2013年09月22日
正岡子規
『子規句集』
(岩波文庫)

35年という短い生涯の間、正岡子規を支えたのは文学への情熱と友とのつながりでした。そのひとりが夏目漱石。二人は東大予備門で知り合い、その後も付き合いが続いていきます。子規が帝国大学を中退しようとした時、大学を卒業するように忠告したのも漱石。また子規が日清戦争の従軍記者として遼東半島に渡ったあと、帰りの船で喀血。入院したのち、療養のためふるさとの松山に戻っています。その時、漱石は松山で先生をしていたので、子規はしばらく漱石の下宿に滞在しています。漱石の下宿を出たあと、広島から奈良をめぐり、法隆寺の茶店に立ち寄り、そこで詠んだのが「柿くへば 鐘が鳴るなり法隆寺」の句でした。

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