交通事故の原因の多くはドライバーの不注意。
でも、中には人間の性質に基づく「錯覚」が引き金となる事故もあります。
今回は武蔵野大学 工学部 数理工学科 友枝明保 准教授にお話を伺い
「錯覚で起こる交通事故」を追跡しました。

友枝准教授も「錯覚によって起こっている交通事故はたくさんある」と考えているとのこと。
「ドライバーの見落とし不注意ということで片付けられている可能性があるので、
そこを掘り下げていきたいと色々と調べている段階」だということです。
「交通事故多発地点は、そういう種が潜んでいるのではないかと思う」とのこと。
そうはいっても事故を起こしてしまえば、それはドライバー責任になります。
ということは、クルマの運転において「どんな錯覚が起きうるのか」
知識として持っておき、その時に備える必要があります。


? 『コリジョンコース現象』 

「コリジョン(collision)」は英語で「衝突」という意味。
田園地帯のような見通しの良いところで2本の道路が十字に交差している時、
2台の車が隣り合う道路を同じ交差地点に向かって同じ速度で走っていると
なぜかブレーキを踏むことなく2台が衝突してしまう現象。

これは人間の目の特性によるもの。
人間がものを見る時には「中心視野」と「周辺視野」があります。
中心視野は自分の正面の部分で物を詳しく見る機能。
周辺視野は中心からちょっとズレた部分、
物を詳しく見るというよりは動いている物に敏感に反応する、
何かが迫って来ている時に反応するような機能。

『コリジョンコース現象』は、ドライバーから見るともう一方の車が
ずっと同じ角度を保ったまま、進んでくるので、止まっているように感じます。
もしかすると、その存在に気がつかないことすら、あることでしょう。
そこで、何事もなかったかのように交差地点に向かうと、
もう一方のクルマと衝突してしまうというわけです。


?『縦断勾配錯視』 

異なる傾斜が連なった坂道、たとえば緩い登り坂の後に急な登り坂がある時に
登り坂なのに下り坂に見えたり、逆に下り坂なのに登り坂に見える目の錯覚現象があります。

映像で見たことがあるでしょう。
登り坂に見える道路に空き缶やボールを置くと坂を登っていく。
あれも『縦断勾配錯視』。
クルマの運転では、下りに見えて登り坂の場合、危険はありませんが、
登りに見えて下り坂だと「危険あり」です。

これは異なる2つの傾斜の道路が連なっているというところがポイント。
例えば、急な下り坂の後にゆるい下り坂があると、
道路を横から見るとVの字になっています。
すると、自分の道路に対して向こうの道路、遠い方の道路がV字なので、
あたかも登っているように見えますが、実際は下り坂なのです。
登り坂だと思ってスピードを勢いつけて登ろうと思うと、
実は下り坂なのでスピードがのってしまうので危険です。
この『縦断勾配錯視』。日本全国にあるそうですから注意して下さい。


?『車線の錯視』

これは登り坂を上走っていて、向こうが丘になっていて、先の道路が見えない状況。
坂の頂上から道が左に1車線分カーブしていたとすると、
クルマが坂を登りきった地点では、
これまで進んできた直線の先に対向車があります。
「危ない!」と思って、左側には道路の幅がありません、
道路の幅がある右側にハンドルを切ると、
対向車線に入って、本当にぶつかってしまう・・・という現象です。

錯覚を避けることはなかなかできない
こうした錯覚があることを安全のために覚えておいて下さい。



今回は自動車社会を円滑に、安全に、機能させていくための「道路標識」。
今週の「なるほど!交通安全」は先週に続いて、
「道路標識をつくる会社に潜入!」の後編。

道路標識をつくる栃木県 那須町(なすまち)の
野原産業株式会社(のはらさんぎょうかぶしきがいしゃ) 那須工場。
中村俊彦 工場長に案内していただきました。

クルマを運転していると、あまり大きさを感じない案内標識。
近くで見て、しかも中村さんが標識の前に立つと、
写真を拡大してご覧になってみて下さい。
東京の一般道にある案内標識って驚くほど大きいのです!



これは赤坂見附交差点の案内標識。
横 3.8m X 縦 3mもあります。

「案内標識」と書きましたが、この手のタイプは、
道路標識のなかで「案内標識」とされているもの。
道路標識には4つの本標識と言われる分類があります。


【?案内標識】

地点の名称/方面/距離などを示して通行の便宜を図るもの。
さきほどの赤坂見附交差点のような標識のほか例えば・・・

⚫ 市町村や地点を示す標識



⚫ 国道番号を示す標識




【?規制標識】

特定の交通方法を禁止したり、指定するもの。
例えば・・・

⚫ 赤丸に白い横棒「—」の『車両進入禁止』



⚫ 青丸の中に白い親子連れのデザインがある『歩行者専用』



⚫ 青い長方形の中に矢印『一方通行』




【?警告標識】

道路上の危険や注意することを知らせるもの。
例えば・・・

⚫ 『十字路あり』は黄色い正方形をダイヤ型の中に黒十字



⚫ 『右カーブ』なら中に黒く右にカーブする矢印




【?指示標識】
       
特定の交通方法ができることや道路交通法上、決められた場所を指示するもの。
例えば・・・

⚫ 四角い青の中にアルファベットの「P」は『駐車可』




例えば、一般道路で見る案内標識。
どんな流れでつくられているのかというと・・・

昔は鉄板だったのですが、今はアルミ製。
アルミ板の裏に補強材を溶接して標識の下地部分を作ります。
その表面をヤスリで荒してノリが付きやすいようにします。
その上にベースとなるシートを仮の状態で貼り付け、
機械を使って貼る文字の位置を水性塗料で記します。
一方、反射シートを機械でカットして貼り付ける文字をつくります。
それを手作業でベースのシートに貼って、真空で加熱・圧着して完成です。

工場で働く方に交通安全への思いを聞いてみたところ

『私達が作っている標識が事故の抑止になってもらえれば、
 作っている方からしてみたら、やりがいがあります』

『事故後、また同じモノを作ってくれというような依頼も来ます。
それは会社の利益にはなるのですが、
その事故によって亡くなる方もいれば重症する方もいるということ。
嬉しくないですよね。事故とかで同じモノを2回作りたくはありません』とのこと。

「道路標識」を正しく理解し、規制を守り、
警告に注意して、より安全・安心な交通社会を目指しましょう。


自動車社会を円滑に、安全に、機能させていくための「道路標識」。
車を運転する人は意識する・意識しないに関わらず、お世話になっています。
あの道路標識をつくる会社のことを想像してみたことはありますか?

以前、道路標識をつくる会社は各都道府県にあったぐらいなのだそうです。
しかし、マーケットとしてはニッチな産業。
特に高速道路や一般道路の行き先を示した「案内標識」は1点もの。
現在は5社ほどになっているということです。

取材をしたのはその1つ。
野原産業株式会社の那須工場。
野原産業は東京 新宿に本社をおく
建築・建設資材の製造、販売を主事業にする会社。
1つの事業として道路標識の製造も那須工場で行っています。
ここには道路標識の歴史を展示したショールームもあります。
中村俊彦 工場長が、その「のはらの道しるべ」を案内して下さいました。



道路標識のルーツは江戸時代。
お茶屋であっちに行ったら○○、こっちに行ったら××、
と口頭で道路の分かれ道の情報を伝えていた。
石に左は○○、右は××、△△街道と記されていた。
言わば、これが標識の最初。

明治時代になると木の標識が登場。
古い漢字で「警視庁」。「牛車止(ぎっしゃどめ)」。
「指示標識」です。まだ馬車・牛車の時代で自動車ではありません。



大正時代になると、ぐっと今っぽくなります。



白地に黒の文字が書かれた標識。
上部中央に「国道1」、国道1号線をあらわす表示。
その下に、左と右に向く2つの矢印。
左向き矢印の下には「鶴見11粁」「横浜 20粁」。右向き矢印の下に「品川5粁」「東京 12粁」。
産業革命がおこったイギリスの影響が大きく鉄板に塗装したものだといいます。
当時の車はまだライトも無いので反射しません。

昭和初期。
今の一般道で見る標識と色が身近な感じになっています。
素材と文字の色が逆ですが白地に青文字。



距離の単位はアルファベットを使い20Km。
漢字で「神戸駅」。アルファベットでKOBE STN.。
右斜め上に道路を示す赤い矢印。

この頃になると街灯が増えて街の夜が明るくなり、
車で走っている時に反射しない標識だと見にくくなった。
そこで、反射するシートが開発されました。
ヘッドライトの光が当たると文字情報はドライバーに反射して戻ります。

昭和33年に野原産業が道路標識製造業に参入してほどなく
高度経済成長期にあった日本では怒涛の高速道路の建設が始まりました。
もちろん高速道路用の標識がたくさん製造されます。



緑に白い文字。高速道路の案内標識。
1969年 全線開通の東名高速道路 
春日井インターチェインジの出口を示す標識です。

中村さんによると高速道路が緑・白という配色なのには2説あります。
1つはハイウェイの標識がこの配色だというアメリカの影響。
もう1つは国道は青、赤・黄は規制標識に使われているので、
高速道路は山間部を通るのから茶色か緑にしようということになり、
茶色だと光が反射すると黒に見えてしまいます。
それだとどこの道路かわかりにくいので良くない。
そこで、緑になったという説の2つです。

この頃から野原産業は自社の反射シートづくりをやめて
技術力の高い現・3Mジャパンの反射シートを導入していきました。

その後は昭和時代後期、平成と反射性能が上がっていきます。
昭和後期の青い国道307号線の案内標識は細かいつぶつぶがあります。
下の写真をクリック、拡大してみて下さい。



反射をよくするため。
ガラスのつぶつぶがたくさん入っていたのです。
平成になる頃にはガラスは使われなくなります。



昭和までの反射方法は製造工程でCO2がたくさん出たそう。
時代は移り、CO2排出を削減するために、新しいシートが開発されました。
グレードは大きく分けて4つ。
まったく反射しない、普通、少し反射する、凄く反射する。

長い時間をかけて、今のような道路標識が確立したという歴史の話でした。
来週は「道路標識をつくる会社に潜入! 後編」です。

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