木村拓哉 Flow supported by Spotify - TOKYO FM 80.0MHz - 木村拓哉

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2024年04月07日Flow 第二百九十七回目「拓哉キャプテン × Awich」Part1

4月のマンスリーゲストはラッパーのAwichさんです!

木村:ちょっと個人的な話になっちゃうんですけど、パリで撮影をしてたんですよ。それで、夜ロケをしていたら、すっごい真っすぐこっちを見ている女の子が1人いまして…。

Awich:(笑)。

木村:めっちゃ真っすぐ見てんな、あの子と思って。でも、夜に照明を焚いて撮影をしている風景が物珍しいという事で真っすぐ見てるんだろうなって思ってたら、「待てよ!」っていう。僕は直接お会いしたことないけど、ひょっとしたらひょっとして彼女Awichじゃないかという事になりまして。
僕も撮影のスタンバイだったりカメラのスタンバイがあって「少々お待ちください」っていうタイミングだったんで、その真っすぐこっちを見ている女の子の方にトコトコトコって歩いていったら、そしたら彼女がですね「初めまして、Awichです。」って挨拶をしてくださって。

Awich:はい。まさかの、パリの街角で。

木村:まさかのだったんですけど、ちょうどパリコレに来られていて。僕は撮影してたんですけど、あの時Awichは何をされてたんですか?

Awich:私はご飯を食べに行って、車で帰るところだったんですよ。パリコレの間って結構、広場に人だかりがあって、色んな所で「あそこに誰々がいた!」みたいな事が起こってるじゃないですか。。

木村:そうですね。

Awich:だから、普通だったら人だかりでアッとか思う事ないんですよ。なんですけど、車でその人だかりの隣を通った時「よーい、はいっ!!」って聞こえたんですよ。パリだよね?あれっ?と思って、日本の撮影かもしれないって一緒に居たマネージャーにも言って、パッと見たら、金髪の方がいらっしゃって(笑)。

木村:コックコート来たやつが立ってて。

Awich:そうそうそう。ホテルも近かったんで、運転手さんに「ここで降ります」って言って、「ちょっと見に行ってみようよ」みたいな感じで。普通はそんなことしないんですけど、私たちの中でもほんとに珍しかったです。
散歩がてら見に行ってみようよみたいな感じで見に行って、遠目からめっちゃ見てたんですよ。睨む勢いで「誰だ?」って見てたら、え?え?え?みたいな。マネージャーと2人で。「え?え?え?キムタク?ヤバい、ヤバい、ヤバい!ご挨拶しましょう」ってなって。

木村:なるほど。それで、「初めまして!」って話になったんですけど。でもなんかね、お会いするのも初めてだったし、お話するのも初めてだったんですけど、お話を伺ってる部分もあったし。あと自分が一方的にですけど、色んな世論だったり自分に向けられてる気持ちや言葉に対してステージ上でぶちかましてるのを、僕ほんとに勝手に1人で見てて、こいつおもろ!って思ってて。

Awich:嬉しい!

木村:歌番組にご出演されてるのを拝見した時もそうですけど、遠い知らない人じゃなく、同性異性関係なく、“こいつカッコイイよね”って単純にストレートに思える人だったので、パリで会ったときに、会っちゃったっていう感覚が僕の中にはすごくありました。

Awich:嬉しいです。ありがとうございます。

木村:この番組はですね、ゲストの方が人生をどういうふうにFlowしてきたのか色々お話を伺っていく番組なんですけど、Awichは1986年沖縄県の那覇で生まれて。

Awich:そうです。

木村:小っちゃい頃、どんな感じだったんですか?

Awich:小っちゃい頃は、ほんとに男の子みたいなやんちゃ坊主でしたね。髪もずっと短かかったし。でも、昼は元気なんですけど、夜はほんとに記憶があるぐらい昔から不眠症だったんですよ。

木村:小っちゃい頃から?

Awich:はい。自分の部屋をもらった時から。親と一緒に寝てる時は眠れてた記憶があるんですけど、自分の部屋ってなって嬉しいってなった半面、夜全然眠れなくて。

木村:なんで?寝たいっていう気持ちはあるけど寝れずに?

Awich:幽霊とかオバケみたいなものに対して異常に恐怖心があるというか。霊感が強いわけではないんですけど、目をつぶるとうごめいてる感じがしてて。

木村:イメージが?

Awich:イメージが。それで目を開けちゃうんですよ。それをずっと繰り返して、眠れないから起き上がって机に向かって結局何かを書くみたいな。

木村:何書いてたの?

Awich:まず日記とか書いてたんですけど。

木村:それ何ちゃいの時?

Awich:9とか10歳ぐらいの時ぐらいからですね。

木村:9歳10ちゃいの時から。

Awich:9ちゃい10ちゃいから(笑)。今日あった事とか、誰々がムカつくとか、大人大っ嫌いとか、そういうのばっかり書いてて。その後ちょっとポエムっぽい感じになっていって。沖縄のアーティストを周りの大人たちが聴いてたから必然的に聴くようになって、中学校に入る前はアクターズスクールの例えばSPEEDとかDA PUMPとか聴いてたんですけど、中学校に入ってからちょっと詩的なCoccoとか聴いてたら、詩的な表現が素敵だなと思って、自分でもやってみるとか。そういう子供でしたね。夜と昼の顔があるみたいな。

木村:でもさ、眠れずちょっとオバケ怖いな。目を閉じたら色んなイメージが膨らんできちゃうなっていうストレスはあったかもしれないけど、嫌なことはちゃんと嫌だって表記したりとか。気持ちのぶつけ方、自分のぶつけ方っていうのをそこで1つ、見出したのかもしれないね。

Awich:そうですね。多分、そこから来てると思います。今の私の、自分の生活の中で生まれてきたことを歌詞にするスキルというか。そこで修行してた(笑)。

木村:音楽っていうものに言葉を乗せるってなるとリズムも必要だし、メロディも必要になってくるけど、そのリズムとかメロディっていうのは、それも沖縄の?

Awich:そうだと思います。やっぱりアメリカのカルチャー、アメリカの存在が小っちゃい頃から周りにあって。英語を習い始めたのは10歳ぐらいの時かな。10歳11歳ぐらいの時に、おばさんが基地の中にいっぱい友達がいて、「あんたは基地の中に行って英語を習いなさい」って言われて、「やりたい!」って。基地って授業では戦争にまつわる事とか、危ない武器がいっぱいある所とか、そういうふうに教えられるんですけど、休みの日にオープンゲートでフェスとかがあって友達と行くと、めっちゃカラフルだし、匂いも違うし。人間もご飯もお菓子も全部がデカいんですよ。

木村:(笑)。

Awich:「ピザでかーい!アイスクリームでかーい!」みたいな。だから子供ながらに、危険だからダメだって言われてる所と憧れの矛盾が渦巻くような存在だったんですよ、基地って。だから、おばさんに「中、行けるよ」って言われた時に、「行くー!」みたいな感じで行って、米軍の人と結婚してる韓国人女性に沖縄で英語を習うっていうチャンプル状態の状況で英語を習ったんですけど、韓国人女性から英語を習ったことがめちゃ私のためになってると思ってて。

木村:なんで?

Awich:韓国人って英語の発音めっちゃいいんですよ、なぜか。なぜかというか、彼らの言語の発音の作りだと思うんですけど、英語と近い発音がめちゃくちゃあって。だから、アメリカ人がそのまま自分が喋れるからって英語を教えるよりも、最初喋れなかった誰かが喋れるようになった経緯を覚えていて、その経緯を教えてくれるみたいな。

木村:なるほどね。お魚さんが水にチャポンって入った瞬間に泳げるんじゃなくて、泳げなかった私がこうやって泳げるようになったよっていう泳ぎ方を教えてくれたっていう。それはすごいラッキーだったよね。

Awich:ラッキーでした。そこで発音とか文法とかもビシバシ習ったんですけど、その中でやっぱり音楽とか、周りにいる子供たちから習うカルチャーというか、それがどんどん身についていくというか染みついていくというか。
当時、中学校ぐらいになった時にヒップホップが日本でも流行ってたんですよ。

木村:その時日本で流行ってたヒップホップって何でした?

Awich:Zeebraさんとか。

木村:おー。

Awich:DABOさんとか。テレビでも、例えばポンキッキーズにスチャダラパーさんが出るとか。そういう時代だった。だから、ラップっていう表現があるんだ。これはアメリカから来ていて、ヒップホップっていうカルチャーから来ていて、ヒップホップっていうのは黒人の声なき声を伝えるための手段として生まれたものっていうのを学んで、そこから2PACに出会って。2PACは革命家というか、彼の中でも色んな葛藤はあったけどコミュニティリーダーとして人々を導いていこうとしていた存在。だけど私が出会った頃にはもう亡くなっちゃっていて。だから、彼にのめりこんだというか。

木村:Awichが幼少時代に基地で出会った人もそうだし、匂いも色も大きさも、すごく無理なく気づいたら自然にビートが鳴ってて、言葉がダダダダダダダって打ち込まれててっていう。

Awich:そうですね。

[O.A曲]
M1.どれにしようかな/Awich

[後TM]
M. Yellow Summer/Kenichiro Nishihara 
レーベル:IntroDuCing! / 規格品番:FAMC-091

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