木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2024年07月14日Flow 第三百十一回目「拓哉キャプテン × 天海祐希」Part2

7月のマンスリーゲストは、天海祐希さんです!
どんなトークになるのか、お楽しみに!


木村:天海祐希さん。1967年8月8日、東京都出身。

天海:はい。

木村:ちびっ子の頃は、何系の女の子だったんですか?

天海:そんなに目立つ子じゃなかったです。背ばっかり大きくて。

木村:もう背は大きかったんですか?

天海:背は大きかったですね。幼稚園の頃から大きかったんじゃないかな。で、そんなに目立つ子じゃなかった。割と地味な子だった。でも、家族の前で何かをするのは好きだった。

木村:それは何をしてたんですか?

天海:歌を歌ったり…。だけど、別に幼稚園でも小学校でもそんなに目立つタイプではなかった。

木村:へえ。ちっちゃい頃なりたかったものとかあったりしたんですか?

天海:お芝居をする人。

木村:もう既に?

天海:そう。5歳の時に決めてた。

木村:それって、撮影現場でちらっと俺に話してくれた、あの先生のおかげ?

天海:そうそう。幼稚園の先生が。

木村:言ってくれたんだって。

天海:そう。「ゆりちゃんは声が大きくて、お芝居上手ね。」。そしたらその一言で「ゆりちゃん、お芝居上手なんだ。」って思って。

木村:(笑)。

天海:すごい自分にめっちゃポジティブな捉え方をして、「ゆりちゃんはお芝居をする人になる!」って思ったんだけど。後々よく考えてみたら、「声が大きい」っていうのと「お芝居上手」ってのは違うんですよね。単に「声が大きいわね。」って言われてただけなのに、「お芝居上手ね。」っていうのを鵜呑みにしちゃって。

木村:でも、言ってくれてたんでしょ?

天海:そう。それで、「お芝居をする人になる」って決めたの。

木村:すごくない? 5歳だよ?

天海:(笑)。

木村:それで、実際宝塚の方に入ろうと思ったのは、それは何歳の時ですか?

天海:「宝塚に入りたい」と思ったのは、中学2年生。それまでは、1回か2回、祖母に連れられて東京宝塚劇場に観には行ってるんですけど、そこまで心惹かれていたわけではなくて、「お芝居をする人になるには、どうしたらなれるんだろう?」と思っていて。その当時、スカウトか、児童劇団に入るか、ぐらい。でも、「それはそれでなぁ…」って思っていて。
中学2年生の担任の先生が、「あなたバレエもやってるし、演劇部にもいるんだから、宝塚に行ってみない?」って言われて。その先生は、宝塚のファンだったんですよね。麻実れいさんという方のファンで。「背も大きいし、宝塚行ったら?」って言われたのを聞いて、それがちょうど三者面談で母と私のいる前でそれをおっしゃったんですよ。「宝塚か!宝塚だったら色んな芸事の全て基礎のものを教えてくれて、なおかつ舞台に立てる。ああ、宝塚いいな。そこに行けたらいいな。」って思ってたんですけど。
ちょうど中学2年生で、同じぐらいだったかな、テレビのロードショーで、「ウエスト・サイド・ストーリー」をやってたんですよ。

木村:ほう!

天海:今でも忘れない、沢田研二さんと大竹しのぶさんが吹き替えをしてたんですけど、それを観て「なんてすごい映画なんだ!」って。ミュージカルだし、「このトニーが歌うマリアの曲を、トニーになって歌いたい」と思ったの。

木村:マリアじゃなくて。

天海:マリアじゃなくて(笑)。普通マリアですよね。なんでか、「トニーの役になって、このマリアの歌を歌いたい。」って思って、「ハッ!宝塚ならできるじゃないか!」と思って。そこで「宝塚に行きたい!」って思った。

木村:へえ〜。

天海:高校2年通って、その間にバレエとか歌とか練習させてもらって、高校2年修了で1回受けた。

木村:今「1回受けた」って言いましたけど、それしか受けてないですよね?

天海:そうですね。「今年落ちたら、もう2度と来ません。」とか言っちゃったんですよ。

木村:言ったらしいですね。

天海:「もう2度と来ませんってどういうこと?」って感じよ(笑)。「何なの、あなた?」っていう感じですけれども。

木村:(笑)。

天海:まずそれが正直な感じなんですよ。その「2度と来ません」っていうのが悪い言葉だと思わなかったんですよね。親とも、1回しか受験するチャンスをもらえてなかったので。
そしたら「え?来ないの?」って言われたから「はい。親と約束してるのも今回1回なんで、今年落ちたらもう2度と来ません。」って言ったら、その時に面接をされていた先生達が、バレエも歌も全然下手くそで「これはもうちょっと外で練習させた方がいいんじゃないの?」って話になってたんですって。でも、「あれ? もう今年しか来ないんじゃ、駄目か。」って言って、みんな点数をバーって書き換えて、それぞれちょっと入れてくださろうとしたんでしょうね。点数が上がっちゃって…。1番で入っちゃったの(笑)。

木村:これ、あんまり参考にしない方がいいですよ。

天海:本当にしないでください。

木村:これから宝塚を目指す皆さん。「もう私、金輪際ここに来ませんから。」みたいなことを言ったら、「あ、そうか。」って言って終わっちゃうパターンもあるかもしれないんで。これは天海さんだったから通じた。

天海:満面の笑みで言っちゃったからね。

木村:普通、満面の笑みであんまり言わないですよね。

天海:そう。考えてみれば、本当に失礼なことを言いましたよ。

木村:そして、1987年入団して1年目。え?1年目?で、もう新人公演で主演をされて。

天海:はい。

木村:で、93年には…もうだから6年後ですよ。

天海:はい、6年半ぐらいですね。

木村:…には、もう月組のトップ。という位置にいて、今の天海祐希さんっていう。

天海:たまたま、タイミングが良かったんですね。

木村:いやいや。

天海:本当に。

木村:で、28なんですね。

天海:はい、28歳の時に辞めましたね。

木村:その後がちょっとびっくりなんですけど、辞めた後の一番最初の仕事が、全編シアトルロケの英語のセリフの日米合作の映画、っていうものなんですけど。

天海:はい、そうでした(笑)。

木村:なんでこういうのを受けたんですか?

天海:その当時、宝塚を退団するにあたって、ずいぶんと色々とマスコミの方とか、新聞に載ったり、雑誌に載ったり、あとはちょっと騒いで頂いたんですね。これ、私はこのまま日本にいてこのまま日本でお仕事をしたら、絶対にならないつもりだけど、天狗になるんじゃないかと思って。この「宝塚を辞めました、天海祐希です。」「ワーッ!」のまま来たら、天狗になりそうな気がして。
だったら宝塚を辞めて、「私は守ってくれていた団体から独り立ちしましたよ。私は何もないんです。1人なんです。」っていうのをちゃんと思い知るために、全く知らない人のところに入ろうと思って。

木村:それで、この現場を選んだんですか?

天海:そう、選んだ。そしたら、やっぱり向こうのキャストの方とか、スタッフの方とか、「祐希は何をやってきたの?」、「祐希はどんな作品に出たの?」って聞いてくれて。「今までは宝塚歌劇団というところにいて、男役をやってたんだよ。」って言っても、あんまりよくわかってくれないから、写真を見せたり。
当たり前のことなんですけど、「誰も私のことを知ってくれていない。これが今の私なんだ。」と思って。「私はこんなに知られていないんだ。」っていうことをすごいちゃんと自分で身に沁みてわかって、「ここから頑張るんだ。」と思った。

木村:ほー。

天海:だからそれはすごくいい経験でした。

木村:へぇ。でもなかなかそれをいい経験…いい経験と言うか、「天狗になるかも。」って自分で思わないよね。

天海:いやいや。こんなに騒いで頂いてねって思いながら。

木村:外出ると本当に知らないんですよね。あれは「ああ…。」って。

天海:本当。「これが今の自分なんだ。」と。当たり前ですよね。アメリカのシアトルで、誰も知らないですよね。

木村:うん。多少、アジアだったりとか近い国の皆さんは、「ああ!」っていうふうに喜んでくださったりしますけど、全然知らないですからね。だから、今の選択をして、そういうモチベーション、そういうメンタリティで、そういう作品を選んだんだっていう…、やっぱ「俺にこれをやらせろ。」って言う人ですよね(笑)。

天海:(笑)。いやいや。でも本当に、ファンの方がすごく応援してくださって。何年も宝塚の舞台で見てみたいと思って応援してくださったファンの方がいらっしゃるのに、私がこのタイミングで辞めるって決めてしまっているのは、私が勝手に決めたことで。だから私が決めたことで退団の時に泣くのは失礼だと思って。「泣きたいのは、私達の方だよ。」って思われちゃうだろうなと思って。だから極力泣かないようにして。

木村:(笑)。

天海:泣いた顔とか覚えられるの、見られるのは嫌じゃないですか。だから、極力笑って退団した。「本当にありがとうございました。」と思って。
で、宝塚を応援してくださる方って、自分が辞めたことによって、ちゃんとその次に宝塚で応援したい方を探してくださるし、宝塚を愛してくださるファンの方が多いですから、だから「それでも私も応援していただけるんだったら、ぜひ頑張りますんで応援してください。でも宝塚も応援してください。」っていう気持ちで、辞める時にファンクラブは全部解散して…。

木村:んー…!もう全部、バラしたんですね。

天海:うん。これだけの人が私を応援してくれているってすごい力にもなるんですけど、でも、そこに甘えちゃいけないじゃないですか。

木村:(笑)。

天海:いや、これだけの方が応援してくれるって凄い力なんだけど、でも、これだけの方がいるんだって思うことも、これからチャレンジしていかなきゃいけない私には甘えの材料になるなと思って。だから、これから本当に1人でどれだけの人が応援してくれるかわからないけれども、頑張ってやらなきゃ、みたいな感じだから、バラした。

木村:お話を聞いてる限り…なんだろうな?「獅子は自分の子供を谷底に落とす」って言いますけど、両方やってますよね?

天海:(笑)。

木村:落とす方もやってるし、落とされて、「くそー!」って上がってく方もやってるし。一人二役ってよく言いますけど、もうまさに今、自分でやってるんだなっていうふうに思いました。

天海:すごい恵まれた宝塚生活だったので、本当に感謝しかない。

木村:でもその後、映画・テレビなどで、それこそシリーズ化されたものが、もうとんでもなくありますよね。

天海:いや、そんな…。

木村:「BOSS」シリーズ、「女王の教室」、「離婚弁護士」、そして「緊取(緊急取調室)」。

天海:はい、「緊取」。

木村:で、大河ドラマ。「利家とまつ」。

天海:大河ドラマは1回だけなんです。

木村:色んな現場を経験されてきてますけど、「あ、この作品だったかもな。」っていう、ターニングポイント的になったものってあったりしますか?

天海:まず、「離婚弁護士」は大きかったです。事務所が変わって最初の連続ドラマだったんですけど、それまで、割とふざけたりする役もあったんですが、ふざけるではなくて、30代、40代のちゃんとキャリアを持った女性が、「実際はこんなヘマもしちゃう。でも仕事はこんなにできるんですよ。」っていう、その落差をちゃんと表現できるような役に巡り合えたのは、この「離婚弁護士」が初めてで。なおかつ、それまでもやらせて頂いたこともあるんですけど、「連続ドラマを背負う」っていうことをここで学んだ気がする。

木村:ほ〜。その作品ももちろんそうですけど、その作品の中に存在してるキャラクター・役っていうものとの出会いって相当大きいっすよね。

天海:大きいですね。
もう1つ進んだのが「BOSS」で、これ両方とも林宏司さんという脚本家の方なんですが、林さんのお書きになる女性っていうのは、本当にすごくちゃんと振り幅があって、とても面白い作品を書いてくださる方で。「BOSS」はもう1つ、シリアスとちょっとふざける…とまでは言わないけど、冷静にやってて面白いことの際をやった感じ(笑)。

木村:(笑)。でも、そういうのをちゃんと匂いながらやってらっしゃるなっていう感じはすごくしますね。

天海:そうですか。ありがとうございます。

木村:「書かれてるからやる。」、「ただやる。」っていう方ではなく、そこをちゃんと嗅ぎ分けて、「ここは面白いとこだぞ。」、「面白いものにするべきだぞ。」っていうものの臭覚と言うか。

天海:(笑)。

木村:「いや、ここはちゃんとやんなきゃ駄目。」っていうところはちゃんとやってらっしゃる人だな、ってすごい思いました。今回も僕は思いました。

天海:(笑)。そうですか、ありがとうございます。

[O.A曲]
なし

[後TM]
M.I’ll be there/MAN WITH A MISSION

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