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第3話 来校
「浩輔、おは………あぁぁぁああ!?」
HR開始5分前。死に物狂いでコンクリートジャングルを駆け抜け、我 ながら鮮やかなスピードで教室に飛び込む。そんな俺を発見した友人の吉村トオルは、陽気な笑顔で走り寄ってきて、素っ頓狂な挨拶をぶつけてきた。
目を丸くし、上から下まで俺を眺めた後、
「な、なんか、ラスボス倒してきた勇者、みたいな………?」
なんてことを呟く。
突っ込む余裕もない。
自分の席を目指す。空腹の為か、世界がグラグラしている気がする。それに休む暇もなく全力疾走だったものだから、疲労感が半端でない。なんだか、全身が渇いているようだ。
「……俺、今どんな顔してる?」
机に突っ伏す。
ゼエハアと肩で息を繰り返していると、なんともいえない表情でこちらを見下ろすトオルに訊いた。
彼は唖然としながら答える。
「死に損ない、みたいな感じ?ぶっちゃけ、なにしたらそんな風になれるかというぐらい。……ていうか、ホントになにしたらそうなるの?バイト?」
「バイト疲れだったら、まだ良かった……」
ぐったりと答える俺。
トオルは小難しい顔で首をかしげた。
「え、じゃあ、なに?浩輔が疲れることって言ったら……う〜ん。………やっぱ、ドッと疲れがくる時って不慣れなことした時だもんなぁ……。ああ!!よし、分かった!!」
まるでクイズ番組に出演しているお笑い芸人のようなノリで机をバン!と叩いた。
「……なに?」
「あれっしょ!?女の子から何かお誘いめいたものを受けたんっしょ!?もしくはその逆!なんか好きな子とか出来たんだろ!?あははははは、そうかそうか、ついにお前にも春がきたんだね。まあそんなに不安がるな。可哀想に、昨日の夜は悶々として眠れなかったんだろう……だが大丈夫だ。安心しなさい。ラブティーチャーの俺が教えてやるって、恋愛のA〜Cってやつを!!」
そんなことを──妄想だけだったら恋愛経験豊富なお前に──力説されましても。
喉の奥から反論を絞り出そうとした時だった。
「そこの愚民ども、恋愛のA〜Cとはなんのことだね?」
聞き覚えのある勝ち気な声がした。
嫌な予感がして少しだけ顔を上げると、そこには性別の垣根を越えて気遣い無用の仲である女子生徒・佐伯瑞穂が佇んでいた。彼女は腕を組み、ニヤニヤといやらしく笑いながらこちらを眺めている。
「瑞穂……おはよ」
やっとのことで挨拶を済ませると、俺はまたそのまま机に沈んだ。
「なに、このゾンビは」
怪訝そうな瑞穂の声に、トオルは「さあ?」と笑う。
「ま、オレの予想では、ようやく到来した春に対抗出来なかったのではないかと。つま〜り、彼は今現在、恋愛の海で漂流しちゃってんのさ!」
「──ほほう?」
俺はその時の瑞穂の表情は見ていなかったが、語気の感じからして、確実に不穏な笑顔を浮かべていたと思う。そう、まるで手頃な獲物を見つけた瞬間の獣のような。表情は見えずとも、想像は容易だった。
「なるほどねぇ、アンタにもそういう日が訪れたわけか。ま、当たって砕けて塵になってみな!」
バシン!と背中を叩かれる。……むしろ後に残るダメージを考えると、殴られたという表現が正しい。
トオルが腹を抱えて笑う。どこら辺にそこまでウケたのか、正直俺には理解出来なかった。
「あははははは!!塵になっちゃダメじゃん佐伯、あははははは!!」
……前言撤回。トオルの奴、絶対今の状況を楽しんでやがる。
「あ、そっか〜そうだよねぇ、ははっ。……………で、お相手ってどういう子なわけ?」
制服の襟首を掴まれ、強引に頭をもたげさせられる。瑞穂と目が合う。 満面の笑みだった。これは彼女なりの有無は言わせないというサインだと、俺は嫌というほど知っている。
佐伯瑞穂。彼女とはいわゆる腐れ縁だ。中学の頃からのクラスメートで、トオルよりも付き合いは長い。性格は非常にアクティブで、グループなんかのまとめ役に特化している。現に、彼女はクラス委員長に加え、生徒会役員にも所属しているツワモノ。折り紙つきの優等生といっても過言ではないだろう。けれどガリ勉タイプの優等生というわけではない。カリスマ性を持つ、砕けた奴なのだ。その為、教師にも生徒にも評判が良い。
だが、彼女の本当の顔を知る者は非常に少ない。
俺はうんざりしながら口を開いた。
「なに誤解してんだよ、別にそんなんじゃねえって。2人ともよく知ってんだろ、俺が今恋愛とかそういうのにのめり込む暇がないってことぐらい」
学校のこと、バイトのこと、生活のこと。1日1日をこなしていくことに必死で、正直他人にまで時間をさいてやる余裕なんて、今の俺にはない。
トオルが目に見えて落胆した。
「なぁんだ。つまんねーのー」
「つまらないって、お前な………」
「残念だわ、本当に」
瑞穂はやれやれと大袈裟に肩をすくめ、本当に残念そうに、
「もしアンタが私をおいてけぼりにして、そういう青春を謳歌するんなら、アンタが中学の頃に呼ばれてたあだ名やら大恥かいたことやら全てを記した手紙を相手の子に送り届けた挙げ句、それでも懲りずにゴールまで突っ切るものなら、挙式の最中に泥団子の雨でも降らせてあげようかって楽しみにしてたのに………」
悪魔だ。
俺はいつまで経っても慣れることの出来ない、瑞穂のおぞましい思考展開に青ざめた。
そう、佐伯瑞穂という女は、こういう奴なのだ。
何が彼女のツボにハマったのかは俺自身にも分からない。クラスを共にし、交流を続けていく中で、いつの間にか俺は、彼女の暗黒思想のターゲットと化していた。
もっと質が悪いのは、そういう一面を俺やごくごく限られた人間の前でのみ現すということ。前述した通り、普段は絵に描いたように人の良い奴を演じているのだ。
「………で、本当のところどうしたの?アンタ、マジで凄い顔してるわよ……鏡見たら?」
「遠慮しとく……」
人間2人にここまで言われるとなると、相当酷い顔をしているんだろう。
「……なあ、ちょっと2人に訊いてみたいことがあるんだけど………」
妙に重たい瞼をこすりながら、俺は切り出す。だがタイミングが悪かったらしく、それはチャイムの音に遮られた。
「浩輔悪い、また後で聞く」
「ゆっくりしっぽり聞いてやるわよ」
残念そうに、はたまたいやらしい笑みをニマニマと浮かべ、2人はそれぞれの席に帰っていった。
その直後、タイミングを入れ替わるように担任が入室してくる。
朝のHRの始まりと同時に、俺はゆっくりと視線を窓辺にやった。
俺の席は窓際にある。暇を持て余した時や、ぼんやりしたい時、ここから街の景色を眺めるのが好きだった。
この街はどちらかといえば都会的なほうらしい。全体のカラーを表現してみろと言われると、グレイだという答えが返ってくるはずだ。かといって、本当に都会なのかと追究されると、そうでもない。まあ利便性に恵まれた良い街ということにしておこう。
教室中に、担任の大沢の朗々とした声がビリビリと響いている。
「──それで、今週の金曜日には、水嶋の席を片づけることになった。それに伴って、いろいろと席の移動も行わなければならないから、放課後手が空いているやつは手伝ってくれ」
はーい、という間延びした声がいくつか重なった。
2ヶ月くらい前だろうか。うちのクラスで、水嶋直彦という男子生徒が病死した。
以来、廊下側の中央の席には絶えず花が飾られ、クラスの雰囲気にもどこかよそよそしさが混じるようになっていた。彼の話をすることはタブーで、まるでそれが暗黙のルールのようにはびこっていた。
俺が彼と仲が良かったか、と訊かれると、そうでもないと即答する。どちらかといえば、あまり話すことはなかった。生前の水嶋は物静かな奴で、なんでも悟っているような空気をまとった印象が強かったから。それがなんとなく、俺は気に入らなかった。担任はその他連絡事項を口にすると、サッサと教室を出て行った。HRは、15分というなかなかにダルい所要時間も、ぼんやりしていたお陰か、わりと呆気なく終わった。
教室は再び、独特の喧騒に満ちる。
俺は鞄をあさって、1時間目の現代国語に必要な教材を探した。
ところが、
「……あれ?」
──ない。
現国の教材どころか、今日の時間割に必要なものの半分も揃っていない。
「はー……」
まあ、ちゃんと確認してこなかった俺の自業自得なんだろうけど……。
辛うじて保持しておいた、最後のやる気が失せてしまった。
その時だった。
「石島ぁー」
「ん?」
クラスメートに呼ばれ、俺はゆっくりと教室の後方を振り向いた。
そして、再び思考の凍結を味わった。学習能力に乏しい自分の脳にいつも情けなさを覚える。でも仕方がないとも思った。そう言い訳させて欲しかった。そうでなければ、もう、やってられない。
クラスメート──ちなみに男子──が、にやけながら声高らかに絶望を告げた。
「お前の妹さんが来てるぞ!」
そして、絶望の根源が廊下からひょっこりと、したり顔を覗かせた。
「お兄ちゃーん!教科書忘れてたでしょ、持ってきてあげたよ!あと、お弁当も!」
俺はこの時、どこまでもついてくる悪夢から逃れたいと、心のどこかが叫んでいた。
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