木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2026年02月08日Flow 第三百九十三回目「拓哉キャプテン × SUPER EIGHT大倉忠義」Part2

今月のマンスリーゲストは、SUPER EIGHTの大倉忠義さん!
今週もどんなトークになるのか? お楽しみに!


木村:言い方がすごいたやすいんだけど、ちゃんとした大人になっている大倉忠義っていうのは、元々どんなちびっ子だったんですか?

大倉:元々は、もう普通の子でした。

木村:普通の子って。

大倉:地元は大阪なんですけど、地元で普通の公立の学校に行き…。

木村:で、何になりたかった、とかはないんですか?

大倉:いや本当に、お金持ちになりたいから「(将来の夢は)野球選手」って書いてたような、でも野球やってなかったような…。

木村:え、やってなかったんだ。

大倉:やってなかったんです(笑)。でも「野球選手」って書いてるような、お調子者な子供でした。

木村:でも、小6の時なんですか? オーディションに合格して。

大倉:そうです。

木村:それは自分で?

大倉:自分でした。でもきっかけは、大阪の親戚のおばちゃんとかの人たちから、「あんたかわいいから行けるで」って言われたところから始まりまして。本気にしてしまった、当時小学校4年生ぐらいの時に、ファミリークラブの住所を調べてもらって送った、って感じです。

木村:へえ〜、そうなんだ。でも、ここにスタッフからの情報があるんですけど、これ本当? 「新聞配達をしながら学校やレッスンに通ってた」って書いてあるけど。

大倉:してました。そうですね事務所のレッスンも正直なかったんですけども。
関西ジュニアの仕事がその当時全然なくて。先輩が大阪公演でツアーでいらっしゃる時にバックのために呼ばれる、っていうタイミングだったので、大体夏と冬しか仕事がなかったんですね。

木村:仕事って言うか…そうだよね。「本当にいるの?」っていうことだ。

大倉:そうです、そうです。っていう状況が続いてるので、やっぱりお金もないですし…。

木村:そうなんだ。これ俺が言っていいことなのかどうかわかんないけど、その頃、ちゃんとした契約を結んでるわけでもないじゃん。

大倉:その当時はなかったですね。

木村:自分もなかったし。今考えるとすごい不思議っすよね。

大倉:そうですね。よくやってたなと思います。

木村:よくやってたなって、多分お互いがお互いのことを思うと思うんだけど。自分もそうでしたね。

大倉:そうなんですね。グループ組まれたのは、何年目ぐらいなんですか?

木村:え、何年目だ? 急に、当時存在していた雑誌の「POTATO」さんの撮影があるから、何月何日何時にどこどこに来てくれって言われて、「なんすか、それ?」っていう感じで一応行って。そしたらババババッて並んで撮られた写真が、「はい、『スケートボーイズ』です」って(紹介されて)、「それ何ですか?」っていう。

大倉:最初、そうなんですね(笑)。

木村:知ってる、なんかテレビで見たことある人たちが大人数でローラースケートに乗ってたりとかしてて。「スケートボーイズ」って言われて、「いや、ボーイズって言われても、俺スケボーをやったことないですけど」。

大倉:えー、すご! 木村さんもご自身で(オーディションの応募を)送られたわけじゃなかったんですか?

木村:僕は、親戚が勝手に。

大倉:そうなんですね。そこのモチベーションみたいなのも…。

木村:ゼロです。

大倉:ゼロですよね(笑)。

木村:六本木3番出口から降りて、テレビ朝日のリハーサル室に歩いていったら、本当に「えっ、うわ、びっくりした!」っていう感じで女の子から「受け取ってください」って言われて。今も、色も全部覚えてる。セサミストリートのクッキーモンスターだっけ? それが描かれた缶に入ったクッキーと、手紙を頂いて。「まだ名前も知らないあなたへ」って書いてあって。「これから応援させてください」って言って、クッキーを貰ったんですよ。

大倉:すご!

木村:それで、なんかすごいことやってんな、って、なんか変なスイッチが入って。だって名前も知らない子が「応援させてください」っておかしいだろ、って思って。

大倉:えー、おもしろ!

木村:それで、ジュニアっていうところで、それこそ本当にできる人たち、回れる人たちがどんどん鏡に近いところへ行き…、みたいな時間は過ごしました。

大倉:へ〜。これ、未だに僕は「合格」と言われてないんですけど。オーディションをするじゃないですか。誰からも「合格」とは言われてないんです。

木村:僕も言われてない。

大倉:言われてないですよね。今まで続いてる、って感じなんです。

木村:…僕もそうだ。

大倉:(笑)。特殊すぎますよね(笑)。

木村:僕らは2人とも「合格」とは言われてないです(笑)。

大倉:合格ではないんだろうな、と思いながらずっと過ごしてきました。

木村:で、その当時の忠義を、新聞配達まで行かせるその熱量。それは何だったんですか?

大倉:魅力があったんですね、先輩方に。こうなりたい、っていう。

木村:具体的な「俺、この人でした」っていうのは?

大倉:一番最初は、V6の森田剛くんから始まりまして。

木村:へぇ〜!

大倉:その時は小学校の同級生で好きな女の子がいたんですけども、その子が剛くんを好きだったんですね。

木村:ああ、そのパターンね!

大倉:そうなんです。で、「どんな男や?」っていうところから始まって、見てたら、自分も「いや、かっこいいな」っていうところになっちゃいまして。そのパターンでした(笑)。
SMAPの話は聞いてもいいですか?

木村:なんで?

大倉:結成された時って、そのスケートボーイズの中からもう一段階進んだ、って感じなんですか?

木村:半分になったんじゃないですか? 俺、正式に覚えてないけど、12人ぐらいいたのが6人に。

大倉:そういう流れなんですね。で、そのグループ名も伝えられ…?

木村:伝えられたけど、「なんだそれ?」って思ったし。

大倉:最初はそうですよね。

木村:言葉が通じない名前を急に言われて、「むしろ、いやなんだけど」っていうテンション。

大倉:そうなんですね(笑)。

木村:いや、俺の話はどうでもいい(笑)。

大倉:いやいや、気になりました、すごく(笑)。

木村:でも、ある程度の大人になって、めちゃくちゃ冷静な頭で振り返ると、本当に摩訶不思議だよね。

大倉:いや本当に、摩訶不思議です。

木村:大倉忠義本人の話に戻りますけど。そもそも、ギターだったり、鍵盤だったり、楽器っていっぱいありますけど、何でドラムにしました?

大倉:これはですね、僕は一番最初に楽器を触ったのはギターだったんですけれども…。

木村:あれ?

大倉:安田、丸山も、始まりは全員ギターなんですね。なんですけど、一度「バンドを組まないか?」って言われた時に、僕は「ちょっとダンスがしたいので、バンドチームは嫌です」っていうことを言ったんですね。関ジャニになる前にバンドチームがあったんです。そこは自分は外されてしまうんですけども。
そこで、安田はギターをやってて、丸山がベースをやり、違う子がドラムをやって、ボーカルをやって、っていうチームがあったんですけど、それを断ったことにより、僕の仕事はもうほぼなくなってしまったんです。 で、そのバンドチームも続かずに、メンバーが辞めていくんですけれども。
そこに、横山、村上、渋谷、錦戸が合流して、新しいチームで関ジャニとしてやっていく、っていうことになったんです。

木村:自分は?

大倉:いなかったんです。バックでやってたんです。

木村:不思議だな。1回枠から出たってこと?

大倉:同期なんですけども、同期のメンバーでバンドを組むという時に僕が断ってしまったことにより、そこから外れてしまい、その人たちのバックで踊る、っていうことをずっとやってたんですね。そこのドラムが辞めた時に、安田とか丸山が同期なので、「大倉ならリズム感あるんでドラムできると思う」という推薦をしてくれまして。それで、その時に会社から電話かかってきて「ドラムできる?」っていうことになったんですけど(笑)。

木村:すげぇ確認を電話でしてくんだな(笑)。

大倉:そうなんです(笑)。で、僕もそれがラストチャンスだと思いまして、「できます」って嘘ついたんですけど。
その1ヶ月後にはもうライブ本番があったんです。「もし、お前1人でできなければ、東京からドラムを呼んでツインドラムでさせる」っていうことをずっと言われてまして。そこで1ヶ月猛練習して、ステージに出ました(笑)。

木村:(笑)。実際1ヶ月後のライブに出て、叩いて。

大倉:出て、叩きました。

木村:すげえ。

大倉:そうなんです。それがきっかけで、8人で関ジャニ8(後の関ジャニ∞)っていうのが結成されました。

木村:2004年、関西限定シングル「浪花いろは節」でCDデビュー。

大倉:そうですね。そこでやっと契約してもらいました。

木村:そうなんですよ。そこなんですよ。自分も多分、そこだったと思う。

大倉:そういうことですよね。

木村:それまではもう一切、本当になかったと思います。

大倉:多分最近までそうだったと思います。今のジュニアの子たちは、皆契約してもらっていると思うんですけども。

木村:よかったね。

大倉:よかったです(笑)。

木村:そんで、2004年にデビューして、2010年にバンドとして本格始動しはじめ、フェスとかにも出るようになり…。っていうことではないのかもしれないけど、2018年から2019年にかけて、5人体制に形が変わって。

大倉:そうですね。

木村:そういう時は、どっかでテーブル1つにして何か話したりしました?

大倉:話しましたね。

木村:そりゃそうだよね。話さなかったら成立しないよね(笑)。

大倉:でも1人目の脱退の時はですね、話はしたんですけれども、もうその場所で報告、みたいな感じでしたね。

木村:そうだったんだ。

大倉:「そう思っている」っていうところから始まりまして。本人の意思も固くて…、っていう会話はしましたね。

木村:メンバーもそれを受け止め。

大倉:そうですね。

木村:まあ受け止めるしかないよね。

大倉:しかなかったですね。

木村:何言ってんだよ、っていう気持ちもあるかもしれないけど、やっぱそうだよな。

大倉:そうなんです。気持ち的には受け止めきれはしなかったんですけども、でも数年経ってみて、自分も40代に入りいろんなことを考える時に、やっぱり人生のことを考えるタイミングで、彼はその時点で人生を考えて、自分の道を見つけたんだな、って思うと、理解できなくはないな、っていう思いにはなりましたけども。
その当時はやっぱり追いつかなかったですね。

木村:今だからわかるっていう。

大倉:そうですね。時間はちょっとかかりました。

木村:まぁな。その時全て答えが出るわけじゃねえからな。それもそうだな。
で、その後に錦戸くんも(脱退した)。2019年なんですけど、残った5人で、シングル「友よ」っていう作品で再出発して、今に至る、っていう。

大倉:そうですね。

木村:で、2024年、SUPER EIGHTっていうチーム名に改名し…。
いやでも、いろんなプロデュースとかやりながら、アリーナツアー、ドームツアーて、どうやってやんの?

大倉:忙しかったですね。

木村:え、それだけ? その一言で終わりなの?

大倉:(笑)。忙しかったですけど、でも、全部自分1人でやっているわけではないので。その時は、ジュニアの育成部の方にお任せしたりとかでやりました。

木村:でも、脱退だけじゃなくて、途中途中で、あれは安田くんだっけ? ちょっと大きなオペレーションとか受けてたもんね。

大倉:そうですね。そういうこともいろいろありました。

木村:そうだよね。だってこの間なんて、横山くんもずっと走ってたからね。

大倉:そうですね(笑)。

木村:大丈夫か、と思ったけど。いろんな、多面性が半端ないチームだな、って思うんですけど。いや、すごいよね。

大倉:皆いろんなことやってますね。

木村:いろんなことやりすぎだろ(笑)。

[BGM]
M.浪花いろは節/SUPER EIGHT

[OA曲]
M.友よ/SUPER EIGHT

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