの深いワイマールでコンサートを開いた際、ト短調の《幻想曲とフーガ》の他、《6つのオルガンのための前奏曲とフーガ》をピアノソロに編曲・演奏しています。 リストの他の編曲と異なり、新たな音・旋律を追加することはほとんどなく、原曲に忠実な編曲になっています。
M3も、バッハの綴りをつかって、B(シ♭)-A(ラ)-C(ド)-H(シ)という四つの音の主題から始まる作品です。


●ともにバッハに学び、影響を受けたシューマンとリスト。良き友人関係であったといわれる二人は、互いに曲を捧げあっています。
シューマンからリストへ:《幻想曲 ハ長調 op.17》
リストからシューマンへ:《ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178》

また、編曲の達人であったリストは、シューマン作品も多く手がけています。
歌曲がもとになったものが多く、中でもM4の《献呈》はリストによるピアノ版も広く知られています。シューマンの歌曲集『ミルテの花』op.25の第1曲「献呈」を、リストがピアノソロ版に編曲しました。

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