2016/11/20
『24時間テレビ』をきっかけに、障がいについて11月6日の放送ではご紹介しきれない程、たくさんのご意見やお便りをいただきました。
「『障がい』という言葉は、物理的な問題。たましいには障がいはないと私は思っています。あるのは個性。『障がい者』というのを作ってしまうのは『健常者』と言われる人たちが、手助けをできない想像力のなさだと思う。
たくさんのメールをいただきましたが、その立場にある方の言葉というのは、たましいが宿っていて、やっぱり敵わない。私も学ばせていただきました。言葉に力が宿っている。机上の空論のように、表面的な善悪だけで述べていてはいけないのです」という江原さん。
今日も『障がい』をテーマに番組をお届けしました。
今夜お届けしたナンバー
◇Ebony and Ivory / ポール・マッカートニー&スティービー・ワンダー
◇モズのために / 江原啓之
「24時間テレビは偽善者の自己満足だと、私は妻とよく話しておりました。私の父も交通事故で身体障碍者となり、事故直後は夜を越せるかどうかと言われておりましたが、その後22年も生きることができ、昨年天に召されました。父は頚椎骨折、首の神経断裂。一人で起き上がる事も不可能でしたので、色んな方のご支援を頂きながら施設で生活をさせてもらいました。そんな中“そっとしておいて欲しい、余計な事をしないで欲しい”といった事もございました。施設の方々はご理解頂いていますが、突然やって来る不特定のボランティアには色々あって…。お世話頂くのは大変有難い事。しかし、有難迷惑な事も結構あり。人それぞれにも関わらず、一律に勝手な事をされたり、押し付けられるに等しい事をされ、有難くない事を断れず、受け入れる事も少なくはありませんでした。最近のテレビは感動を売り物にし、身障者をダシにしているように感じられます。お金を集める為、お涙頂戴的な臭い演出が見え見えで嫌気がさします。募金をする機会を作るのは良いのかもしれませんが、やり過ぎは逆効果だと思います。障がい者をさらし者にして、お金を集めるやり方はやめた方が良いと思い、投稿させていただきました」というメールをいただきました。
江原さん
「確かに“お涙頂戴的な臭い演出が見え見えで嫌気がさします”という気持ちも分かります。けれど、こういう時にはそれだけを見ない方がいいとも思う。世の中の映し出し。映画などの“この映画は泣けます”というキャッチコピー、どう思いますか。泣けるという事を先に売り文句する。人間が人間の心を失ってきているなと思うんです。ものすごく麻痺してしまっている。電車の中での化粧についての問題も“迷惑行為だ”と言ったら“余計なお世話だ”という意見もいっぱいある。嗜みを忘れている。人前で物を食べたりする事も、昔はなかった。人前で大きく口を開ける事自体、みっともない事だと言われていた。けれど、そういうのも平気な時代。そういう事の映し出しで、感性が薄くなってしまっているから、何事も大袈裟になっていってしまう。なので、その事だけを問題にするのではなく、社会全般がそういう流れだという事を自覚しないといけないかなとも思うのです」
「“感動ポルノ”という言葉を使ったのは、オーストラリア人のステラ・ヤングさんという女性で、その方のスピーチをNHKの番組が取り上げたのです。ステラさんは、障がい者が特別視されず、普通に生活できる世の中になって欲しいという思いで“感動ポルノ”という言葉を使っていました。日本の社会と外国の社会の考え方が違う部分があると思いますが、障がいのある方がテレビに出る事で、世の中の視野が広がるという点で、24時間テレビのような番組やNHKの番組はどちらも必要な番組だと思います。けれど、別にお涙頂戴にもっていく必要はないと思います。普通の日常生活。周りの人と笑ったりケンカしたり。そういった日常を映すだけでも、見ている人の視野を広げると思うのです。見た目で障がいや病気があると分からない人たちもいっぱいいます。見た目は普通でも、見えない所に障がいや病気があると社会で生きづらいのです。周りからも理解されにくく、孤独に頑張っている人はたくさんいると思います。頑張って生きている姿を見せる事は、私は“感動ポルノ”や“見世物”だとは思いません。ただ、世の中に知って欲しいだけなんです。まず知る事が、理解への第一歩だと思います」というメールをいただきました。
江原さん
「私は“理解されるよりは、理解する事を”という言葉も同時に感じます。“お涙頂戴にもっていく必要はない”というのもその通りで、あなたが仰っている事は、ある意味で正論だと思います。その正論が、私にもないと言っている訳ではありませんが、もっと上からの広く俯瞰した目線ができないかなとも思う。理解してもらうには、社会を理解しなければならない。ただ理解してほしいと正論を押し付けてもダメ。社会を理解した上で“どうすればこの人たちが理解してくれるかな”というくらいの、傲慢ではなく、精神的な高みや包容力を持たなくてはいけないと思う。“ちょっとな”と思うような演出があったとしても“世の中が、今そうだからな”と思った方がいい。ただただ“普通の日常”だけを放送したら、誰が見るだろうか。間違って欲しくないのは、反対なのではない。非常にクールな視点で言っているだけだとう事をご理解いただきたいなと思うのです」
「私には重度の障がいを持つ18才の息子がおります。それまで私はハンディのある方と関わった事なく生きてきました。息子が養護学校に通っていた時から10年以上、たくさんのチャリティに助けられています。物資や音楽会、スポーツ観戦など、色々な形のまごころを頂きました。食事、お手洗い、通院、入院だけで1日がかりの生活に、心の喜びをもたらしてくれました。まだ障がいを受け入れられなかった頃は、病気のドラマを見て“現実はこんなに綺麗じゃないのに”と、辛くなってチャンネルを変えた事もありました。今は、テャリティは人の為に何かしたいと思ってくださる方の支援の形のひとつだと思えるようになりました。支援して頂く為にはまず知ってもらい、理解してもらわなければなりません。ドラマは、万人に理解しやすい表現だと捉えています。また、私たち親子は、たくさんの方の手を借り、知恵を貰えたから今日があります。なので、息子の姿を見て“頑張ろう!”と思ってもらえたら、誰かの役に立てた事を嬉しく思います。こんな風に思えるまで何年もかかりましたが、今は1日1日が大事に思えます。チャリティもドラマも、救われる人がいる限り、続けて欲しいです。健常とハンディキャップ両方経験のある者のひとつの意見として受け取って頂けたら嬉しいです」というメールをいただきました。
江原さん
「やはり、経験を持っているから言える事。高みの精神を持っているから“よく理解していただけたら嬉しいんです”という境地に立てる。ボランティアの方に、クリスマスが来ると、勝手に帽子を被らされたりと、良かれと思って押し付けられる事もある。“ハンドベルの演奏をいたします”と言われても、聞きたくない人もいる。喜ぶ人もいれば、嫌な人もいる。拒否する権利もある。有難迷惑だという方の気持ちもすごく分かるけれど、あなたのような境地には、頭が下がります。経験があるから感動がある。だから、今の境地に立たれてらっしゃるのだと思います」
「私の子どもには発達障がいがあります。その上で、バリバラ・感動ポルノについての私の意見です。この世に個性のない人はいない。多数派か少数派というだけで、それぞれ個性があります。この世で障がい者と言われる人は少数派なだけで、この世に学びに来ている事には何の変わりもないわけです。ですから、障がい者だからといって自分を卑下する必要もないし、売り物?見世物?にしていると自己憐憫になる必要もない。自分を悲劇のヒロインにしているからこそ、ネガティブに捉える。私はバリバラを観て、無関心でいられるより、関心を持ってもらえる良い機会だと思いましたし、それを見聞きし、感じる事は、自分自身の内側にあるものの映し出しだと思いました。ですから、ネガティブに取るも、ポジティブに取るも、その人自身の事なのだと。私はすぐにネガティブになる子どもに“あなたはその個性を選び、たくさんの事を学びにこの世にやってきたんだ。だから凄いんだよ」と、事ある度に伝え続けています。発達障がいもまだまだ世の中では、理解や関心が薄いので、テレビでそれを伝えたりする事は悪くない事だと思います。そして、障がい者を支える側として、私の想いが独り善がり、押し付けにならないように、常に相手の目線に立つ努力をしていきたいと思っています」というメールをいただきました。
江原さん
「俯瞰した包容力を持った視点でいらっしゃる。何事も“良い”“悪い”の視点ではなく、どちらに捉えるも、その人自身の事。そういう視点、視野にまで広がっていくといいですね」
●江原啓之 今夜の格言
「障がいがあるのは現世での不自由さです。
障がいをつくるのは、健常者と言われる人の愛と想像力のなさです」
「たましいに不自由はありません。あるのは個性のみです」
番組ではあなたからの感想・メッセージを募集しています
◇ あなたが感動した言葉
◇ いま江原さんに聞きたいこと
◇ ネガティブなお便り
◇ HAPPYメール
◇ 厄払いのお便り
◇ エンジェルさん目撃談
◇ 若者メールからのお便り、みなさん、一緒に考えていきましょう!
◇ 『お笑い』エピソードのお便り
◇ 11月・12月お誕生日の方
◇ Dr.Recella城嶋さんへの質問コーナー
メッセージの応募はこちらから
「『障がい』という言葉は、物理的な問題。たましいには障がいはないと私は思っています。あるのは個性。『障がい者』というのを作ってしまうのは『健常者』と言われる人たちが、手助けをできない想像力のなさだと思う。
たくさんのメールをいただきましたが、その立場にある方の言葉というのは、たましいが宿っていて、やっぱり敵わない。私も学ばせていただきました。言葉に力が宿っている。机上の空論のように、表面的な善悪だけで述べていてはいけないのです」という江原さん。
今日も『障がい』をテーマに番組をお届けしました。
今夜お届けしたナンバー
◇Ebony and Ivory / ポール・マッカートニー&スティービー・ワンダー
◇モズのために / 江原啓之
「24時間テレビは偽善者の自己満足だと、私は妻とよく話しておりました。私の父も交通事故で身体障碍者となり、事故直後は夜を越せるかどうかと言われておりましたが、その後22年も生きることができ、昨年天に召されました。父は頚椎骨折、首の神経断裂。一人で起き上がる事も不可能でしたので、色んな方のご支援を頂きながら施設で生活をさせてもらいました。そんな中“そっとしておいて欲しい、余計な事をしないで欲しい”といった事もございました。施設の方々はご理解頂いていますが、突然やって来る不特定のボランティアには色々あって…。お世話頂くのは大変有難い事。しかし、有難迷惑な事も結構あり。人それぞれにも関わらず、一律に勝手な事をされたり、押し付けられるに等しい事をされ、有難くない事を断れず、受け入れる事も少なくはありませんでした。最近のテレビは感動を売り物にし、身障者をダシにしているように感じられます。お金を集める為、お涙頂戴的な臭い演出が見え見えで嫌気がさします。募金をする機会を作るのは良いのかもしれませんが、やり過ぎは逆効果だと思います。障がい者をさらし者にして、お金を集めるやり方はやめた方が良いと思い、投稿させていただきました」というメールをいただきました。
江原さん
「確かに“お涙頂戴的な臭い演出が見え見えで嫌気がさします”という気持ちも分かります。けれど、こういう時にはそれだけを見ない方がいいとも思う。世の中の映し出し。映画などの“この映画は泣けます”というキャッチコピー、どう思いますか。泣けるという事を先に売り文句する。人間が人間の心を失ってきているなと思うんです。ものすごく麻痺してしまっている。電車の中での化粧についての問題も“迷惑行為だ”と言ったら“余計なお世話だ”という意見もいっぱいある。嗜みを忘れている。人前で物を食べたりする事も、昔はなかった。人前で大きく口を開ける事自体、みっともない事だと言われていた。けれど、そういうのも平気な時代。そういう事の映し出しで、感性が薄くなってしまっているから、何事も大袈裟になっていってしまう。なので、その事だけを問題にするのではなく、社会全般がそういう流れだという事を自覚しないといけないかなとも思うのです」
「“感動ポルノ”という言葉を使ったのは、オーストラリア人のステラ・ヤングさんという女性で、その方のスピーチをNHKの番組が取り上げたのです。ステラさんは、障がい者が特別視されず、普通に生活できる世の中になって欲しいという思いで“感動ポルノ”という言葉を使っていました。日本の社会と外国の社会の考え方が違う部分があると思いますが、障がいのある方がテレビに出る事で、世の中の視野が広がるという点で、24時間テレビのような番組やNHKの番組はどちらも必要な番組だと思います。けれど、別にお涙頂戴にもっていく必要はないと思います。普通の日常生活。周りの人と笑ったりケンカしたり。そういった日常を映すだけでも、見ている人の視野を広げると思うのです。見た目で障がいや病気があると分からない人たちもいっぱいいます。見た目は普通でも、見えない所に障がいや病気があると社会で生きづらいのです。周りからも理解されにくく、孤独に頑張っている人はたくさんいると思います。頑張って生きている姿を見せる事は、私は“感動ポルノ”や“見世物”だとは思いません。ただ、世の中に知って欲しいだけなんです。まず知る事が、理解への第一歩だと思います」というメールをいただきました。
江原さん
「私は“理解されるよりは、理解する事を”という言葉も同時に感じます。“お涙頂戴にもっていく必要はない”というのもその通りで、あなたが仰っている事は、ある意味で正論だと思います。その正論が、私にもないと言っている訳ではありませんが、もっと上からの広く俯瞰した目線ができないかなとも思う。理解してもらうには、社会を理解しなければならない。ただ理解してほしいと正論を押し付けてもダメ。社会を理解した上で“どうすればこの人たちが理解してくれるかな”というくらいの、傲慢ではなく、精神的な高みや包容力を持たなくてはいけないと思う。“ちょっとな”と思うような演出があったとしても“世の中が、今そうだからな”と思った方がいい。ただただ“普通の日常”だけを放送したら、誰が見るだろうか。間違って欲しくないのは、反対なのではない。非常にクールな視点で言っているだけだとう事をご理解いただきたいなと思うのです」
「私には重度の障がいを持つ18才の息子がおります。それまで私はハンディのある方と関わった事なく生きてきました。息子が養護学校に通っていた時から10年以上、たくさんのチャリティに助けられています。物資や音楽会、スポーツ観戦など、色々な形のまごころを頂きました。食事、お手洗い、通院、入院だけで1日がかりの生活に、心の喜びをもたらしてくれました。まだ障がいを受け入れられなかった頃は、病気のドラマを見て“現実はこんなに綺麗じゃないのに”と、辛くなってチャンネルを変えた事もありました。今は、テャリティは人の為に何かしたいと思ってくださる方の支援の形のひとつだと思えるようになりました。支援して頂く為にはまず知ってもらい、理解してもらわなければなりません。ドラマは、万人に理解しやすい表現だと捉えています。また、私たち親子は、たくさんの方の手を借り、知恵を貰えたから今日があります。なので、息子の姿を見て“頑張ろう!”と思ってもらえたら、誰かの役に立てた事を嬉しく思います。こんな風に思えるまで何年もかかりましたが、今は1日1日が大事に思えます。チャリティもドラマも、救われる人がいる限り、続けて欲しいです。健常とハンディキャップ両方経験のある者のひとつの意見として受け取って頂けたら嬉しいです」というメールをいただきました。
江原さん
「やはり、経験を持っているから言える事。高みの精神を持っているから“よく理解していただけたら嬉しいんです”という境地に立てる。ボランティアの方に、クリスマスが来ると、勝手に帽子を被らされたりと、良かれと思って押し付けられる事もある。“ハンドベルの演奏をいたします”と言われても、聞きたくない人もいる。喜ぶ人もいれば、嫌な人もいる。拒否する権利もある。有難迷惑だという方の気持ちもすごく分かるけれど、あなたのような境地には、頭が下がります。経験があるから感動がある。だから、今の境地に立たれてらっしゃるのだと思います」
「私の子どもには発達障がいがあります。その上で、バリバラ・感動ポルノについての私の意見です。この世に個性のない人はいない。多数派か少数派というだけで、それぞれ個性があります。この世で障がい者と言われる人は少数派なだけで、この世に学びに来ている事には何の変わりもないわけです。ですから、障がい者だからといって自分を卑下する必要もないし、売り物?見世物?にしていると自己憐憫になる必要もない。自分を悲劇のヒロインにしているからこそ、ネガティブに捉える。私はバリバラを観て、無関心でいられるより、関心を持ってもらえる良い機会だと思いましたし、それを見聞きし、感じる事は、自分自身の内側にあるものの映し出しだと思いました。ですから、ネガティブに取るも、ポジティブに取るも、その人自身の事なのだと。私はすぐにネガティブになる子どもに“あなたはその個性を選び、たくさんの事を学びにこの世にやってきたんだ。だから凄いんだよ」と、事ある度に伝え続けています。発達障がいもまだまだ世の中では、理解や関心が薄いので、テレビでそれを伝えたりする事は悪くない事だと思います。そして、障がい者を支える側として、私の想いが独り善がり、押し付けにならないように、常に相手の目線に立つ努力をしていきたいと思っています」というメールをいただきました。
江原さん
「俯瞰した包容力を持った視点でいらっしゃる。何事も“良い”“悪い”の視点ではなく、どちらに捉えるも、その人自身の事。そういう視点、視野にまで広がっていくといいですね」
●江原啓之 今夜の格言
「障がいがあるのは現世での不自由さです。
障がいをつくるのは、健常者と言われる人の愛と想像力のなさです」
「たましいに不自由はありません。あるのは個性のみです」
番組ではあなたからの感想・メッセージを募集しています
◇ あなたが感動した言葉
◇ いま江原さんに聞きたいこと
◇ ネガティブなお便り
◇ HAPPYメール
◇ 厄払いのお便り
◇ エンジェルさん目撃談
◇ 若者メールからのお便り、みなさん、一緒に考えていきましょう!
◇ 『お笑い』エピソードのお便り
◇ 11月・12月お誕生日の方
◇ Dr.Recella城嶋さんへの質問コーナー
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