2019/5/19
紫外線が強い季節になりました。みなさん、ケアは大丈夫でしょうか。
「私はよく、こんな質問を受けるんです。“大切な人を亡くした時、その亡くなった人は今、どんな気持ちでいるのでしょうか”と。相手の気持ちに立てば、誰でも分かるのではないか。死んだか、死んでいないかの違いというのは“二度と回答を得られない”と、一般の方は思うのでしょうね。生きている人同士でも、別れて二度と会うことがない人と同じこと。ちゃんと一人の命と向き合って、想像力を持てば答えは出ると思うのです。悲しんでいる人を亡くなった相手が見ていたら、それが辛くて戻ってきませんか?“供養”とは何かというと“私、頑張って生きていきます!”ということ。それで安心をして成仏ができるのです」という江原さん。
今日は『人を亡くした時』をテーマに番組をお届けしました。

今夜お届けしたナンバー
◇I will always Love You / ホイットニー・ヒューストン
◇心はひとつ / 江原啓之



「最愛なる母を先日、亡くし、昨年5月からの約300日、入退院を繰り返し、最後は腹膜透析を余儀なくされ、通い介護をしていました。うちの家庭は母が頑張り屋のおかげでなんとか家族の形を保っていられたような家族でした。そんな母が夜中に緊急搬送され、数時間後には息を引き取ったのですが、血圧が段々とさがり、呼吸するのも苦しそうな母に対し、私が何度も“ババ、ババ”と呼び掛けていた時のこと。母が一旦正気に戻り“うるさいんだよ”と。そしてそのあと、ひとりごとのように“どこから入ればいいのかな”と言い、最後に母の顔は段々と安らかな表情に変わり、最後は眠るように逝ってしまいました。母の“うるさいんだよ”がショックで思い出すたびに落ち込んでいましたが、タイミングよく『おと語り』で、江原さんからのメッセージを伺うことができ、とても救われ、気持ちが晴れました。母は最期まで頑張り抜いていました。この世に未練はない感じでした。最後までいろいろなことを教えてくれた母に感謝しています。お母さん今までありがとう。最後までお疲れさまでした。天国から見守っていてください」というメールをいただきました。

江原さん
「このメールはとてもスピリチュアル。“どこから入ればいいのかな”というところ。お母さんは幽体離脱をしている。死ぬ時は、そうやって離れていくんです。そこで“ババ、ババ”と呼びかけられて“体にまたどうやって戻ろうか…”と、していたんだと思う。必死に色々考えて頑張って戻ろうとしているので“ババ、ババうるさいんだよ!”と言ったのでしょうね(笑)。そこで、その戻ろうとするトライが叶わないということに気が付いて、お母さんは旅立っていかれた。私はこのエピソード、大切に研究に使わせていただきたいなと思います」


「7〜8年 悩んでいることなのですが、母が亡くなり、遺品整理をしていた中で、ひとつだけ処分するのに困っている物があります。“毛皮のコート”です。生前 母は贅沢もせず、私を女手一つで育ててくれたのですが“一生懸命働いたご褒美に 買っちゃった!300万!私が死んだら貴方の物になるから”と、とても大切にしていました。しかし私は、動物愛護の精神が強く、毛皮は着られません。家に置いてあることも抵抗感があるので 買取り業者さんに来ていただき、査定してもらったら“査定価格は7000円”と言われ、さすがに母が嫌がるだろうなと、売るのをやめてしまいました。持っていることで嫌な気持ちになってしまう物は、やはり大事な母の遺品でも 手離した方がよいですか?それとも 母が悲しがるでしょうか?」というメールをいただきました。

江原さん
「私は、こういった話でひとつ疑問に思うことがある。動物愛護の精神が強いのは素晴らしいこと。今、世界中で毛皮を着ないという運動もある。それは素晴らしい。けれど、だからといって“毛皮は着られません”というのは違和感がある。もう既にある物を“処分”というのは、まるで感謝がないのではないか。新しく作るのは嫌ですが、もう既にある物に関しては、逆に大切にしてあげることが“償い”ではないかなと思うのです。その動物も“ぬくもり”を与えたという功績になる。昔は生活の知恵で使っていた。しかし、今は経済や商売の為にどんどんと動物を殺しているということがあるので、よろしくはないと思うんです。あなたの気持ちは分かるけれど、あなたはビーガンやベジタリアンなのかな?これで牛を食べていたらおかしいと思うし、矛盾する。また革製品も履かず、着ないのか。全部つながってしまう。私もあなたの気持ちは分かるけれど、遺品整理というよりも、そこが引っかかってしまった。人それぞれ考え方があるので、否定はしない。毛皮に関しては“遺品”としてばかり考えるのは人間のエゴだと思うので、ご自身が着ないのであれば、この命をこういうふうにして“ある”ということは確かなので、別の方に着ていただいてもいいのではないかなと思います」


「先日、飼っていた愛犬をガンで亡くしました。17歳でした。年齢の割に見た目も若々しく、いつも元気に飛び回っていて、我が子のように可愛がっていました。それが、去年ガンが見つかり、手術を二回もし、それでもガンに立ち向かって闘っていた我が子。懸命に病と闘いながら、私も一生懸命フォローしながら日々過ごしていました。いずれ来るお別れの日まで責任をもって、悔いのないようにお世話しよう、そう思っていたのに、最後の最後の日、私は友達と前々から出かける約束をしていたので、出かけてしまったのです。家には家族がいたので“私の代わりによく見ていてね”と声をかけて出かけ、その夜、息を引き取りました。帰宅する30分前くらいだったそうです。どうしてその日に自分優先に出かけてしまったのか、最後の最後にそばにいられなかったことに自分の情けなさに涙が止まりませんでした。最後まで頑張っていた愛犬の姿を思うと、辛くて悔やんでも悔やみきれません。家を出るときに私の方をジッと見つめていたその姿が忘れられません。愛犬が亡くなる時、亡くなった今、何を考え、何を思っているのか。最後にそばにいなかった私のことなど、何でもいいのでお聞かせいただければ幸いです」というメールをいただきました。

江原さん
「私はこういう人は苦手だな。なぜかというと“自己憐憫”だから。この子のことを想って言っているのではなく、看取れなかった自分や“自分、可哀想”ばかり。それについて“何でもいいのでお聞かせいただければ”という感じだから苦手。人間も同じだけれど、看取ってもらったら、返って悲しみにあなたがくれてしまうと思って、サッと逝ってしまおうということもあったのかもしれない。人間でも“最期看取れませんでした。ちょっと家に帰っている間に…”ということがあるが、あれはオイオイと泣かれて、すがられたくない人。私がもし、亡くなる立場であれば一人でいる隙を狙って去っていきたい。けれど、犬でも“僕、逝くから見て…”という子もいる。私の犬の場合は、私は普段あちこちにいて忙しくしているけれど、たまたまその時、家にいた。私は『ペットはあなたのスピリチュアル・パートナー(中央公論新社)』という本を出しています。そこにも書いていますが、亡くなった時に、おもちゃでもなんでも置いておいてはいけません。ぜひ読んでみてください。大変失礼なことを言いましたが、私の優先は亡くなった人・動物なのです。残された人よりも亡くなっていく方が、一番伝えたいことが多いはずなんです。“感謝”が大切。“悔やむ”という感情でいられると“あの楽しい日々はなんだったのか”と思ってしまう。だから“ありがとう”“あなたに出会えて良かった”“向こうでまた会おうね”という言葉の方が、どれだけ善き言霊かということなのです」



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●江原啓之 今夜の格言
「すべての闘いから解き放たれると、人は優しくなります」
「過ぎ去ったすべての人が思うこと。それは、ありがとう」

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