ベートーヴェン研究の汚点!シンドラーに注目
2017.01.16
今夜もお聴きいただきありがとうございます!
1月16日は、アントン・シンドラーの命日。1795年チェコに生まれ、1864年1月16日に亡くなったシンドラーは、ベートーヴェンの生前は秘書として身の回りの世話をし、ベートーヴェンの死後は『ベートーヴェンの生涯』という伝記を書き、後のベートーヴェン解釈において多大な影響を及ぼしたことで知られています。
しかし、実はその多くの記録が捏造されたものであり、そればかりでなく、自身の描いたストーリーに合わせるために、ベートーヴェンの残した貴重な資料を勝手に廃棄処分したり改ざんしたことにより、現在ではベートーヴェンの研究における最大の汚点としてその悪名をとどろかせている人物です。「音楽史上最大の嘘つき男、詐欺師」とでもいえるでしょうか。
今夜は、シンドラーとベートーヴェンの関係に注目しながら、その悪行を確認してみました?!
<プレイリスト>
M1 ベートーヴェン 《ピアノ・ソナタ第17番》op.31-2<テンペスト>より第3楽章
演奏:横山幸雄(カシオのCELVIANO Grand Hybrid・ハンブルグ・グランドの音色でこの番組のための生演奏。2016年12月)
M2 ベートーヴェン 《交響曲第5番「運命」》 より 第1楽章
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
17番のソナタについて、あるときシンドラーが「この作品はどのように解釈したらよいのですか?」とベートーヴェンに尋ねると、「シェイクスピアの「テンペスト」を読め」と言った、という逸話からこのタイトルで呼ばれています。長らくこの話を含む、シンドラーのベートーヴェンに関する逸話は信じられてきましたが、現在ではその逸話や記録の多くは、シンドラーの捏造とされています。
シェイクスピアの「テンペスト」は船が嵐に巻き込まれるシーンにより開幕する全5幕、1611年の作ですが、二つの「テンペスト」に関連性はあまりありません。 しかし、第3楽章は「嵐」のイメージとぴったり!「テンペスト」の愛称が長年使われ続けて来た理由かもしれません。
1802年の作で、作曲時期としては、「ハイリゲンシュタットの遺書」をのこした時期と重なります。ベートーヴェンの苦悩と前進への強い意志が表れた作品と考えられます。
「交響曲第5番」についても、シンドラーが「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えたという信憑性の低いエピソードから「運命」という標題が広まりました。その結果この作品は作曲者の意図とは別の解釈が行われるようになりました。
ベートーヴェンとシンドラーの出会いは、ウィーンの学生だったシンドラーが警察の尋問を受けた事件に興味をもったベートーヴェンが彼を招待して話をきいた、というシンドラーが伝記に残しているエピソードの証拠はなく、現在では、ベートーヴェンの弁護士をしていた人物の事務所で働いていたことが2人を結び付けたきっかけと考えられています。
1977年、国際ベートーヴェン学会にて明らかとなったシンドラーの悪行!
* 会話帳の大量廃棄、数百カ所におよび記録捏造
* ベートーヴェン伝における数々の有名エピソードのでっちあげ
* 「無給の秘書」ではなくベートーヴェンは給料を払っていた
* 秘書の期間は14年とされるが、実際は5年ほど
* 「運命の主題」の捏造
現在ではシンドラーの「不正確で虚偽の内容を記す性癖は甚だしく、他に史料が見つからなければ、彼の記したものは一切信頼できない」とされていますが、100年以上にわたりシンドラーによって作り上げられたベートーヴェン像は根深く、私たちに与えた影響も大きいように思います。
横山さんは「ベートーヴェンの強いメッセージをもった音楽に、意味づけしたいという気持ちはなんとなくわかります。たとえば、ショパンの「別れの曲」のように本人がつけたタイトルではない、通称で親しまれる作品はとても多いものです。また、ショパンの友人であるフォンタナが、ショパンの死後スケッチに手を加えたりしていますが、シンドラーの悪行はそういうこととはちがいます。今日でいう病的な要素がどれぐらいあったのかはわかりませんが、ベートーヴェンの作品はシンドラーがいなくても、後世に残るすばらしい作品であることはまちがいないと思います」とおっしゃっていました。
セルヴィアーノグランドハイブリッドで弾いたベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第17番 テンペスト」第3楽章は、このHPの右側のバナーから何度でもお聴きいただけます。ぜひアクセスしてみてくださいね。