鼓動を売る
「鼓動、余っていませんか。」
知っているかい。俺ら哺乳類の心臓が、一生のうちに脈打つ回数は約20億回と決まっている。その限られた鼓動をどのくらいのペースで消費するか、生き物の寿命はそれで決まるのさ。
例えば、象は一回の鼓動で身体中に血を送るのに3秒かかる。人間なら1秒、ネズミなら0.1秒。身体が小さい動物ほど全身に血がまわるのが早いから、鼓動も早い。大きければその逆だ。だけど考えてみてくれよ。
同じ種の動物だからといって、心臓の動きは常に一定の早さって訳じゃない。
遅刻しそうになって走れば息が上がるし、お化け屋敷なら恐怖と緊張で心臓はフル稼働。
そんなことを繰り返せば、20億回の鼓動もすぐに底がつくだろう。
でも絶望することはない。そんな悲壮な運命に光を照らすのが俺の役目だ。
俺の仕事は鼓動のブローカー。
持て余した不要な鼓動を引き取って、必要とする客に譲る。簡単に言えば鼓動の“リサイクル”だ。こんなに人のためになる仕事、他にあるだろうか!まあ俺もボランティアでやってる訳じゃないし、仲介役として報酬もそれなりに頂く。結構オイシイ仕事だ。
今日も仕事は絶好調。客足は絶え間ない。
死にかけた愛犬に鼓動を譲りたい飼い主、借金にまみれ泣く泣く鼓動を売るサラリーマン、人生に嫌気がさしてやってきた青年。
真冬のとある昼下がりのこと。
鼓動余っていませんか、という細い声に振り向けば、ピンクのマフラーをぐるぐる巻いた、学生の女が立っていた。
鼓動が欲しいというそいつは、頬を赤らめながら聞いてもいない長い長い事情を話し始めた。
好きな人を見ていると心臓が破裂しそうなくらい高鳴って、鼓動がいくらあっても足りない、出来るだけたくさんの鼓動が欲しい。
女は喋りたいだけ喋ると、真っ赤な顔で暑い暑いと言い、手で仰ぎマフラーをほどいた。
なんて平和なやつだ。
そう思いながらも俺は在庫の鼓動を確認してそいつに売った。生死の狭間で売った泣けなしの鼓動も、こんなやつに使われてしまうのだ、気の毒に。
その女が帰ってしばらくしてから、店に残されたマフラーに気付いた。
急いで店の外に出て周りを見渡してみたがやはり女はいない。
また店に来た時にでも渡せばいいか、とピンクのそれをカウンターの上に乗せようとしたが、ふとその手を止めて気付く。
この店に二度来る客などほとんどいない。
俺はごみ箱にマフラーを押し込んだ。
淡々と仕事をこなしていると、すぐに客が来た。
さっき同じ客が二度と来ることはないと言ったばかりだが、こいつをみて「ああそういえば」と思い改める。この坊主は、この店唯一の常連なのだ。
さっきの女にも、こいつから買った鼓動を売った気がする。
慣れたように言った。
「100回分買って」
いつも同じ、100回ずつ売りに来る。この店に来るのはそれなりの事情を持った客ばかりだ。きっとこいつも何か事情があるのだろうが、そんなこと俺が知る必要もない。100回分の鼓動をしっかり受け取って金を渡す。
しかし坊主が店を出ようとする時、坊主の制服を見てハッと気付く。
ごみ箱に入れたマフラーを拾い上げ坊主に言った。
「実はさっき同じ制服を着た女が来てな。悪いんだがもし見かけたら渡しておいてくれ。次店に来た時は多く払うぜ。」
ああ別に、と無表情に答えた坊主だったが、俺が手に持つマフラーを見て一瞬目を大きくし、何事も無かったようにマフラーを受け取り帰っていった。
それから客足が落ち着き、俺にしては珍しく客のことを考えていた。
そういえばさっきあの女が話していた男は、全部坊主に当てはまるなあ、と。
それから二度と坊主が店に来ることは無かった。
鼓動を売った客と、鼓動を買った客。
考えたところで結局俺には関係ないことだ。
新しい一日が始まり、店が開く。
来る客は絶え間ない。
清々しいような、そんなこともないような昼下がり。
俺は今日も、鼓動を売っては買い、売っては買い。
まあさちゃんぷるー。 東京都 18歳