2008年10月5日
高村光太郎『智恵子抄』

10月5日は、智恵子の命日。70年前の昭和13年10月5日の夜、「粟粒性肺結核」のため南品川のゼームス坂病院で亡くなりました。その日のことも高村光太郎は作品として残しています。「私の持参したレモンの香りで洗われた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去った。」という言葉を散文に。また「レモン哀歌」という詩も作っています。「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた。」ではじまる1篇。それは深い哀しみの中に、優しさと力強さを秘めたような作品です。日常の言葉で綴りながらも大きな世界を感じさせる「智恵子抄」。だからこそ芸術として今もなお輝きを持っているのです。

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