ロンリーべムイヌワラビ

最終話

ベムの心には雨が降っていました。
それも大粒の雨。

孤独という地面に
絶望と悲しみの冷たい雨。

雨粒1つ1つがしっかりと地面に染み込んでいくような、そんな雨。

空一面の黒い雲。
希望が見えなくなった暗い暗い空。

見えていたはずの希望が、突如あわられた雲に覆われてしまった、そんな空。


そしてそこに差し込む一筋の光
『死ぬ』ということ


ベムは死ぬことを、決して悪いものだとは思っていませんでした。

べムにとって曖昧な行為
『死ぬこと』はむしろ良いくらいの、
色にすればオレンジ。
昼になったら昇ってくる球のような色をしていました。



楽になろう。



追い込まれたべムの心はそんな気持ちでいっぱいになっていました。


そしてべムは、丘の上に立っていたのです。


小さな丘に大きな風が吹き、ベムの体を揺らします。
地上に立っていた時には感じなかったその風は、ベムの体を強く揺らします。

揺れる心に揺れる体、ベムは決して良い気分ではありませんでした。



丘から見下ろす街、初めて見た時の衝撃なんかなくて、ただの見慣れた街。

見慣れたベムにとっては当たり前の風景。

壊れた街には誰もいなくて
人の面影さえなくて動いているのはただただ独り、自分だけで、


これが世界。で、これが全て。


ベムはそう理解していました。
思い返した自分の家さえもが、黒がかった緑。



スー、、ハー、、



ベムはひとつ深呼吸をしました。

喉に通った冷たい空気が痛い。

そしてべムは丘の先っぽへと、数センチずつ、地面に足を擦るように歩き始めました。


ザッ、ザッ、


前屈みになったベムの体は躊躇することなく進みました。倒れるように前へ。

悪い夢見心地に1、2回横にふらつきながらも、べムの足はまっすぐに動きました。


そしてべムは、丘の1番先っぽへとたどり着いたのです。

何も無くなったつま先の先から深く下を覗き込むと
頭から落ちてしまいそうなくらいの先っぽにベムは立ちました。


一段と強い風が吹き、後ろの森の方からは緑の葉が舞い上がります。
ベムが背中を向けていた植物達は、それはそれは楽しそうに生い茂っていました。


サササッ、

風に吹かれて葉と葉が触れ合います。
その音は、まるでベムを嘲笑うかのように。


そんな音も耳に入らない、今すぐにでもこの嫌な気持ちを消し去りたいベムは
もどかしい気持ちでいっぱいでした。



飛ぼう。



ベムはいつか見た鳥のように 両手を大きく広げました。

指先までまっすぐ伸びた腕と手はピンク色の月に照らされ、
地面にとても綺麗なシルエットを描きました。

どこかの神様のようなそのシルエット。



一瞬、風が止みました。
鳴っていた音も止み、絶好のタイミング。



今だ。



ベムは膝をまげました。

なんとなく感じたタイミングに、始まるカウントダウン。



10、9、8、、



ベムの頭には今までの思い出が走馬灯のように巡る

なんてことはありませんでした。


何も知らない独りよがりなベム。

父も母も、戦争で死んだ人間も
みんなの思いや悔しさも
みんなみんな知らないベム


なにも知らずに1人で死を選んだベム


終わりかけの世界が終わってしまう瞬間



7、6、5、、



届かなかった声

『懐かしい』
その感情だけを与えた
オルゴールも、緑色の花も

ベムを動かした
家で見た新聞紙も

全て、水の泡

結果、ベムが
たどり着いたのは『死』



4、、3、、2、



べムは、ふと上を見上げました。

見上げると、名残惜しくも
なんともない空。


満天の星空の正反対。
全く何もない黒、黒。

ベムが思う世界と同じ、何もない空。



3、、2、、、



でもそんな空にひとつだけ。
ひとつだけ光るものがありました。

丸い丸い、丸よりも丸い光。
意味もないのに光る球。


ピンク色の月。



1、、、



止まったカウントダウン。



ベムは急に思い出したかのように、リュックサックから同じような色の果物を取り出しました。

最後に残しておいたピンク色の果物。
その果物に、あせるようにかぶりついたのです。


丘の先っぽから少し離れたところに座りこんだベム。


果物を残していたのを思い出した。

そんな軽い思いだけがベムのカウントダウンを止めた、訳ではありませんでした。

果物を食べたのは、死を決意した自分へのただの言い訳。



死にたくない。



ベムは単純にそう思ったのです。

心の奥の奥の奥から生まれた思い。

理由なんて絶対にない本能のまま。



結局、べムは死ぬことができませんでした。

べムの中の悪いモヤモヤは、体の中にたまったままになってしまいました。



臆病者のベム。







ベムは果物を食べ終わると
死ぬこともでないままに、気持ちだけが溢れかえった心はもう考えることをやめてしまっていました。

人間という動くロボット。
感情をなくし始めていました。

もうどうでもいい、
さえも思わなくなっていたのです。


しかし、ベムはふいに見たリュックサックから1枚の紙がはみ出ているのを見つけました。


1枚の茶色い紙。


ベムはなにも考えない無意識のうちにその茶色を取り出しました。



取り出すとそれは、家を急いで飛び出す時にとっさにリュックサックに詰めた手紙。

新聞紙といっしょにあったあの手紙だったのです。


ベムは中身をわかっていながらも、少し灰で黒くなったそれを地面に広げました。


しかしもちろんそれは今見ても、
ベムにとっては

ただの茶色い紙
ただの『落書き』

にしか過ぎませんでした。


ベムはもう一度『落書き』にしか見えないその手紙をくまなく見ました。


が、1回目同様、何も感じることはなく、
生まれた感情は0。







しかし、

2回目にして初めて、
真剣に『死』に追い込まれて初めて、
世界を終わらせようとして初めて、

『落書き』の中のひとつ


<生きて>


この言葉だけが
目にとまったのです。







_世界を変えた落書き_







ポタ、ポタ、、、

丸いシミが茶色い紙にひとつ、
そしてふたつ、みっつとできました。

やがてそのしみは紙面にじわじわと滲み出し、黒いインクをぐちゃぐちゃにしていきます。

手紙を濡らし始めたその透明な水。
紙の上に落ちた水が紙を濡らすのは当たり前。

しかし濡れたのは手紙だけで、
地面も、空も濡れていません。
雨なんか降っていませんでした。




涙。




<生きて>


その言葉が目にとまったベムの目からは、大量の涙が一気に溢れ出したのです。


決して言葉の意味なんかわかりやしないし、もちろんどう読むのかさえわかりません。

その言葉もただの『落書き』にしか見えていませんでした。



が、<生きて>は涙を生んだのです。

理由を説明することはできません、

ただただ涙は溢れたのです。


<生きて>がベムの何かを変えたのです。
<生きて>がベムに大切な何かを教えたのです。




べムは自分の涙に驚きました。




何、この水、、?


そう、ベムは生まれてこのかた『涙』を流したことがなかったのです。

すごく痛かった時も、寂しかった時も、綺麗な景色を見て感動した時も。

『涙』を流したことはありませんでした。


初めての涙。

熱くなる目頭に、出てきた鼻水。
赤くなる顔、止まらないしゃっくり。

少し気持ち良い気分。


言葉にも、落書きにもできないけれど
ベムは何かがわかったのです。

べムは立ち上がると、後ろの森に生えている植物達を見て微笑みました。

そしてリュックサックを背負い、
丘のゆるやかな坂を走り始めたのです。




生きよう! 生きよう! 生きよう!




絶好調なベムのスニーカー。

ベムは丘を一気に駆け降りると焼け野原になった地面に少し立ち止まり、
リュックサックに入っていた鉛筆を全て地面にばらまきました。

満面の笑み。

そしてリュックサックから吐き出されたのは50本ほどの鉛筆。


ベムはそのひとつを手にとり、
おもむろに地面に大きな四角形を『落書き』し始めました。
それはそれは楽しそうに。

家1個分くらいの大きな四角形。

ベムはその大きな四角形を書き終わると、
次はその横に隙間を空けず、一回り小さな菱形を『落書き』し始めたのです。


めんどくさがることなんて全くせず、ただひたすらに楽しそうに鉛筆を動かすベム。

灰色の地面に伸びていく細い線。


そしてそれを書き終わると、その横に隙間を空けずまた、次の図形を書き続けました。

次も次も、そのまた次も

その『落書き』をずっとずっと、
ベムは続けました。




ベムはありったけの鉛筆を使いました。


丸に、台形に、ハートに、
直角二等辺三角形。
五.六、七、八角形に
おうぎ形に流線型に
平行四辺形、、、


この世の全ての図形をとりそろえたくらいのたくさんの図形で
地面を埋め尽くしたのです。



そしてその日から毎日、毎日
書いてないところがないように

『落書き』をしてないところがないように
街じゅうの場所へと駆け回りました。

時に森で食べものをとったりしながら、
街の全ての場所に図形を『落書き』しにまわりました。


時にはその時の感情を
書いてみたりもしました。

波打つ丸があったり、
長細い丸があったり、
角が丸まった菱形があったり。


隙間なく図形を埋めていたのですからもちろん、

ギザギザの一本線や、
二本線の十字架、
平行な三本線なんてひとつも
出てきやしませんでした。




少し時が経ち、
べムが書いた図形からは何かが生まれました。

植物や人間なんかじゃない、
全く新しい命。

赤色、緑色、黄色に紫色。
カラフルに彩られた生き物に
とてもとても大きな生き物。

人間の形をしたのだって。

植物のように全く動かない生き物もいれば、
小さいながらも活発に生きる虫のような生き物もいました。

言葉をしゃべるもの
喋らないもの

成長して大きくなるもの
ずっとそのままなもの

考えることをするものに
しないもの


全くの新しい命たちが真っ黒の地面を歩き周る街。


人間が中心にその周りに植物、虫、そして自然があるのが当たり前の世界を、
全く知らないベムだからこそ造れた世界。


『死』というものがない新しい命。
そうベムが望んだ命。


また新たな終わりがくることを知りながら、
変わらないオレンジや、ピンク色の月に照らされながら、


世界が始まりました。







※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「レム、調子はどうだ?」

汚い迷彩色に身を包んだ軍人が数人集まった部屋。
1人の大きな男が長い銃をその肩にかけながら、仲間の男に聞いた。

「うん、、わかんない。」

小さなオルゴールを耳に近づけながら、レムと呼ばれたもう1人の男がその質問を曖昧に返す。
鳴らないオルゴールのネジを右に左にいじるその男も戦う準備は万端。
胸には緑色の花。

「あ_あ、死にたくないな」
「うん、、そうだね」

外ではもう既に銃弾の音が鳴り響いている。
朝早くにもかかわらず戦いは始まっており、これから2人も直にその戦禍を被る。
つかの間の平和の中、声には出ない緊張が部屋を包む。



「レム、、何でお前は、戦うの?」



恐れからか、震えた声で大男はレムに聞いた。
何分後かには死んでいるかもしれない大男の体は、小刻みに震えていた。
しかしレムはそんな姿に見向きもせず、オルゴールの音に耳を澄ませていた。


「あっ、鳴った! やった! 」

「聞いてんのか! 何を呑気に、、」

レムは鳴り出したオルゴールを片手に飛び上がって喜んだ。
部屋には飾り気のないメロディーが小さく鳴り響いた。
レムはオルゴールを耳に近づけ少し聴き入ってから、すぐにそれを机の上においた。

そして、ドアへと向かって歩き出した。


「おい、ちょっとまてよ! 」

大男がそれに続いて小走りでドアへと向かう。銃の揺れる音が鳴る。

レムはドアノブに手をかけた。ドアの向こうからはやかましい音が聞こえる。
大男は覚悟を決め、唾を飲んだ。

そして緊張が頂点に達したその時、半開きになったドアノブを掴んだレムは大男に振り返り、言った。



「もし俺が死んだらさ、
大切な誰かが悲しくなるじゃん?

だから、その大切な誰かのために
俺は頑張って戦うし
そいつのために絶対に生きる。

生きることに理由なんてないけど、
そんな誰かのために、生きてたいから。」


大男は小さく頷いた。
ドアを蹴り飛ばした2人は銃を構えた。

そして駆けて行った。

戦いの舞台へ。

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最終話ロンリーべム

蒼き賞
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